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村内 伸弘(むらうち のぶひろ)村内伸弘の彼女

京都地蔵院 椿寺→一条通り/妖怪ストリート→粟餅所澤屋→北野天満宮

椿寺 鍬形地蔵&おたふく阿弥陀から京都最古 第一の遊里 上七軒へ

粟餅所澤屋(あわもちどころ さわや)の北野名物粟餅
※江戸時代から北野名物として愛されている粟餅の名店


粟餅所澤屋の宇治抹茶かき氷


25個入り粟餅


地蔵院 椿寺の地蔵菩薩(鍬形地蔵)


地蔵院 椿寺の五劫思惟阿弥陀佛(ごこうしゆいあみだぶつ/おたふく阿弥陀/お多福阿弥陀)


妖怪ストリート(一条通)


妖怪ストリートの一つ目小僧


妖怪ストリートのろくろ首


北野天満宮 絵馬所
令和5年(2023年)7月18日 村内伸弘撮影


祇園祭前祭の見物を終え、夏の京都の旅最終日は椿寺のおたふく阿弥陀をご参拝して、花街 上七軒まで歩いていくコースです


2泊した三井ガーデンホテル京都四条から、左上の地蔵院(椿寺)まで向かいます


計画ではバスで行く予定だったんですが、、、
結局、タクっちゃいました(苦笑)
楽な移動方法を覚えちゃったー
お金ドンドン減るけど、、、(泣)


タクシーの車窓から見えた北野商店街


タクシーのナビ
地蔵院椿寺に向かっています
よくよく見るとナビの画面、お寺ばっかりですね!


椿寺に着きました


地蔵院 椿寺(つばきでら)  京都市北区大将軍川端町


椿寺の真ん前の道は一条通です

一条通(いちじょうどおり)
椿寺の前のこの道、さりげない通りのように見えますが、京都の一条通りです。要するに平安京の一条大路(平安京の北端の大路)です。とても歴史のある道なのです。


地蔵院(椿寺)の案内板
行基(ぎょうき)による創建。北野大茶湯の縁により豊臣秀吉から寄進されたといわれる「五色八重散椿(ちりつばき)」があったそうです。惜しくも枯死、、、


鍬形地蔵尊(くわがたそん)と書かれた提灯


樹齢約120年の二世「五色八重散椿(ちりつばき)」
秀吉から寄進された株は枯死してしまいましたが、二世が元気でいるようです!


本堂(阿弥陀堂)


地蔵堂
鍬形地蔵にお参りします


鍬形地蔵(くわがたじぞう)さま

当山のお地蔵さまは「鍬形(くわがた)地蔵さま」とも呼ばれています。これは昔から伝わる説話です。地蔵院の建っている土地はその昔は大将軍村といい、田んぼに囲まれた村だったそうです。地蔵菩薩様も地元農民から篤く信仰されていました。


あるとき、日照りが続き、田んぼに引く水が不足してしまいました。村人は川の水を分け合って田んぼに引いていました。ところがある男が強引にその少ない水を自分の田んぼにばかり引こうとするのです。


男の自分勝手な行いに村人が困っていたところ、一人のお坊さんが男の前に現れました。お坊さんは男に自分勝手な振る舞いを止めるように諭したのです。しかし男は腹を立てて、なんと持っていた鍬でお坊さんの顔を殴りつけてしまったのです。しかしお坊さんは顔を怪我したにもかかわらず、腹を立てることもなく何も言わずその場を去っていきました。男が不思議に思ってお坊さんの後をつけていくと、お坊さんは地蔵院の中にある地蔵堂に入っていきました。中をのぞいてみても誰もいない。よく見るとお地蔵さまの頬に鍬の傷がついているではありませんか。


お地蔵さまがお坊さんの姿になって、自分勝手なことをしないように諭してくれたのです。それ以来、男は改心して、自分の田んぼにだけ水を引くということをしなくなりました。


このことから、当山の地蔵菩薩さまは鍬形地蔵さまと呼ばれるようになったといいます。


椿寺だより(椿寺ブログ)より引用

良いお話ですね~


観音堂にもお参りします


びんづる様もいらっしゃいます


椿寺の絵葉書


五劫思惟阿弥陀佛(おたふく阿弥陀)
アフロヘアーじゃないですよ。五劫思惟(ごこうしゆい)です。阿弥陀さまが、法蔵菩薩時代に五劫というとてつもなく長い時間、悟りを得るために髪も切らずに考え続けたためにこうなったということなんです。


