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村内 伸弘(むらうち のぶひろ)村内伸弘の彼女

三菱創業者 岩崎彌太郎像、高島石炭資料館など長崎県 高島炭鉱めぐり

「黒ダイヤ」のように輝く岩崎弥太郎の像は風頭公園の坂本龍馬像の作者である彫刻家・山崎和国さんの作品♪♪ 岩崎彌太郎と高島炭坑の出会い&岩崎彌太郎関係年表あり

高島の岩崎彌太郎之像(いわさきやたろうぞう)


高島の地図(長崎さるく モデルコース)
令和3年(2021年) 4月25日 村内伸弘撮影


高島港に着きましたー
世界遺産の島にとうとう降り立ちました。


高島界隈 長崎さるく モデルコース



高島の玄関口ですので、大きな看板がありました

世界文化遺産 明治日本の産業革命遺産  九州・山口と関連地域


そうです!高島炭鉱は「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」(全23資産)の構成資産なのです!世界遺産ですよ、世界遺産!!



写真右上にご注目。僕が乗ってきた鷹巣号、高島港から出航していきました

高島港


地図もだいたい頭に入ったので、島内を歩いて回ります
実はレンタサイクルを借りる予定だったんですが、もう全部貸しちゃったって言われてしまいました。トホホホ・・・


まあ、がんばって歩きますよ。歩くのも気持ちいいし


空がとにかく青いです!!最高の気分です!!!!!!

高島節
島と名がつきゃ どの島も可愛い まして まして 高島なお可愛い
わたしゃ高島の 埋も木娘 いつか いつか世に出て 炭となる
揮毫  藤村 正哉


岩崎弥太郎の銅像までは港から歩いてすぐでした

三菱創業者岩崎彌太郎之像(高島炭坑を大炭鉱へと導いた三菱の創業者 岩崎弥太郎)
岩崎弥太郎の像は風頭公園の坂本龍馬像の作者である彫刻家・山崎和国さんの作品です、共に国家のために命を捧げた龍馬と並べてあげたいですね♪♪


人差し指を力強く差し出す岩崎弥太郎


以前訪れた旧木型場の岩崎弥太郎像も人差し指を立ててましたけど、弥太郎はこのポーズが好きだったのかな?(謎)

世界文化遺産 三菱重工長崎造船所史料館(旧木型場)の岩崎弥太郎像

三菱重工長崎造船所史料館(旧木型場)の岩崎弥太郎像

平成30年(2018年)7月23日 村内伸弘撮影


このポーズから何を感じるかは、それぞれです。


この決意に満ちた弥太郎の姿から何を感じるかは、人それぞれです。

僕は、覚悟を決めた男の "志"を強く感じました!高島に来て、本当に良かったです!!


斜め後ろから見た三菱創業者岩崎彌太郎の像


斜め後ろ下から見た岩崎彌太郎之像


風頭公園の坂本龍馬像で有名な彫刻家・山崎和国さんの作品です


弥太郎の影と僕・村内伸弘の影


この銅像は、近代日本の礎となった「炭鉱」の町 高島町の誇るべき歴史と、高島炭坑を開発し、日本の発展の原動力になった三菱の創業者 岩崎彌太郎の功績を、末永く後世に伝えるために制作したものである。
平成16年12月吉日 高島町長 豊田定光


銘板揮毫者 三菱マテリアル株式会社 取締役社長 井手明彦
制作者 日展会員 山﨑和國


岩崎彌太郎と高島


岩崎彌太郎は、天保5年12月11日(1835年1月9日)、土佐の井ノロ村(現在の高知県安芸市)に生まれた。幼少のころから学問に秀で、19歳のとき江戸に出て安積艮斎の下で漢学の研鑽を積んだ。土佐に戻って吉田東洋(土佐藩の開明派)の門に入り、一旦は藩職に取り立てられ長崎で海外事情調査に従事、その後、帰郷して待命生活を送る。


慶応3年(1867年)、32歳。藩命で土佐藩の開成館長崎出張所に赴任した。土佐産品の販売や武器艦船の購入にあたるかたわら坂本龍馬の海援隊を支援する。明治2年(1869年)に大阪に移り、翌3年九十九商会を設立、藩営事業の海運業を継承した。九十九商会はやがて三菱と名を改め今日の三菱グループに発展していくのだが、高島炭坑は明治14年(1881年)3月に買収した。


