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村内 伸弘(むらうち のぶひろ)村内伸弘の彼女

世界遺産 旧五輪教会堂へ ゴシック様式のコウモリ天井(リブ・ヴォールト天井)がなめらかでうるわしい♪♪

世界文化遺産 長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産・旧五輪教会堂。昭和6年/1931年に浜脇教会堂を移築したもので下五島最古の教会建築。五島の教会は、苦難を乗り越えた人々の信仰の証なのです。

世界遺産 旧五輪教会堂(きゅうごりんきょうかいどう)


旧五輪教会堂と現・五輪教会堂


旧五輪教会堂 祭壇(内陣)


旧五輪教会堂 マリアさま


旧五輪教会堂 コウモリ天井(リブ・ヴォールト天井)


旧五輪教会堂 木枠のステンドグラス


旧五輪教会堂
令和3年(2021年) 4月24日 村内伸弘撮影


五島列島キリシタン物語ツアー ~久賀島・奈留島編~に参加した僕たちは、今、久賀島(ひさかじま)の旧五輪教会堂(きゅうごりんきょうかいどう)に向っています!


もちろん世界遺産です!


旧五輪教会堂(観光協会の写真)



雨が降ってきました。

久賀島の北東部を乗合タクシーで走っています


かなり狭い道をグイグイいっちゃってます 笑


旧五輪教会ってすごい場所にあるんですね・・・

旧五輪教会堂に向う車窓


見えているのは奈留島との間の海(奈留瀬戸)です


なんか完全に林道状態なんですけどぉー


てか、道幅クルマの幅ギリギリなんですけどぉ~


旧五輪教会堂がある五輪地区は今でも車が入る道がなくって、訪れる人はみな途中で車を下りて山道を歩くか、海上タクシーなどの船を利用するかどちらかの方法でしかアクセスできないそうです。


僕たちは山道らしいです(笑)
五輪駐車場に着きました。ここからは車で行けない山道を歩いて散策です。



ん・・・がぁ、雨が降ってきてるんですけどぉー
しかも結構強く。。。


この山道をこれから歩きます。世界遺産の旧五輪教会堂目指して


雨降る中、みんなで一緒にすごい山道を歩いていきます
ああ、傘持ってくればよかった~ 天気予報では雨降らないってことだったのに・・・


五島市のおもてなしガイドさんに続きます


木々の間から海(奈留瀬戸)が見えました!!感動的な一瞬です!!!!!


やったー!!!!

旧五輪教会堂が見えましたっ!!
やりました!!



ちょっとした山歩き状態ですが、とってもたのしいです


石垣や石段があります


五輪地区の歴史がそのまま封印されているかのような石垣です

雨に濡れたうつくしい緑色が目に眩しいです!!


ジャーーーーン!!

世界遺産 旧五輪教会堂(きゅうごりんきょうかいどう)


険しい山を背負い、奈留瀬戸に面した小さな漁港のわずかな土地に旧五輪教会堂は静かに佇んでいました。


旧五輪教会堂前の海(奈留瀬戸)


車両進入禁止っていう以前の問題です。我ら人間すら歩くのギリギリですもん 笑



五島列島。うつくしい。五島列島。うるわしい。


ははは(笑)

どこ歩かせるんですかぁ~?


ビューポイントです!久賀島の険しい山を背景にすごい狭いところに教会が並んで建ってます


(左)旧五輪教会堂 (右)現五輪教会


飾り気がなくって、すっごく素朴


ツアー参加者(我ら山道派w)が順番に湾曲したこの細く狭い道を進みます


五輪墓地



西海国立公園 ~九州自然歩道~


すぐれた島しょ景観の自然歩道かぁ~
今度は歩きたいな、この島を。


久賀島の自然歩道


久賀島って福江島とは田ノ浦瀬戸、奈留島とは奈留瀬戸で隔てられた馬蹄形の島なんです。ホントにこの地図みると馬蹄形してますね!典型的な U字型の島です


この地区にある旧五輪教会堂は、昭和6年(1931年)に浜脇教会堂を移築したもので、五島に建つ教会堂としては最古の部類に属していると書かれています


現・五輪教会


旧五輪教会堂の老朽化で昭和60年(1985年)に建てられた新しい方の五輪教会(現五輪教会)です。旧五輪教会堂と並んで建っています。


新しい教会もおしゃれですね


でもやっぱりこっちの方が味わい深くっていいな~ 笑

旧五輪教会堂


世界遺産 長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産

世界遺産 久賀島の集落

「久賀島の集落」は、潜伏キリシタンが信仰の共同体を維持するに当たり、どのような場所を移住先として選んだのかを示す 4つの集落のうちの一つである。18世紀後半以降、外海(そとめ)地域から各地へ広がった潜伏キリシタンの一部は、五島藩が久賀島に開拓移民を受け入れていることを知り、既存の集落と共存できそうな場所として選んで移住し、漁業や農業で彼らと互助関係を築きながら、ひそかに共同体を維持した。解禁後はカトリックに復帰し、島内の各集落に教会堂を建てたことにより、彼らの「潜伏」は終わりを迎えた。


