長崎・聖コルベ記念館(聖者コルベ師資料室)で "愛の殉教者"コルベ神父の生き様と死に様を知る
聖マキシミリアノ・コルベ記念館(長崎県長崎市本河内 2-2-1)
コルベ神父が伊崎貞子さんに送った無原罪の聖母像
ワタシ、日本、ワスレマセン。日本人ノタメ、働キマス。
コルベ師の手紙とマリア像は、一女性の人生を支えてきた
聖コルベの部屋の無原罪のマリア像
平成30年(2018年) 8月25日 村内伸弘撮影
本河内ルルドで祈り、コルベ神父像の前で頭を垂れ、次に入ったのは「コルベ記念館」です。コルベ神父の清らか、かつ峻烈なシャワーを浴びて、暑さも相まって僕はノックアウト寸前です。
でも、来て良かったーっ
本当に良かった。
長崎は奥ゆかしいです。
こんなにもすばらしい場所があるなんて、ガイドブックにはほとんど載ってませんよ。
この聖母の騎士一帯の磁力に僕はグロッキー(死後w)です。
すばらしいです!
実にすばらしいです!!
総仕上げで「聖コルベ記念館」に入ります!!!!
聖マキシミリアノ・コルベ記念館(聖コルベ記念館)
聖マキシミリアノ・コルベ記念館
ERECTUM Anno Domini Aug.1986
聖コルベ記念館の入口
入口に掲げられていた絵画
中央の絵はまさにコルベ神父が死刑囚の"身代わり"を申し出た瞬間です!!!!
できない。。。
僕にはできない。。。
絶対に絶対にできない。。。(泣)
僕もあなたも、コルベ神父には絶対になれない。。。
木のマリア像
コルベ神父が呼んでいる 祈りなさい こころが安らぐ
登明修道士(小崎登明/おざきとうめい)
コルベ神父のイス
▼聖コルベ館館長の小崎登明修道士のお話
ルルド - マリアの恵みがここから流れる
1932年(1932年)コルベ師がキソを開き、1939年(昭和14年)サムエル院長時代に完成した
ルルドの聖母
聖者コルベ師資料室
ルルドの奇跡 永井隆
かなりシッカリした作りの小冊子でした。
「壮絶かつ克明な記録(長崎大司教 高見三明氏)」です。僕も東京に帰った後に読みましたが、永井博士の魂が書かせた文章だと感じました!
永井隆博士の「ルルドの奇跡」の冒頭部分だけ、みなさんにもぜひ読んで頂きたいと思います。そして、この聖コルベ館や永井博士の如己堂や永井隆記念館に足を運んでみてください。もちろん、大河内ルルドにも巡礼してくださいネ。
ルルドの奇跡 永井隆
幼な子となって聖母を愛し奉る。幼な子の心をもって聖母に感謝し信頼を委ね、そのみ名を賛美し奉る。そうしてここに謙遜に慎重に回顧し研究したのち、確信をもってかつ科学者の良心をもって公に私は宣言する。
「ルルドの聖母は奇跡を行ないたもう」と。
しかり。確かにしかり。ルルドにおいて聖母は奇跡を行ないたもうのである。
ポーランド人形 2004年10月
資料室入口横に置いてありました。カラフルな民族衣装がステキです
愛の殉教者 聖マキシミリアノ・マリア・コルベ(1894年-1941年)
聖母の騎士会 創立者
「私たちは悪に対する手段を考え、けがれなき聖母を通してイエスの聖心に人々を導き、私たちの兄弟を永遠に幸せな者としたい」(聖コルベ)
聖コルベの取り次ぎを求める祈り
いつくしみ深い神よ、あなたは司祭殉教者聖マキシミリアノ・マリア・コルベを、けがれなきおとめマリアへの愛に燃え立たせ、霊魂の救いに対する熱意と隣人愛で満たしてくださいました。聖人の取り次ぎを願うわたしたちが、あなたの栄光のために、隣人への奉仕にたゆまず励み、死に至るまで、おん子の忠実な弟子になることができますように。アーメン。
カトリック長崎大司教認可
発行: けがれなき聖母の騎士会
聖コルベの部屋(コルベ神父が使っていた部屋)
無原罪のマリア像
コルベ神父はどんな気持ちでこのマリアさまの像を見つめていたのでしょうか?
