島原・江東寺のねはん像(説法涅槃大仏像)と松倉重政公・板倉重昌公の墓
日本の寝仏!涅槃仏!大寝釈迦仏!長崎県島原市江東寺の釈尊涅槃像は昭和32年/1957年、奈良信貴山・福崎日精師の作で、身の丈8.1mの鉄筋コンクリート造りとしては日本最大のねはん像です!
クシナーラーの沙羅双樹の下で入滅したお釈迦様
ねはん像(説法涅槃大仏像)
令和2年(2020年) 7月21日 村内伸弘撮影
▼ねはん像の動画
動画制作: 村内伸弘(ムラウチドットコム)
動画制作: 村内伸弘(ムラウチドットコム)
天気予報が外れて晴れました!
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スカイブルーの車体がイケてます。気に入りました~☆
江東寺(島原市)のねはん像に向って出発進行!
夢 北村西望作
自転車から下りずに写真撮ってることが台座でバレバレ (^^;
日本では珍しいねはん像(寝仏)がある江東寺方面へレンタル自転車を走らせます
島原の街中にはレンガ塀がごく普通にあります
格子戸も普通にあります
島原は実にビューティフルです!
歩くよりぜんぜん疲れないし速い(笑)
自転車のペダルを漕いでドンドン進みます
切子トーロー受付中
島原では初盆を迎えた家に親戚や知人から灯籠を贈る習わしがあるそうで、切子トーロー(切り子灯籠)はお盆の 8月14日まで自宅に飾って、8月15日に精霊船に飾り付け有明海に流すそうです。それが故人の追悼になるそうです。
おーーっ!島原街めぐりってスゴイスゴイ!!街並みが確実にアートしています!!
夏なのにしめ飾りが飾ってあります
武家屋敷もそうでしたが、島原の街をめぐるとタイプトリップ感を味わえて楽しいです♪♪
本格焼酎 長崎特産 「龍馬伝」 山崎本店酒造場
雲仙島原の天然水使用
山崎本店酒造場の真横を通ると江東寺にたどり着けるみたいです
ねはん像のある江東寺にたどり着きました。江東寺は島原城を築いた松倉重政公の菩提寺です。
江東寺(こうとうじ) 島原市中堀町
豊後山。江東寺の境内に小高い丘があります、ここは豊後山と呼ばれているようです。
涅槃像(説法涅槃大仏像)の説明
涅槃像(説法涅槃大仏像)
涅槃(ねはん)とは煩悩の火を焼きつくして智慧が完成したさとりの境地を指す言葉であるが、釈尊の入滅を指す言葉としても用いられる。この像は釈尊が悟りを開かれてより 45年間の説法の旅を終えられ、故郷に近いクシナーラの沙羅双樹の下で入滅(涅槃)に至るまで説法をつづけられた最后の尊いみ姿である。
お涅槃の御足さすりて 泣く媼(おうな) 也空
三千の墓群を統べて 大寝釈迦 也空
説法涅槃像島原大仏
そしてそして、いらっしゃいました~
ねはん像/涅槃像(説法涅槃大仏像)
タイとか東南アジアではよく見かけますけど、日本で横になった仏像ってほとんどないと思うんで新鮮です。手を合わせてお参りします。
僕も記憶がないんで、たぶん日本国内では生まれて初めてねはん像を見たと思います。身の丈 8.1m、結構大きいです。昭和32年/1957年、松倉重政と板倉重昌の霊を供養するために建立されました。
台座は歴代住職の納骨堂になっています
クシナーラーの沙羅双樹の下で入滅したお釈迦様
頭部には信者による写経 1万巻が納められています。目は薄く開いているようにも見えますが、閉じている(または今まさに閉じようとしている=入滅されようとしている)と思います!
ねはん像の指先(お釈迦様の指先)
ねはん像の足先(お釈迦様の足先)
ねはん像の足の裏の大法輪の相(仏足石)
豊後山(江東寺境内の小高い丘)から見た江東寺境内の様子
雲仙岳の眉山(まゆやま)がこのお寺を見つめています
ねはん像の背中(お釈迦様の背中)
ねはん像の後頭部(お釈迦様の後頭部)
ただただ美しい島原の風景
手水(ちょうず)
木や葉が映り込んで見事です
蘇鉄(ソテツ)の由来
蘇鉄(ソテツ)、折れたか切られたかしちゃってるようでした。。。
でも、よく見ると復活の兆しが!!
がんばれ蘇鉄っ!春日八郎の「長崎の女(ひと)」に出てくるあの蘇鉄です
松倉重政の墓&板倉重昌の墓
お釈迦様は臨終のまぎわ迄弟子達に懇切なる説法をなしつつ 80歳の 2月15日の夜半涅槃寂定に入らせ給うたのであります。その臨終のお姿であります。
そうなんですよねー
2月15日。僕・村内伸弘はお釈迦様が死んだ日が誕生日なんです。お釈迦様の生まれ変わりなんです 笑
続いて藩主・松倉重政の墓、そして「島原の乱」鎮圧の上使・板倉重昌の墓にお参りします。
睡蓮(スイレン)の葉っぱ
藩主・松倉重政の墓
島原城を築城した藩主(大名)です。
造花ですが、ピンク色がうつくしいです♪♪
寛政4年(1792年)の大震災で流出し、のちに掘り出された元々のお墓。
続いて「島原の乱」鎮圧の上使・板倉重昌の墓にお参りします。
「島原の乱」鎮圧の上使・板倉重昌の墓
板倉重昌は島原の乱幕府追討軍の総帥です。
供えられたお花がとてもキレイです
寛政4年(1792年)の眉山崩壊で土中に埋もれ行方不明になったが、文政5年(1822年)に発見された元々の墓。
日本全国津々浦々、お寺の数は夥しい数ありますが、お釈迦様が横になっている像を見たのは初めてです。ありがたや、ありがたや~☆
島原最高っ!!
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