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村内 伸弘(むらうち のぶひろ)村内伸弘の彼女

日野江城跡とキリシタン墓碑/吉利支丹墓碑(南島原市 旧西有家町)

国指定の史跡となっているただ一つのキリシタン墓碑 - ヒリ作右衛門ディオゴ

FIRI SACYE MO DIOG XONE GOX IRAI 1610 IVG 16 QEICHO 15
ヒリ 作右衛門 ディオゴ 生年 御出生以来 1610 10月16 慶長15


吉利支丹墓碑
平成30年(2018年) 8月26日 村内伸弘撮影


▼長崎歴史文化博物館の説明

キリシタン墓碑

キリシタン墓碑

国指定・吉利支丹墓碑(南島原市西有家町)


16世紀後半以降キリスト教の広まりにともない、キリシタン信徒の墓碑として造られたものです。島原半島を中心にした長崎県や九州北部、関西などに 200基ほど残っています。天正9年(1581年)銘の「礼幡」墓碑(大阪府四條畷市/しじょうなわてし)が現在のところ日本最古の墓碑です。慶長15年(1610年)銘の吉利支丹(きりしたん)墓碑(南島原市西有家町)は国指定の史跡となっているただ一つのキリシタン墓碑です。


日野江城跡

原城のあとは、キリシタン繁栄の礎を築いた戦国大名・有馬氏の居城「日野江城」に向かいます。せっかくなので、原城と合わせて見学したいのです。


世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連資産」の構成資産ではないのですが、関連資産に選ばれているようです。


南島原市 国指定史跡 日野江城跡


■日野江城は中世から江戸時代初めにかけてこの地域の領主であった有馬氏の居城であり、14世紀の南北朝時代に築かれたと伝えられている。


城は、標高78m付近の本丸と、東の二の丸、西の三の丸から構成され、大手口は二の丸にあった。本丸北方の尾根つづきには堀をめぐらし、西側に浦ロ川、東側には大手川があって守りを固めた。また川を通じて海へとつづく水運に直結していた。


イエズス会の報告書に、有馬晴信が石垣や階段を造り、1590年(天正18年)に内部の建物を改築したことが記されている。また1595年(文禄4年)に城を訪れたイスパニア(スペイン)商人アビラ・ヒロンは、城内にはいくつもの部屋や茶室、庭園があったと詳しく記した。


二の丸の発掘調査では、破壊され埋められていた石垣や階段遺構、多くの陶磁器などが出土した。見つかった階段は直線で 100メートル以上に及んだ。大手口推定地から本丸下までを石段で一挙に駆け上がる構造は、織田信長が築いた滋賀県の安土城大手道にも類似した。階段の北側からは、石塔が多く出土した。宝匧印塔(ほうきょういんとう)や五輪塔(ごりんとう)などの仏教式の墓石を階段に再利用していた。有馬氏が仏教を排してキリスト教を保護したことと、その権力の強さがうかがえる。この階段の袖には、切石をつかった石垣も出土した。当時の城では類を見ない独特な技術で南方の地域との交流を物語る貴重な資料である。


出土遺物には、14世紀から16世紀の国産陶器とともに、中国や東南アジアで焼かれ、貿易によって運ばれた外国産の陶磁器が多く含まれていた。また上薬をかけずに焼いた素焼きの土師器(はじき、かわらけ)も数多く出土した。土師器は儀式や酒宴に用いたもので、有馬氏と家臣たちが儀式を通じて結びつきを深めたことを物語る。また、豊臣系の城郭で流行した金箔瓦も出土するなど、中央政権からの影響も現れている。


日野江城跡は 1982年(昭和57年)5月3日、国指定史跡となった。



スミマセン。日野江城って山なんですけど・・・


しかも、崩落とかあったみたいなんですけど・・・


日野江城跡

(国指定年月日: 昭和57年7月3日 指定面積115.992㎥)


日野江城跡は戦国大名有馬氏の居城であった。築城は 1216年(健保4年)頃と見られる。日向延岡に転封となる 1614年(慶長19年)までの約400年間、城主は有馬であった。縄張は本丸を中心として東を二ノ丸、北西を三ノ丸とした、梯郭式或いは連郭式の構造をもつ平山城と考えられ、本丸の北侧には、広大な空掘が良好な状態で残されている。


