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村内 伸弘(むらうち のぶひろ)村内伸弘の彼女

賀川豊彦記念松沢資料館。彼はまたすべての人を尊敬した。貧民窟のすべての人を尊敬した。

神戸のスラムに身を投じた賀川豊彦の言葉: 救貧運動の根本は心である。悩みである。もだえである。テントや、バラックに住んでみなければわからない... 十字架の道は、貧民窟の路地にあるのだ

賀川豊彦(かがわ とよひこ) 1888 - 1960


愛と協同に生きた、賀川豊彦の足跡を伝える賀川豊彦記念松沢資料館


賀川豊彦記念松沢資料館の所在地  東京都世田谷区上北沢3-8-19(京王線上北沢駅南口)


松沢教会(松沢資料館隣)


賀川豊彦記念松沢資料館の十字架
令和6年(2024年)2月16日 村内伸弘撮影


賀川豊彦(かがわ とよひこ)

賀川豊彦(1888~1960)は神戸貧民街での救霊・救貧活動の後、関東大震災の被災者救援のため活動拠点を東京に移した。


キリスト教伝道のほか、幼児教育、社会福祉事業、労働運動、農民運動、協同組合運動、平和運動などにより、その生涯を神と隣人のために献げた。雲柱社はその志を継承する事業体である。



清水寺貫主だった大西良慶師のカセットテープを聴いた時賀川豊彦という人のことを知りました。21歳の時、貧しい人々を救うために貧民窟(スラム)に入っていった人物です。大西良慶師が観音さまのような行動ということでべた褒めしていたので、気になっていました。

人間の世界で言うたらね、私らの知ってる時代にね、やっぱり宗教の人は貧民を救けるためには、貧民窟へ入らにゃ。賀川豊彦いう人はな、ね。これはま、誰でも知ってる人やね。これキリスト教の人ね。こりゃあんた、貧民救助をやってはる時に、貧民窟でやっぱり住まいしてはる、ね。高いとこにいてね、こっち来い、こっち来い、それでは救けることできないのね。

観音信仰について 大西良慶(清水寺貫主)より引用


調べたら、上北沢に記念館があることがわかって訪れてみました。この僕のブログ記事が賀川豊彦やその観音さまのような精神と行動をあなたに伝えることができればうれしいです!!


京王線に乗って、上北沢駅を目指します


上北沢駅に到着


上北沢駅で下りたのは(たぶん)生まれて初めてです


この地図の右上に賀川豊彦記念松沢資料館が見えています
上北沢駅から歩いてすぐです



さあ、歩いてみましょう!

赤い帽子をかぶった子供たちは僕と逆方向に元気よく歩いていきました(^^)


上北沢駅のホームを左に見ながら歩いていきます


京王線が通ります


世田谷区広報版 ヒューマン都市をめざして


あっという間に着きました♪♪

松沢資料館の隣にある松沢教会です


松沢教会


松沢教会、松沢幼稚園、松沢資料館の区域一帯は世田谷地域風景資産に登録されているそうです



50m先(横)の松沢資料館に向かいます



松沢資料館の入口です

松沢資料館



賀川豊彦(かがわ とよひこ)


いい顔してますね!


1923年9月、賀川豊彦は未曽有の大地震に襲われた東京へ駆けつけ、被災者支援を行った。


松沢資料館のパンフレット


松沢資料館設立の趣旨


賀川豊彦先生 Dr. Toyohiko Kagawa


若き日の賀川豊彦のポートレート


そしてここです!ここです!
この思想と実践に対して大西良慶師が愛情深い賛辞を送っていたのです!!


「やっぱり宗教の人は貧民を救けるためには、貧民窟へ入らにゃ。高いとこにいてね、こっち来い、こっち来い、それでは救けることできないのね。」大西良慶師の言葉です


貧民窟に住み込もうと決心し、実行した賀川豊彦


賀川の活動を献身的に手伝い、良き協力者だった妻・ハル
ハルも貧民窟に入ったんです!!


社会を良くするため働かねばならぬ(ハル)


立派な人がいたんです!
明治や大正時代の日本には実に立派な若者たちがいたんです(泣)


賀川の言葉: 救貧運動の根本は心である。悩みである。もだえである。罹災者の悲しみを統計で現すことはできない。テントや、バラックに住んでみなければわからない...



木造教会がありました

旧松澤教会


昭和6年(1931年)に建立された旧松澤教会が館内に移築されていました



ちっぽけな図書室でこの本にめぐり合いました

100万部を越えた大正時代の大ベストセラー「死線を越えて」


時間があったので、椅子に腰かけて、ページをパラパラめくってみました


「死線を越えて」スラム街に移り住んで、他人のために自己を捧げ尽すというキリスト教的隣人愛を実践した著者の自伝的小説。後半は特に、スラム街に住むさまざまな人びとの生活記録ともいえ、その中での主人公の働きは万人の胸をうつことだろう。第一次世界大戦の前後、アジアの片隅で伝導師として活動していた賀川豊彦を世界的人物にまで押し上げた古典的名著。


彼はまたすべての人を尊敬した。貧民窟のすべての人を尊敬した。彼は貧民窟のすべての乞食、すべての淫売婦を尊敬した。


僕が手にした「死線を越えて」の文庫本の中の一文です!!
ものすごい到達点です!!!!!
まさにこの姿は法華経に搭乗する常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)のお姿です!!!!!!!!



人間は人間として尊敬を受く可きだ。凡て人間は生きて居る中から礼拝を受く可きものだ。凡て人間は礼拝を受く可きだ。もし彼が成功して居るならば成功せる理由によって、もし彼が失敗して居るならば失敗せる理由によって。人間は地球の傑作である。(労働者崇拝論 賀川豊彦)



図書室のモニターにはこんな映像も映ってました
死の淵から蘇った賀川は、いつ途絶えるかわからない自分の命を、社会で苦しんでいる人たちへ捧げようと考えました。

December 24th, 1909. A 21 year-old ailing Kagawa moves into a slum in Kobe city.
1909年/明治42年12月24日、21歳の賀川は病気の体を抱えて、神戸のスラムに身を投じました。


He lived there, caring for the sick, the poor, and children. Still, he was often beaten and robbed by the citizens of the slums. Wlile he had very little, he shared his clothing and money with his neighbors.
賀川はそこに住む病(やまい)の人、貧しい人、子供たちの面倒を見ました。しかし、住民からは暴力を振るわれたり、お金を巻き上げられたりする毎日でした。賀川は、自分のわずかな服やお金を彼らに分け与えました。



記念礼拝堂


下座奉仕 豊彦


一枚の最後に残ったこの衣 神の為には猶 脱がんとぞ思ふ 賀川豊彦  1943.7.9



ああ、来てよかった~☆
神と貧しい人々への徹底的な献身!!
神戸の貧民窟に身を投じた賀川豊彦の姿は本当に常不軽菩薩のようだと思いました。
理想のために行動し、すべての隣人に仕える姿。感動しました!!!!



松沢資料館の近くに咲いていたアネモネ


京王線上北沢駅前の踏切


通過する京王線


▼公式サイト

賀川豊彦記念 松沢資料館


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