旧五輪教会堂

旧五輪教会堂は、牢屋の窄事件を乗り越えた久賀島の潜伏キリシタンが、1881年に島内で初めて建てた教会堂です(初代浜脇教会堂)。


この教会堂は、久賀島の潜伏キリシタンの伝統に終わりを示すのみならず、彼らが 250年もの間、継承してきた信仰の証として価値づけられている貴重な遺産です。


キリスト教解禁後に、各集落に建てられた最初の木造教会堂がそのままの形で残されているのは、日本全国でも珍しく、大変貴重な建造物となっています。


現在は、国の重要文化財であり、貴重な文化財建造物として市が所有・管理しています。


世界遺産 長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産


国指定重要文化財 旧五輪教会堂

旧五輪教会堂は、明治14年(1881年)久賀島浜脇の地に浜脇教会堂として建てられたものであり、昭和6年に現地に移築された。現存する木造教会堂としては最古の部類に入ると思われる。


建物は木造瓦葺平屋建て。窓が教会堂特有のポインテッドアーチ型であるのを除けば、外観はまったくの和風建築の造りである。内部は 3廊式の会堂、いわゆるコーモリ天井、ゴシック風の祭壇など定法どおりの教会建築様式に仕上げている。


大工棟梁は、久賀田ノ浦の平山亀太郎と伝わる。


海辺に建つ木造建築であるため老朽化が激しく、昭和59年新しい教会堂建築のため解体の危機にさらされたことがあるが、関係機関の努力で修復・保存されることとなった。


長い禁教政策の下、弾圧と迫害に耐え、ようやく禁教が解かれた明治初期、五島各地には信仰の証として、教会堂が建設され始めた。


旧五輪教会堂は、その当時の教会建築史を物語る、歴史的建築様式を持つ貴重な文化財である。



てか、案内板がたくさんあるぅ~


案内看板もいいけど、せっかくなんで実際に教会堂の中に入ってみます♪♪


こっちの看板は要チェック。

天主堂(入口真上に掲げてあった看板)


木枠のステンドグラスが僕たちをお出迎えしてくれました


旧五輪教会堂の入口の天井


入口から外をみたところ



この説明文に宿っている気迫に僕は圧倒されました
   ↓↓↓↓
「この教会は、キリシタン弾圧時の殉教者の遺徳をしのび、信者がその総力を結集して建設したもので、五島カトリック史上重要な意義をもつ。」



旧教会の内部はゴシック様式です


コーモリ天井(リブ・ヴォールト天井)


こうもり傘を広げたような曲面による空間構成の天井です。ただただ美しい!ただただ素晴らしい!!


コウモリ傘をいくつも広げたような形状に見とれてしまいます



窓からは海が見えます


この写真も感動的でしょ?

この教会の中からこの海を見て、一体何人の人が救われたのでしょうか?


救われた人は数知れないと僕は思います


聖水盤


床面


天井


ぬくもりがあるっていいなー
この世の中はぬくもりですよ、ぬくもり。大切なのは全てぬくもりなんです!!



ガイドさんはもちろん、東京から来たと永松さんという教会守(きょうかいもり)のお兄さんが色々やさしく教えてくれました。

キリストを抱く聖ヨゼフ像


懺悔の場所。島は狭いため、懺悔するのは他の集落から来た方が多かったそうです



装飾が少ない礼拝空間が限りなく素朴でとてもイイ感じです♪♪

内陣(奥)


祭壇


イエス・キリストと聖櫃(せいひつ)



ここは今は教会として使われていないので撮影自由と言われました。他の教会は中は写真とれないのでここぞとばかりに撮りまくってますwww

この空間、さぞかし賛美歌の声が美しく響いたはずです



お美しいマリア様



うわっ!入口上のステンドグラス、中側から見るとすっごく可憐♪♪

水色と赤、水色と黄色、どっちもすっごく綺麗♪♪


木枠のステンドグラス



オルガン


どんな音色だったんだろう?
どんな響きだったんだろう?
想像力が最大限にフル稼働しちゃいました


結論。さっすが世界遺産!これは世界遺産だと思います!!