築城以降、勢力を拡大していった有馬氏は、1550年代には島原半島から肥前東部一帯 21万石を領有した。また、現在の長崎県、佐賀県に十一城(といちじょう)とよばれる支城の連絡網を張り巡らせ、広大な領域を支配した。


第13代当主の有馬晴信は 1579年(天正7年)洗礼を受けキリシタン大名となった。1580年、イエズス会の中等教育機関「有馬のセミナリヨ」が有馬の城下町に創立された。1582年には卒業生による日本初のヨーロッパ派遣団「天正遣欧少年使節」がローマに派遣され、4少年は 8年半を要し帰国した。帰国の際、日野江城跡で 8日間にわたる報告会が催され、完成したばかりの屋敷に案内されたときの様子がイエズス会年報で次のように報告されている。「大小の部屋はすべて黄金の品や典雅で華麗な絵画で飾られていた。この屋敷は、最近有馬殿の手で建てられ見事な出来ばえとなった城郭の中にある。」


豊臣秀吉の天下統一以降、有馬氏は、豊臣秀吉、そして、次の天下人である徳川家康の臣下となり、島原半島 4万石を支配するにとどまるのだが、有馬氏が行ってきた南蛮貿易や、キリスト教の保護政策は有馬にヨーロッパなどからの様々な文物や文化をもたらし、国際交流の最先端地を形成させることになったのである。


平成7年度から始まった発捆調査では、鳥伏間に金箔を貼った金箔瓦が出土した。遺構では、仏教徒に対する弾圧があったのだろうか、多量の五輪塔地輪が踏石に利用されている階段遺構が検出された。また、大陸系の技術を駆使した石垣遺構が検出されたが、この石垣は当時の国内の城郭石垣では他に例を見な貴重な石垣である。


北有馬町2002



うーん、しかもメッチャ暑いんですけど。。。
平山城である日野江城跡を見るためにはこの坂道登っていかなくっちゃならないんですけど。。。


くじけました・・・


今回は見学をやめておきます。熱中症になったら終わりですから 苦笑
日野江城跡の見学、諦めます。。。。。



ごめん日野江城よ。今年の夏は暑すぎる。。。
「命に関わる危険な暑さ」だから、許せ。。。



キリシタン墓碑/吉利支丹墓碑

島原湾(有明海)岸にある吉利支丹墓碑にやってきました。

吉利支丹墓碑


墓地からは普賢岳がよく見えます!


史跡 キリシタン墓碑(昭和34年7月24日 国指定)


史跡 キリシタン墓碑(昭和34年7月24日 国指定)

・形式 カマボコ型伏碑

・法量 長 1.2メートル 高 0.38メートル 幅 0.56メートル


県内には 100余基のキリシタン墓碑が現存するが、この墓碑は背面に美しい花十字の線彫りと一方の軸部に花十字を平彫りし他方の軸部に楔形の小十字とローマ字墓表とを薬研彫りしてありキリシタン墓碑の中でもっとも高い価値を有するものである。本碑は昭和4年現在地の地下から発掘されたもので墓表はポルトガル式綴字法によるローマ字日本文で次のように翻字される。


FIRI SACYE

MO DIOG XONE

GOX IRAI 1610

IVG 16 QEICHO 15


ヒリ 作右衛

門 ディオゴ 生年

御出生 以来 1610

10月16 慶長15


これはローマ字金石文としては日本最古のものであり、グレゴリオ暦年と元号年とは併記したものとしても最古のものである。ヒリは名字と思われるが不祥 また作右衛門ディオゴについては史料はない。


昭和48年3月31日 文化庁文化財保護部


史跡キリシタン墓碑

「作右衛門ディオゴ」っていったいどんな人だったんでしょうか?
史料はないという最後の言葉が逆に僕の心を温かくしてくれました。


作右衛門ディオゴさん、ゆっくりとお休みなさい。
この有明海に臨み、普賢岳が望めるすばらしい土地で。


ヒリ作右衛門ディオゴは、1610年 慶長15年10月16日以来(83歳)まで生きた


南島原市の広報によると 

「ヒリ作右衛門ディオゴは、1610年 慶長15年10月16日以来(83歳)まで生きた」ということで昭和4年に出土した時には「83」という数字がまだ入っていたようです。



FIRI SACYE
MO DIOG XONE
GOX IRAI 1610
IVG 16 QEICHO 15




あ~、またもや雲仙が見える!!


