穴弘法奥之院霊泉寺 穴弘法の穴の中で限りない光が輝いた!
長崎県長崎市江平 穴弘法奥之院霊泉寺(りょうぜんじ)で僕が出会った無量の光明♪♪
穴弘法(あなこうぼう/穴弘法奥之院)の光明
穴弘法
穴弘法内の木仏
穴弘法奥之院 穴弘法
令和3年(2021年) 4月25日 村内伸弘撮影
長崎には穴弘法が 2つあります。
前回、片方の穴弘法(穴弘法寺)に参拝したので、今回は穴弘法奥之院霊泉寺の方を訪れます。
場所がとんでもない坂の上にあるって知っていたし、長崎最終日で東京へ帰る時間も逆算しなくてはいけないので、タクっちゃいました 笑
タクシーでこの場所に下りました
タクシーの運ちゃんもこの場所まで来るのには急な坂道があって危険なので、雨の日とかは断るそうです w(゜o゜)w
ここが僕が下ろされた場所
矢印看板がありました
霊泉寺の境内に入りました
この先に穴弘法があるようです
消えかけた穴弘法の矢印看板がありました。ここから近そうです
あっという間に穴弘法を発見!!
すぐ目の前にありました!
突き当り左に穴があるのが見えています
振り返ってみるとこんな風景です
巨大な岩の下に入口があります
穴があれば入ってみたいのが人情 笑
早速、入ってみます。穴の中に
穴弘法の木製看板
ココが入口です!!
穴弘法(あなこうぼう)
穴の中は神秘的な空間でした
穴弘法の穴の中
ランプが霊妙に灯っています
心を落ち着け、静かにお参りをします
真
お供物やお神酒が飾ってあり、信者の方々から厚く敬われていることがわかります
この奥に弘法大師さまがいると思うんですが、、、
この金襴幕をめくり上げたい衝動をなんとか抑えて、このまま目を閉じお大師さまを心に浮かべお参りしました。同行二人です。
変な言い方ですが、この薄暗い洞窟の中に入ると、自分自身の心を見つけるしかやることがなくなります。
世界がここにしかなく、人類は自分しかいないのではという錯覚に陥ります。お大師さまや仏たちに取り囲まれ、自己と対峙する空間がこの穴弘法なんだとわかりました。
お大師さまでしょうか?
とその時!!
入ってきた穴の入口方向を振り返ると、、、、、
無限の光が差し込んでいました!!
無量の光明です!!!!!!!
空海が発する果てしない光がこの穴の中に差し込んできています!!
ものすごい瞬間です!!!!!!!
穴弘法の穴の中で限りない光が輝きました!!
神秘的な体験でした。。。。
その後、穴弘法の穴を出て、裏山を上り、一周してまた境内に戻りました。
タクシーではなく、自分の足でこの山を上ってきたら、ここが入口になるみたいです
穴弘法奥之院霊泉寺 入口
いやー、山がまぶしい
穴弘法奥之院参道を歩きます
霊泉寺の境内に戻りました
原爆で崩れた石の鳥居が倒れ掛かったように立てかけられています
穴弘法縁起之碑
磨崖仏も巨岩に彫られていました
写真中央左の門の奥がさっき入った穴弘法の穴になります
穴弘法奥之院霊泉寺 平和観音像
原爆殉難者供養のため平和観音像を建立しました
永遠に平和でありますように平和観音を建立して供養し「声なき声」を後世に伝えいつまでも忘れないでください 合掌
昭和61年8月7日 花田寛栄
7月27日現在
寄附者総数 646名
寄附金総額 407万円
穴弘法奥之院 霊泉寺の石仏
爆心地から東南東へ約1,200m、標高約130mに位置するこの穴弘法奥之院霊泉寺は、寛政2年(1790年)に開山。真言宗大覚寺派。境内に表に大日如来像、裏に稲荷明神堂、その背後に巨岩があり、500体余りの石像が並んでいる。
昭和20年(1945年)8月9日、午前11時2分、原子爆弾のさく裂により、建物はすべて全壊し、大日如来は蓮座からずれ、稲荷明神堂の石の鳥居も崩れ落ち、石像はほとんどが破損して、そのうち何体かは首が落ちた。
また、ここは、浦上地区から金比羅山を越えて市街地を結ぶ通路にあたっていたので、原爆さく裂後、避難者が列をなして押し寄せ重傷者の避難所になったが、たどりついた後に、力つきて息途絶えた人もいた。
長崎市はこの地で亡くなられた方々のご冥福をお祈りし、二度とこのような惨禍が繰り返されないことを願ってこの銘板を設置する。
平成14年(2002年)3月 長崎市(原爆資料館)
霊泉寺 本堂
うーーん、ただひたすら美しい。長崎はただただ美しい。
江平、高尾あたりの街並みが見えました
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