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天正遣欧少年使節顕彰之像(長崎 森園公園)と箕島大橋の長崎名所タイルパネル

日本初のヨーロッパ派遣団!天正遣欧少年使節団 伊東マンショ、千々石ミゲル、原マルチノ、中浦ジュリアンの大志よ燃え続けよ。ニッポンの若き世代に!

天正遣欧少年使節顕彰之像


海の向こうを指差す正使の伊東マンショ


天正遣欧少年使節団
令和3年(2021年) 4月22日 村内伸弘撮影


箕島大橋を渡り終える辺りから長崎の名所パネルがコンクリにはめ込まれていました


天正遣欧少年使節団のタイルパネルです



長崎LOVEの僕ですから、ぜんぶ一気にご紹介いたします!!


九十九島(くじゅうくしま)


グラバー園


大浦天主堂


眼鏡橋


大村公園


天正少年使節団


コッコデショ(長崎くんち)


ハウステンボス


日本26聖人殉教地


ペーロン


龍踊り


出島オランダ商館跡


崇福寺


大村桜


黒丸踊り



このパネル群大村市にあるので、やや "大村寄り"のような気もしますが(笑)


それぞれそうそうたる長崎の名所ですよ
僕はほとんど尋ねましたけど
どこも全部すばらしいです!!


タイルパネルが終わると、4人の少年たちの銅像がありました。

そうです!森園公園の天正遣欧少年使節顕彰之像です


いつもバスの中から見ているんですが、近づいて肉眼で見るのは初めてです♪♪



天正遣欧少年使節讃

天正10年(西暦1582年)、干々石ミゲル、原マルチノ、中浦ジュリアン、伊東マンショは大名大村純忠、有馬晴信、大友宗麟の少年使節として神父ワリニアーノに伴われ長崎港を出帆した。ミゲルは純忠の甥、マルチノとジュリアンは大村領に生まれた。


天正12年ポルトガルを経て、苦難万里の旅路の果てスペイン国王ローマ教皇に謁見し使命をはたすと共に接した人々にその勇気、賢明、礼節を感銘させ、また日本の存在を強く印象づけた。日本文化に影響を残す多彩な品を携えて天正18年帰国したが、急変した時勢のため逆境にありながらも信念を貫いた。


長崎出発 400年に当る今年、今は世界の空を結ぶ使節にゆかり深きこの地にその雄図を讃え、併せて若き世代にかかる大志の燃え続けよと、念ずる人々この像を建てる


昭和52年9月20日

文並びに書 福田清人




若き世代にかかる大志の燃え続けよ


天正遣欧少年使節顕彰之像(長崎県大村市 森園公園)


なんと約440年も前にこの少年たちは世界へ向けて長崎港を出帆したんです!!


航空機やインターネットがこれだけ普及した今ならば、もう海外に出るのはホント簡単ですよね。若者よ、世界を目指せ!!


って、まずは僕が世界にでなければ 笑



海の向こうを指差す正使の伊東マンショがめっちゃカッコいいです♪♪


千々石ミゲル、原マルチノ、中浦ジュリアンたちもイカしてます


若いって素晴らしいです!若さって偉大です!!

少年が時代を作ります


天正遣欧少年使節団のたくましい背中


天正遣欧少年使節顕彰之像

天正遣欧少年使節は、日本で初めてキリスト教に改宗した大村の領主「大村純忠」らが 1582年にローマ教皇(キリスト教カトリック教会の最高指導者)の元へ派遣した 4人の少年です。彼らは日本から初めてヨーロッパを公式に訪問したことでも知られています。この像は彼らの出航から 400年を記念し、建てられました。


この派遣計画は、当時日本でキリスト教を布教する責任者だったヴァリニャーノ神父の発案で、少年たちはキリシタン大名「大村純忠」「大友宗麟」「有馬晴信」の代役という形で派遣されました。


※キリシタン大名

大名とは昔日本の地方を治めていたリーダーのことで、仏教からキリスト教に改宗した大名はキリシタン大名と呼ばれました


目的は大きく 2つありました。

1つ目は日本の布教活動の成果を示すためにセミナリヨ(キリスト教の学校)の優秀な少年達をローマ教皇に会わせ、日本での布教活動資金をお願いすること。2つ目は、少年達を優秀な宣教師として育てるために、ヨーロッパのキリスト教社会のすばらしさを直接見せることでした。


