長崎歴史文化博物館で長崎の歴史や文化のすべてが体系的に、時系列で理解できる
「長崎歴史文化博物館」には長崎観光の前に必ず立ち寄って下さい。独自の歴史を持ち、輝きに満ちた長崎のことがよーく理解できます!
伊東マンショ肖像 - 天正遣欧使節、ローマへ
平成30年(2018年) 8月27日 村内伸弘撮影
長崎歴史文化博物館に到着しました。
さっそく中を見学です。
とにかく暑くて暑くて仕方がないので、こういった冷房が効いた場所の見学がこの季節、この時間帯はベストです 笑
長崎歴史文化博物館 長崎県長崎市立山1丁目1番1号
住所の"立山"からわかるように、長崎奉行所立山役所跡に建てられています。
長崎歴史文化博物館
Nagasaki Museum of History and Culture
長崎歴史文化博物館のエントランス(入口)
長崎おきあがりこぼし展が開催中でした。
おきあがりこぼし展を熱心に見学した後、博物館に突入しました。
長崎歴史文化博物館のパンフレット
近世の華 長崎
歴史をたどれば長崎から
独自の歴史をもつ長崎の息吹を感じ、近世海外交流の歴史の中で輝きに満ちた長崎の姿を、あなたの目線で見つけてください。
ハイ、見つけます。見つけますとも。見つけるためにやってきました(^^)
長崎歴史文化博物館のパンフレットの中の展示ゾーン
歴史文化展示ゾーン
1. 西洋との出会い 〜南蛮貿易とキリスト教〜
長崎開港によって花開いた南蛮文化やキリスト教の普及、出島の造成、朱印船貿易など今日の長崎における歴史文化の原点を紹介します。
2. 朝鮮との交流 〜朝鮮通信使と対馬〜
朝鮮通信使、日朝外交に活躍した雨森芳洲など、対馬藩を介して行われた日本と朝鮮半島との交流を紹介します。
3. 長崎貿易 〜唐船、オランダ船と行き交う商品〜
オランダ船や唐船によって長崎に輸入されたさまざまな貿易品や出島を通して海外に輸出された貿易品などを紹介します。
4. 中国との交流 〜唐寺と唐人屋敷〜
航海安全の守護神である媽祖像や復元された唐人屋敷模型などを通して、江戸時代の唐人貿易によってもたらされた芸術や文化を紹介します。
5. 長崎の暮らし 〜長崎の賑わいと町のしくみ〜
貿易都市として独自の歴史と文化を育んできた長崎。今なお、受け継がれる長崎くんちや町のしくみなどを情景展示や実物資料などで紹介します
6. 長崎の美術工芸 〜交流が生んだ異国趣味〜
美術展示室: ヨーロッパや中国の影響を受けた洋風画・漢画・南画・版画など絵画資料を中心に様々なテーマで特集展示を行います。
工芸展示室: 長崎を代表する陶磁器類をはじめ、南蛮漆器・青貝細工・ガラス・べっ甲細工・金工など、異国趣味あふれる長崎の工芸品を紹介します。
7. オランダとの交流 〜出島と蘭学〜
ヨーロッパとの交流の窓口「出島」を通して、もたらされたさまざまな文物・学問(蘭学)をはじめ、長崎ゆかりの出島商館長やシーボルト・阿蘭陀通詞たちの活躍を紹介します。
8. 近代化の魁・長崎 〜長崎発、西洋の知と技〜
幕末から明治にかけて日本近代化の先駆けとなった長崎。ヒト・モノ・情報が行き交う近代長崎の魅力を実物資料や体験コーナーを通して体感できます。
a. 長崎歴史情報コーナー
長崎県の歴史・文化情報のデータベース。長崎県歴史ダイジェスト、県内各地の歴史と文化、テーマ検索、キーワード検索などのメニューがあります。(無料)
c. 観光情報コーナー
長崎市内の観光スポットを検索したり、さるく情報を調べることができます。(無料)
b.【映像ゾーン】長崎交流史列伝
150インチの大型マルチスクリーンで、各コーナーを象徴するような長崎の歴史や文化を関係人物のエピソードなどを交えながらわかりやすく紹介します。
エントランスに置いてあったパンフレットの一つ
憲法も興味あるけど、この MilkShake(ミルクセーキ)というアイドル?グループが気になる。
前回、ツル茶んで長崎の"食べるミルクセーキ"を初体験しましたけど、このアイドルのミルクセーキも見てみたいですっ
この龍馬はカッコイイなあ!自分で撮っておいて言うのもなんですがこの下からの角度は最高にカッコよくないですか?
