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村内 伸弘(むらうち のぶひろ)村内伸弘の彼女

堂崎天主堂(堂崎教会)。アルメイダ、マルマン神父、ペルー神父、聖ヨハネ五島らの物語が息づく美しい教会

児童養護施設 奥浦慈恵院の起源。長崎県五島 福江島奥浦町堂崎にたたずむヨーロッパの典型的な教会スタイル(赤レンガ&ゴシック様式)のうつくしい教会。

堂崎天主堂(堂崎教会)



長崎県指定有形文化財 堂崎天主堂(堂崎教会)


堂崎教会の聖堂内部


聖ヨハネ五島(受難のとき 1597)


堂崎の浜辺(堂崎教会前の静かな海)
令和3年(2021年) 4月23日 村内伸弘撮影


福江市街に向っていたんですが、時間的に堂崎教会に寄れるかも?と思って、ナビの行き先を堂崎天主堂に設定しました。


福江島や福江島のシンボル的教会である堂崎教会に最後に向います


途中、ものすごく大きな崖がありました


すごい高さです!!


堂崎に着きました


右側に堂崎教会が見えています!!


車を駐車場に駐めて、堂崎教会にお参りします

五島布教の拠点:堂崎教会

明治6年(1873年)、江戸時代以来続いてきたキリスト教禁教がされると、いち早くフランス人宣教師が来島し、堂崎の浜辺で五島初のクリスマスミサが捧げられました。先祖代々、神父の来島を待ちこがれた信徒たちにとって最上の喜びの瞬間でした。


その後、この堂崎の地に五島で最初の教会堂が建設され、堂崎教会を拠点に五島での本格的な布教が始まっていきました。


布教と同時に、堂崎に赴任したフランス人宣教師は不幸な生い立ちを背負った子ども達を救済するため「子部屋」を創設します。これが現在の児童養護施設「奥浦慈恵院」の起源となるのです。


この堂崎の地は、五島におけるキリスト教信仰の中心地であるだけでなく、児童福祉・社会福祉の草分け的役割を果たした由緒ある場所であるのです。


松林に囲われたかつての堂崎教会の様子(昭和37年/1962年)


写真上: 奥浦の海岸からミサに出かける信徒たち(昭和初期頃)
写真下: ミサのために舟で堂崎の浜辺に訪れる信徒たち(昭和初期頃)



目の前に美しくキレイな海が広がっているな~ 程度で眺めていましたが、その昔この海を舟で渡って信徒たちが堂崎教会に向かってきたとなると見えている風景の重みが一変しますね!


夕陽が堂崎の浜辺を照らします


波静かな奥浦湾。こんなにも美しい海はなかなか見られないと思います。

美しい。とにかく美しい。


波がなくまるで湖面のように思えます。


堂崎教会にたどりつきました

堂崎天主堂(堂崎教会)


長崎県指定有形文化財 堂崎教会


長崎県指定有形文化財 堂崎教会

明治6年(1873年)キリシタン禁教の高札が下ろされ、信者達は信仰の自由を迎えた。それから 4年後、五島キリシタン復興の任を帯び、フランス人宣教師フレノー、マルマン両神父が五島を訪れた。


マルマン神父は明治12年堂崎小聖堂を建立し初代主任司祭となった。その後、2代目主任司祭のペルー神父は明治37年用地を拡張し、現在の赤煉瓦造りの新聖堂建築に着工、同41年に完成、長崎西坂で処刑された 26聖人の一人で五島出身のヨハネ五島を祈念して「日本26聖人殉教者聖堂」と命名された。


外観はイタリアから運ばれた赤煉瓦でゴシック様式に仕上げられ、内部は木造で色ガラス窓、 コーモリ天井定法どおりの教会堂建築に仕上げられている。


かつては、五島布教の中枢教会であり、社会奉仕施設や修道院の草分けでもあり、キリシタン史上からも重要な位置を占める由緒ある教会である。


堂崎教会の聖堂内部


ド・ロ聖教木版画


長崎県指定有形文化財 浦頭教会聖教木版画(ド・ロ木版画)

この木版画は、まだキリシタン弾圧が続いていた幕末、長崎に来て布教と福祉事業に尽力し、信徒達から慕われていたド・ロ神父が、日本人絵師につくらせた聖教木版画で俗に「ド・ロ木版画」と呼ばれており、明治10年頃の作と伝えられている。昭和48年、戸岐町宮原の信徒の家で発見された。


