国宝絵巻「一遍聖絵」の見方(鑑賞方法)… 行きました!「国宝 一遍聖絵」展
ユギョウジバシ(旧大鋸橋)・高札場跡
遊行寺橋(旧大鋸橋)・高札場跡
江戸から東海道を進むと、東海道第六の宿、藤沢宿内の遊行寺橋(旧大鋸橋)で境川(片瀬川)を越えて鎌倉郡から高座郡に入ります。橋を渡って、右手が大久保町。橋のたもとに高札場があり、公定運賃の定め、キリシタン禁制など、徳川幕府の重要法令が掲示されていました。左手(南側)には「江の島一ノ鳥居」が建てられていました。江の島弁財天の遙拝の鳥居で、東海道と別れて鳥居をくぐれば、「江の島道」です。
現在の遊行寺橋。小さな橋ですが、赤くて印象的です。
遊行寺橋を渡ると遊行寺はもう目の前です。突き当たりが遊行寺の惣門(総門)。
惣門前の民家の庭にオレンジ色の柿がなってしました。
時宗総本山 清浄光寺(遊行寺) 惣門
をのづから あいあふときも わかれても ひとりはをなじ ひとりなりけり
(「一遍聖絵」第七巻)
この和歌は、「無量寿経」の「独り生まれ、独り死し、独り去り、独り来る」という一説を踏まえての作といわれています。(「孤独を恐れない心」遊行寺だより)
縁によって人と出会うときも別れた後も、人間はいつも独りなのです。独り生まれて独り死ぬのが本来なのです。(「一遍上人のおこころ」遊行寺だより)
いろは坂
当山今月の行事
境内の大銀杏(大イチョウ)
本堂
いた~ 一遍上人~ん
宗祖 一遍上人像
一遍上人のお顔。上人は入寂の際に「わが化導は一期ばかりぞ(私の教えは一代限りである)」、「一代の聖教皆尽きて、南無阿弥陀仏に成り果てぬ(お釈迦様の教えは南無阿弥陀仏の名号の中にすべて凝縮されている)」と言われたので間違いなくご本人は銅像になんかなりたくなかったと思われます(笑)
時宗総本山 遊行寺(ゆぎょうじ)
清浄光寺(しょうじょうこうじ)が正式の寺名ですが、遊行上人の寺ということから広く一般に遊行寺と呼ばれています。宗祖一遍上人は「南無阿弥陀仏 決定往生六十万人」のお札をくばりながら、日本各地をまわり遊行して踊り念仏をおこないました。この遊行寺は正中二年(1325年)遊行四代呑海上人によって開かれ「藤沢道場」といわれ時宗の総本山になっています。
本堂にお詣りします。
本堂脇
本堂脇の回廊
絵馬1
絵馬2
絵馬3
南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)と彫られています。
鐘楼(銅鐘)
納骨堂
歴代上人の墓
小栗判官公並びに十勇士の墓
小栗判官のお墓
照手姫(てるてひめ)の墓
照手姫のお墓
照手姫建立 厄除地蔵尊
再び境内の大イチョウ。座っている人たちや駐まっている車と大きさを較べてみてください。
南無阿弥陀仏
中雀門(ちゅうじゃくもん)
安政年間(1854年~1860年)建造。向唐門づくりで、高さ 6m、幅 3.7m。側面の大棟に菊の御紋、屋根の下に徳川家の葵の紋(三葉葵)が刻まれています。見事な唐破風(からはふ)です!