高島炭坑は、江戸時代中期以降佐賀藩が採掘していた。幕末に英国人トーマス・B・グラバーをパートナーにして近代的操業を試みたが、明治3年にグラバー商会が倒産してしまい行き詰まった。明治7年以降は後藤象二郎の蓬萊社が払下げを受け操業したが、やはり資金燥りに窮してしまった。見かねた福沢諭吉と大隈重信が、日の出の勢いの岩崎彌太郎に炭抗の買取りを進言した。


それが岩崎彌太郎と高島炭坑の出会いである。


当初、高島炭坑は、150万トンの炭量とわずか 8年の炭命と見られていたが、関係者の創意と工夫と努力とによって 105年間操業を続け、昭和61年(1986年)11月27日に閉山するまでに、実に 5500万トンの出炭を記録した。


海運業を興し、鉱業・造船とその活動の範囲を拡大していった岩崎彌太郎の経営哲学は、「期するは社会への貢献」すなわち事業を通じて国や人々に尽すことにあった。激しく燃えるように常に全力で事業に取り組んだ岩崎彌太郎は、日本の近代化に多大な貢献をし、明治18年(1885年)2月7日、満50歳でこの世を去った。その精神は、今も燃える「黒ダイヤ」のように輝いている。


岩崎彌太郎関係年表

天保5年12月11日(1835.1.9) 岩崎彌太郎 土佐国安芸郡井ノロ村に生まれる

天保6年11月15日(1836.1.3) 坂本龍馬 生まれる

嘉永1年(1848年) 13才 高知の岡本寧浦の塾に学ぶ

嘉水6年(1853年) ペリー来航

安政2年(1854年) 19才 江戸遊学、安積艮斎に学ぶ

安政5年(1858年) 23才 吉田東洋の門に入る

安政6年(1859年) 24才 藩職につき長崎に派遣される。トーマス・プレーク・グラバー長崎に来る

元治1年(1864年) 長崎グラバー邸完成

慶応3年(1867年) 32才 開成館長崎出張所に赴任。10月 大政奉選。11月 坂本龍馬 暗殺される

慶応4年(1868年) 高島炭坑が佐賀藩とグラバーの合弁会社となる

明治2年(1869年) 北渓井坑が英国人技師モーリスにより開坑される

明治3年(1870年) 35才 九十九商会を設立

明治4年(1871年) 廃藩置県施行

明治7年(1874年) 1月 高島炭坑が官営となる。11月 高島炭坑が後藤象二郎「蓬萊社」に払下げられる

明治14年(1881年) 46才 3月 高島炭坑を買収

明治18年(1885年) 50才 2月7日病没

明治20年(1887年) 日本最初の鋼鉄船夕顔丸が進水

明治23年(1890年) 8月 三菱が端島炭坑を鍋島孫六郎から買収

昭和49年(1974年) 1月 端島砿閉山

昭和61年(1986年) 11月 高島炭砿閉山



岩崎弥太郎の精神は今も燃える「黒ダイヤ」のように輝いている。


岩崎弥太郎の肖像


明治18年(1885年)2月7日に 50才で病没しているってことなので、現在 53歳の僕から見れば年下ですよね、この写真の弥太郎も。。。



岩崎彌太郎之像周辺地図


ちょっとピンボケですが 笑

弥太郎、ありがとう!僕もガンバルよ!!


弥太郎像の真ん前に軍艦島の模型がありました

端島(軍艦島)の模型



軍艦島は上陸したことはないんですが、長崎・大浦の軍艦島デジタルミュージアムと長崎・野母崎の軍艦島資料館の 2ヵ所を回って勉強したのでこの模型を見ればいろいろよく理解できます


今度は上陸しようかな~
風化が進むのは間違いないので、今のうちだよね。軍艦島に上陸するならば・・・


当時世界一だった軍艦島の人口密度。この模型見れば一発で納得できます 笑


軍艦島の模型の真横に石炭資料館もあったので入ってみます

高島石炭資料館
この石炭資料館は三菱高島炭砿労働組合の事務所として昭和34年(1959年)に建築された建物を、石炭資料館として整備、改築したようです


高島石炭資料館は明治、大正、昭和に渡って長年操業してきた高島炭抗の歴史を後世に伝えることを目的として、昭和63年(1988年)に三菱高島炭抗労働組合跡に設置されました。1階には高島炭抗のあゆみを分かりやすく展示した歴史資料をはじめ、実際に使用されたトロッコや人車、採炭機械、坑内坑道の立体模型などが展示されており、高島炭抗の高い技術力が伝わってきます。また 2階には高島での暮らしを伝える生活用品や端島炭抗の資料を展示。資料館前の広場には端島の模型も設置されており、操業当時の島の様子を今に伝えています。

長崎市公式観光サイト「 あっ!とながさき」より引用


高島炭坑のあゆみ


昭和12年、満州事変後の「黒ダイヤ景気」というのが気になりますね!名前がすごい!黒ダイヤ景気ですから~


石炭資料館のメインはやっぱり三菱!そして岩崎弥太郎!!