版木で下刷りされたものに色彩を施しており、「善人の最後」「悪人の最後」「最後の審判」の三枚が残され、チョンマゲを結った日本人が描かれているなど当時の風俗が伺い知れ興味深い。


図柄は異なるが、類品は長崎の出津修道院、大浦天主堂、伊王島大明寺天主堂、天草の大江天主堂などにもあり、宗教木版画として長崎の版画史に特異な位置を占めるものである。


残念。もう閉まっていました。


外観だけ愛でて、心の中でお祈りします。



教会前面にマルマン神父とペルー神父の銅像が建っていました

(左)マルマン神父 (右)ペルー神父


ペルー神父の手や表情、まるで生きているかのように感じました!
魂がここ五島に留まっているんだと思います


ペルー神父は井持浦教会ルルドを造っていて、まさに大活躍!!
すばらしい神父さんです!!!!


マルマン、ペルー像(復活の夜明け)

1873年キリシタン禁制高札撤去後の日本宣教は、パリ外国宣教会によって行われた。堂崎にはフレノ師につづき初代主任司祭マルマン師が訪れた。


マルマン師(向かって左側)は 1877年より約10年間下五島全域の宣教、潜伏キリシタンの復帰に努めながら、奥浦慈恵院へと続く孤児・貧児の救済事業を始めた。


1888年よりペルー師(向かって右側)が 2代目主任司祭となり、1899年には井持浦に日本最初のルルド建立、1908年5月10日に現在の赤レンガゴシック様式堂崎天主堂を献堂し 30年に及ぶ宣教司牧の日々を堂崎に捧げた。


五島キリシタン復活の礎となった二人である。


「奥浦慈恵院(おくうらじけいいん)」というのは初めて知りました。ド・ロ神父にせよ、コルベ神父にせよ、この時代日本に来ていた神父たちは本当に偉かったと思います。貧しい人々のために、私財をつぎ込み、献身的に働く宣教師たちの姿を思うと、僕は声を上げて泣きたい気持ちです!感謝しかありません。


奥浦慈恵院(1968〜2006)」

ペリュー神父(ペルー神父)が私財を投じた児童養護施設


パリ外国宣教会の宣教師たちが初めて五島で本格的な布教を始めた頃は、五島の人々は非常に貧しく、双子のひとりや障害児などを闇に葬る「間引き」が行われていました。そのため、堂崎に初代教会を建設したマルマン神父が、こうした不幸な子らの救済に乗り出しました。神父の賄いをしていた女性たちを中心に、カトリックの家族の娘たちに協力を求め、大泊の一民家を借りうけて養育を開始したのが、「児童養護施設奥浦慈恵院」の起源です。当時は「子部屋」と呼ばれていました。


明治13年(1880年)、堂崎に教会を建設するのと同時に子部屋を堂崎に移転しました。後任のペリュー神父は、ご母堂の遺産を投じて赤瀬の山林を購入、開墾し、明治37年(1904年)この地に新たな養育院を完成させました。


当時、女性たちは農耕作業や行商により収入を得、それを子どもたちの養育にあてるなど、まさに自給自足の時代でした。明治42年(1909年)、財団法人として認可を受け、奥浦慈恵院となって平成18年(2006年)には平蔵町に移転しています。


五島市教会巡りハンドブックより引用



五島最古の洋風建築物で、イタリアからも資材の一部が運び込まれたそうです!赤レンガのゴシック様式で「ここはヨーロッパ?」と思ってしまうような典型的なヨーロピアンスタイルの教会です!!


マルマン神父とペルー神父の像と教会が一体になっています。ステキな光景です♪♪


浜に出て、しばし堂崎の海を眺めます


堂崎天主堂の入口



下から見上げると立派さがよりわかります!


