世界文化遺産 高島北渓井坑跡は日本最初の洋式竪坑!
近代的な海底炭鉱!西彼杵海底炭田の一部であった高島炭鉱の遺跡をめぐる徒歩旅
高島炭坑北渓井坑跡(たかしまたんこうほっけいせいこうあと)
日本最初の西洋式竪坑
北渓井坑創業時の写真
北渓井坑周辺の地図(竪坑~南風泊の石炭積出港)
令和3年(2021年) 4月25日 村内伸弘撮影
世界遺産・高島北渓井坑跡に着きました
誰もいません。静寂が支配しています。
この場所に日本初の洋式竪坑があり、ここから我が日本の近代が始まったと思うと感慨深いです。
高島北渓井坑跡(たかしまほっけいせいこうあと)
近づいてみます
竪坑跡(たてこうあと)
国指定史跡 高島炭鉱跡 高島北井坑跡
竪坑跡(たてこうあと)
竪坑とは、炭鉱で垂直に掘削された坑道のことをいい、地表と坑内深部を結ぶ主要な通路となります。記録によると、北渓井坑の竪坑は深さ 43mで炭層に達し、日に 300トンの石炭を産出したといわれています。坑口は現在のものよりも大きく、長さ 303cm、幅 242cm程ありました。掘った石炭を地上に運び出し、採炭する人々もこの竪坑から上り下りしました。古写真を見ると、木製で三段に組まれた櫓の下の竪坑から、運び出された石炭を載せた手押し車の姿があり、レールも敷かれている様子もわかります。
採炭の効率を良くするため、蒸気機関を動力とする捲揚機(まきあげき)を設置し、蒸気式の排水ポンプを用いるなど、竪坑は特に西洋の技術が導入された部分であり、日本の炭坑の近代化・機械化がみられるところといえます。
明治9年(1876年)に廃坑した後は、塞がれることなく、共同井戸として利用されていました。昭和49年(1974年)頃の写真に、当時の住宅の中に井戸となった竪坑跡の様子が写っています。
長崎市教育委員会(平成29年設置)
案内板に当時の写真がありました
北渓井坑創業時の写真(日本大学藝術学部所蔵)
すごい活気!!
ニッポンの産業革命当時の興奮がビシビシ伝わってくる写真です!明治ニッポンすごいよすごい!!
三菱の創業者・岩崎弥太郎のやる気と気迫が、この地で炸裂していたんですねっ
それを強く感じます
北渓井坑の昭和49年(1974年)頃の写真
50年ぐらい前はこんなに人が住んでいたんだ~
ここに住んでいた人たち、まさかこの場所が世界遺産になるとは夢にも思っていなかったんでしょうね 笑
写真見ると、まさに井戸端会議場。
近所の井戸的な存在ですよね、世界文化遺産の北渓井坑がwww
高島の位置と歴史
高島は長崎市の南西14.5kmに位置します。平成17年(2005年)1月4日に長崎市と合併し、長崎市高島町となりました。
もともとの高島は、近くに上二子島・下二子島という2つの島がありました。高島炭鉱が栄えていた時代に、高島・上二子島・下二子島の3つの島の間をボタで埋め、昭和10年(1935年)に、陸続きとなりました。その後昭和23年(1948年)に町制を施行し、高島村から高島町へ。さらに昭和30年(1955年)に端島と合併し、面積 1.24平方キロメートル・人口 16,904人の人口密度日本一となりました。
昭和61(1986年)の閉山後は人口が急減し、日本で最も面積が小さい町として知られました。
旅する長崎学から引用
令和3年4月末日現在で高島町の人口はなんと 333人
昭和30年(1955年)の 16,904人からなんと 98%減!
産業というのはすごいんですね!
仕事があるってことはすごいことなんですね!!
人っ子ひとりいないこの北井坑跡で僕はそんなことを思いました。
日本最初の様式竪坑 北渓井坑跡
「鍋島藩家臣の松林源蔵が藩主の命を受け、グラバーと共同経営で英国人技師モーリスを招き、明治2年4月(西暦1899年)にここに日本最初の蒸気機関による竪坑(深さ43m)を完成させた」と刻まれています!!
偉業です!まさに近代ニッポンの!!