普賢岳や平成新山(溶岩ドーム)


どの角度から見ても美しいです!


島鉄バス 向バス停


もう少し涼しい季節にこの島鉄バスに乗って島原を周遊してみたいですぅ~


これじゃあ、見えないので自分自身のため、そして島原半島をバスで旅したい方々のために拡大しておきますw




島原湾(有明海)がうつくしい!


旧西有家町の海岸から須川港方面を望む


南島原の海はすばらしい!
南島原の太陽はすばらしい!
南島原の空はすばらしい!
南島原の雲はすばらしい!
南島原の風はすばらしい!
南島原の磯の香りはすばらしい!!


さあ、長崎市内にこれから戻ります。


南島原市のみそ五郎やん


民話 みそ五郎やん


島原・天草架橋を実現しよう! 南島原市


せっかくなので南島原市の観光プロモーション動画をご覧ください。



▼第7回観光映像大賞 観光庁長官賞 - 国内部門最高賞




南島原から長崎市内へ向かう途中の風景です


小浜温泉


小浜温泉まであとわずかというところで見た光景



島鉄バス 石合浜付近の光景


興奮します!夕日の名所、小浜ならではの光景です!!


島鉄バス 石合浜



▼今回の長崎旅行


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日野江城跡とキリシタン墓碑/吉利支丹墓碑(南島原市 旧西有家町)


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長崎電気軌道 蛍茶屋車庫(蛍茶屋の長崎電鉄車庫)を勝手に見学


長崎の氏神様 お諏訪さん(諏訪神社)へ - 長崎くんちのメイン会場


元祖茶碗むしの長崎「吉宗(よっそう)」で茶碗蒸しと蒸寿しの夫婦蒸しを堪能


JR長崎駅とアミュプラザ長崎のアニバーサリー記念映像の撮影


世界文化遺産 三菱重工長崎造船所資料館(旧木型場)の外観&外部


世界文化遺産 三菱重工長崎造船所資料館(旧木型場)の内部


如己堂(にょこどう)&長崎市永井隆記念館 - 如己愛人 永井隆


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世界文化遺産 原城跡 - 天草四郎の墓碑・天草四郎の像

島原の乱の主戦場!原城本丸の天草四郎の墓と天草四郎の像の前で祈りました

神の子「天草四郎」


原城跡(はらじょうあと)に建つ天草四郎の像
昭和48年(1972年) 北村西望 90歳の時の作品
平成30年(2018年) 8月26日 村内伸弘撮影


▼長崎歴史文化博物館の説明

島原・天草一揆の経過

原城航空写真


島原・天草地方の領民が益田時貞(天草四郎)を首領におこした一揆で、寛永14年10月(1637年12月)に始まりました。天草を中心に戦闘が始まり、11月になると一揆勢は当時廃城だった原城に籠城しました。幕府軍 12万6千人に対し一揆勢は 3万7千人だったといわれています。幕府軍が兵糧攻めの持久戦に持ち込むと、一揆勢はしだいに弱体化し、寛永15年2月(1638年4月)幕府軍の総攻撃で一揆は終息しました。




動画制作: 村内伸弘(ムラウチドットコム)






動画制作: 村内伸弘(ムラウチドットコム)





原城本丸の入口


空濠(からぼり)


原城跡

国指定史跡 原城跡


原城は、戦国時代の有馬氏の重要な城であり、1637年(寛永14年)に勃発した島原・天草一揆の舞台となった城である。


城は、海岸に突き出した丘に築かれ、本丸、二の丸、三の丸、天草丸、鳩山出丸などから構成されていた。周囲は約4km、東は有明海、西と北は一部をのぞいて低湿地に囲まれた天然の要害であった。本丸は石垣で囲まれ出入口は桝形となり、織田信長や豊臣秀吉の時代に完成された石積み技術が用いられ、近世城郭の特徴をもった。その特徴は、高い石垣、建物に瓦を使用、建物を礎石上に備えていた点である。一方、二の丸、三の丸は自然の地形を活かした土づくりであった。


原城の工事は、1599年(慶長4年)にはじまり、1604年(慶長9年)に完成したとされる。イエズス会宣教師の報告書は、文禄・慶長の役後に有馬晴信が居住している日野江城よりも一層適地にして、堅固で防御できるような新しい城を築城中であるとし、城内には晴信の屋敷のほか、家臣の屋敷、弾薬や食糧を蓄えた三層の櫓があったと記した。