うう・・・
見るからに悲劇的なモニュメントがありました・・・

聖ヨハネ五島殉教像「受難のとき 1597」


死の直前、神に祈りを捧げる瞬間のヨハネ五島をとらえた像


聖ヨハネ五島

日本26聖人のひとり。1578年福江で生まれ、長崎と天草(志岐)のセミナリオで学び、伝道士を志して、大阪のイエズス会宣教師と同宿中、豊臣秀吉の命により捕縛され、1597年2月5日長崎にて殉教した。


1862年教皇ピオ九世により聖人の位に挙げられ、世界全信徒の尊崇をうけるに至った。信教自由と人間愛の証しとして 19歳の青春を神への生贄とした。



日本26聖人であるヨハネ五島の最期。。。


アルメイダの宣教記念碑


(左手前の2名)イエズス会宣教師 ルイス・デ・アルメイダと日本人修道士 ロレンソ了斎
(中央)五島領主18代 宇久純定


出会いの日 1566


アルメイダの宣教

五島とキリスト教の最初の出会いは、フランシスコ・ザビエル鹿児島上陸(1549年)から 17年後の 1566年の事である。


ポルトガル生まれで優秀な医師でもあったイエズス会宣教師ルイス・デ・アルメイダと、平戸生まれ日本人修道士ロレンソ(レリーフ左手前の2名)が五島領主18代宇久純定(レリーフ中央)の要請に応えて来島し、キリスト教布教と病がちの純定の治療に努めた。


純定の子純堯は受洗して 1576年キリシタン大名となり、五島キリシタンは信徒 2000名余という盛隆の時代を見たが、純堯はその 3年後に 35歳で帰天し、五島は信仰の受難の時代を迎える。


横から見た堂崎天主堂


ワンダフル!本当に後光が差しました!!



マリア像も建っていました


ろざりおのさんたまりあ(ロザリオのサンタマリア)


真っ赤な花と真っ白なマリア様の対照が見事です


希望の星、導きの星。海の星の聖母


マリア像から見えた教会

教会のレンガ


レンガ造りの教会堂、堂々として風格があります。


教会のドア



堂崎教会、重厚で威厳を放っていました。


そして何よりも教会の目の前が穏やかでキラキラ耀う(かがよう)海なのが素晴らしいです!


駐車場までの道のり、できるだけ海に近いところを歩きました♪♪


五島のキリシタン史

幾多の苦難を越えて


信仰を守るために、すべてをおいて長崎の外海(そとめ)地区から五島へやってきたキリシタンたち。ろ漕ぎの小さな船で。


待っていたのは命をつなぐのが精一杯の暮らし。人目につかぬ浜で網を打ち、石ころだらけの山の斜面を耕しながら、家族が寄り添って祈る日々。


禁教の中、島々のそこかしこで息をひそめ、敬虔な「信仰」が守り伝えられました。


やがて明治のはじめ試練が訪れます。久賀島から上がった迫害の火の手は、42人の殉教者を生み、その炎は島々のほとんどをのみ込みました。棄教を迫る役人の責め苦にあえぎながらも「棄てませぬ!」という信徒たちの悲痛な叫び。


幾多の苦難が過ぎ去った後、信徒達は真っ先に教会を建てることを決心し、島の小さな入江のそばや丘の上に次々に教会が建てられました。リブ・ヴォールト天井の意匠を凝らした教会もあれば、素朴な教会も。


五島の教会は、苦難を乗り越えた人々の信仰の証なのです。

世界文化遺産 五島市の教会ポケットガイドより引用


福江市街に向って車を走らせていたら、ピンク色の船と併走になりました(^^)


どうですか!美し過ぎでしょ!!

戸岐大橋(とぎおおはし)
新垣結衣の映画「くちびるに歌を」で出た橋です!!
この映画僕は見て感動したんですが、確かこの橋の上をガッキーがオンボロ車で走りました


三木孝浩監督も長崎の五島列島に魅せられたんだと思います


この風景。ですよ
魅せられてしまいますよね(^^)


さっき併走したピンクの船が泊まっていました

奥浦港


ピンク色のフェリー「ひさか」が入港しています!


フェリーひさか


いやー、ホントきれい。絵になる。


福江島ドライブの締めくくりがこの景色。
最高でしょ~☆



福江港ターミナルに展示してあったパネル

堂崎教会(どうざききょうかい) 明治40年(1907年)建立

明治6年(1873年)の禁教の高札撤去後、五島初切のクリスマスミサが堂崎の浜辺で捧げられました。そして堂崎は五島キリシタン復活後の拠点となっていきます。堂崎教会は、明治40年(1907年)に完成しました。赤レンガ洋風建築の、落着きと安定感のある美しい建物で、五島の他の同型教会のモデルになりました。


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