日本出発から 2年5ヵ月でようやくヨーロッパに到着。ポルトガル国王・スペイン国王に面会し、少年達が行く先々で日本ブームが起こったといわれるほど熱烈な歓迎を受けました。ローマ教皇(グレゴリウス13世)に面会する時は、「帝王の間」に通され、国王級の扱いを受け、ローマの市民権まで与えられました。


1590年(出発から 8年5ヵ月)4少年は遂に帰国を果たしましたが、4人を派遣したキリシタン大名のうち大村純忠と大友宗麟はすでに亡くなっており、日本はすでにキリスト教が禁止された後でした。4人はそれぞれ追放されたり、キリスト教信仰をやめたり、処刑されるなど、苦難を強いられ、せっかく学んだキリスト教を満足に布教できないまま生涯を終えたのでした。


しかし、少年達は大きな功績を残しました。活版印刷機、西洋楽器など、ヨーロッパの進んだ技術や文明を持ち帰り、日本が海外と断交した(鎖国)後も日本が広くヨーロッパに知られ続けた大きなきっかけを作ったのです。


天正遣欧使節団の少年4人

正使 伊東マンショ 副使 原マルチノ


正使 千々石ミゲル 副使 中浦ジュリアン


でも、大志に燃えたこの 4人の運命が・・・
ものすごく壮絶です。。。



病死2、殉教1。
以下ぜひ一人一人の人生を見てあげてください
   ↓↓↓↓


正使 伊東マンショ(1569-1612)
日向国(宮崎)都於郡(とのこおり)出身。
大友宗麟の遠縁にあたる。4人の少年の中で最年長。帰国後、1591年天草の修練院でイエズス会に入会。1601年マカオで神学を学び、1608年長崎で司祭となる。布教活動の長旅で体を壊し、1612年、43歳で長崎にて病死する。


副使 原マルチノ(1569-1629)
大村藩波佐見出身。
原中務(はらなかつかさ)大輔純一の子。4人の少年の中で最年少。帰国後、1591年天草の修練院でイエズス会に入会。1608年長崎で司祭となる。布教活動を行うが、徳川幕府の禁教令によりマカオに脱出。1629年マカオにて病死する。


正使 千々石ミゲル(1569-1633)
有馬領千々石出身。
釜蓋(かまぶた)城主千々石直員(なおかず)の子。有馬晴信のいとこ、大村純忠の甥にあたる。帰国後、1591年天草の修練院でイエズス会に入会。1601年頃、イエズス会を脱会。清左衛門と名乗り、大村喜前(よしあき)に仕える。1633年死去。


副使 中浦ジュリアン(1568-1633)
大村領中浦出身(現在の西海市)。
中浦領主中浦甚五郎の子。帰国後、1591年天草の修練院でイエズス会に入会。1601年マカオで神学を学び、1604年長崎に戻る。1608年、司祭となる。徳川幕府の禁教令後も日本に残り、布教活動を続け、1633年、64歳で長崎西坂にて殉教する。


僕ももう一度気持ちを入れ直して、この 4少年の遺志を継ぎたいと思います



花と歴史の町 ようこそ大村市へ


もうちょっとだけ長崎空港から離れて大村市街方面に歩いていってみます


森のような木々が見えました


思わず見とれました!鮮烈なグリーンです!!


サンセット通りと交わる森園町交差点


さすが花と歴史の町大村!花壇のお花がキレイキレイ♪♪


黒丸踊のモニュメント前の「OMURA」という赤い花文字もステキステキ♪♪


黒丸踊(くろまるおどり)
目がさめるような大花輪や大旗を背負い、大太鼓を打ちながら踊る様子は勇壮で、室町時代の芸能の姿を今に伝えているそうで、500年余りの伝統を持つ踊りみたいです。


この大花輪の枝は 81本、1本の枝に飾り付ける花や蕾、葉は 28個で、この下に入ると「幸せを呼ぶ」と信じられているそうですよ!


「幸せを呼ぶ」黒丸踊ってことですね♪♪



「OMURA(大村)」の「O」




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