長崎・聖母の騎士の聖コルベ像 「コルベ神父は美しい魂を神に返した。」
「友人のために命をあたえる以上の大きな愛はない」 死刑囚の身代わりになり献身の愛に殉じた聖者・コルベ神父
聖人マキシミリアノ・コルベ神父像
平成30年(2018年) 8月25日 村内伸弘撮影
S.MAXIMILIAN.M.KOLBE
コルベ師略伝
本河内ルルド(ルルドの泉)の参拝が終わり、参道(山道)を下に下ってきたら、この場所になりました。コルベ神父の銅像が建っていました。
以下、コルベ記念館の説明文です。
コルベ神父がどういう人間だったのか?この説明文をまずはご覧ください。
特に赤太字の部分をよく見て、1941年のアウシュビッツで何が起きたのか?を感じ、考えてみてください。
<献身の愛に殉じた聖者>
マキシミリアノ・コルベ神父
マキシミリアノ・コルベ神父は、1894年、ポーランドで生まれた。自己のすべてをけがれなき聖母に奉献すること、聖母マリアを通して神へ至るという強い信念を持っていた。33歳のとき、ポーランドにニエポカラヌフ(無原罪の聖母園)修道院を創立、同神父に共鳴した若者たちが集まり、全盛時には 722人の修道士を数え、世界最大の修道院となった。また布教のため「聖母の騎士」というパンフレットを発行、のちに月刊100万部に達したほどだった。
コルベ神父は修道院が軌道にのりかかった頃、日本人学生と会い、東洋への布教を思い立つ。
1930年、長崎へ上陸、大浦天主堂の近くに修道院を設け、1ヵ月後に日本語の「聖母の騎士」誌を発行した。以後 6年間、苦しい生活の中で肺病とも闘いながら布教を続けた。
1936年、修道院の会議のためポーランドに帰国したが第二次大戦中、ナチス・ヒトラー軍に捕えられ、アウシュビッツ収容所に送られた。1941年、同収容所で自から死刑囚の身代わりとなり餓死刑室に入り、毒殺された。
1982年10月、コルベ神父は聖者の位に列せられた。
後光射すコルベ神父
コルベ神父のご尊顔
コルベ神父の全身
最初の建物 『無原罪の園』修道院跡
コルベ神父は昭和6年(1931年)3月、坪1円で、約7千坪の山地を購入し、木造平屋の修道院を建てた。
同年5月16日、大浦から引っ越して「マリアを通して、イエスへ 」の宣教の拠点とした。下図は、建築担当のセルギウス修道士が描いた平面図。修道士たちの居間兼寝室は屋根裏だった。
聖母の騎士修道院の十字架
山の中腹にあるため、ここからの見晴らしも抜群です
友人のために命をあたえる以上の大きな愛はない
寄進
アメリカ・チェシラ市
聖スタニスラオ教会 第三会
「私が愛したように あなたたちが愛しあうこと これが私の掟である 友人のために命をあたえる以上の大きな愛はない」
ヨハネ十五章十二~十三
「友人のために命をあたえる以上の大きな愛はない」
コルベ神父の生き様と死に様を「愛」として見事に表した言葉です!
横から見たコルベ神父
列聖記念碑
福者コルベ師は、1982年10月10日、ローマ・バチカンにおいて、教皇ヨハネ・パウロ二世により、聖者の列にあげられた。
美しい魂を神に返した。
「1941年7月の末、未知の友の身代りとなって刑をうけ餓死監房室に入れらる。1941年8月14日、不運な伴侶たちにつきそい、はげました後、毒殺の注射を身にうけて美しい魂を神に返した。」
・・・
・・・・・・
コルベ神父のような生き方はできないし、死に方はなおさらできない。。。
僕にできることは何か?
私達にできることは一体どんなことなのか?
この聖像の前で立ちつくし、僕は自問自答しました。
あなたもぜひこの長崎県長崎市本河内 2-2-1にある聖母の騎士を訪ねて、心の底から自問自答してみてください。
ローマ法王もいらっしゃっていました
教皇ヨハネ・パウロⅡ世 ご訪問記念碑 1981.2.26
ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世
(右)庭に立つコルベ師像に花輪を献げられる
最後になりますが「けがれなき聖母の騎士会会報」に載っていたアウシュビッツでのコルベ神父の様子をお読みください。
この文章は「コルベ神父さまの思い出(聖母の騎士社)」という本からの抜粋のようですが、涙なくしては読めない内容です。
あなたも、1941年のアウシュビッツで何が起きていたのか?を知って、人間について、世の中についてよく考えてみてください。
アウシュビッツでのコルベ神父
ある日、コルベ神父様は重い材木を運んでいて倒れました。もう全く力がでません。たちまち兵隊が駆けつけて来て、鞭でたたいたり、足で蹴ったり、拳で殴ったりの暴行を繰り返しました。神父様は全く動けなくなってしまいました。兵隊達は動けなくなった神父様の上に木切れや板切れなどをかぶせて置き去りにして行きました。
数時間後、同囚人達が神父様を見つけ収容所の病院に運びました。病院の人達はポーランド人だったので、神父様に対して親切でした。彼らが後で話したところによると、「私よりもっとひどい病人がいるから、ベッドはその人達にあげてください。」とおっしゃっておられたそうです。
二週間後、何とか元気になって病院を出ました。今度はジャガイモの皮を剥く仕事をもらいました。その仕事に代わることができたのは、病院係の人達が神父様は余りに弱いから重労働はできないと特別に進言してくれたお蔭でした。神父様にとって大きな恵みでありました。
ところがコルベ神父様は今度は夜寝る場所を、わざわざ出口の所に選んで「ここから、亡くなった人達を運んで行くから、私はここで彼らを祝福しましょう。」と言われました。
夜になると告解に来る人も大勢いました。雑談に来たり、悩み苦しみを訴えに来る人達。「どうしてこんなことを神様は許しているのでしょう。」このようにして人々は神父様のもとに集まりました。現実に苦しみを背負っている人達の集まりでした。全員が死に直面している。一般社会では想像もできない集まりです。コルベ神父様はその中心的な存在でした。
『コルベ神父様の最後の一七八日の苦しみ 』セルギウス・ペシェク著「コルベ神父さまの思い出」(聖母の騎士社)より抜粋
聖母の騎士学園の塔(十字架)
聖母の騎士の駐車場から見えた長崎の街並み
コルベ神父の「身代わりの愛」の話を知り、色々感じ、色々考えてみた後の長崎はより一層うつくしく輝いて見えました!!
蛍茶屋方面。空が青いです!雲が白いです!
それでは聖コルベ館に入ります。
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