世界遺産の島 久賀島の集落 浜脇教会、五島崩れの牢屋の窄殉教地(ろうやのさこ)など
久賀島の集落にある殉教の聖地 久賀島カトリック信徒囚獄の跡。牢屋は六坪の家牢、さながら人間の密集地獄・・・(涙)
牢屋の窄
令和3年(2021年) 4月24日 村内伸弘撮影
久賀島(ひさかじま)の田ノ浦港からツアー客みんなで久賀島地区の乗合タクシーに乗って浜脇教会に向っています。
丘の上に浜脇教会が見えてきました!
浜脇教会 長崎県五島市田ノ浦町(福江島)
さっき船から見えた教会です!
三角の鐘塔と真っ白な壁が美しいです!
浜脇教会 五島初の鉄筋コンクリート造り
五島の潜伏キリシタンやキリシタン迫害などを見続けた教会ということがわかります
どうやら元の浜脇教会が今の「旧五輪教会堂」のようです
木造教会である旧教会(現旧五輪教会堂)は潮風にさらされて痛みが激しくなって、台風などに備え堅牢な鉄筋コンクリート造りに生まれ変わったそうです
世界遺産 長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産
久賀島の集落 初代浜脇教会堂跡
解禁後の 1881年、島内で最初の教会堂(初代浜脇教会堂)がこの場所に建てられ、潜伏キリシタンの文化的伝統が終わりを迎えました。1931年に隣接地に現在の鉄筋コンクリート造の教会堂が建てられます。その際、初代教会堂は島の東海岸に所在する五輪集落へ移築され、跡地には信徒会館が建てられました(石積みは初代教会堂建設時のもの)。
移築前の浜脇教会堂(久賀島出身者より提供)
ガイドさん曰く、教会堂の入口目の前にサクラの木があったんですが台風で倒れちゃったみたいです・・・
コロナ感染予防のため、内部の見学はできません とのことで、外観を見学です
コンクリート造りの教会ですが、昭和6年(1931年)に造られているのですでに 90年は経っています。
真っ白く真新しい感じでステキ
ですが、ガイドさんによると戦時中は真っ黒に塗られていたそうです。
浜脇教会の鮮やかな花
無原罪之聖母
純白のマリア様、久賀島の小高い丘から洋上を眺めているようです
さっき海の上から見えた煙はコレでした
写真右下に腰が曲がったおばあさんが写ってます(^-^)
うわーっ!いいなーー
浜脇教会からの眺め
のどかでやさしくって素晴らしいです!
世界遺産の構成遺産は教会だけではなく、"久賀島の集落"なのでこの光景、この景色も世界文化遺産なのです!!!!!!!
もちろん、この道も、この海も、世界文化遺産なのです!!!!
赤いアーチの戸岐大橋(とぎおおはし)も見えました
ガッキー主演の映画「くちびるに歌を」のロケ地ですよ、この目立つ橋は
浜脇教会前の広場からこんな感じで海(田ノ浦瀬戸)が見えます
浜脇教会、さようなら
乗合タクシーの車窓
世界遺産の風景です
ガイドさんによると新しい田んぼを造っているそうです
久賀小中学校
久賀っ子、ガンバレー♪♪
わっ!静かな海が目の前に現われました!久賀湾です!!
久賀湾
入り組んだ深い入り江なので波が少なく、まるで湖のような静けさです
でもガイドさん曰く、北側に湾口があるので、冬はかなり荒れるそうなんです。冬の厳しさは相当らしいんです。
美しい海。美しい世界遺産の島。
牢屋の窄殉教地
牢屋の窄(ろうやのさこ) 殉教之地という文字が門柱に書かれています
みんなでこのゆるやかな坂を上っていきます
牢屋の窄殉教記念聖堂(牢屋の窄殉教記念教会/ろうやのさこじゅんきょうきねんせいどう)
久賀湾が真下に見えます
牢屋の窄殉教記念聖堂
ここはキリシタン殉教の地です
義のために 迫害される 人々は幸いである。 天の国は その人たちの ものである。マタイ5・10
主の平安
ありがとうございました。この献金は教会がいつまでも美しい景観を保つように教会の維持費、修理費として活用させていただきます。
寄付、もちろんさせていただきました!
