京都 佛光寺/仏光寺にお参り。夏の朝の京都ウォーキング
佛光寺は京都渋谷(しるたに)時代(1300年代後半~1400年代前半)、同じ浄土真宗の本願寺を遥かにしのぐ寺勢だった。
佛光寺(ぶっこうじ)
佛光寺の慶讃法会基本理念「大悲に生きる人とあう 願いに生きる人となる」
佛光寺 御影堂門
佛光寺近くの仏光寺通
夏の京都旅行最終日。
せっかくなので朝街歩きをしてみます。
名付けて、夏の朝の京都ウォーキング
食べないと倒れちゃいますから、朝から茶色いバイキングをいただきま~す
三井ガーデンホテル京都四条の朝食バイキング
ベーコンがっつりいきました!
両親も万感!京都新聞のサイトで祇園祭の長刀鉾のお稚児さんのニュースが流れてました
宿泊した三井ガーデンホテル京都四条
ベッドや枕が良くって、よく眠れました!いいホテルです!
よく寝たし、お腹も満たしたし、京都ウォーキングにそれでは出発~☆
菅大臣神社(菅大臣天満宮)
菅原道真誕生の地と伝えられているみたいです
お店のディスプレイに飾ってあった楯
京の老舗
京都では 100年以上続かないと「老舗(しにせ)」にはなれないみたいです(スゴイ!)
佛光寺に続く高辻通
西洞院高辻
高辻通を東へ東へと歩いていきます
京都ウォーキングとか銘打ちましたが、朝なのにす~ごい暑いです、、、
旧京都市立成徳中学校(旧成徳小学校)
成徳中は日本初の軟式野球大会が開催された場所だそうで、軟式野球発祥の地でもあるそうです
たのしいオブジェ
小学生たちも水を飲み飲み歩いてました
朝8時過ぎたばかりなのに、太陽のギラギラがハンパない!
京都銀行頭取のごあいさつ
町名表示板 下京区高辻通烏丸東入匂天神町
匂天神町(においてんじんちょう)なんて、名前がすっごく良いですね!
佛光寺左奥に見えてきました!
この民家もシンプルでいい感じです
「大悲に生きる人とあう 願いに生きる人となる」
仏光寺の慶讃法会基本理念すばらしいですね!!
僕も "願いに生きる人"になりたいです
まずはお寺の周りをぐるりと歩いて回ってみます
佛光寺 阿弥陀堂門(本堂門)
佛光寺 御影堂門
御影堂門から見えた大師堂
佛光寺 勅使門
佛光寺前の民家
佛光寺と間違えそうですね(笑)
佛光寺 玄関門
たくさん門があって楽しいです
佛光寺の四つ角に交番がありました
右奥に伸びていく仏光寺通は初日(7月16日)に反対側から歩きました
仏光寺通
もう京都情緒があり過ぎます!
バチバチ写真を撮りまくります!風情があり過ぎて、撮りまくりたくなっちゃいます!!
まだお寺にお参りしてないんですがぁ~
ラッキー!光の輪まで現れました!
町名表示板 下京区仏光寺通高倉西入
親鸞聖人の出現は私一人のためであった
京都市立洛央小学校
さっき歩いていた子供たちは、ここ洛央小の子だったんですね
7月16日に撮影した佛光寺界隈の地図
仏光寺通を逆から歩いてくるとこういう位置になります
八角形の窓が面白~い
洋食と葡萄酒のお店 Saffron Saffron/サフラン サフラン
人気の洋食店らしいです。ロゴがユニークなので撮りました
佛光寺裏 東洞院通のファミマ
名もなき路地
京すだれ本舗 久保田美簾堂
すだれがスゴイと思ったら、正真正銘の京すだれ屋さんでした(^^)
藤井松華堂
雑貨屋さんです
まだ開店前だったんですが、ショーウィンドウの中に舞妓さんの写真が飾ってありました
舞妓さん、やっぱり美しいですね!
