日野江城跡とキリシタン墓碑/吉利支丹墓碑(南島原市 旧西有家町)
国指定の史跡となっているただ一つのキリシタン墓碑 - ヒリ作右衛門ディオゴ
FIRI SACYE MO DIOG XONE GOX IRAI 1610 IVG 16 QEICHO 15
ヒリ 作右衛門 ディオゴ 生年 御出生以来 1610 10月16 慶長15
吉利支丹墓碑
平成30年(2018年) 8月26日 村内伸弘撮影
▼長崎歴史文化博物館の説明
キリシタン墓碑
国指定・吉利支丹墓碑(南島原市西有家町)
16世紀後半以降キリスト教の広まりにともない、キリシタン信徒の墓碑として造られたものです。島原半島を中心にした長崎県や九州北部、関西などに 200基ほど残っています。天正9年(1581年)銘の「礼幡」墓碑(大阪府四條畷市/しじょうなわてし)が現在のところ日本最古の墓碑です。慶長15年(1610年)銘の吉利支丹(きりしたん)墓碑(南島原市西有家町)は国指定の史跡となっているただ一つのキリシタン墓碑です。
日野江城跡
原城のあとは、キリシタン繁栄の礎を築いた戦国大名・有馬氏の居城「日野江城」に向かいます。せっかくなので、原城と合わせて見学したいのです。
世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連資産」の構成資産ではないのですが、関連資産に選ばれているようです。
南島原市 国指定史跡 日野江城跡
■日野江城は中世から江戸時代初めにかけてこの地域の領主であった有馬氏の居城であり、14世紀の南北朝時代に築かれたと伝えられている。
城は、標高78m付近の本丸と、東の二の丸、西の三の丸から構成され、大手口は二の丸にあった。本丸北方の尾根つづきには堀をめぐらし、西側に浦ロ川、東側には大手川があって守りを固めた。また川を通じて海へとつづく水運に直結していた。
イエズス会の報告書に、有馬晴信が石垣や階段を造り、1590年(天正18年)に内部の建物を改築したことが記されている。また1595年(文禄4年)に城を訪れたイスパニア(スペイン)商人アビラ・ヒロンは、城内にはいくつもの部屋や茶室、庭園があったと詳しく記した。
二の丸の発掘調査では、破壊され埋められていた石垣や階段遺構、多くの陶磁器などが出土した。見つかった階段は直線で 100メートル以上に及んだ。大手口推定地から本丸下までを石段で一挙に駆け上がる構造は、織田信長が築いた滋賀県の安土城大手道にも類似した。階段の北側からは、石塔が多く出土した。宝匧印塔(ほうきょういんとう)や五輪塔(ごりんとう)などの仏教式の墓石を階段に再利用していた。有馬氏が仏教を排してキリスト教を保護したことと、その権力の強さがうかがえる。この階段の袖には、切石をつかった石垣も出土した。当時の城では類を見ない独特な技術で南方の地域との交流を物語る貴重な資料である。
出土遺物には、14世紀から16世紀の国産陶器とともに、中国や東南アジアで焼かれ、貿易によって運ばれた外国産の陶磁器が多く含まれていた。また上薬をかけずに焼いた素焼きの土師器(はじき、かわらけ)も数多く出土した。土師器は儀式や酒宴に用いたもので、有馬氏と家臣たちが儀式を通じて結びつきを深めたことを物語る。また、豊臣系の城郭で流行した金箔瓦も出土するなど、中央政権からの影響も現れている。
日野江城跡は 1982年(昭和57年)5月3日、国指定史跡となった。
スミマセン。日野江城って山なんですけど・・・
しかも、崩落とかあったみたいなんですけど・・・
日野江城跡
(国指定年月日: 昭和57年7月3日 指定面積115.992㎥)
日野江城跡は戦国大名有馬氏の居城であった。築城は 1216年(健保4年)頃と見られる。日向延岡に転封となる 1614年(慶長19年)までの約400年間、城主は有馬であった。縄張は本丸を中心として東を二ノ丸、北西を三ノ丸とした、梯郭式或いは連郭式の構造をもつ平山城と考えられ、本丸の北侧には、広大な空掘が良好な状態で残されている。
築城以降、勢力を拡大していった有馬氏は、1550年代には島原半島から肥前東部一帯 21万石を領有した。また、現在の長崎県、佐賀県に十一城(といちじょう)とよばれる支城の連絡網を張り巡らせ、広大な領域を支配した。
第13代当主の有馬晴信は 1579年(天正7年)洗礼を受けキリシタン大名となった。1580年、イエズス会の中等教育機関「有馬のセミナリヨ」が有馬の城下町に創立された。1582年には卒業生による日本初のヨーロッパ派遣団「天正遣欧少年使節」がローマに派遣され、4少年は 8年半を要し帰国した。帰国の際、日野江城跡で 8日間にわたる報告会が催され、完成したばかりの屋敷に案内されたときの様子がイエズス会年報で次のように報告されている。「大小の部屋はすべて黄金の品や典雅で華麗な絵画で飾られていた。この屋敷は、最近有馬殿の手で建てられ見事な出来ばえとなった城郭の中にある。」