監視所跡
牢屋の跡
世界遺産 長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産
世界遺産 久賀島の集落
「久賀島の集落」は、潜伏キリシタンが信仰の共同体を維持するに当たり、どのような場所を移住先として選んだのかを示す 4つの集落のうちの一つである。18世紀後半以降、外海(そとめ)地域から各地へ広がった潜伏キリシタンの一部は、五島藩が久賀島に開拓移民を受け入れていることを知り、既存の集落と共存できそうな場所として選んで移住し、漁業や農業で彼らと互助関係を築きながら、ひそかに共同体を維持した。解禁後はカトリックに復帰し、島内の各集落に教会堂を建てたことにより、彼らの「潜伏」は終わりを迎えた。
皆さん、ここから先はぜひ記念碑に書かれた文章をご一読下さい。ここ牢屋の窄で一体何が起こったのか?いつどんなことが行われていたのか?ぜひご一読下さい。
牢屋の窄殉教地
久賀島の潜伏キリシタンの指導者たちは密かに大浦天主堂の宣教師に接触し、帰島して公然と自らの信仰を表明するようになりました。その結果、1868年に五島列島の一円で弾圧が行われ(五島崩れ)、狭い牢屋に多数の信徒が監禁され、久賀島では多くの死者が出ました。牢屋の窄殉教地はキリスト教解禁直前に潜伏キリシタンへ弾圧が加えられた最後の場所となりました。この場所には、殉教者を弔うための教会堂と記念碑が建てられ、カトリックへと復帰した久賀島のキリスト教信者にとって今なお禁教期の記憶の場所となっており、毎年 10月の最終日曜日には「牢屋の窄殉教祭」が行われています。
牢屋の窄殉教記念聖堂
牢屋の窄殉教記念聖堂
明治元年(1868年)長崎の浦上の地においてキリシタン迫害が始まると、多くの信者がいた五島各地でも厳しい弾圧と迫害が始まった。
久賀島では、6坪ほどの牢屋に信者 200人を 8ヶ月の間押し込み連日悲惨な拷問が行われたという。その結果、死者39名、出牢後に死んだ者 3名という悲惨な弾圧であった。
その状況は外国使節団の知るところとなり、明治新政府の外交問題に発展し、ついに太政官布告によって明治6年キリシタン禁制の高札が下ろされ、信者達は信仰の自由を勝ち取った。
この歴史的場所である牢屋の窄一帯を殉教の聖地として永久に保存しようと地域の信者達が浄財を出し合い地主より買い受け、殉教の牢屋の跡に信仰の碑(殉教記念碑)を建立し、昭和59年には新聖堂も建立された。
この文章は特に壮絶です。。。(涙)
久賀島カトリック信徒囚獄の跡
江戸幕府に続く明治政府のキリシタン弾圧により、明治元年9月、久賀島の信徒が捕らえられ、激しい火責め、水責め、算木責めの拷問を受け、10月には内上平集落の信徒の家をこの地に移して牢とし、老若男女 200余名が収容された。この牢屋は奥行き 3間、間口 2間6坪の家牢で、中央が仕切られて男女別々に監禁された。
狭隘な牢内では身動きすることも困難で人の体にせり上げられて足さえ地に着かない者もあって、さながら人間の密集地獄であった。3日目には足が腫れ上がり、食べ物は芋の小切れを朝夕に 1個ずつ、飢えと苦痛のため死者が続出した。
死体は次第に密集地獄の下に、踏みつぶされて腐敗するが 5日間も放置され、蛆がわいて人体に這い上がり、その上、その場に放尿排便せねばならぬので、その不潔さと臭気は言語に絶する惨状で 13歳のドミニカたせは、蛆に下腹を食い破られて死亡した。10歳のマリアたきは、熱病におかされて頭髪は落ち、「私はバライゾ(天国)に行きます。お父さんもお母さんもさようなら」の一語を残して息を引きとった。その妹マリアさもは 7歳の幼女であったが、「イエズス様の五つの御傷に対して祈らねばなりません」と言い残して息が絶えた。
