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村内 伸弘(むらうち のぶひろ)村内伸弘の彼女

新選組ゆかりの地 西本願寺/お西さんに参拝 太鼓楼、大伽藍、大賀蓮に感動♪♪

京都祇園祭前祭へ。夏の京都、灼熱の京都をエンジョイ~☆

西本願寺 御影堂(ごえいどう/左)、阿弥陀堂(右)


西本願寺 阿弥陀堂


西本願寺の大賀蓮(おおがはす)


新選組ゆかりの地 "新選組屯所跡" 西本願寺 太鼓楼(たいころう)
令和5年(2023年)7月16日 村内伸弘撮影


コンチキチン。
祇園祭のお囃子が今も僕の頭の中で鳴り響いています。
京都・祇園祭へ行ってきました
夏の京都に行ってきました


祇園祭 長刀鉾(なぎなたほこ)の生き稚児(ちご) ※ポスターより


JR京都駅構内の各山鉾の提灯


各山鉾の配置図



さあ、7月16日 朝9:58 新横浜発、11:51 京都着の「のぞみ 217号」で祇園祭の京都へ向かいます

崎陽軒のピラフが朝飯です



新幹線の車窓から浜名湖が見えました


京都駅到着

八つ橋の自動販売機があってビックリ~


うわ!すごい人!


京都は祇園祭一色になってます

ミニチュア山鉾


京都駅構内の祇園祭のディスプレイで事前勉強します

長刀鉾(なぎなたほこ)の「長」の字
めっちゃカッコいいですね!


各鉾(ほこ)、各山(やま)、それぞれ個性的でホント京都は奥深いと思います。いきなり圧倒されますし、期待で胸が膨らみます♪♪


空は真っ青。京都タワーがうつくしい


暑い。いきなりタクりますw


宿泊する三井ガーデンホテル京都四条までタクシーで行って、荷物を預けました。
※調査不足でしたが京都駅前の同系列のホテルに荷物を預ければ、この京都四条まで運んでおいてもらえるサービスがありましたw


そのまま、タクシーで京漬物西利(にしり)本店でお買い物


西利本店から見える風景

京都っぽいでしょ~!木陰で涼をとる女性もいい感じです


西本願寺の隣にある興正寺(こうしょうじ)


真宗興正派 興正寺の三門


堀川通


西利でのお買い物を終えて、目の前の西本願寺まで歩きます

真宗興正寺派 本山興正寺(こうしょうじ)


まずは興正寺にお参り


境内から見た興正寺三門


興正寺 御影堂(ごえいどう)


興正寺 阿弥陀堂


興正寺は、常に本願寺と歩調を合わせ、度重なる移転にも行動を共にしてきたそうです。本願寺と深い関係にあるお寺です。


興正寺、お参り完了


奥の伽藍が西本願寺です。連続する大伽藍、すごい景観ですよね!京都ならではです!!


仏教総合博物館「龍谷ミュージアム」
釈尊(ブッダ)の生涯、仏教がインドからアジア各地へ広がっていく様子、日本における仏教の広がりや歴史などが紹介されているそうです。次、行きたいと思います。今日はスルー


そうとう暑い!すごい日差しです!


西本願寺 御影堂門


「和顔愛語(わげんあいご)」
Gentle in countenance and loving in speech


僕が好きな言葉が掲げてありました!さすがお西さん!


西本願寺 総門
堀川通の向こう側にあります


世界文化遺産 西本願寺境内に入りました


西本願寺は親鸞聖人が開かれた浄土真宗の法灯を伝えるお寺で、宗教的にも歴史的にも価値が高い重要な文化財が数多くあることでも知られています!そして新選組ゆかりの地でもあるんです!



さっそく、総合案内所で「新選組の刀傷が見たいです」って聞いたら、「刀傷は普段皆さんが見られないところにあります。」とのことでした。残念~ん


新選組の隊士が詰めていたところ(=太鼓楼)は外から見られるみたいなので、最後にジックリ見てみます


国宝 西本願寺御影堂(ごえいどう/本願寺御影堂)
寛永13年(1636年)再建、平成21年(2009年)大修復。東西48メートル、南北62メートル、高さ29メートルの大きな建築物です。441枚の畳が敷かれ、227本の柱で約115,000枚の瓦を支える世界最大級の木造建築物です。


御影堂(中央)、阿弥陀堂(右)


大銀杏(逆さ銀杏/左)


夏の青空と御影堂


御影堂の甍(いらか)、めちゃくちゃ美しい!



