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八王子「滝山城趾に立ちて」 大正15年/1926年 府立二商(東京府立第二商業学校)2年 村内村雄

東京都八王子市の滝山城跡について僕のおじいちゃんが府立二商 2年生の時=14歳の時に書いた文章です。旧字体などは僕が新字体に直しました。

八王子「滝山城址に立ちて」

八王子・滝山公園(滝山城址)

滝山城址 平成22年(2010年) 7月2日 村内伸弘撮影



八王子にある滝山という地名が武士たちにとって、滝は落ちる(=城が落ちる)となり、良くない地名だったという話があって、父親が追悼集に載っているこの文章を僕に大きな声で読み上げてくれました。滝山の地名の話は八王子に生まれ、育ち、暮らしている僕も初めて知ったのですが、自分の父親が祖父の少年の日の作文を全文読み上げた、忘れられない朗読になりました。


「嗚呼古城なにをか語り 岸の波なにをか答ふ 過し世を静かに思へ 百年もきのふのごとし」。14歳の少年のこの詩、島崎藤村の千曲川旅情を思い出すような名文ですよ~☆



"桑都" 第五号(大正十五年発行)
滝山城趾に立ちて
二年 村内村雄


時は八月上旬、天気晴朗、暑熱焼くが如し。我は汗を流してようやく、「北条氏照の城趾」と標札ある所に立ちぬ。急勾配の坂を登れば広場あり、左手に大井戸あり、深さ十丈(約31m)余、これ氏照の作りたるものなり。現今は底に水なく雑草生え繁りて底も微かに見ゆるのみ。広場の隅には数十株の桜、今が春ならいかばかり美しからん。正面には村社加住神社あり。石段を登ること三十にして神社の前に立ちて拝す。


顧みれば木の間隠れに富士の雄姿見ゆ、神社の後方は雑草生い繁りたる広場あり。その中に女王の如く気高く、背高く、花大なる山百合が遠近に咲けり。この辺を本丸と言いしなり、二乃丸、三乃丸等ありと言うが我知らず。


古櫓有りし所に立つ。この付近には周囲六尺(約1.8m)以上の老松数本あり。その根蟠屈(ばんくつ)して地上に現出したるもの多し。この大樹にありし昔を問はば、いかなる秘史を語るらん。右手の深谷には老杉生い茂り、昼なお暗し。この山中に人影一つ無く、ただ蝉の声、松風の音のみ。


我は涼み台に腰を下ろす。脚下数百尺、多摩川の清流は秋川と合して、とうとうと岩を噛み、静かに深淵をなす、脚下に部落あり、この名を滝と言う。氏照に奸臣ありて「この地を滝と言う、滝は不吉なり」と告げて元八王子に城を定めたるなりと。この地に城の有りし時は、かの猛将武田信玄は対岸なる拝島村を本陣となして攻めしが落城せざりしと言う。元八王子城にては城は焼失され、落城の悲しみが来たりては、氏照は悲憤の涙を止め得ざりしと。現に拝島村に信玄が建立せし大日堂あり。堂は壮大、美麗を極む。


多摩川の河原を見下ろせば、一寸法師か、はた蟻か、深淵の付近にうごめくは、赤銅色に染めなせる子供ならん。多摩川以北は関東の大平野の一部にして、遠方遙かに空と平野と相接して一線となる。立川飛行隊の格納庫も、平原を走る電車も、家もマッチ箱の如し。


この大平野より吹き来る風は、脚下の白百合の香を、ともないて吹き、また一吹き、すでに我は暑さを忘れたり、おお大地はゆらぎ、大風雨あり、大雷あり、動物は死し、また生まる。世は文明に進み、変遷ここに何度か。何百年の風霜を過ぎし現今、唯変り無きは流れの音と、松風の音のみ。あわれ矢飛び交い、屍累々とし、馬嘶き、人走せ、鎧朝日に輝きし、この古城を今もなお物語るは、ただ松風の嵐と流れのみ。


※大正15年/1926年当時、滝山城趾は八王子市ではなく加住村でした



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