キリストと聖母マリア
コルベ神父の体は一般の人と同じように、この焼き場で燃やされ灰となった。コルベ神父は生前語っている。「私は灰となって世界に飛び散るでしょう」。彼は世界に平和を告げるため愛の殉教者となって命をささげた。
聖母の熱愛者 マキシミリアン・コルベ神父(コルベ神父伝)
友のために死すこれにまさる愛はない
一人が逃亡した日、仲間の者たちはここに集められ、所長は10名を餓死の刑に処すると言い渡した。×印でコルベ神父は身代わりを申し出た。
アウシュビッツのコルベ神父
長崎の街で雑誌を配布するゼノ修道士
ゼノさんもコルベ師と同じ愛に生涯を生きぬいた。
「長崎の子ども、日本の子ども、ニンゲン、コレ、ミナ、オンナジヨ」
「あなた、わたし、ミンナ、兄弟デス」
「ニンゲン、コレ、ミナ、同じメーカー」
「コルベ神父サマ、自分、ホメル、イイマセン」
「人間は皆、兄弟であり、平等である」がゼノさんの信念だったそうです(小崎館長)
一巡したところで、数枚のアンケケーを見せてくれた。その中で、九歳の女の子の感想文が目にとまる。「いろいろな場所に行って、食べる物がない人に、パンやキャラメルなんかをあげているゼノさんの写真がいっぱいあって、ゼノさんはとってもやさしい人だと思いました」(この一文こそ、ゼノさんを短く、上手に表現している)と共感した。
昭和20年、終戦の年、17歳の私は、原爆で家を失い、母を失い、雨の日に傘も持たず、ずぶぬれになって聖母の騎士修道院の扉を叩いた。受付で、しっかりと抱きしめてくれたのが、ゼノ修道士だった。ポーランド人ゼノ修道士の暖かな息づかいを忘れない。
「ゼノ修道士のカバン」
聖母の騎士修道院 小崎登明
ここ聖コルベ館で上記の「ゼノ修道士のカバン」という小崎登明修道士が書いた小冊子があったのでもらってきて、東京で読んだのですが A5サイズでたった 4ページの文章ですが実に素晴らしく温かく泣きたくなるようなものでした!!
尊者 エリザベト・マリア 北原怜子(さとこ)
「東京で戦争の犠牲となり、顧みられなかった貧しい人々に喜びをもって自らを与え」「素朴にキリストに従い、自らをすべての人にささげるキリストと一つに結ばれ、感傷からではなく心から蟻の街を愛し、すべてをささげました。」
「蟻の街に住み込んだのは、人道主義や博愛主義からではなく、へりくだって徹底的にすべての人を愛されたキリストのように生きたい、と思ったからです。」
「すべてを手放して蟻の街に身を投じ、素朴に純粋に他者を大切に思って生涯を捧げた姿は『愛の殉教者』と言えるかもしれません。」
ローマ法王ヨハネ・パウロⅡ世 歓迎の言葉
法王台下、ようこそ長崎においで下さいました。長崎の市民は、すべてをあげてあなたを歓迎いたします。
わたしどもは、あなたのおいでを長い長い間待ち望んでおりました。
あなたは平和の使徒です。世界の中であなたほど人類の平和に力を持っているかたはいないと思います。
法王台下、三十六年前、このわたしどもの頭の上五百メートルで世界で二番目の原子爆弾が炸裂しました。七万四千人が死に、七万五千人のかたが傷つきました。
そのとき以来、心も体も、被爆の悲しみに耐えながらわたしどもは、核兵器をなくそう、永遠の平和を実現しようと世界に向って叫びつづけてまいりました。どうかわたしども長崎市民の平和への願いをあなたの力によって世界にお伝え下さい。
法王台下、どうか、この長崎をごらんください。この街は、四百年前、イエズス会員によって開かれた街です。当時、信仰と文化の光がこの街にさしそめました。
また、ローマへ向って四名の少年使節がこの港を船出しました。しかし、その後約三百年にわたって、この長崎を中心に迫害の嵐は吹き荒れました。今から百年前、やっと信仰の自由が認められたのです。
長い栄光の歴史の街、殉教の思い出の山や丘、原子爆弾の恐ろしい炸裂---
法王台下、重ねてお願いを申し上げます。
わたくしどもは、あなたの偉大なご人格と、あなたの世界に与えるすばらしいカを信じております。平和への長崎市民の祈りと願いが実現いたしますよう、神様にお祈り下さい。
そして全世界に、永遠の平和の実現をお伝え下さい。どうか、法王台下、世界平和への先頭に立って下さい。
法王台下のご健康と、限りないご活躍をお祈りいたします。
昭和56年2月26日 長崎市長 本島 等
この本島市長は後に「(昭和)天皇にも戦争責任はあると思う」と発言して、右翼に銃撃された市長です。文章からもその無骨さや信念の強さを感じます。名文だと思います!
ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世
聖コルベの部屋でサインをされる
(左)ようこそパパさま 感激で胸いっぱい
(右)庭に立つコルベ師像に花輪を献げられる
コルベ神父は、昭和11年(1936年)の春、長崎を去り、ポーランドへ帰国した。その後彼は 5年間しか生きなかった。その間、第二次世界大戦がはじまり、恐怖のアウシュビッツ強制収容所に入れられ、一人の死刑囚の身がわりとなって餓死の刑をうけ、亡くなった。「友のために生命を捨てるより大きな愛はない。」(聖書のみことばより)
コルベ神父は東洋にも Niepokalanow(ニェポカラノフ)をつくるため、日本に布教し、キリシタンの街・長崎に修道院を建て、小雑誌「聖母の騎士」を発行した。彼は 6年間、長崎で生活し、院長、編集長、司祭、大浦神学校教授をつとめ、邦人会員の養成、そして美しいルルドを開き、長崎市民の心の師となった。
長崎市民の心の師!
<献身の愛に殉じた聖者>
マキシミリアノ・コルベ神父
マキシミリアノ・コルベ神父は、1894年、ポーランドで生まれた。自己のすべてをけがれなき聖母に奉献すること、聖母マリアを通して神へ至るという強い信念を持っていた。33歳のとき、ポーランドにニエポカラヌフ(無原罪の聖母園)修道院を創立、同神父に共鳴した若者たちが集まり、全盛時には 722人の修道士を数え、世界最大の修道院となった。また布教のため「聖母の騎士」というパンフレットを発行、のちに月刊100万部に達したほどだった。
コルベ神父は修道院が軌道にのりかかった頃、日本人学生と会い、東洋への布教を思い立つ。1930年、長崎へ上陸、大浦天主堂の近くに修道院を設け、1ヵ月後に日本語の「聖母の騎士」誌を発行した。以後6年間、苦しい生活の中で肺病とも闘いながら布教を続けた。
1936年、修道院の会議のためポーランドに帰国したが、第2次大戦中、ナチス・ヒットラー軍に捕えられ、アウシュビッツ収容所に送られた。1941年、同収容所で自ら死刑囚の身代わりとなり餓死刑室に入り、毒殺された。
1982年10月、コルベ神父は聖者の位に列せられた。
死刑になった若い父親の身がわりとなって餓死の地下牢へくだる。8月14日、聖母被昇天祭の前日に隣人愛のために尊い生命をささげた。
訪問記念スタンプ(聖母の騎士参詣記念)
1932年ルルドを開く
長崎市本河内(ほんごうち)の山に立たれて無原罪の聖母の園の建設を思念せられるコルベ神父
長崎「それはうつくしい山とうつくしい海のある小さな町だよ。坂道が多くてね。」コルベ神父
「お前は自分がどうなるか知っているのか」
「知っています」
「お前は自分がどうなるか知っているのか」
「知っています」
長崎愛した遠藤周作さん
1996年(平成8年) 10月6日 読売新聞
「死を宣告された囚人のため身がわりになって飢餓室に赴いたコルベ神父」
「私は神父です。だから妻も子もいません。あの人のかわりに私を処刑してくれませんか」
皆さん、ぜひ長崎に来たら、ここ聖母の騎士に必ず立ち寄ってください。そしてこの聖コルベ記念館に来てください。そして、スタスタスタとそそくさと観てまわるんじゃなくって、ジックリと展示物の一つ一つをご覧になってください。文章一つ一つ噛みしめながら読んでみてください。僕はそうしました。
というか、そうせざるをえませんでした。
コルベ神父の生き様と死に様は壮絶でした。
- これは私の宝ものです -
ワタシ、日本、ワスレマセン。
日本人ノタメ、働キマス。
コルベ師の手紙とマリア像は、
一女性の人生を支えてきた
本当に感動的なことです!人生、こうじゃなくっちゃいけません。劇的で、甘美で、やさしくて、人間はすばらしいです!!