西本願寺の境内図


お堂の中に入ってお参りします

堂内から見えた阿弥陀堂門


廊下の木の文様がすばらしい!!


東本願寺もそうでしたけど、阿弥陀堂と御影堂は渡り廊下でくっついています


樹齢約400年の大イチョウが見えます。大イチョウの手前をお坊さんが歩き、奥には京都タワーと御影堂門。まさに京都!


大銀杏(大イチョウ/逆さ銀杏)
京都市の天然記念物です。根っこを天に広げたような形なので逆さ銀杏と呼ばれているそうです。火災の時、この銀杏から水が噴き出して消し止めたという伝説もあって「水吹き銀杏」とも呼ばれているそうです



龍虎殿(りゅうこでん)に貼ってあったポスター

大谷 光淳(おおたに こうじゅん)
浄土真宗本願寺派第25世(現)門主。もちろん西本願寺のご住職です。やばいです!親鸞聖人の血をひいているお方です!!昭和52年/1977年生まれなので、僕よりも年下ですね。


「人生は苦の連続なれど、必ず道は照らされる」
さすが言いこと言ってます(^^)


記念スタンプ押しました。はははは、僕ついつい押しちゃうんですよね~


パンフレットももらいました


えーーーっ!

ハート発見!まさかのインスタ映え~☆
遊び心もありますね、やるな西本願寺!!笑


黒光りする縁


御影堂から見た阿弥陀堂


見逃さないで~ 京都タワーもハッキリ写ってます


ははははw 徳利まであった!
木の節(フシ)のところが抜けるんだと思いますが、それをハートとか徳利で補修してるんですね 笑


西本願寺チャーミングです♪♪


木目がキレイ!やっぱり木の感触とか木の雰囲気っていいですよねー


お参り終わりました


境内の隅っこで美しい蓮(ハス)が咲いていました

西本願寺の大賀蓮(おおがはす)


世界最古の生命の復活!!


いやー!すばらしい咲きっぷり!!最高にうつくしいです!!!!



安穏殿(あんのんでん/ブックセンター)に入ってみます


親鸞聖人(しんらんしょうにん)
親鸞聖人はあらゆる人を救う阿弥陀如来の本願念仏の教えに帰依し、多くの民衆に念仏の教えを弘めました。


親鸞聖人のご生涯

平安時代も終わりに近い承安(じょうあん)3年(1173年)の春、親鸞聖人は京都の日野の里で誕生された。父は藤原氏の流れをくむ日野有範(ひのありのり)、母は吉光女と伝える。聖人は養和(ようわ)元年(1181年)9歳の春、伯父の日野範綱(のりつな)にともなわれて、慈円和尚(じえんかしょう)のもとで出家・得度(とくど)をされ、範宴(はんねん)と名のられた。ついで比叡山にのぼられ、主に横川(よかわ)の首楞厳院(しゅりょうごんいん)で不断念仏を修する堂僧(どうそう)として、20年の間、ひたすら「生死いづべき道」を求めて厳しい学問と修行に励まれた。


しかし建仁(けんにん)元年(1201年)親鸞聖人 29歳のとき、叡山では悟りに至る道を見出すことができなかったことから、ついに山を下り、京都の六角堂(ろっかくどう)に 100日間の参籠(さんろう)をされた。尊敬する聖徳太子に今後の歩むべき道を仰ぐためであった。95日目の暁、聖人は太子の本地である救世観音(くせかんのん)から夢告(むこく)を得られ、東山の吉水(よしみず)で本願念仏の教えを説かれていた法然聖人(ほうねんしょうにん)の草庵を訪ねられた。やはり 100日の間、聖人のもとへ通いつづけ、ついに「法然聖人にだまされて地獄に堕ちても後悔しない」とまで思い定め、本願を信じ念仏する身となられた。