この五劫思惟の阿弥陀如来は高さ三尺の木像座像。このお寺のご本尊で、重源が招来し、善導大師の作と伝えられているそうです。


本堂には「五劫思惟阿弥陀如来像」がおまつりされております。この仏像は、阿弥陀様がお悟りを開かれる前の姿をしています。


阿弥陀様はお悟りを開かれる前の名を「法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)」さまと云いました。


法蔵菩薩さまが四十八の誓願をお立てになり、その誓願を成就するまでに五劫という数え切れないほどの年月をかけて修行を積まれました。誓願は成就され、法蔵菩薩さまは阿弥陀如来となられるのですがまさに法蔵菩薩様がお悟りを開かれる瞬間を表しているのです。


椿寺だより(椿寺ブログ)より引用



本堂(阿弥陀堂)


ガビーン!
おたふく阿弥陀さまを拝もうと思ったら、お正月3が日以外は公開していないとのこと、、、
リサーチ不足でした、、、
残念無念、、、



椿寺を後にします


猛烈な暑さの中、一条通をトボトボ歩いていきます

天神川


あっ!いた~!!
そうです、この通り(一条通)は大将軍商店街の妖怪ストリートなんです


百鬼夜行!可愛らしい妖怪たちがたくさんいました(^^)/

たのしいですね~


町名表示板 上京区一條通紙屋川東入西町
表示板下部の「仁丹」がいいですね~


遺族の家


妖怪ストリート(一条通/大将軍商店街)
一条通をどんどん直進します


妖怪ストリートの途中には大将軍八神社がありました

大将軍八神社



暑くて元気がなさそうな妖怪(笑)

これは妖怪じゃなくって、メダカ?


一条妖怪ストリートのポスター
地図を見ると百鬼夜行の資料館もあるみたいです


妖怪ストリートの由来が書いてあったので読みました

一条通りは妖怪ストリート

京都の一条通りには、古くなって打ち捨てられた道具類が妖怪(付喪神)に化けて、一条通りを行進したという "百鬼夜行"の伝説があります※

昔から人は、物をむやみに捨てたりすることに後ろめたさがあったのでしょう。現代の「エコロジー」や「もったいない 」という考えと同じです。

大将軍商店街は、付喪神の由来をもとに、ものを大切にしていく「エコロジー」や「もったいない」を訴えていきます。


※田中貴子さん著書『百鬼夜行の見える都市 』参照


妖怪がリポD持ってます 笑


妖怪がパンかぶってますw


怖くないですね!メッチャかわゆいです(^^)/


妖怪ストリートたのしかったです



妖怪ストリートを離れて、北野天満宮に向かいます
北野天満宮は全国約12000社の天満宮、天神社の総本社です

スリランカ人僧侶 ディリーパ良潤師のポスター


上七軒の舞妓さん


北野天満宮の真ん前、石碑見逃しませんでした!

「佐久間象山先生墓妙心寺内にあ(以下埋没)」
佐久間象山先生のお墓が近くのお寺にあるようです



暑いです。休み休み歩きましょう


ということで、この北野名物あわ餅屋さんで休憩休憩♪♪

粟餅所澤屋(あわもちどころ さわや)
北野天満宮の真ん前、今出川通に面しています


澤屋さんは天和2年(1682年)創業、粟餅一筋の老舗


粟(あわ)の見本がありました


ショーウィンドウ見るだけでおいしそー


25個入りとか、35個入りとかも売ってるみたいです


名物粟餅
これを食べよう~っと


名物粟餅(あわ餅)がやってきました!
丸いのが餡餅と細長いのがきな粉餅


名物粟餅 紅梅(3個)
注文を受けてから作るみたいなので、めっちゃ柔らかいです!
さっぱりした甘みで、すっごく美味しいです!
舌触りや喉越しも絶妙でさすが 340年も続いている味だと思いました!
絶品です!!