豊臣秀吉の天下統一以降、有馬氏は、豊臣秀吉、そして、次の天下人である徳川家康の臣下となり、島原半島 4万石を支配するにとどまるのだが、有馬氏が行ってきた南蛮貿易や、キリスト教の保護政策は有馬にヨーロッパなどからの様々な文物や文化をもたらし、国際交流の最先端地を形成させることになったのである。
平成7年度から始まった発捆調査では、鳥伏間に金箔を貼った金箔瓦が出土した。遺構では、仏教徒に対する弾圧があったのだろうか、多量の五輪塔地輪が踏石に利用されている階段遺構が検出された。また、大陸系の技術を駆使した石垣遺構が検出されたが、この石垣は当時の国内の城郭石垣では他に例を見な貴重な石垣である。
北有馬町2002
うーん、しかもメッチャ暑いんですけど。。。
平山城である日野江城跡を見るためにはこの坂道登っていかなくっちゃならないんですけど。。。
くじけました・・・
今回は見学をやめておきます。熱中症になったら終わりですから 苦笑
日野江城跡の見学、諦めます。。。。。
ごめん日野江城よ。今年の夏は暑すぎる。。。
「命に関わる危険な暑さ」だから、許せ。。。
キリシタン墓碑/吉利支丹墓碑
島原湾(有明海)岸にある吉利支丹墓碑にやってきました。
吉利支丹墓碑
墓地からは普賢岳がよく見えます!
史跡 キリシタン墓碑(昭和34年7月24日 国指定)
史跡 キリシタン墓碑(昭和34年7月24日 国指定)
・形式 カマボコ型伏碑
・法量 長 1.2メートル 高 0.38メートル 幅 0.56メートル
県内には 100余基のキリシタン墓碑が現存するが、この墓碑は背面に美しい花十字の線彫りと一方の軸部に花十字を平彫りし他方の軸部に楔形の小十字とローマ字墓表とを薬研彫りしてありキリシタン墓碑の中でもっとも高い価値を有するものである。本碑は昭和4年現在地の地下から発掘されたもので墓表はポルトガル式綴字法によるローマ字日本文で次のように翻字される。
FIRI SACYE
MO DIOG XONE
GOX IRAI 1610
IVG 16 QEICHO 15
ヒリ 作右衛
門 ディオゴ 生年
御出生 以来 1610
10月16 慶長15
これはローマ字金石文としては日本最古のものであり、グレゴリオ暦年と元号年とは併記したものとしても最古のものである。ヒリは名字と思われるが不祥 また作右衛門ディオゴについては史料はない。
昭和48年3月31日 文化庁文化財保護部
史跡キリシタン墓碑
「作右衛門ディオゴ」っていったいどんな人だったんでしょうか?
史料はないという最後の言葉が逆に僕の心を温かくしてくれました。
作右衛門ディオゴさん、ゆっくりとお休みなさい。
この有明海に臨み、普賢岳が望めるすばらしい土地で。
南島原市の広報によると
「ヒリ作右衛門ディオゴは、1610年 慶長15年10月16日以来(83歳)まで生きた」ということで昭和4年に出土した時には「83」という数字がまだ入っていたようです。
FIRI SACYE
MO DIOG XONE
GOX IRAI 1610
IVG 16 QEICHO 15
あ~、またもや雲仙が見える!!
普賢岳や平成新山(溶岩ドーム)
どの角度から見ても美しいです!
島鉄バス 向バス停
もう少し涼しい季節にこの島鉄バスに乗って島原を周遊してみたいですぅ~
これじゃあ、見えないので自分自身のため、そして島原半島をバスで旅したい方々のために拡大しておきますw
島原湾(有明海)がうつくしい!
旧西有家町の海岸から須川港方面を望む
南島原の海はすばらしい!
南島原の太陽はすばらしい!
南島原の空はすばらしい!
南島原の雲はすばらしい!
南島原の風はすばらしい!
南島原の磯の香りはすばらしい!!
さあ、長崎市内にこれから戻ります。
南島原市のみそ五郎やん
民話 みそ五郎やん
島原・天草架橋を実現しよう! 南島原市
せっかくなので南島原市の観光プロモーション動画をご覧ください。
▼第7回観光映像大賞 観光庁長官賞 - 国内部門最高賞
南島原から長崎市内へ向かう途中の風景です
小浜温泉
小浜温泉まであとわずかというところで見た光景
島鉄バス 石合浜付近の光景
興奮します!夕日の名所、小浜ならではの光景です!!
島鉄バス 石合浜
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日野江城跡とキリシタン墓碑/吉利支丹墓碑(南島原市 旧西有家町)
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