法然聖人の弟子となられてからさらに聞法(もんぼう)と研学に励まれた親鸞聖人は、法然聖人の主著である『選択集(せんじゃくしゅう)』と真影(しんねい)を写すことを許され、綽空(しゃっくう)の名を善信(ぜんしん)と改められた。そのころ法然聖人の開かれた浄土教に対して、旧仏教教団から激しい非難が出され、ついに承元(じょうげん)元年(1207年)専修(せんじゅ)念仏が停止(ちょうじ)された。法然聖人や親鸞聖人などの師弟が罪科に処せられ、法然聖人は土佐(実際は讃岐)、親鸞聖人は越後(新潟県)に流罪。これを機に親鸞聖人は愚禿親鸞(ぐとくしんらん)と名のられ非僧非俗(ひそうひぞく)の立場に立たれた。


このころ三善為教(みよしためのり)の娘・恵信尼(えしんに)さまと結婚、男女6人の子女をもうけられ、在俗のままで念仏の生活を営まれた。建保(けんぽう)2年(1214年)42歳の時、妻子とともに越後から関東に赴かれ、常陸(茨城県)の小島(おじま)や稲田(いなだ)の草庵を中心として、自ら信じる本願念仏の喜びを伝え、多くの念仏者を育てられた。元仁(げんにん)元年(1224年)ごろ、浄土真宗の教えを体系的に述べられた畢生(ひっせい)の大著『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』を著された。


嘉禎(かてい)元年(1235年)63歳のころ、関東20年の教化(きょうけ)を終えられて、妻子を伴って京都に帰られた。『教行信証』の完成のためともいわれ、主に五条西洞院(にしのとういん)に住まわれた。京都では晩年まで『教行信証』を添削されるとともに、「和讃」など数多くの書物を著され、関東から訪ねてくる門弟たちに本願のこころを伝えられたり、書簡で他力念仏の質問に答えられた。


弘長(こうちょう)2年11月28日(新暦1263年1月16日)、聖人は三条富小路(とみのこうじ)にある弟尋有の善法坊(ぜんぽうぼう)で往生の素懐(そかい)を遂げられた。90歳であった。



国宝 西本願寺阿弥陀堂
宝暦10年(1760年)再建、東西42メートル、南北45メートル、高さ25メートルの大きな建築物です。中央にご本尊の阿弥陀如来像が安置されています


パワフルですね!浄土真宗って!!

以前よりは衰えたとは言え、まだまだものすごいパワーを感じます!!
この伽藍を見ていると、浄土真宗が民衆に支えられた宗教であることをまざまざと見せつけられる気がします


西本願寺 阿弥陀堂門


最後に外から新選組ゆかりの地である太鼓楼を見学します

西本願寺 太鼓楼


太鼓楼(たいころう)

新選組ゆかりの地


新選組は「池田屋騒動」(元治元年/1864年)以降隊士が増え、壬生の屯所では狭くなったこともあり、慶応元年/1865年3月10日、屯所を壬生から本願寺に移し、境内に「新選組本陣」の看板を掲げ、北東にあった北集会所と太鼓楼を使用しておりました。


本願寺は、長州との深い縁もあり、幕末の尊王攘夷運動のなかで幕府と対立していた長州藩士たちが、何かにつけて本願寺を頼りにしていたため、新選組は本願寺の中に本拠を移すことによって一石二鳥の効果をねらったものでありました。


新選組は、境内で大砲を轟かせたり、実弾射撃をおこなったり、乱暴を繰り返したため参拝の門信徒や僧侶らを震撼させる毎日であったそうであります。新選組の活動期間は 6年ぐらいであり、大部分が暗殺されていった中、結成時からの元隊士、島田魁(さきがけ)が明治維新後、本願寺の守衛を勤め、

終生お念仏を喜びながら太鼓番をしたという話が伝わっております。明治6年/1873年、北集会所は姫路市の(亀山)本徳寺に一部移設されたため、現在の本願寺に新選組の足跡を見るのは太鼓楼だけであります。


本願寺


この建物の中に新選組の隊士がいたと思うと、歴史ロマンを感じます!新選組は日野ですから、僕が生まれ育ち暮らす八王子の隣町ですもん



僕の家は東本願寺なんですけど、もともとは同じ本願寺ですので、今回お参りしてみました。東も西も、どっちもいいですね。お東さんも、お西さんも誰でも参拝できます、京都を訪れたら皆さんもぜひ行ってみて下さいね。


▼今回の京都旅行
新選組ゆかりの地 西本願寺/お西さんに参拝 太鼓楼、大伽藍、大賀蓮に感動♪♪
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