16670はアウシュビッツの聖者 コルベ神父の囚人番号。カトリック赤羽教会に入堂しました♪♪
受刑者名簿には「16670」と書き入れられた。聖人とはまさに幸福な人のことである。Maximilianus Maria Kolbe 1894~1941
聖コルベ カトリック赤羽教会
令和5年(2023年) 6月11日 村内伸弘撮影
赤羽を歩き終え、八王子に帰ろうとしたその時!
えーっ!
なんとコルベ神父の聖母の騎士幼稚園がありました!!
学校法人聖コルベ学園 聖母の騎士幼稚園
コルベ神父は僕が尊敬する長崎の神父さんです!!
"アウシュビッツの聖者"と呼ばれ、アウシュビッツで身代わりの愛を実践した "愛の殉教者"です。
収容所所長は無差別に 10人を選び餓死刑に処すと宣言した。息詰る時間が流れ、10人が選ばれた。
その中に、突然妻子を思って泣き崩れた男がいた。囚人番号 5659、ポーランド軍軍曹のフランシスコ・ガヨヴィニチェク。彼はナチスのポーランド占領に抵抗するゲリラ活動で逮捕されていた。
そのとき、囚人の中からひとりの男が所長の前に進み出た。所長は銃を突きつけ「何が欲しいんだ、このポーランド人め!」と怒鳴った。
しかし、男は落ち着いた様子と威厳に満ちた穏やかな顔で「お願いしたいことがある」と言った。所長が「お前は何者だ」と問うと、その男は「カトリックの司祭です」と答えた。そして静かに続けた。「自分は、妻子あるこの人の身代わりになりたいのです」。
所長は驚きのあまり、すぐには言葉が出なかった。囚人が皆、過酷な状況の中で自分の命を守るのに精一杯なのに、他人の身代わりになりたいという囚人が現れたのだ。
その場のすべての者は呆然となった。しばらくして所長は「よろしい」と答え、コルベ神父を受刑者の列に加え、ガヨヴィニチェクを元の列に戻すと、黙り込んでしまった。
受刑者名簿には、「16670」と書き入れられた。
大浦聖コルベ館ホームページより引用
北区立赤羽公園
うおーっ!赤羽にコルベ神父の教会がありました!!!!
被昇天の聖母カトリック赤羽教会にようこそ
恐れることはない。ただ信じなさい。
赤羽教会は "身代わりの愛"のコルベ神父の教会です
日本管区の創立者 聖マキシミリアノ・マリア・コルベ神父(1894-1941)
コンベンツアル聖フランシスコ修道会日本管区の創立者。1930年(昭和5年)来日し、長崎で聖母の騎士修道院を開設。出版による布教活動を開始し、『聖母の騎士』誌を創刊。1941年(昭和16年)8月14日、アウシュビッツ強制収容所にて、死刑を宣告された同僚の身代わりを申し出て同収容所で殉教。1982年(昭和57年)教皇ヨハネ・パウロ2世により聖人の列に加えられる。記念日は 8月14日。家族の保護の聖人。
カトリック赤羽教会ホームページより引用
カトリック赤羽教会(東京都北区赤羽)
ゴシック様式の空高くそびえる尖塔が印象的な建築です
うつくしいです!
入堂しました。そして、僕は祈りました。
コルベ神父のことを思いつつ、世界の平和を祈りました。
ゼノ・ゼブロフスキー修道士(1981-1982)
長崎で活躍したゼノ修道士の写真もありました
カトリック赤羽教会が「東京都選定歴史的建造物」に選定されました
赤羽教会巡礼記念のスタンプ
ECCLESIA ASSUMPTAE B.M.V. 1949 CATHOLIC AKABANE TOKYO
P16670
16670。赤羽教会はアウシュヴィッツ強制収容所で殉教したコルベ神父の遺志により設立されました。16670はコルベ神父の囚人番号です。
16670はコルベ神父の囚人番号です
受刑者名簿には、「16670」と書き入れられた
という「16670」です
聖母の騎士幼稚園の案内
聖母の騎士幼稚園のモットー「だれもみていなくても」
バス停から見えた赤羽教会
アウシュビッツの聖者 コルベ神父
コルベ神父のことを知りたい方はこの下の僕のブログをぜひ読んでください!
長崎・聖母の騎士の聖コルベ像 「コルベ神父は美しい魂を神に返した。」
長崎・聖コルベ記念館(聖者コルベ師資料室)で "愛の殉教者"コルベ神父の生き様と死に様を知る
コルベ神父について - 長崎・聖母の騎士社 聖コルベ館館長 小崎登明館長
どうでしたか?
コルベ神父のことをもっともっと知りたい方はぜひ長崎を旅してください!
うつくしい長崎で、うつくしいコルベ神父と出会ってきてください!!
コルベ神父が日本へ来た時、彼は二十六聖人殉教者の記録などを読み、自分も殉教したいという熱意に燃えていた。
<中略>
愛の殉教・聖コルベ師、身代わりの愛
コルベ神父は少年時代に、ふるさとの教会の聖母マリアの祭壇で、白い冠と赤い冠を持った聖母マリアの幻を見たという。白は司祭になることを示し、赤は殉教で生命を捧げる神への愛を示していた。
その幻の通り、彼は司祭の道を歩み、最後は第二次大戦中、ナチスのアウシュビッツ強制収容所で、餓死刑に指名された男性の身代わりになり、死を引き受けたのであった。「私はカトリックの司祭です。司祭ですから家族がありません。この人には家族があります。私が身代わりになります」。こうして白い冠も赤い冠の幻も成就したのである。時は 1941年8月14日、彼、47歳であった。
<中略>
「神様がこの世をお造りになったのは、ご自分の光栄と被造物の幸福のためであり、自分は他人の奉仕に生きる者である」。彼が哲学者として、司祭として生涯を通して教えたそのままを、師、自ら実践し、最も幸福な者となりえたのであった。聖人とはまさに幸福な人のことである。
西九州キリシタンの旅 小崎登明 聖母文庫より引用
現代の殉教者 聖人コルベ
Maximilianus Maria Kolbe 1894~1941
ポーランド人のコルベは、3国に分断された祖国を救おうと、聖職者をやめて軍人になることも考えたが、混沌とした時代にこそ「汚れなき聖母の心」をもって日々を行動する人間が必要と思い、第1次大戦中の 1917年、武器を持たず、いかなる敵にも愛をもって戦う「聖母の騎士会」を起こす。1922年から機関誌「聖母の騎士」を出版し、賛同者を増やしていった。
<中略>
アウシュビッツ収容所でおきた脱走事件のみせしめに死刑となる囚人の身代わりをかってでて餓死刑をうけ、他の死刑囚を励ましながら最後まで生き、8月14日薬殺された。47歳の若さだった。1982年、同郷の教皇ヨハネ・パウロ2世によって聖人に列せられる。
旅する長崎学5 キリシタン文化 長崎文献社より引用
聖母文庫 - 無原罪の聖母の騎士
聖母の騎士 - SEIBO NO KISHI CATHOLIC MONTHLY
コルベ神父の遺志を継ぎ、発行され続けている「聖母の騎士」
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