世界遺産 大浦天主堂(キリシタン博物館)は歴史文化都市・長崎のシンボル
大浦天主堂のマリア像と再会!ワレラノムネ アナタノムネトオナジ!信徒発見の舞台「こころの自由、ここに始まる」
世界遺産 大浦天主堂
平成30年(2018年) 8月27日 村内伸弘撮影
世界文化遺産・大浦天主堂を訪れました。
カトリック長崎大司教区の大司教 髙見三明さんがこう言っています。
さあ、美しい教会に秘められたドラマを旅してみましょう。あり余る自由に満たされた現代のわたしたちにとって、自由の真の意味と意義を考える機会になることでしょう。
カトリック長崎大司教区の大司教 髙見三明
そして、まずこの長崎の世界遺産が持つ「日本独自の宗教的伝統」についてもお読みください。
長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産
Hidden Christian Sites in the Nagasaki Region
宣教師不在の中ではぐくまれた
日本独自の宗教的伝統
「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」は、キリスト教禁教による宣教師不在の中、神道や仏教などの日本の伝統的宗教や一般社会と関わりながら信仰を続けた潜伏キリシタンの伝統のあかしとなる遺産群である。
それらは、国内に宣教師が不在となってキリシタンが「潜伏」したきっかけや、信仰の実践と共同体の維持のためにひそかに行った様々な試み、そして宣教師との接触により転機を迎え、「潜伏」が終わりを迎えるまでの歴史を物語る12の構成資産からなる。
これらが長崎と天草地方の半島や離島に点在しているのは、大航海時代にキリスト教が伝わったアジアの東端にあたる日本列島の中で、最も集中的に宣教が行われた場所だからである。
写真右下には絵描きさんがいました。
世界文化遺産に登録された大浦天主堂
前回はまだ世界遺産になっていない時に来て、しかも夜だったので中に入りませんでした。今回は夕方ですので、中に入ってみます。
大浦天主堂 キリシタン博物館
キリシタンに関する歴史的資料を展示
資料博物館オープン
世界文化遺産登録決定(長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産)
みなさまのご支援 ありがとうございます。
昼間ももちろん美しいですね。
壁面(前面)は世界遺産登録前後に塗り替えたようで、前よりもキレイになってました。大浦天主堂さん、お化粧しましたね 笑
僕的には以前の"素肌"も魅力的だったんですが・・・
▼この雰囲気も味わいがあるでしょ?
世界遺産登録前 平成29年(2017年) 7月1日撮影
こころの自由、ここに始まる
世界文化遺産 大浦天主堂物語
信徒発見から150年
歴史文化都市・長崎のシンボル
国宝「大浦天主堂」の成り立ちとその歴史
この「大浦天主堂物語」という小冊子は内容がすごく充実しています。このパンフだけでも 500円ぐらいで買ってもいいかなと思うぐらい内容が濃いです。みなさん、このパンフレットをもらったら、その場で(または自宅に帰ってからじっくりと)ぜひご覧ください。
拝観券(大人) 1000円
1000円は高いのでは?とニュースになってましたが、この歴史的な建物や場を維持していくためには 1000円までなら出せると思います。さすがに 2000円とか 5000円とかは難しいと思いますが(笑)
僕は 1000円を拝観料というよりも教会への寄附という気持ちで出しました。
拝観券の裏に印刷されていた情報
国宝大浦天主堂
国宝指定 1933年(昭和8年) 1月23日
国宝再指定 1953年(昭和28年) 3月31日
着工 1863年(文久3年)12月
竣工 1864年(元治元年)12月
設計者 フランス人宣教師 フューレ神父
建築者 小山 秀
様式 中世紀建築の代表であるゴチック式
由来
1. 正式名称は日本二十六聖殉教者天主堂
2. 本天主堂に於て浦上旧キリシタンの子孫が発見された
3. 日本にある天主堂の中で最古のものである
Oura Catholic Church
A National Treasure
Designated as a National Treasure on January 23, 1933
Re-designated on March 31, 1953
Construction begun in December 1863
Completed in December 1864
Designer: Father Furet, a French missionary
Builder: Mr. Hide Koyama, a Japanese
Style: Gothic
Title: "Church of the 26 Japanese Martyrs"
On March 17, 1865, the hidden Christians of Nagasaki were discovered here.