時宗総本山 寺務所
藤嶺学園(藤嶺学園藤沢中学校・高等学校)
男子学生達が「ウォー」とか言いながら、楽しそうに走り高跳びしてました。
「他阿弥陀仏。なむあみだ佛はうれしきか(「一遍上人縁起絵」第四)」
一遍上人が亡くなられる前、人々が最後の教えを乞うたところ、一遍上人は「他阿弥陀仏よ。なむあみだ佛はうれしいか」と真教上人(他阿弥陀仏)に問われました。一遍上人と十三年間を共にした真教上人は一遍上人の心中を察し、たまらず涙を流されました。宗祖一遍上人と二祖真教上人の心の絆をあらわすお言葉です。
ただ一遍の念仏を
一遍上人立像 南北朝時代 重要文化財 京都 長楽寺所蔵
このお寺の宗旨
名称: 時宗(じしゅう)
宗祖: 証誠大師一遍上人(智真/ちしん)
開宗: 鎌倉期(1274年)
本山: 清浄光寺(遊行寺) 神奈川県藤沢市
本尊: 「阿彌陀佛」を本尊に仰ぎます
称名: 南無阿彌陀佛
教義: 大慈悲の阿彌陀佛に帰命(おまかせ)する只今のお念佛が一番大事なことです 家業につとめはげみ むつみあって只今の一瞬(ひととき)が充たされるなら人の世は正しく生かされて明るさを増し皆俱に健やかに長壽を保つことになります 浄土への道はそこに開かれるとする教えです
経典: 無量壽経 観無量壽経 阿彌陀教 六時禮讃などの経典を読誦(およみ)致します
時宗総本山 遊行寺 山門繁栄 開運吉祥
「絵で見る一遍上人伝(編著:長島尚道)」
寺務所で「絵で見る一遍上人伝」という本を1冊買いました。
なんと入場制限中~
観覧券の表面は一遍入滅(第12巻・第3段)のシーンでした。貴賤老若男女ありとあらゆる人たちが一遍上人の死を惜しんで嘆き、泣いている場面でした。
入滅した一遍上人
さてさて、肝心の展覧会ですが、宝物館内部は写真撮影禁止でしたので、写真はありませんし、入場制限していたほどでシニアの方々が大挙押し寄せててジックリ見ることができなかったのが残念ですが感想を書きます。
まず「聖絵」は一遍上人の生涯を時系列で知らせるものなので、伊予をたった 5人で出発し、熊野権現から神託を受け、民衆の中に入っていき、民衆に見守られながら息絶える姿を一気に見ることができました。絵が進み、時が進むにつれて、一遍を取り囲む人々の数がだんだん増えていく様は一遍の教えと行動が民衆に受け入れられていった過程を劇的に示していると思いました。
それから、この「聖絵」の主人公は一遍上人ですが、絵上に描かれている庶民ひとりひとりの顔や装いを見るのがすごく楽しいです。名も知れぬ鎌倉時代の人々ひとりひとりを眺めながら、この人はその後どうなったんだろう?とか、この人は幸せな一生を送れたのだろうか?とか、この人はいつこの世を去ったんだろうか?などと思いを馳せると実に楽しいです!
佐久遊行(第4巻・第5段)の右下に日本人とは思えないような真っ黒な顔の貧民(非人?被差別民?)たちが描かれているんですが、彼らは一体何者だったんだろう?とか思いながら絵を見つめたり、白頭巾で顔を覆った癩者(ハンセン病患者)も一緒に描かれているのを見つめていると鎌倉仏教を代表する一遍上人とその教えが彼らにとって間違いなく"救い"そのものだったということも強く感じられて感動します。京洛化益(第7巻・第2段)の場面は当時の都・京都の釈迦堂が舞台だけあってキレイな女性が多かったです。ひとりひとりの顔やいでたちを見つめているとホント平気で 10分、20分経ってしまいます。
まあ、誤解を恐れずにいえば、「一遍聖絵」は一遍の生涯や足跡を描いた絵巻というよりも、中世のわが国を生きた "忘れられた日本人たち" ひとりひとりの人生を描き讃えた「民衆聖絵」なんです!!
「国宝 一遍聖絵」展、ぜひ行ってみてください。そして一遍上人だけでなく、民衆ひとりひとり、人間ひとりひとりをやさしく見つめてあげてください。次に、一遍上人になったり、絵の中の民衆ひとりひとりになって、その瞬間の情景をあなたがなりきった人の視点から想像してみてください。一遍聖絵が「国宝」になっている理由がよくわかるはずです。こんなにも美しく、そして人に優しい国宝は初めて見ました!「一遍聖絵」はステキなステキな絵巻です。
あと、伊予出立の段(第2巻・第2段)で、聖戒は後を振り返っているのに、一遍は前を向いて振り返ろうともしないシーンは一遍の遊行にかける決意がひしひしと伝わってくる感じでした。「聖絵」には見送りの人たちが描かれていますが、一遍上人の瞳には見送りの人たちはまったく映っていないのです。
可愛らしい幼稚園児たちが境内にいました。
明治天皇御膳水(ごぜんすい)。明治天皇は三度、遊行寺にお泊まりになられたそうで、その時に使われた井戸だそうです。
太っ!遊行寺境内のシンボル「大イチョウ」ともお別れです。樹高 21m、幹回り 7.1mでかつては高さが約 31mもあったそうです!