それにしてもこの龍馬の腕の太さ!カッコいいっす!
坂本龍馬之像(制作者 山﨑和國)
坂本龍馬(さかもと りょうま)
天保6年(1835) - 慶応3年(1867)土佐国高知城下生まれ、土佐藩を脱藩後、長崎で亀山社中を立た。薩上げ、05土佐藩所属の海援隊として藩の貿易を担っち長同盟・大政奉還に尽力するなど、幕末の政治史に足跡を残した-慶応3年11月15日、京都近江屋で中岡慎太郎とともに襲撃を受け死去。
山﨑和國氏の逝去を悼み謹んで哀悼の意を表します
彫刻家 山﨑和國
坂本龍馬像制作の趣旨
司馬遼太郎氏の「竜馬がゆく」に影響を受け、龍馬の生きざまに共感を覚えた。龍馬の夢は理想を実現するため、生命を賭けて日本を洗濯「改革」しようと積極的に行動し「世界の海援隊」を目指して奔走する。志半ばで散った龍馬に、永遠の若さ、海の男のロマンを感じ、腕を組み夢を胸に抱いて世界に視線を向けている雄姿を表現した。1989年長崎市風頭公園に建立し現在に至る。
制作者 山﨑和國
計48,000点もの資料が展示されているそうです。長崎のことを深く広く知れると思うと、もうワクワクドキドキです!
江戸時代のくんち御輿
江戸時代のくんち御輿
1676年(延宝4年)
長崎くんちの神輿の中で現存する最古のものです。1676年(延宝4年)から 1878年(明治11年)まで使われました。その後、諏訪神や森崎神の神輿とともに、福岡県柳川市の三島神社に置かれていましたが、今では三蓋松の神紋を持つこの住吉神の神輿だけが残っています。
長崎歴史文化博物館の順路
現存する最古の地球儀にジパングが!
最古の地球儀
ベハイム地球儀(複製)
Behaim's Globe (replica)
1492年
ニュルンベルグの商人マルティン・ベハイムが製作した現存する最古の地球儀。「ジパング」が描かれており、 『東方見聞録』の影響が見られる。
長崎開港
かっこいい!「天正遣欧使節、ローマへ」
伊東マンショ肖像
天正遣欧使節、ローマへ
伊東マンショ肖像(複製)
Portrait of Mancio Ito Mancio (Replica)
ドメニコ・ティントレット Domenico Tintoretto
1585年頃 ミラノ・トリヴェルツィオ財団蔵 (原画)
本作は 1585年に天正遣欧少年団がヴェネツィアを訪問したことを記念して制作されたもの。父であるヤコボ・ティントレットが制作を受注し、後年ドメニコが加筆し完成させた。
南蛮人
ポルトガル人やスペイン人のことを南蛮人と呼んでいたんですね。
オランダ人は「紅毛人」で南蛮人には含まれないそうです。
南蛮文化
長崎には、そして日本には今も南蛮文化が受け継がれています。
食べ物 テンプラ(天麩羅)
南蛮人たちが、魚に粉をまぶして油で揚げて食べたのが伝来のもとと言われています。徳川家康は、鯛(たい)のテンプラを食べ過ぎて命を落としたといわれています。テンプラは当時、高価な油を使用したため、高級料理でもありました。
食べ物 カステラ
カステラのルーツは、カスティーリャ王国の菓子と伝えられ、わが国では、長崎の村山等安がカステラを秀吉に献上したと言われています。当時のカステラは甘みが少なく、現代のものとは風味が違っていました。