It is the oldest church in Japan.
正式名称は「日本二十六聖殉教者天主堂」です。ヒューレ神父は本当は 26聖人の殉教地に教会を建てたかったそうなのですが、外国人居留地の外なので許可が下りず、また居留地も満杯なので居留地の隣の土地をゲットして、大浦天主堂が建てられたそうです。
夏の夕方の大浦天主堂
かつて「日本の小ローマ」と言われた長崎を象徴する建築物です。
信徒発見の劇的なシーンのレリーフ
キリスト信者発見百周年記念碑 カトリック長崎大司教区 1965.2.17
「私達もあなた様と同じ心の者でございます。サンタ・マリアの御像はどこ」
キリスト信者発見百周年記念碑 記念碑文
紀元1865年(慶応元年)2月19日 仏人宣教師プチジャン神父(後の初代長崎司教)により大浦天主堂が建立されたが、同年3月17日天主堂参観の大浦の住民等十数名が、同神父に近づき「私達もあなた様と同じ心の者でございます。サンタ・マリヤの御像はどこ」と云った彼等は300年に亘る厳しい迫害を堪え忍び、ひそかに守り伝えたカトリックの信仰を表明した日本キリスト信者のこの信仰宣言は、史上に例のない事実として全世界を驚歎させた。その感動的な場面をこの碑に再現し、信者発見100周年記念としてこれを建立するものである。1965年3月17日 信者発見100周年行事委員会
記念碑文
紀元1865年(慶応元年)2月19日、仏人宣教師プチジャン神父(後の初代長崎司教)により、大浦天主堂が建立されたが、同年3月17日、天主堂参観の浦上の住民等十数名が同神父に近づき「私達もあなた様と同じ心の者でございます。サンタ・マリアの御像はどこ」と云った。彼等は300年に亘る厳しい迫害を堪え忍び、ひそかに守り伝えたカトリックの信仰を表明した。
日本キリスト信者のこの信仰宣言は、史上に例のない事実として全世界を驚歎させた。その感動的な場面をこの碑に再現し、信者発見100周年記念としてこれを建立するものである。
1965年(昭和40年)3月17日 信者発見100周年行事委員会
この国では約260年もの間、キリスト教は禁じられた宗教だったのです。その長い禁教の中でも信仰を守り続け、祈りを継承し続けた人々がいたのはすごいことです!
プチジャン司教の像
教皇ヨハネ・パウロ二世の像
ここは日本の新しい教会の信仰と殉教と宣教の原点です
修道女たちになされた御訓話の一節
教皇は1981年2月16日午後日本カトリック教会再復興の地 大浦天主堂をご訪問になられた
大浦天主堂庭内の十字架上のキリスト
大浦天主堂キリシタン博物館(出口) - 旧長崎大司教館
ド・ロ神父の設計です。この建物の完成の前年、ド・ロ神父は建築現場の足場から転落したことで持病が悪化して死去しました。よってこの作品がド・ロ神父の最後の作品になったそうです。
天主堂から下を眺めた景色
日本之聖母
慶應元年3月17日 信徒発見記念
大浦天主堂 拝観の皆様へのお願い
1. 脱帽
2. 静粛
3. 撮影禁止
4. 禁煙
大浦天守堂のトイレの窓から見えた祈念坂
※ここは大浦天守堂ではないので無料のエリアです
あなたは何を祈りますか?
