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村内 伸弘(むらうち のぶひろ)村内伸弘の彼女

からゆきさん悲史を物語る島原市・台山天如塔(理性院大師堂)。からゆきさんの水色の塔

天如塔と東南アジアへ売られた長崎県島原半島や熊本県天草諸島の貧しい家庭の娘たち。。。からゆきさんの名前を留めた日本唯一の遺跡

台山天如塔(うてなさん てんにょとう)


役行者・神変大菩薩


虚空蔵菩薩


普賢菩薩
令和2年(2020年) 7月20日 村内伸弘撮影



僕は今、長崎県の島原市内を歩いています。


島鉄バスのターミナル(駐車場)がありました

島鉄(島原鉄道)バスターミナル


ちゃんぽんの小売致します  60円


眉山(まゆやま)の存在を抜きにして島原は語れません。


島原鉄道株式会社の建物。使われていないようでした


社長のタピオカ


あまりにも中華チックな雰囲気なので寄るしかない!って思いましたが、写真だけ撮って先を急ぎます 笑


龍馬が歩いた道 島原街道


写真館がありました


島原美女を発見~ん


島原の女性ってとてもキレイですね♪♪

この娘(こ)とならば、すぐにでも結婚しちゃいます 笑


やっぱり島原鉄道の本社移転したみたいです。


弁天山 理性院 大師堂


目指していた台山天如塔(うてなさん てんにょとう)がありました!


痛魂と刻まれた石碑


碑文も刻んでありました

ああ、紅怨の娘子軍(じょうしぐん)


海を渡った からゆきたちよ

アジアに果てた 慰安婦たちよ

塔のある聖地に 来りて安らえ


合掌


平成4年11月21日

山田盟子



家が貧しくてお金で東南アジアに売られてしまった女性たち。。。
この島原半島や熊本県天草地方の貧しい家庭の娘さんたちのことを思うと、胸が締め付けられます。。。


弁天山 理性院 大師堂 施設案内図


台山天如塔と玉垣


台山天如塔

台山天如塔は「からゆきさん」と呼ばれる、島原の悲しい歴史の記録でもあります。

明治から昭和初期にかけて、島原半島や熊本県天草地方の貧しい家庭の娘たちは、外貨獲得の為東南アジアへ売られていきます。

からゆきさんと呼ばれた彼女たちは、ほとんどが外国での過酷な環境の中死亡し、故郷に戻ることはできませんでした。

廣田言証師は南方の巡礼先で彼女たちの供養を行います。

その行いが生き延びたからゆきさんたちの帰依を呼び、天如塔建設への寄進となりました。

周囲にある人名・地名・金額が彫られた無数の古い玉垣はその記録です。


台風などの影響で破損が著しい状態でしたが、市民有志らの募金活動により、2014年に修復されました。

その他、境内には「十二支本尊」「松島弁天財堂」などがあります。

島原市ホームページより引用



天如塔(てんにょとう)の由来

当院の開祖言証師は明治39年(1906年)12月から 2年半をかけて単身インドの仏跡巡礼を達成。帰路ラングーンの寺でニ尺一寸(63cm)の大理石の如来像を贈られ、帰国後奇進された浄財で塔を建立。最上階に安置し天竺(インド)の如来像であることから「天如塔」と命名。

浄財の多くは師が東南アジアで出会った「からゆきさん」からのものであったことから、唯一の「からゆきさん」の遺跡とされており、島原市指定有形文化財・長崎県景観資産建造物となっている。

塔が八角形となっているのは、仏が座す 8枚の花弁を持つ蓮の花の台座を意味する。

上り下り別々の螺旋階段は希で、上りの途中には死者の成仏を願う各年忌の仏が安置され、無事下り終えれば安産が約束され、如来像のもとに 88回登れば即身成仏子孫繁栄、万の願いも成就すると言い伝えられている。尚、塔を囲む玉垣の石柱等に刻まれた金額は現在の約一万倍に相当する。

(平成26年記)


青空に映える天如塔


役行者・神変大菩薩
奈良時代の山岳呪術者で後世に修験道の開祖とされる


役行者・神変大菩薩


千手観世音菩薩


虚空蔵菩薩


メチャクチャ良いお顔です!!救ってくださるのは間違いなさそうです(笑)

普賢菩薩


大日如来


紀念大師


廣田言証和尚の像


開山 廣田言証和尚


はだしの坊さま


台山天如塔(理性院大師堂)を後にします。


からゆきさん

九州南西部の貧しい地域の出身者が多かったからゆきさんは、巨大な売春婦社会(主に中国系、一部マレー系とインド系およびヨーロッパ系)の一部をなしていた。主にシンガポールや他の東南アジア諸国の農園、鉱山および建築現場で働く、独身の中国人や印度人出稼ぎ労働者に性的なサービスを提供していた。1877年には、日本人の売春宿は 2つのみ、売春婦も 14人しかいなかったが、1903年頃にはすでに 99軒に上り、売春婦の数も 585人にまで急増した。日本人総人口(947)の半分以上も占めていた。二十世紀前半、日本が経済成長による経済活動の国際化につれ、からゆきさんの存在を国の恥とされ、つい 1920年にシンガポールで認可されていた日本の売春は廃止された。


東南アジアにおける「からゆきさん」が一般的に知られるようになったのは、1970年代ごろである。日本での女権運動が高まるなか、山崎朋子氏が1972年に「サンダカン八番娼館」を出版し、また日本を代表する社会派映画監督の熊井啓がそれを映画化した。からゆきさんのおさきさんを演じた主演の田中絹代氏がベルリン映画祭で銀熊賞(女優賞)を獲得し、「サンダカン八番娼館・望郷」はアカデミー賞にもノミネートされた。

シンガポール都市論より引用



しばし島原の街並みをお楽しみください♪♪

土神


猿田彦大神


お地蔵さんもいました


南無地蔵大菩薩



からゆきさん悲史を知ったばかりなので、こういった石碑がすべて切なく見えてきます。



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