当時のカステラは甘くなかった!これも新事実です。
やっぱり博物館っていろんなことを知ることができるので楽しいです。
しかも、涼しいし 笑
南蛮貿易を描いた屏風
南蛮人来朝之図(複製)
南蛮屏風とは、南蛮船(ポルトガル船)の来航と貿易、南蛮寺と呼ばれるキリスト教の教会などを題材とした屏風。来航した南蛮人の風俗・交易品を知る上で格好の資料と言える。
海外交流の制限
4つの窓口
蝦夷地から → 松前
朝鮮から → 対馬
中国から → 長崎
オランダから → 長崎
琉球から → 薩摩
なるほど!そういうことだったんですね。
キリシタン墓碑
国指定・吉利支丹墓碑(南島原市西有家町)
16世紀後半以降キリスト教の広まりにともない、キリシタン信徒の墓碑として造られたものです。島原半島を中心にした長崎県や九州北部、関西などに 200基ほど残っています。天正9年(1581年)銘の「礼幡」墓碑(大阪府四條畷市/しじょうなわてし)が現在のところ日本最古の墓碑です。慶長15年(1610年)銘の吉利支丹(きりしたん)墓碑(南島原市西有家町)は国指定の史跡となっているただ一つのキリシタン墓碑です。
原城航空写真
島原・天草一揆の経過
原城航空写真
島原・天草地方の領民が益田時貞(天草四郎)を首領におこした一揆で、寛永14年10月(1637年12月)に始まりました。天草を中心に戦闘が始まり、11月になると一揆勢は当時廃城だった原城に籠城しました。幕府軍 12万6千人に対し一揆勢は 3万7千人だったといわれています。幕府軍が兵糧攻めの持久戦に持ち込むと、一揆勢はしだいに弱体化し、寛永15年2月(1638年4月)幕府軍の総攻撃で一揆は終息しました。
松前口・琉球口
朝鮮通信使
江戸の町を進む朝鮮通信使
岡山県牛窓町「唐子踊り」
朝鮮通信使来日一覧表
朝鮮通信使は各地で大歓迎されていたんです!
日本と韓国、日本と北朝鮮もこの時代のようにより仲良くしたいものですね!
さらば南蛮(ポルトガル)、ようこそ紅毛(オランダ)
映像ゾーン(長崎交流史列伝)の大型マルチスクリーン
長崎交流史列伝
オランダとの交流
商館長と通詞の辞書づくり
蘭和辞典 ドゥーフハルマ(道富波留麻)
蘭学
「蘭学」この言葉が明治維新をどれだけ前進させたかわかりません!
僕もこの時代に生まれていたら、「蘭学」を学びたかったです。
和蘭字彙(オランダじい)
1571年 長崎にポルトガル船来航
砂糖袋
世界から様々な船が集まる光景は、長崎の特徴です。
やっぱり長崎らしさはココなんですね。この一文を読んで改めてそう思いました。
貿易船の特徴
阿蘭陀船(オランダ船)
日本の美しい色彩
色絵菊流水文蓋付鉢(江戸時代中期)
中国人のためのお寺って?
長崎には中国人が出身地ごとに建てたお寺があります。これを唐寺(とうでら)と呼びます。今でも市内には興福寺・福済寺・崇福寺そして聖福寺という 4つの唐寺が残っています。
唐寺(とうでら)の創設
崇福寺は福建省福州地方の人たちによって創立されて「福州寺」と呼ばれていたそうです。
媽祖像
航海の神様!媽祖さま!