1614年(慶長19年)に晴信の子、直純は日向国臼杵郡(宮崎県延岡市)に転封となり、原城は、翌年に発令された一国一城令によって廃城となった。


1992年(平成4年)から実施している発掘調査によって、本丸地区から多くの遺構・遺物が出土した。特に、十字架、メダイ、ロザリオの珠などのキリシタン関係遺物は、島原・天草一揆にまつわる資料である。また一揆後、幕府軍により壊され埋められた出入口や櫓台石垣、本丸の正面玄関に相当する出入口などが検出され、原城築城時の遺構や島原・天草一揆に対した幕府の対応を示す資料を発見した。


原城跡は1938年(昭和13年)5月30日、国指定史跡となった。



ホネカミ地蔵


ホネカミ地蔵

島原・天草一揆の終結(1638年)より 130年ほど後の明和3年(1766年)、北有馬村願心寺の住職注誉上人と南有馬村の庄屋乙名らが、原城跡に残されていた遺骨を敵味方の区別なく拾い集め、供養した地蔵塔です。石碑の正面には「三界万霊乃至平等 南無阿弥陀仏 骨塔 明和三戊七月十五日」とあり、側面には願主の名前が刻まれています。


原城跡に残されていた遺骨を敵味方の区別なく拾い集め
すばらしいですね!
まさにこれぞ仏教です。注誉上人と乙名さんの精神は崇高です。



ピンクのサルスベリが満開~ぃ


埋門跡


有明海(島原湾)がキレイです!


すっごくキレイです!!


原城VR(ストリートミュージアム)
結構みんなやってました!


本丸門跡


南島原の世界遺産候補を訪ねる旅

南島原市には、平成19年1月「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」として、世界遺産暫定一覧表に登録された「原城跡」・「日野江城跡」・「吉利支丹墓碑」があります。「原城跡」以外の、南島原のキリスト教関連遺産を訪れてみてはいかがですか。

まだ看板が世界遺産登録前の状態のようです。


「島原の乱」諸軍の配置図  原城攻防布陣略図


破却された石垣


破却された石垣


キリシタンの痕跡やこの一揆の歴史を残さないように幕府は原城を徹底的に破壊し、一揆軍 3万7千人は一人残らず虐殺されて、この城にまとめて埋められたそうです。女、子供も含め、ここには今も人骨がたくさん埋まっているそうです。。。


天主台跡にもピンクのサルスベリが咲いていました。サルスベリは美しい花です。


櫓台跡(天守台跡)


南島原の夏の景色


夏の海 四郎たちの 夢の跡 (伸弘)


ネッシー発見!!
長崎だからサッシーか!? 笑


正体はコレw

なんだコレ~


原城からの眺め、とてもうつくしいです!


目を瞑ると押し寄せる幕府の軍勢が見え、鬨の声が聞えるようです。


まさに「夢の跡」です


原城本丸跡の石垣


白洲



それでは天草四郎の墓碑と像に行ってみましょう。




動画制作: 村内伸弘(ムラウチドットコム)




天草四郎の墓碑

天草四郎時貞の墓碑


天草四郎

小酉行長の家臣、益田甚兵衛好次の子で、本名益田四郎時貞といい洗礼名はジェロニモとかフランシスコなどといわれています。


比較的恵まれた幼少時代を送り、教養も高かったといわれ、また長崎へ行って勉強したとありますが、詳細は不明です。


島原の乱に際し、若干15才という若さで一揆軍の総大将として幕府軍と対立しました。一揆軍は 88日間この原城に籠城したが、圧倒的な幕府軍の攻撃により終結しました。四郎はこの本丸で首を切られ、長崎でもさらし首にされました。