遊行寺宝物館ともお別れです。
遊行寺から藤沢駅へ向かう途中、お腹が空いていたので「喫茶 Potopi(ポトピ)」という手づくり料理のお店があったので立ち寄ってみました。
オムライスを注文しましたがとっても美味しかったです。オムライスとお味噌汁とサラダとホットミルクティーがついて税込 400円はかなり安いんじゃないでしょうか?メッチャ満足です。
境川(片瀬川)
Halloween~ん!!世はハロウィーン一色ですね~
JR藤沢駅(大正8年/1919年)
藤沢柳通り(昭和45年/1970年)
しばらく藤沢駅周辺を徘徊
湘南色の東海道本線(湘南新宿ライン?)
小田急江ノ島線
三浦のぶひろ 40歳!名前が一発で気に入りました!のぶひろ最高です!!でも、のぶひろ本家は僕「伸弘」ですからね~(笑) まっ、漢字では「信祐」らしいんで棲み分けますw
またまた小田急江ノ島線~ 片瀬江ノ島行きと町田行きがすれ違っています。
カリン?かな
津波注意(Be careful of tsunamis)。ここの地盤は海抜 11.9m 藤沢市
ステキなお花~
鵠沼花沢町(くげぬまはなざわちょう)
石川佳純かわいい!藤沢駅近くのスポーツ店のショーケースに貼ってありました。この笑顔が藤沢ショートトリップの見納めです。八王子へ帰ります。
遊行寺(ゆぎょうじ)の由来
"遊行寺"と呼ばれ、親しまれているこのお寺は、時宗の総本山で「藤沢山無量光院清浄光寺(とうたくさんむりょうこういんしょうじょうこうじ)」というのが本当の名前ですが、"遊行寺"の方が一般に知れ渡っています。
時宗の法主(ほっす)は ”遊行上人”ともいわれているので、遊行上人のおいでになる寺ということで、"遊行寺"と呼ばれるようになりました。
「遊行」とは、僧侶が修行・勧進のため諸国をめぐり歩くことをいい、代々の "遊行上人"は、念仏をすすめ、お札を配って全国を歩かれました。
時宗は、一遍上人が開きましたが、"遊行寺" つまり清浄光寺は、遊行第四代呑海(どんかい)上人が正中二年(1325年)創始されたものです。
寺を建てた人は、後醍醐天皇の時、鎌倉幕府の御家人で地頭職にあった俣野五郎景平で、景平は遊行二祖他阿真教上人に帰依し明阿と号し、その弟呑海上人が清浄光院(のち清浄光寺)を建立したときに、その壇越(施主)となっています。
"清浄"とは、仏教では、清らかでけがれのないことをいいますが、山深き、この清浄の地に、多くの修行僧が出入りした当時のことがしのばれます。
春は桜、六月のころの花菖蒲は有名で、全山紅葉の晩鐘は藤沢の人々の平安を祈り、春秋の開山忌は老若男女の参詣で賑わいます。
時宗の開祖・一遍上人
時宗の開祖、一遍上人は、延応元年(1239年)伊予(愛媛県)の豪族、河野通広の二男として生まれ、十歳で仏門に入られました。
諸国を行脚し修行を積まれましたが、一遍上人三十六歳の文永十一年(1274年)熊野本宮証誠殿に参籠され、熊野権現より念仏賦算の神宜啓示を受けました。「往生は、ただ "南無阿弥陀仏" によってなされる」と悟りを開かれ、南無阿弥陀仏を唱え、だれ彼の区別なく、お札を渡すことが、「仏門の道」と知ったといいます。時宗ではこの時を開宗の時としています。一遍上人はみすぼらしい衣を着た貧しい僧同様の行脚の一生だったのですが、念仏をすすめて歩く一遍上人には、宗教人に徹した厳しさがうかがわれたといいます。
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