中央が媽祖像です。長崎に入ってくる中国船に必ず祀られていました。船が長崎にいる間は中国人たちが建てた唐寺に安置され、出航の時に再び船に乗せられました。媽祖は今でも中国などで信仰を集めています。
長崎には中国がいっぱい!
江戸時代の中国との交流は、長崎の暮らしに大きな影響を与えました。長崎くんちの龍踊、お盆にお墓や通りにひびく爆竹の音、端午の節句に食べる粽(ちまき)の味。どれも中国の影響を強く受けた長崎独特の文化として今に受け継がれています。
確かに南蛮もそうですが、中国の影響は長崎により深くより濃く影響していますよね。長崎くんちがいい例です。
中国人たちの宴会
現代に残る中国文化 ペーロン
このあたりも全部中国の影響です。
まあ、日本国全体でも中国からは多大な影響を受けているのである意味、当たり前かもしれませんけどね。
「長崎」← これももともとは中国の文字ですもんね 笑
僕の名前も「村内伸弘」で、中国で発明された文字 4文字で構成されていますからw
唐人屋敷の敷地
唐人屋敷も前々回来た時にちょこっとだけしか見ていないので、全部見たいです。長崎はホント見所満載で、なかなかすべてを見切れないです。
唐人屋敷に出入りする丸山の遊女たち~~
唐人がうらやましいぃー
丸山の遊女
これは見きれなかった!
長崎の町名一覧表
この町名をタップすると、それぞれの町の歴史や町名の由来がでてきます。
全部読みたかったんですけど、時間がなかった。。。
長崎歴史文化博物館はとにかく展示量や情報量が多くてすばらしいです!!
それにしても長崎は町名に味があり過ぎます。
パッと見、各町名ごとに絶対に由来があってそう名付けられているというのが明白ですもんね!
復元町屋
復元町屋の外観
格子がうつくしいです。
でも、中国だけじゃないですよ~
続いてオランダの登場です。
オランダとの交流 ~出島と蘭学~
出島は、日本人にとってヨーロッパを知る窓口でした。ヨーロッパの科学技術や文化・芸術、また世界の情報は、出島を通じて日本に伝えられました。一方、ヨーロッパの人々にとっても、日本を知るための重要な窓口でした。
服飾
オランダの旗
出島のくらしをのぞいてみよう
のぞいてみました。オランダ人たち丸山の遊女?を侍らせてビリヤードに興じてましたw
長崎の蘭学
蘭学とは、オランダ語を通じて西洋の学術・文化・技術などを学ぶ学問のことです。ここ長崎では阿蘭陀通詞が活躍し、江戸で発達する以前から、医学・天文学・物理学・語学の分野で第一人者が生まれました。
蘭癖大名(らんぺきだいみょう)
「蘭癖大名」なんて言葉、初めて聞きました。
やっぱり、やっぱり、博物館は知的興奮にあふれています!!
ドゥーフ 1777-1835
蘭学に必須の辞書を編纂
ヘンドリック・ドゥーフは 23歳でオランダ商館の筆者頭として来日し、その後 1803年から 1817年までの長期にわたって商館長を務めました。その間、イギリス船フェートン号の長崎港侵入など、数々の危機を乗り切り、また阿蘭陀通詞たちと協力して蘭学に必須の辞書といわれた 『ドゥーフ・ハルマ』を編纂しました。
VOCのマーク入り
染付芙蓉手VOCマーク入大皿
Platter marked with VOC
江戸時代
オランダ東インド会社の注文品で、中央に会社の VOC紋が描かれる。皿の縁の部分を 8つくらいに区切り(本作品は 6つ)、その内に文様を描く図柄は芙蓉の花に見立て、芙蓉手と呼ばれる。
風頭(かざがしら)から望む長崎市街と長崎港
ベアト撮影 1866年(慶応2年)
近代化の魁・長崎
近代化の魁・長崎
写真術、商売、出会い・交流、操船術、目移りするほど魅力がいっぱい!