The statue of the Virgin Mary of Father Kolbe
コルベ神父のマリア像
お顔がとっても、とってもステキです!!
伊崎貞子さんの一生を支えた無原罪のマリア像
コルベ神父から贈られた無原罪の聖母像を胸に抱く伊崎貞子さん
涙が出てきます。
うつくしいです。。。
資料館出口にはいろいろな本が並んでいます。
聖母文庫目録(INDEX)
遠藤周作と歩く「長崎巡礼」
西九州キリシタンの旅 ← この本を僕は買いました
コルベ記念館、本当に本当にすばらしかったです!
長崎に旅する人はグラバー邸は行くでしょう、オランダ坂も行くでしょう、稲佐山から夜景も見るでしょう、ハウステンボス(佐世保)まで足を伸ばすのかもしれません。
でも、このコルベ記念館を訪れる人はとても少ないと思います。
僕からのお願いです。
ぜひ、このコルベ記念館と本河内ルルドも長崎旅行のルートに入れてみてください。
せっかく、長崎まで来て、ここに来ないなんてもったいないです。
僕・村内伸弘からのお願いです。
大浦天主堂の近くにある聖コルベ神父記念館のビラ
※この記事で僕が訪れた記念館とは別の記念館があります
身代わりの愛 SCAPEGOATER FOR OTHERS
認定こども園 聖母の騎士幼稚園
もし僕に子供がいたら、ぜひとも我が子をこの幼稚園に入れたいなぁ~
空が青い長崎!雲が白い長崎!心がきれいな長崎!
最高!最高っ!最高~~~っ!!
PS
最後になりますが、「平和学習についてのご案内」という A4のコピー用紙があったので転載します。学校関係者の方々はぜひ生徒や児童、学生たちと一緒にこの聖コルベ館にみんなで訪れてみてください。
平和学習についてのご案内
聖コルベ記念館
聖母の騎士学園と同じ敷地内に、聖コルベ記念館(資料室)があります。
ここには年間 6,000人ほどの見学者が来館されますが、そのうち半数は「平和学習」をおこなう児童・生徒・学生たちです。
コルベ神父は東ヨーロッパの国・ポーランドの宣教師で、昭和の初めに長崎市へ来て、本河内(ほんごうち)に聖母の騎士学園の前身である学校を設立しました。6年間、長崎で生活した後、ポーランドへ帰国しましたが、やがて戦争に巻き込まれ、強制収容所 「アウシュビッツ」へ入れられました。
そこで、失望した人々や悲しむ人を助け、慰め、励まし、収容所に生きる希望と勇気を与えました。そして昭和16年(1941年)、収容所の中で、死刑を言い渡された 1人の父親の身代わりを申し出て、餓死の地下室で、愛のために命を捧げました。
コルベ神父の生き様を学ぶため、昭和56年(1981年)にはヨハネ・パウロⅡ世教皇が、そして翌年にはマザー・テレサも来館されています。
コルベ神父は、教皇ヨハネ・パウロ2世から 「聖人」の位に上げられ、聖コルベ記念館(資料室)が建てられました。館内にはコルベ神父の居室や遺品が展示されています。被爆者の修道士が案内しています。
コルベ神父の生き方は、敵をも許す 「温かい心」、困難が訪れても 「逃げない勇気」、皆を 「助け、支える心」、更には 「いのち」の尊さ、大切さを教え、平和の原点は 「人間の痛みを分かる心を持つ」ことであると示しています。
また、敷地内に併設されている教会やルルドと呼ばれる洞窟のマリア像の見学もできます。
長崎市内の公立中学校の生徒も見学し、平和を学んでいます。貴校でも、ぜひご検討ください。
入館料無料です。来館の際には事前に連絡してくださいということです。
先生方!ぜひ長崎に平和学習や修学旅行に行って、この聖コルベ記念館をコースに入れてあげてください。
▼今回の長崎旅行
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