祈念坂
・自己愛・隣人愛・世界平和
・信・望・愛・合掌する心
・戦争は人間の仕業・悪魔の仕業
AD2000 第1相生自治会 子ども会
日本之聖母像
信徒発見のマリア像(入口正面に置かれている美しいマリア像)
前回は夜来て閉門していたのでこんなに間近では拝めませんでした。
劇的な再会です、感激の一瞬です。
旧羅典神学校
国指定重要文化財 旧羅典神学校
指定年月日昭和47年5月15日
所有者カトリック長崎大司教区
明治6年(1873年)キリシタン禁教が停止となり、各地に配流されていた浦上村の信徒が釈放されたのを契機として、大浦天主堂のプチジャン神父は神学校の設立を計画し、明治8年(1875年)に完成。設計と監督に当たったのはドロ神父。わが国初期の木骨煉瓦造り。大正15年(1926年)までラテン神学校校舎兼宿舎として使用。以後司祭館や集会所にも使用され、その間若干の一部改造があった。
長崎県教育委員会・長崎市教育委員会(62.3設置)
この石畳がいいな~
この曲線がメッチャいいな~
博物館は写真撮影禁止でしたが、この一文はメモりましたので、ぜひ皆さんにお伝えしたいと思います。
禁教への転換と殉教
長崎・西坂の丘で26人が殉教しました。
12歳のルドビコ茨木はキリスト教を棄てるように誘われますが、「この世の短いいのちと永遠のいのちを取りかえるわけにはいきません。」ときっぱり断ります。
26人の殉教は仲間の信者たちを勇気づけ、人々を感動させ、教えを信じる人々を増やし、海外にも大きな反響を呼びました。
写真左のレンガの煙突がある建物が旧長崎大司教館。
ここ大浦天主堂は見事に歴史的な雰囲気を味わえます。
企画展は「復活の島・五島列島」でした。
大浦天守堂のお土産はコレ!
奇跡のカステラ(Miracle Castella)
大浦天主堂キリシタン博物館 限定品 五三焼カステラ 0.5号(6切)
商品は当店での限定とさせていただいております。
空港・駅・通販での扱いはございません。
ご了承くださいませ。
コレ、最高のキャッチコピーですよね!
「脅し」のようにも見えますよね。冗談です(笑)
でも、僕、買っちゃいました はっはっはw
奇跡のカステラ(Miracle Castella)
カステラがつたわったころの長崎は小ローマと呼ばれ、キリスト教が花開きカステラをたしなんだ理想郷であった。
秀吉の時代になるとアジア侵略のため秀吉の号令によって、九州の最西端の唐津名護屋城に全国の大名が集結した。長崎外街の商人たちも秀吉と接見した。「一行の宿にアントニオという若者、ポルトガル語、広東語に通じ、ことに南蛮菓子の達人であった」と記されていた。
秀吉はポルトガルの菓子を食べて「この菓子の名は何という?」「カステラと申しまする」これで「カステラ」は全国区になった。秀吉にみごとなまでに取り入り、ついに長崎代官になる。名はアンにオに変えて「等安」を授かる。この時以来カステラはキリシタンと、運命を共にすることになる。
とくに秀吉の「伴天連追放令」から始まる弾圧はカステラに暗い影を落とした。決定的だったのは、1638年の島原の乱で地上からキリシタンが消滅したかのような事件だった。カステラをはじめ、あらゆる南蛮、伴天連に関するものを持つものはすべて処罰される恐怖の時代がつづいた。
1865年に浦上の信徒が、献堂なった「大浦天主堂」で信仰を告白しました。またこの年に現代のカステラ「五三焼」が生まれました。五三焼が世に出ることによって、ふたつの奇跡が誕生したのです。
元来た坂を下ります。前方には鶴の港・長崎港が見えます!
グラバー坂から見えた船が行き来する長崎港
コルベ神父の「身代わりの愛」
国際電信発祥の地
長崎電信創業の地
南山手居留地
しっかし、長崎はいろんな碑が無造作に建ってますよね!
日本初の碑も多いです!
長崎バス観光さんのパンフレットには「長崎の日本初リスト」が載ってましたよ
長崎の日本初リスト
じゃがいも
スイカ
玉ねぎ
汽車
有料道路
石橋
鉄橋
アスファルト
美術展
バドミントン
ボウリング
カステラ
ちゃんこ鍋
缶詰
メガネ
写真機
じゃんけん
ビリヤード
などなど・・・ 他にもたくさん!
「他にもたくさん!」だって~(笑)
長崎、すごいですねー!!
南山手居留地跡
国際電信発祥の地跡
大浦天主堂停留場(大浦天主堂電停)
あゝ、長崎はうつくしい。。。
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有馬キリシタン遺産記念館(原城跡見学の前に立ち寄るのがベスト)
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