竪坑の中には水が溜まっていました
国指定史跡 高島炭鉱跡 高島北井坑跡
長崎港の開港を契機に、蒸気船の燃料として石炭需要が増大したことから、慶応4年(1868年)、佐賀藩とグラバー商会との共同出資により、高島炭鉱開発が開始された。外国人技師を採用し、我が国初の蒸気機関を動力とする捲揚機や排水ポンプを設置した竪坑は、明治2(1869年)4月、深さ 43mで着炭し、北渓井坑と命名された。
明治4年(1871年)に廃藩置県で佐賀藩が廃止された後、明治7年(1874年)に炭坑の経営は明治政府の管轄となった。その後、後藤象二郎に払い下げられ、明治9年(1876年)まで稼働したが、海水の流入により廃坑となった。
北渓井坑は、我が国で初めて外国の資本と技術が積極的に導入された洋式炭坑であり、この地で導入された石炭生産技術は、その後、端島炭坑をはじめ筑豊や三池炭鉱などに伝わり、我が国の炭坑開発の発展につながっていった。現在も竪坑をはじめ、周辺の地中には当時の遺構が良好に残されており、初期の近代的炭坑の様相を伝える重要な遺跡である。
長崎市教育委員会(平成27年設置)
ちなみに炭鉱と炭坑の違いが小さく書かれていて勉強になりました~
▼炭鉱と炭坑の違い
炭鉱:石炭を採取する場所一帯
炭坑:石炭を採取するために堀った穴
ボイラー施設跡
ボイラー遺構(発掘調査で出土したボイラー施設跡)
トロッコレール跡
この上をトロッコがひっきりなしに行き来してたんですね。ザワザワザワザワと近代日本のざわめきが聞こえてくるようです。
掘り出した石炭は近くにある石炭積出港から積み出されていきました
南風泊(はえどまり)の石炭積出港
石炭積出港の古写真です
今は地続きになった飛島が「島」として写っています
(写真上)石炭を穴から船へ下ろす
他にもいろんな説明版が林立していました。
遺跡よりも看板の方が確実に多い感じ(笑)
でもせっかくですから現地に行ったつもりで見てください♪♪
明治日本の産業革命遺産
高島北渓井坑模型 縮尺 1/100
あの~ 似たような看板がたくさんあるんですけど 笑
まあ、それぞれちょっとづつ説明の仕方が違うので引き続き公開~い
国指定史跡 高島炭鉱跡 高島北渓井坑跡 中ノ島炭坑跡 端島炭坑跡
19世紀、遠洋航海用蒸気船が開発され、世界の海上交通が大きく発達しました。日本は東アジアにおいて、蒸気船の燃料となる石炭の供給拠点として重要な位置にありました。
開港場として多くの蒸気船が往来する長崎港の近郊に位置する高島は、熱量が高く良質な石炭が採れることから、いち早く石炭鉱業の近代化に着手されました。明治2年(1869年)、日本で初めて蒸気力を利用した北渓井坑が開坑され、さらに石炭の需要が増加すると、中ノ島や端島など周辺の小さな島々も開発され、高島炭鉱は近代的な海底炭鉱として発展しました。19世紀末以降は、コークス原料としての高島炭の需要もあり、国内の鉄鋼業を長く支えました。高島炭鉱は、小さな島々を開発した近代海底炭鉱の姿をよく保存しており、日本の産業史上、重要な遺跡として、平成26年(2014年)国の史跡に指定されました。
また、高島炭坑(高島北渓井坑跡)端島炭坑を含む、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」は、短期間に非西洋地域で初めて飛躍的に技術的的発展を成し遂げた産業遺産群として、平成27年(2015年)、世界文化遺産に登録されました。
高島炭鉱の位置
3つの産業分野の時系列に沿った発展(1850年代~1910年)
「高島北渓井坑と南風泊の石炭積出港」模型 縮尺 1/100
この写真他の看板にもあったね 笑
竪坑周辺
この写真もさっきあった 笑
南風泊の石炭積出港
南風泊の石炭積出港があった場所の今現在の様子
上の古写真に写っている飛島(三角形の島)が今もここから望めます
この入り江は北渓井坑の北側に位置し海に面しているので、採掘した石炭を積み出す港として利用するには確かに最適の場所ですね
"あのグラバー邸"ではなく、ここ高島には別の "グラバー邸"がありました。
グラバー別邸跡
おおっ!さすがグラバー!
小高い丘で見晴らしが良さそうです
控えおろう。どう見ても "島で一番偉いオレ"って感じです 笑
グラバー別邸跡
トーマス・ブレーク・グラバーは高島炭坑開発のため明治初年にこの地に洋式の邸宅を建て、明治6年まで居住した。その後、三菱高島砿業所の迎賓館として使用されたが昭和23年に老朽のため取り壊された。
台風被害で立ち入り禁止になってました。。。
グラバー別邸から南風泊方向を振り返った景色
北渓井坑の真ん前にあるバス邸まで歩いて戻りました。グラバー別邸から数分です。もう歩けません。。。
高島バス 本町バス邸
高島バスのバス時刻表
高島バスの路線図
暑い暑い。。。お茶を飲みながらバスを待ちます。次のバス、逃すとまた歩かなきゃいけないので必死で待ちますwww
真っ赤な島内循環バス、やってきました!
もう歩けないので救いのバスです♪♪
本当は島一周するつもりだったんですが、ここで完璧に挫けました。
主要な遺跡は見たので、長崎市内に帰ります。
高島バスの車窓
海が見えるバス。最高です!
どこまで乗っても運賃は 100円
どこまで行っても青い空
高島港ターミナルへ戻りました。僕の高島ショートトリップの終わりです
「PIECE OF PEACE」 RAINBOW MUSIC
皆様のおかげをもちまして 1000枚チャレンジ 無事達成いたしました!!!ありがとうございます。これからも RAINBOW MUSIC をよろしくお願いいたします!
この RAINBOW MUSICというグループ CDを 1000枚売り切ったみたいです。スゴイですね。やはり「PEACE(平和)」が似合います、長崎には。
島からの廃車の海上輸送には 8割の補助金が出ます
俊寛(しゅんかん)が高島港に着きました。
この船に乗った俊寛(瞬間)、高島ともお別れです。
高島、すばらしい島でした!
静かな島でした!!
▼今回の五島・長崎旅行
・東京遊覧飛行&富士山真っ白 五島旅行スタート!ソラシドエアで長崎へ
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・大瀬崎断崖と大瀬崎灯台、立谷教会跡地(無原罪の聖母像)、名もなきキリシタン墓地
・五島玉之浦ドライブ♪♪ 玉之浦港、玉之浦椿発見の地周辺、高浜海水浴場など
・五島福江島 空海記念碑 辞本涯の碑、渕ノ元カトリック墓碑群のマリアさま
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