抹茶かき氷も食べちゃったぁ
だって暑いんだもーん


北野名物 粟餅の由来


この粟餅はマジでうまい!
僕が保証します!
北野天満宮に行く時は、参拝前か参拝後にぜひぜひ召し上がってください



休憩したので、北野天満宮にお参りします

北野天満宮 一の鳥居


北野天満宮(きたのてんまんぐう)

北野天満宮は菅原道真公を御祭神としておまつりする全国約一万二千社の天満宮、天神社の総本社です。 天神信仰の発祥の地であり、親しみをこめて「天神さん」と呼ばれています。

すごいね京都は!
とにかく全国の総本社とか総本山とか総本宮とか全部京都ですもんね!!
やっぱり日本の中心は京都なんですよ
1000年間も都だったんですからねー


参道を歩いていきます


青い松ぼっくり


撫牛(なでうし)もいました
太宰府天満宮にもいますよね


北野天満宮 楼門


この奥の向こうが花街 上七軒(かみしちけん)です


「人生平和」の短冊と楼門


全国天満宮総本社 北野天満宮の案内板

天正年間には豊臣秀吉公が境内一帯の北野松原で北野大茶湯を催し、慶長年間には出雲阿国が京において初めてややこ踊り(歌舞伎踊り)を演じるなど、日本文化発信の中心地として強く意識されてきた。

ホント日本の文化の中心地のひとつですね、間違いなく!


北野天満宮 楼門の随神像

神像(阿形)


神像(吽形)


すばらしい短冊を見つけました!言い切ってます!!

世界中の皆が幸せになれます!
普通大人が書くと「なれますように」とか「なりますように」とかになるんですが、この短冊は言い切っちゃってます!!


力強いですね!間違いなく天神様に届いたと思います
断言ってスゴイです!


厄除割符納め箱
ものすごい数です。人々の願いが形になっているのです


北野天満宮 絵馬所
元禄12年(1699年)に建てられて、規模、歴史は現存する絵馬所のなかでも随一といあwれているそうです



ここにも撫牛いました


北野天満宮 三光門


「天満宮」の扁額


国宝 北野天満宮 御本殿
慶長12年(1607年)、豊臣秀頼の造営による典雅な桃山建築。日本最古の八棟造(権現造)の建物です。学問の神様、菅原道真をお祀りしています


右近の梅


左近の松(飛梅)


巨大なお賽銭箱


渡邊綱の燈籠

​重要美術品 渡邊綱(わたなべのつな)の燈籠

渡邊綱は平安時代中期の武将源頼政の四天王の一人、大江山の酒呑童子退治、一条戻り橋での鬼との戦いはつとに有名。


本燈籠の由来はこの一条戻り橋の鬼退治の話に遡る。

                    

「渡辺綱が所用で夜半一条戻り橋にさしかかると、若く美しい女性に深夜のこととて家までおくってほしいと頼まれる。しばらく行くとその女性は恐ろしい鬼の姿となり綱を捕らえて舞い上がり、愛宕山へ連れ去ろうと北野天満宮上空へさしかかる。その時、綱は太刀を抜き放ち、綱を掴んでいた鬼の片腕を切り落とし難を逃れる。」

     

後日、綱はこれも天満宮の大神のおかげと神恩を感謝し、この石燈籠を寄進したという。


足つけ神事「御手洗川足つけ燈明神事」
ロウソクを持って、御手洗川に入っている少女たちがただただ美しいです
足つけ神事をボーっと眺めていたいな~


厄除割符。ここにもたくさん納めてありました


学問の神様ですけど、僕も「世界中の皆が幸せになれます!」とお祈りしておきました
暑っついけど、僕は今清々しい気分です


北野天満宮を後にします

まりなげ禁止
「まりなげ」なんて言葉がまだ実際に使われているんですね~
さっすが京都~


北野天満宮 東門


京都最古 第一の遊里 上七軒(かみちしけん)の地図
左が北野天満宮、左中央が現在地
右下に向かって伸びる道を歩いてみます


PS
帰りの京都駅で北野天満宮の北野祭の宣伝してました


▼今回の京都旅行
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京都地蔵院 椿寺→一条通り/妖怪ストリート→粟餅所澤屋→北野天満宮
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