かくして在牢 8ヵ月殉教者 39名、信徒の頭 9名はそのまま牢に残され全員の出牢が許可されるまでには 3箇年を要した。彼ら信徒は孜々として生業に励み、忠実に法に従う良民であったが、信仰に忠実、神の掟を重んじたというだけでこの責苦を受けたのである。明治政府は、絶対主義神道国家確立をはかり、祭政一致を唱え、その政策の犠牲となったのがカトリック信徒である。
久賀島のカトリック教徒は、あどけない幼児から 60余歳の老人に至るまで超人的精神力をもって、この比類のない苦痛に耐え忍び、信仰の自由と良心の尊厳とを身をもって主張し、
信仰に生きる久賀島カトリック信者の魂の偉大さを発揮したものである。
一粒の麦が地に落ちて死ねば 多くの実を結ぶ ヨハネ12.24
子供、そして親子や兄弟、夫婦なども多数含まれる大悲劇です。。。
牢屋の窄・殉教 150周年
42名殉教 / 1868.10~1869.5
牢内で殉教(39名)
パウロ 助市 79歳
ジワンナ つい 7歳
パウロ 力松 3歳
マリア せの 33歳
ペトロ 三蔵 4歳
ジワンナ えの 9歳
マリア たき 10歳
マリア さも 8歳
テカラ もよ 5歳
カチリナ そめ 9歳
そめの妹 なよ 5歳
カタリナ さき 24歳
ドミニカ ふみ 9歳
イザベリナ よも 42歳
マリア りよ 36歳
ドメイ 政治郎(政五郎) 5歳
ドミニカ たせ 12歳
マリア さよ 46歳
マリア はつ 52歳
ジワンナ いそ 34歳
ノレンソ 利八 5歳
ジワンナ えつ 85歳
フランシスコ 好蔵 58歳
ジワンナ しも 22歳
ジワンナ のわ 56歳
フランシスコ 力蔵 55歳
マダリナ のい 19歳
ジワン 千蔵 59歳
ルチア すえ 59歳
ジワンナ まつ 56歳
ジワン 藤七 1歳
ジワンナ しも 1歳
カタリナ よし 1歳
マグダレナ なよ 21歳
トマス 又次郎 4歳
ジュリアンナ とし 4歳
テクラ はつ 13歳
ドミンゴ 三助 6歳
姓名不詳の幼児
出牢後まもなく帰天(3名)
ジワンナ しな 15歳
ジワンナ かね 9歳
テクラ ふい 22歳
牢屋の窄殉教地の信仰之碑
どうか安らかにお眠りください
いま、ニッポンは信教の自由が保障された自由の国になりました。皆さんの分まで僕たちは頑張ります。
信仰之碑に刻まれていた名前
牢死者の碑
(写真左)パウロ 助一 79歳「最初の牢死者 短躯のため窒息死」
マリア たき 10歳 「これからパライゾに行くから 父さんも母さんも さようなら」
マリア さも「ゼズスさまのの五つの傷に対して祈らねばならない」
姓名不詳 幼児・・・(涙)
7歳・・・(涙)
ドメイ 政治郎(政五郎) 6歳 「アップ(水)アップと云いながら かわきのために死亡」
ドミニカ たせ 12歳 「蛆(ウジ)に下腹をかまれて死亡」
前代未聞、、とんでもない惨劇です、、、(涙)
久賀湾越しに向こう側の集落が見えます。なぜ見えるのか?
ガイドさんによると、囚われのキリシタンを改宗させるため、他の人たちが楽しく暮らしている様子がここから見えるようにしたそうです
久賀島の真の歴史を知りました。
旧五輪教会堂(きゅうごりんきょうかいどう)に向います
久賀島の地図を見ると、一度島の北の方に進んでそれから海岸沿いを南下するみたいです
福江港ターミナルに展示してあったパネル
牢屋の窄殉教記念教会(ろうやのさこじゅんきょうきねんきょうかい) 昭和59年(1984年)建立
明治元年(1868年)、この地で久賀島内の信徒達が捕えられ、12畳ほどの狭い牢に 200名余が押し込められました。これは畳1枚あたり 17人という狭さで、横になることも出来ず、排泄もその場にしなければならないという惨状でした。8ヶ月にわたる入牢で、42人の信徒が殉教しました。この教会は、命をかけて信仰を守り抜いた人々をたたえるために建てられました。
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