旧五輪教会堂、本当に美しい教会でした


でもね、ネットじゃ。この教会の素晴らしさは伝えられません。ぜひあなたもいつのに日にか、ここ久賀島の五輪集落を訪れて、この世界遺産の島ならではの空気を実際に肌で感じてください。


教会の外観は和風で内部はゴシック、明治初期の教会建築史を物語る貴重な天主堂なんだそうです、この旧五輪教会堂は♪♪


見事に表していますね
東洋と西洋の融合を


外から見る窓もステキ~☆


こっちから見るとホントちっちゃな木造の建物で、まるで民家のようです。


猫の額(ひたい)のような狭さです。こんな狭い土地にこんなステキな教会が佇んでいるんです。コレ世界遺産以外の何物でもないですよ。


教会堂の山側の石垣


山側の窓から覗いた教会堂内部


五島のキリシタン史

幾多の苦難を越えて


信仰を守るために、すべてをおいて長崎の外海(そとめ)地区から五島へやってきたキリシタンたち。ろ漕ぎの小さな船で。


待っていたのは命をつなぐのが精一杯の暮らし。人目につかぬ浜で網を打ち、石ころだらけの山の斜面を耕しながら、家族が寄り添って祈る日々。


禁教の中、島々のそこかしこで息をひそめ、敬虔な「信仰」が守り伝えられました。


やがて明治のはじめ試練が訪れます。久賀島から上がった迫害の火の手は、42人の殉教者を生み、その炎は島々のほとんどをのみ込みました。棄教を迫る役人の責め苦にあえぎながらも「棄てませぬ!」という信徒たちの悲痛な叫び。


幾多の苦難が過ぎ去った後、信徒達は真っ先に教会を建てることを決心し、島の小さな入江のそばや丘の上に次々に教会が建てられました。リブ・ヴォールト天井の意匠を凝らした教会もあれば、素朴な教会も。


五島の教会は、苦難を乗り越えた人々の信仰の証なのです。

世界文化遺産 五島市の教会ポケットガイドより引用


そろそろ久賀島ともお別れになります

蘇鉄(ソテツ)
ここではソテツはお祈りに使うそうです。




次の "世界遺産の島"奈留島へ向うため、僕たち専用の海上タクシー(奈留海上)が待ってくれていました

五輪港(ごりんこう)


五輪港の海水、けっこう透き通ってました
晴れてたり、夏なんかはすっごくキレイだと思います!


奈留海上の海上タクシー「あやかぜ」にみんなで乗ります



うれしーな♪♪ やさしい教会守さんが手を振って見送ってくれました!!

さようなら久賀島(ひさかじま)


うつくしい島でした、本当に!すばらしい島でした、本当に!!!!




福江港ターミナルに貼ってあったポスター


福江港ターミナルに展示してあったパネル

旧五輪教会堂(きゅうごりんきょうかいどう) 明治14年(1881年)建立

教会のなかった五輪地区の人々は、取り壊される予定だった旧浜脇教会を譲り受け、解体していかだで運んでこの地に再建しました。約50年後、痛みが激しくなったため、新しい教会を隣接した場所に建てて、旧五輪教会堂は保存することになり、この時点で市が譲り受け教会の役目を終えています。各地に教会が建立されはじめた当時の教会建築を物語る、五島列島最古の木造教会で、国の重要文化財です。


五輪教会(ごりんきょうかい) 昭和60年(1985年)建立

旧五輪教会堂の老朽化により昭和60年(1985年)に建てられた、新しい教会です。険しい山を背景に、奈留瀬戸に面した小さな漁港のわずかな土地に、旧五輪教会堂と並んで建っています。五輪地区は、現在でも車が入る道はなく、訪れる人は途中で車を下りて山道を歩くか、海上タクシーなど船を利用する方法がとられています。


長崎空港のモニター 久賀島の集落  旧五輪教会堂


長崎空港のポスター「久賀島の集落」

久賀島の集落

久賀島の集落

「久賀島の集落」は、潜伏キリシタンが信仰の共同体を維持するに当たり、どのような場所を移住先として選んだのかを示す 4つの集落のうちの一つである。


18世紀後半以降、外海地域から各地へ広がった潜伏キリシタンの一部は、五島藩が積極的に久賀島に開拓移民を受け入れていることを知り、既存の集落と共存できそうな場所として選んで移住し、漁業や農業で彼らと互助関係を築きながら、ひそかに共同体を維持した。

解禁後にカトリックに復帰し、島内の各集落に教会堂を建てたことにより、彼らの「潜伏」は終わりを迎えた。



久賀島の中央部にある大開集落では、潜伏キリシタンが既存の仏教徒の集落の周辺部に移住し、各種の作業で協働しながら水田を拓いていった。このような潜伏キリシタンと仏教徒の互助関係は久賀島の各地でみられた。



五輪集落は、久賀島の他の集落からは隔絶された場所に、潜伏キリシタンが移住して形成した小規模な集落である。解禁後はカトリックに復帰したが、立地環境や財政的な理由から自力での教会堂建設が困難であったため、久賀島で最初に建てられた教会堂である浜脇教会堂が、1931年の改築により解体される予定であったものを、五輪集落が譲り受け移築した。



今、五島にある教会堂は、いずれも、信仰の自由を得た証として、その歴史を背負ったキリシタンの子孫が建てた「祈りの家」である

五島市のポスターより


▼今回の五島・長崎旅行
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五島バス(路線バス)で下五島の玄関口 福江港ターミナルへ
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