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村内 伸弘(むらうち のぶひろ)村内伸弘の彼女

聖トマス西と十五殉教者顕彰の碑 - 長崎・中町教会の記念庭園

聖トマス西と15殉教者の聖人像。この聖殉教者たちに捧げられた教会こそが中町教会なのです。

聖トマス西と十五殉教者の聖人像(2015年3月制作)


大村の聖マリナ(修道女)


中町教会 聖トマス西と十五殉教者顕彰の碑
平成30年(2018年)11月4日 村内伸弘撮影




徳川幕府のキリシタン弾圧により殉教した「聖トマス西と十五殉教者」を顕彰する碑が中町教会の記念庭園(裏庭)=聖トマス西と15殉教者庭園にありました。


中町教会には閉門前ギリギリに入ったので、もう日が暮れかかっています。今日は長崎中を歩き回ったのでクタクタですが、最後の力を振り絞って中町教会の聖トマス西と十五殉教者に祈りを捧げます。


記念碑の頂上にはイエス・キリストの磔刑像になっています。


聖トマス西と十五殉教者


トマス西と十五殉教者はドミニコ会司祭と修道士、彼らを助けた修道女と信徒たちで、日本人9名、スペイン人4名、フランス人、イタリア人、フィリピン人各1名からなり、徳川幕府のキリシタン弾圧により、1633年から1637年の間に「火炙り」、「水責め」、「穴吊り」、「斬首」などにより、長崎の西坂で殉教した人々である。その遺体は焼かれ、灰は海に捨てられた。


1981年2月18日、教皇聖ヨハネ・パウロⅡによりマニラで列福、1987年10月18日ローマで列聖された。


殉教者の信仰の証は、その後200年余におよぶ弾圧と潜伏の間も、キリシタンを励まし続け、1865年3月17日、日本の信徒発見をもたらした。


この奇跡的な出来事から 150年目にあたり、私たちがこの信仰を継承し、人間の尊厳に基づく信教の自由、愛と平和の大切さに思いをいたすため、ここに記念庭園を整備し、聖殉教者の遺徳を顕彰するものである。


2015年3月17日

日本の信徒発見の聖母の祝日

カトリック長崎大司教区 聖殉教者顕彰委員会

聖トマス西と15殉教者


1981年2月フィリピンで列福されたトマス西と 15殉教者は、1987年10月18日、バチカンの聖ペトロ大聖堂前で、広場をうめつくす大衆の見守るなか、教皇ヨハネ・パウロ二世によって荘厳に列聖された。この列聖式は、日本との関係でいえば、「日本26聖人殉教者」が 1862年に列福されて以来 125年ぶりのことである。


聖トマス西と 15殉教者は、ドミニコ会司祭、修道士、修道女、彼らを助けた信徒たちで、キリシタン迫害の厳しかった 1633年〜37年に、長崎で殉教した人々である。この 16人のなかで日本人は 9名だけで、他は、スペイン人4名、イタリア人1名、フランス人1名、フィリピン人1名で、とくにフィリピン人の聖ロレンソ・ルイスはフィリピンでの最初の聖人の栄誉を担うことになった。聖トマス西と 15殉教者に共通する特徴は、禁教のさなか、厳しい弾圧と飢え、寒さに耐えながら、自ら神との深い交わりのうちに生き、信者の信仰を強め、つねに神のみことばをのべ伝え、キリストのために命をすてたことである。彼らの福音宣教に生きる姿、そしてキリストのあかし人として生きたその生涯は、今日の私たちに信仰と生活を一致させ、福音宣教に生きるようにうながしているようである。


「殉教者の血は信者の種」ということばもあるように、日本26聖人殉教者、日本205福者殉教者、聖トマス西と15殉教者たちの信仰のあかしによって、今日のカトリックの教会があるといってもいいであろう。

カトリック中町教会パンフレットより引用


寄贈 長崎大司教区エキメニズム委員会
長崎カトリック合唱団



聖殉教者の聖像とお名前を一生懸命まとめてみました。ぜひ、お一人お一人のお顔をご覧いただき、お一人お一人に「安らかにお眠りください」と声を掛けてあげて下さい。祈って下さい。お願いします。


聖殉教者名

京都の聖ラザロ(信徒)
日本・京都 1637年9月29日殉教


神の救いに感謝して天を見上げています。


聖ビセンテ塩塚(司祭)
日本・長崎 1637年9月29日殉教


聖ミゲル・アオザラザ(司祭)
スペイン 1637年9月29日殉教


琉球で捕らえられ、長崎に移送され、指の先に鉄釘を打ち込まれる拷問を受けたそうです。


聖ギョーム・クルテ(司祭)
フランス 1637年9月29日殉教


聖ロレンソ・ルイス(信徒)
フィリピン・ビノンド島 1637年9月29日殉教


フィリピン唯一の聖人


聖ロレンソ・ルイス(同上)


聖アントニオ・ゴンザレス(司祭)
スペイン 1637年9月23日殉教


聖ヨルダノ・アンサロネ(司祭)
イタリア 1634年11月17日殉教


聖トマス西(司祭)
日本・平戸 1634年11月17日殉教


聖トマス西(司祭)

家老職にあった父、母、兄も殉教。武家の子ではあったが幼少より神の教えに従って生きてきた。作品にはその生い立ちによる品性と揺るぎない強い信念から来る堂々とした立ち姿が表現されることを考えて制作。霊名の聖トマスは建築職人、大工、物作り職人の守護聖人として尊ばれてきた。傍らに定規やコンパスなどを表現するがこの作品では左手の上にその霊名に由来して建物を持たせた。建物の形は 1571年建立の長崎の(岬の教会)サン・パウロ教会の一部のイメージで制作した。