この墓碑は、西有家町にある民家の石垣の中にあったものをこの場所に移したものです。


南有馬町教育委員会


あと 100年もすると文字が全部消えてしまいそうですね・・・


後から見た天草四郎の墓碑


写真奥の女性はしゃがんで原城VRの QRコードを読み込んでいます。


原城と QRコード。もし天草四郎も現代に生まれていたら、15歳とかですからスマホを盛んにいじくっているんでしょうか?なんだか感慨深いものがあります。


四郎の墓碑に供えてあったお花


カラフルで華やかです。




誰が置いたのか十字架を持った 3体の像が有明海の方を向いて祈っていました。


島原の乱の犠牲者を弔う十字架


写真左下が四郎の墓碑



続いて天草四郎の像に向かいます。

四郎の像の左側に原城跡と書かれた碑がありました。


昭和32年、島原の乱勃発 320年記念の西岡竹次郎さん(当時の長崎県知事)の碑のようです。読んでみましたが、これは名文です!地元長崎の人々の島原の乱への思いがギッシリと詰まっているすばらしい文章です。僕が文字起こししたので皆さんもぜひお読みください。


徳川幕府のキリスト教徒弾圧。同時に、松倉重政、勝家父子、二代にわたる悪政によって、その日の生活を脅かされた有馬地方の信徒は、天草四郎時貞を盟主として、幕府軍との一戦を決意。天然の要害、原城は、たちまちにして、修羅の地獄と化した。


時は、寛永14年(1637年)12月。幕府の征討将軍板倉内膳正重昌は、諸藩の軍勢を指揮して、総攻撃を加えること実に三回。しかし、信仰に固く結束した、信徒軍の反撃に惨敗、重昌、自らも、戦死した。


思わぬ苦戦に、あせった幕府は、老中松平伊豆の守信綱を急派。陸海両面より、城を包囲。やぐらを組み、地下道を掘り、海上からは軍船の砲撃など、四たびの総攻撃。遂に、信徒軍の、食糧、弾薬ともに尽き果て、二の丸、三の丸、天草丸、本丸と、相次いで落城。主将四郎時貞をはじめ、老若男女、全信徒相抱いて、古城の露と消えた。


これ、寛永15年(1638年)2月28日である。

その数、3万7千有余。


思えば、何ら訓練もない農民たちが、堂々数倍に及ぶ、幕府軍の精鋭と矛を交えること数ヶ月。強大な武力と、権勢に立向かった、その団結と、情熱、信仰の強さ。遂に、悲憤の最期を遂げたとはいえ、この戦乱は、当時の国政の上に、痛烈な警鐘となり、人間の信仰の尊さを、内外に喧伝した。


史家をして、

「苛政に始まり、迫害に終わった。」

と、いわしめた島原の乱。


優美にして堅固。

かつては、日暮城とまで讃えられた原城。

いま、古城のほとりに立って、往時をしのべば、うたた、感慨無量。


信仰に生き抜いた、殉難者の、みたまに対し、限りない敬意と、哀悼の念を禁じえない。


ここに、320年祭を記念して、信徒、幕府両軍戦死者のみたまを慰め、遺跡を、顕彰する次第である。


昭和32年(1957年)5月25日

長崎県知事 西岡竹次郎


信徒、幕府両軍戦死者のみたまを慰め
これもすばらしいですね!
まさにこれぞ長崎です。西岡県知事の精神は高邁です。


天草四郎の像

神童・天草四郎の像


美少年・天草四郎の像


カリスマ・天草四郎の像


救世主・天草四郎の像


信念にもゆる天草四郎 西望作



四郎の像から少し離れた右側にはこんな石碑やお墓もありました。

「島原の乱」の文字


圧政や飢饉をきっかけに島原と天草のキリシタンや農民たちが蜂起した戦(いくさ)を今に伝えています。


戦死者を弔った石碑だと思います


戦死者を弔った墓碑だと思います


左分利九之丞の墓


左分利九之丞の墓の説明文


池尻口門跡


うわーっ!雲仙がうつくし~


右側の一番高い山が「日本で一番新しい山」平成新山です。


大噴火によって日本で最も新しく誕生した山(溶岩ドーム)もなんだかやさしく見えてきます。


駐車場に戻ります。

原城跡の石垣


でも、この場所でキリシタンや農民が 3万7000人も命を落とし、そのすべてが殺され、このエリアにまとめられて折り重ねられるように埋められたなんて思うと、見えている景色のイメージも変わってきます。


ここは青い空と白い雲と緑の木々や草々が美しい観光地ではなく、目を閉じれば 3万7000人のうめき声や叫び声、そしてすすり泣くような泣き声が聞えてくる巨大な墓場なのです。。。。