ああ、一度でいいから舞妓さんと恋に堕ちてみたい。。。
「落ちて」じゃなくって、「堕ちて」ですwww
インパクトある提灯の書体
ようやく佛光寺の境内に入ります(爆笑)
境内ではラジオ体操が行われていました
暑い中ご苦労様で~す
佛光寺 阿弥陀堂(本堂)
佛光寺 大師堂
境内から見た御影堂門
阿弥陀堂(左) 大師堂(右)
広々していて気持ちがいいお寺です
境内から見た勅使門
真宗佛光寺派 宗務所
大師堂に入ってみました
渡り廊下で阿弥陀堂(本堂)につながっています
このスタイル、東本願寺も、西本願寺も同じでした
阿弥陀堂で阿弥陀如来立像を拝みます
ご参拝を終えて、目にした景色
あまりにも暑くて熱中症寸前状態。。。ペットボトルを飲んで、ここで腰を下ろしてしばらく休ませてもらいました。セミが鳴いてました。
いやー、とても良い時間でした
心落ち着きました
参拝させてもらってよかったです!!
暑ちぃ、、、暑ちぃ、、まだ朝9時ちょっと前なのに、メチャクチャ暑い(泣)
境内の隅っこに椅子があったので、座って飲み物飲んで休んでますw
だいぶ体の火照りがとれました
ホテルに戻ります
佛光寺さん、ありがとうございました
阿弥陀様、ありがとうございました
7月16日に西本願寺隣の本山興正寺にお参りした時に、ここ佛光寺の由来を読んでいました。ご参考にご覧ください。
真宗興正派 本山興正寺
当寺は、阿弥陀如来を本尊とし、親鸞聖人を開祖とする真宗興正派の本山である。
興正寺の寺号は、日本に仏教をひろめた聖徳太子の事績にちなみ「正しき法を興しさかえさす」との意味が込められている。
創建は鎌倉時代にさかのぼり、京都の東、山科の地に建立されたと伝えられている。
南北朝時代、寺基は、山科から渋谷(しるたに)へと移り、その際、阿弥陀仏の放つ光明にちなみ、寺号を「佛光寺(ぶっこうじ)」と改めた。佛光寺は多くの門徒をかかえ、隆盛を極めた。
室町時代、蓮教上人は、本願寺蓮如上人と歩みを共にし、佛光寺を弟に譲り、再び山科に「興正寺」を興した。
その後は、本願寺と歩調を合わせ、度重なる移転にも行動を共にした。桃山時代、現在の地へ移転したのも本願寺との深い関係を示している。
明治9年(1876年)には、真宗興正派の本山となり、現在も「興隆正法」という願いのもと興正寺の歩みは続けられている。
京都市
「佛光寺の最盛期は、高田専修寺とともに、当時の本願寺を大きく上回る寺勢を誇っていた。」って Wikiにも書いてありました。今はともかく、昔は大寺院だったみたいです。
京都渋谷(しぶたに)に寺基があった頃(1300年代後半 - 1400年代前半)は、同じ浄土真宗の本願寺を遥かにしのぐ勢力があった。
<中略>
文明13年(1481年)には第14世経豪(後の蓮教)が、なんと本願寺の蓮如に帰依してしまい、山科西野に「興正寺」という名の寺院を建立し、佛光寺派の有力末寺 48坊のうちの 42坊を引き連れて本願寺に宗旨替えし、真宗興正派を形成してしまうという大事件が起きてしまう。佛光寺の寺勢は急激に衰え、代わって本願寺が台頭するところとなる。残った有力末寺 6坊は経豪の弟経誉を知恩院からよび戻し、新たな佛光寺第14世とした。以上の経緯から経豪は佛光寺歴代に数えられていない。
Wikipediaより引用
お寺と言えども、人間の集団。
いろんなことが起こるんですねー
京都ウォーキングです。歩いてホテルに向かいます
松の枝ぶりが良すぎです。民家でしょうか?すごいです!
バラバラになった大船鉾(おおふねほこ)と出会いました
解体された大船鉾
来年まで一時お休みです
祇園祭の期間の京都街歩き、楽しいですね!
▼今回の京都旅行
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・祇園祭宵山前祭 長刀鉾、孟宗山、占出山、霰天神山、放下鉾、月鉾、郭巨山、蟷螂山、油天神山、木賊山、四条傘鉾
・動く美術館!祇園祭山鉾巡行前祭 四条通、山鉾の行列が京都のメインストリートを進む
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・京都 佛光寺/仏光寺にお参り。夏の朝の京都ウォーキング
・京都地蔵院 椿寺→一条通り/妖怪ストリート→粟餅所澤屋→北野天満宮
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