確かに当時の長崎は今の東京以上にワンダーランドだったんでしょうね!
長崎遊学!
長崎を訪れた人々
中国やヨーロッパの最新情報が集まる長崎には、全国各地からたくさんの遊学者が集まりました。学んだ分野は、医学・文芸・美術・語学など多岐にわたります。長崎で見聞を広めた彼らは、新しい学問や文化振興の立役者として、のちに日本の歴史を動かす原動力となりました。
すごいです、長崎は!日本の歴史は長崎が動かしたといっても過言ではありません。
長崎遊学 龍馬はもちろん、吉田松陰先生や高杉晋作などもここ長崎にやってきています!よく見るとすごい面々が長崎にゾクゾクとやってきていたんですね!!
この顔ぶれを見ると当時の長崎がいかにエキサイティングだったのかがよく分ります!
新たな学問や思想を広めた人々
平賀源内(香川県)、前野良沢(大分県)。大槻玄沢(岩手県)、高野長英(岩手県)、緒方洪庵(岡山県)、三蒲梅園(大分県)、貝原益軒(福岡県)、伊能忠敬(千葉県)、頼山陽(広島県)、林子平(東京都)
幕末~明治維新の立役者たち
鍋島直正(佐賀県)、河井継之助(新潟県)、勝海舟(東京都)、榎本武揚(東京都)、高杉晋作(山口県)、後藤象二郎(高知県)、坂本龍馬(高知県)、木戸孝允(山口県)、吉田松陰(山口県)
日本の近代化を推進した人々
中江兆民(高知県)、佐野常民(佐賀県)、福沢諭吉(大分県)、大隈重信(佐賀県)、西園寺公望(京都府)、五代友厚(鹿児島県)、伊東博文(山口県)、前島密(新潟県)、井上馨(山口県)、小村寿太郎(宮崎県)、岩崎弥太郎(高知県)。松方正義(鹿児島県)、陸奥宗光(和歌山県)、副島種臣(佐賀県)、大村益次郎(山口県)
芸術・文化の革新者たち
西山宗因(熊本県)、小林一茶(新潟県)、太田蜀山人(東京都)、司馬江漢(東京都)、谷文晁(東京都)、富岡鉄斎(京都府)
明治16年(1883年)5月9日 現在の長崎県域となる
見終わりました~
いやー、すごい充実ぶり!
この博物館はジックリ見ていたら、1日じゃとても見きれません!!
すばらしい内容の博物館でした!!
長崎のことが体系的に、時系列でよ~く理解できました。
最初にも書きましたが、ぜひ長崎観光の前にこの博物館に立ち寄ってみてください。あなたが目にする長崎の町や文物がまったく違った景色に見えると思います。事前にここで知識を入れて長崎を楽しんでください。
この長崎歴史文化博物館を見るために旅程を 1日長くしてゆっくり長崎を楽しんでください。ということです。
長崎がいかに奥深い街なのかということがここであなたは十二分に理解できるはずです。
逆に言うと、この博物館に立ち寄らずに長崎を見ても"本当の長崎"を知らずに長崎を後にしてしまうことになってしまうと僕は感じました。
それだけこの博物館は優れていると感じたのです、僕もいろんな博物館や美術館を見ていますが、この長崎歴史文化博物館は非常に優れていました!!
長崎奉行所ゾーンは時間の関係で見られませんでした。次回に回します。
長崎歴史文化博物館のミュージアムショップ
ここに置いてある本は全部読みたいくらいでした!
時間がないので帰ってきましたが、このショップの専門的な歴史書を立ち読み(失礼!)するだけでも 2日~3日必要な感じです。
とにかくここ長崎歴史文化博物館は長崎がギッシリ詰まっています。
近世の華 長崎
歴史をたどれば長崎から・・・
確かにその通りですよね!
長崎はとにもかくにも素晴らしい!!
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