パンフレット「鑑賞の手引き」より引用



聖ドミンゴ・エルキシア(司祭)
スペイン 1633年8月14日殉教


聖フランシスコ 正右衛門(修道士)
1633年8月14日殉教


聖ミゲル九郎兵衛(信徒)
1633年8月17日殉教


聖ヤコボ朝長(司祭)
日本・杭出津 1633年8月17日殉教


聖ルカ・スピリト・サント(司祭)
スペイン 1633年10月19日殉教


聖ルカ・スピリト・サント(同上)


聖ルカ・スピリト・サント(同上)


聖マテオ小兵衛(修道士)
1633年10月19日殉教


邪心のない立ち姿!


長崎の聖マグダレナ(修道女)
日本・長崎 1634年10月15日殉教


神の教えに従って健気に生きた女性、手には聖書と十字架を持っています。


大村の聖マリナ(修道女)
日本・肥前大村 1634年11月11日殉教


大村の聖マリナ(同上)


大村の聖マリナ(同上)


この大村のマリナは日本人女性として初めて列聖された女性です。
裸で市中を引き回され、最後は火あぶりで処刑されてしまったようです。。。


肥前国大村(現 長崎県大村市)にて誕生したといわれ、洗礼名がマリナである以外は不明である。宣教師の記録によれば、勇敢な女性であったといわれる。


ドミニコ会第3会の修道女として誓願を立て、迫害を受けた信者を励まし宣教師たちを助けた。


マリナは長崎奉行に捕らえられ裸にされ市中引き回しにされたが、彼女はそれに恐れることなく耐え抜き、1634年10月15日長崎西坂の丘で火刑に処され殉教した。1981年、マニラで列福され、1987年にローマ教皇ヨハネ・パウロ2世によって列聖された。


Wikipediaより引用


教会の碑の説明にもありましたが大村のマリナだけではなく、キリシタンは当時このように迫害され、火炙り、水責め、穴吊り、斬首などでむごたらしく殺されました。


最後にぜひもう一度、僕が撮った聖人像の一人一人に祈ってあげてください。



キリシタン禁制の高札


厳粛な気持ちで僕も祈りました。


長崎の過酷な歴史を思いながら、聖人たちに祈りを捧げました。


あなたもぜひ中町教会を訪れて、聖人たちの像の前で祈って下さい。






そろそろ八王子に帰ります。
歩いて新地中華街に向かいます。


路地裏の八百屋さん(長崎市銅座町)


あじさい シーボルト喜んでいると思います(^^)


路面電車 西浜町駅


花束を持った女性の銅像


向こう側の江戸町通りから築町通りに入ってくるクルマのヘッドライトが美しいです


サックスを吹く男性の銅像 頭の上に平和のシンボル「鳩」が乗っています


美しい夜の十八銀行 本店


ライトアップされた出島の洋館とその向こう側の稲佐山



長崎バスターミナルホテルのリムジン(長崎空港線)の券売機に貼ってあった貼り紙



日本三大中華街の一つ・新地中華街



リムジンバスに乗って長崎空港に行く前に中華を食べて長崎を締めくくります!

やっぱり皿うどんだよな~!
「ハトシ」もまだ食べたことないから気になるけどぉ~


大好物の皿うどん細麺、いきま~す


新和楼の皿うどん


これまた大好物の杏仁豆腐!


自分でも 50歳になってもまだ杏仁LOVEなのがすごいと思ってます 笑



食べ終わった後の新地中華街の様子

夜の7時でこの暗さ~


長崎の新地中華街って、横浜と較べてとても狭いんですが、どの店もアットホームな感じで落ち着きます。もちろん中華料理、長崎料理、おいしいですよ~


角煮まん、うまかと~



長崎新地から長崎空港は所要時間約35分、乗っちゃえばあっと言う間です。今回の旅の帰りの便は JAL616便(20:25長崎発)なので、余裕で間に合います。

長崎空港へのリムジンバスの車内


長崎空港到着


空港の天井画


島原温泉不知火まつり(島原市)



今回の長崎の旅、最後は十字架を首からかけた天草四郎がお見送りをしてくれました。


長崎、最高ー!
長崎、抜群~ん!!



▼今回の長崎旅行

有明海が美しくきらめいた - 長崎行きソラシドエアから見た美しい海


長崎の中華菓子・金銭餅(きんせんぴん)、恋人の聖地・大村湾PA(下り線)


波佐見町 中尾山交流館で美しい緑色の波佐見焼の器を衝動買い


長崎・波佐見の陶郷中尾山の登り窯「中尾上登窯跡」と窯元「太一窯」見学


やきものの郷 中尾山散策!中尾山郷の路地裏や脇道、裏道を探検


やきものの郷 中尾山散策!中尾山郷のメインストリートを歩く


中尾山博物館!「面白いこと自分で見つけろ」という中尾山のハッスルおじさんから西海みかんを買い、あじフライとメンチをもらう


大村湾の夕陽が美しい恋人の聖地・大村湾PA(下り線)


海上長大橋!ながさき女神大橋(ヴィーナスウィング)がキラキラキラキラ輝いた!


長崎和牛焼肉はカルビもロースもやわらかくてジューシー♪♪


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