高島炭坑と関わりのある人々

三菱の創業者 岩崎弥太郎(いわさき やたろう)

1870年(明治3年)のグラバー商会倒産後、高島炭坑の権利が外国商社に移るのを防ぐため、明治政府は 1874年(明治7年)に高島炭坑を官有にして経営を引き継ぎました。しかし、政府による経営も苦しかったので、炭坑を後藤象二郎に払い下げました。


高島炭坑は官有から再び民間へ経営が移り、同年11月に「後藤炭坑舎」として操業が開始されました。1875年(明治8年)、南洋井坑でガス爆発がおき、翌年には北渓井坑の廃坑、さらに坑夫の暴動などがおこり、後藤象二郎の経営も立ちゆかなくなりました


■岩崎弥太郎による経営

1881年(明治14年)、岩崎弥太郎は、後藤象二郎の借金など約97万余円を肩代わりして高島炭坑を譲り受け、「高島炭坑事務所」として本格的な炭坑経営に乗り出しました。


弥太郎は、後藤象二郎の失敗をくり返さないように、社内の鉱山関係の知能を集結させました。


■日本一長い操業

1869年(明治2年)、北渓井坑の開坑に始まった高島炭硫の歴史は、1986年(昭和61年)の閉山まで 117年間も続きました。これは日本一長い操業期間です。その間、高島炭硫は石炭を採掘し、日本経済の近代化と成長を支えてきました。


「社内の鉱山関係の知能を集結させました。」ってところに弥太郎の経営社としての才覚を強く感じます!"知能を集結"、いい言葉だなー



岩崎弥太郎(1834〜1885)

土佐藩士。土佐藩の貿易に従事し、明治維新後、土佐藩の借金を肩代わりして船2隻を入手、海運業を始めました。三菱商会として政府の輸入船を任され、軍事輸送にあたるなど国内の海運を独占しました。しかし政府が 1881年(明治14年)に共同運輸会社を設立したため合併を強いられ、海運業を失いました。


後藤象二郎(1838〜1897)

土佐藩士。土佐藩の武器や物資の輸出入を扱う「開成館」奉行を勤め、明治維新後、大阪府知事などを経て 1871(明治4)年から「蓬莱社」を経営しました。そして借金を返済するため政府に 55万円を払って許可を得、炭坑経営に乗り出しました。


スリーダイヤ!三菱マークの由来


いつも思いますけど、このスリーダイヤの三菱マークは日本で一番有名なマークの一つじゃないでしょうか?日本企業でコレより有名なマークをあなたは知ってますか?


でも最近はセブンイレブンとか黒ネコヤマトとかの方が有名かな 笑



経営を拡大した三菱


高島の位置


開坑の祖 グラバーと松林源蔵


日本最初の洋式立坑


石炭資料館の蔵書の一部

時間があったら全部読みたいタイトルばかりです(笑)


昔の高島の風景でしょうか?


炭鉱で働いていた方を探しています! 経済産業省 石炭保安室
「炭鉱でじん肺に罹患された方及びじん肺によりお亡くなりになられた方の相続人の皆様へ損害賠償金をお支払します。」だって~


石炭って何だ?コレ意外と知らないかもw

石炭とは?


高島炭砿坑内外図


これから訪ねる予定の世界遺産 高島炭鉱跡 北渓井坑跡のパンフレットが置いてありました


石炭(北渓井坑跡出土遺物)


世界文化遺産 国指定史跡 高島炭鉱跡 北渓井坑跡


日々是好日


操業中の北渓井坑 明治初期




石炭資料館、係の人含め誰一人いなかったんですが、逆にジックリ見られて面白かったです 笑


炭車や採炭機械が屋外(資料館前)に飾ってありました

この炭車に採掘した石炭が満載されていた往時を思うと感慨です



"炭鉱の島"&"世界遺産の島" 高島一周徒歩の旅(笑)は続きます


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