コルベ神父について - 長崎・聖母の騎士社 聖コルベ館館長 小崎登明館長
あなたに質問です。あなたは他人の身代わりになって死ぬことはできますか?
コルベ神父は人の身代わりになって・・・人の身代わりになって死んだ
コルベ神父は人の身代わりになって・・・・・・
人の身代わりになって死んだ
ガーン
そんなことがキリスト様以外にできるのか・・・・・・?
この事件は小崎修道士の心を大きく揺り動かしたのです。
【動画】長崎・聖コルベ館 小崎登明館長
すばらしい動画ですが、いつネット上から消えてしまうかもしれませんので僕が必死に文字起こしをしてテキスト版もご用意しました。現在、そして未来の人々にこの小崎登明修道士のお話を伝えられれば嬉しいです!
【文章】聖コルベ館 小崎登明館長
子供たち 17歳だからね
子供たちに自分私は 17歳の時に
あなたと同じ歳の時にね
大きな体験をしたと
それはどういう体験かって言ったらね
原爆の丘で
自分は生き延びたんだけどね
生き延びたんだけど
その原爆の当日ね
その当日原爆が落ちた日ですよね
日の時にその原爆の丘を
さまよっていた時に
自分が 3つの体験をしたということを語るわけね
その一つはね「助けなかった」ということね
小学6年生の男の子を助けなかったっていうこと
それから二番目に
女子学生を助け、一応助けたは助けた
助けて担架に乗せたんだけども
アメリカの飛行機が飛んできたらね
ほったらかしにして「逃げた」ってことね
この逃げるということね
3番目にね
たまたま私を叩いた先輩に
出会って
その人が重症
お腹が裂けて重症だったのちょうど出会ってね
でその時に
叩いた人間だったのでね
許すことができなくて
まあいい気味だというなね
ざまみろってな感じで
傷ついた先輩をね
上から目線で
「許さなかった」ってことね
それがね原爆の日に体験した
3つの大きな出来事だったんだけど
それが今考えてみたらね
これはね人間の本性でね
人間が持っている
君たちもあるんだよと言いたいんだな
クラスにもあるんだよって
だから「助けない」とか
困難が来たら「逃げる」
それからこの仇のある人間は「許さない」
これはね
あの人間の本性だから
誰にもあるんだと
あなたたちのプラスにもなり
君たちの心にもあるんだってね
でこれがね
やっぱり
なくならなければ平和は来ないってことはね
そこを私語りたいんだね
これで
自分の家に帰って来たらもう
私の家は爆心地から 500mだから
だから家もないし母親も行方不明なってね
もう全部燃えてしまって
で
残ったのが「命」だったんだな
で、命は大事だということをその時初めてね
自分の命ということ
すべて原爆の丘で全部失った時に初めて
残ったものは破れたズボンと汚れたシャツとね
命だったっていうのね
そして
私はすぐこの
聖母の騎士の神学校に入ったのね
それがその神学校作った人がコルベ神父だったわけよ
で、そのコルベ神父いう人の生き方はどういう生き方をしたかって言った時にね
そのコルベ神父さんは長崎で 6年生活したんだけど
非常に苦しい生活をね、したんだけど
ポーランドに帰ってね
最終的にアウシュヴィッツに入られて
どん底ですよね
その生活の中で
彼は
アウシュヴィッツの中でどういう生活したかって言うた時に
みんなを助けながらね
少しは貰った
食事若い人に分け与えてね
自分はもう
年とってるからいいから
そしてナチの兵隊からもいじめられても
重労働させられてもね
ナチの兵隊に対しても優しい目を向けてね
彼らはもう許してあげてね
そしてどんな困難が来ても逃げないで
で、最後は「命」でしょ
命までも捧げたということ
結局、私はその原爆で体験した
そのいろんな人間の課題というのが
コルベ神父さんの中で解決があったんだよな
で、そこまではいいんだよ
そこまではね
ほいで解決があったから
じゃあ今度君たちに向かって
君たちに今度何を
そこまで話すんだけど
じゃあ君たちはどういうふうに生きなければならないかっていう
最後の
ところに来た時に
そこに
あのここでね私 20年間ね
その
ずっと今まで話をしてきたんだけどね
難しいんだね
それはね
どういう答えをね
与えなければいけないかって言ったときに
まあ普通私があの
原爆資料館で
語り部やっていた時はね
あの公(おおやけ)の
原爆資料館でやっていた時
平和推進協の方で
言われていた
テーマに掲げていたのは
人間の
痛みを分かる心を持つことがね
平和の原点だという
ひとつのね掲げているわけ
推進協のね
人間の痛みをわかる心を持つこと
それが平和の原点だから
そういう痛みがわかる人間になろうという
いうことを言ってはいるんだけど
果たして本当に人間っていうのはね
人の痛みを分かることができるだろうかっていう
ことのテーマは掲げているんだけども
果たして本当にそれができるんだろうかって言う
ことを思うわけよね
うーん
で、私の母親はね
原爆で死んだ母親はね
いつも私にこう言っていたの
人間の痛みっていうのはな
3年でも堪えるって
人の痛みはね
3年でも堪える
あの我慢するって
言ってたのよね
だからあんまりね
他人から同情とか何とか受けるのはね
期待するんなっていうなことを
原爆で死んだ母は言ってた
それいつも思い出すんですよね
だからね
女子高校生たちにね
コルベ神父の
何をねー
その、語ったらいいのかなぁってことでね
まあ私が
言ってるのは
ガイオニチェクさんのね
命をもらった人がね
やっぱり生かされている「命」
生かされた「命」
感謝
というところが一つとね
それからもう一つは
コルベさんのね
お礼を求めない
命を捧げてあげてもね
ありがとうっていうのはいいよって
大丈夫だって
心配要らないよって
そういうお礼を求めない心
それともう一つはねぇ
悪に負けない勇気
餓死の地下室に入れられてもね
最後まで生き抜いたというのはね
そういう悪に、ナチのその悪に負けないね
そういうその人間のプライドを保ちながら
その平静に死を引き受けていたという
そういうね
悪に負けない勇気というのね
そういうことをね柱にしてね
女子高校生たちに語って
生かされている感謝
お礼を求めない心
そして悪に負けない勇気
それを語ったときに
女子高校生たちにね
通じるかな~っていう
まだね
その確信が持てないんだな
うーん
まっ、大体そういうとこですよね
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