この城からは多くの人骨や十字架、ロザリオ、メダイなどが出土しています。。。


原城跡は「原城霊園」でもあるのです。。。



破却された石垣


ここにも破却された石垣


破却された石垣の説明文


とにかく当時の幕府は戦後処理で徹底的に、完膚なきまでに原城をぶち壊したようです。
一揆軍は皆殺しとなり、島原のキリシタンの歴史は終わりました。まさに「悲劇の城」です。。。


南無阿弥陀仏。


島原の乱はこのように徳川幕府を震撼させ、日本全体を鎖国へと導きました。そして、残されたキリシタンは密かに信仰を守り「潜伏」していったのです。







(参考)長崎空港にあったパネル

原城跡(はらじょうあと)

キリシタンが「潜伏」し、独自に信仰を続ける方法を模索することを余儀なくされたきっかけとなる「島原・天草一揆」の主戦場跡です。



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「雲仙普賢岳大噴火」の生々しい話を原城のお土産物屋さんで聞けました

平成3年/1991年の雲仙普賢岳噴火や大火砕流の様子を生き証人から直接聞けました。かき氷を食べながらw

原城の駐車場のかき氷屋さんのテントの下から見た雲仙(雲仙岳)
平成30年(2018年) 8月26日 村内伸弘撮影




平成3年(1991年) 雲仙普賢岳 噴火





世界文化遺産の原城跡(はらじょうあと)に着きました。

原城三の丸 南有馬町


原城はこのように広い台地のような感じでした。


雲仙岳。来た道を振り返るとこんな風景が広がっています。


有明海(島原湾)。ちょっと向きを変えればこんな景色が横たわっています。


原城二の丸 南有馬町


原城本丸の駐車場に到着~
海がキレイです!


テントが 3つ並んでいました


元校長先生、元市議会議員、今は黒糖づくりのおじさん
という華麗な経歴のおじさんから黒糖を買いました 笑


▼おじさんの店

有馬自然食品 – ー島原半島の自然の恵みをいっぱいにー


長崎の海と空が綺麗な島原半島で丹精込めて育てたサトウキビの一番絞りを 100%使用して、鉄釜薪炊きで約6時間かけて人の手でじっくりと煮詰めて出来た、愛情いっぱいの黒砂糖です。


自然栽培 長崎 島原半島産

謹製 黒砂糖

肥料にこだわり育てた 6時間鎌炊きの黒砂糖

九州地方の気候に合うように品種改良されたサトウキビ「黒海道」を島原半島南部の温かい土地に四人の仲間で植えつけました。なるべく自然栽培に近くするという考えで肥料は元肥として少量の牛糞堆肥とEM菌ぼかし(EM菌、米ぬか、油かす、いりこを混ぜて発酵)を植え付けから収穫まで 3回施肥します。刈り取って間もない新鮮なサトウキビの絞り汁のみを大きい鉄釜に入れて薪で炊きます。途中、品質向上の為、微量の食用石灰を入れて絶えずアクを取りながら 6時間煮詰めます。適度の粘りになったら木箱に流し込み薄い板状に固め成形します。

有馬自然食品ホームページより引用




黒糖を買って、口に放り込み原城の見学に行きます。
この黒砂糖、コクがあるのにさっぱりしていてメッチャ美味しいです。



 <別記事参照 - ここで原城の見学をしました>



原城を見終えて、もう一度お土産物屋さんに戻ってきました。


メチャメチャ暑いのでかき氷大盛を食べます


命のかき氷です。いただきま~す♪♪


このかき氷のお陰で、僕はこれからとてもステキな体験ができました。とても貴重な話が聞けました。


暑いのでテントの中に入れてかき氷を食べさせてもらいました。テントの下のベンチに座って、黒砂糖とかき氷のおじさん二人の話を聞きました。ちょうどテントから雲仙の普賢岳が見えるんですが、この普賢岳が噴火した時の生々しい様子を二人から直接聞けました。


ここまで溶岩があっという間に押し寄せたそうです!運動会中で児童を必死で避難させたとか!平成噴火で出来た溶岩ドームを自衛隊に攻撃させて人為的に破壊させるべきだったとか!


平成の噴火は 200年ぶりの噴火だったそうで、当時の生々しい様子をかき氷のおじさんが僕に熱く語ってくれました。


島原の乱でキリシタンは根絶やしにされたので、おじさんたちはキリシタンじゃないそうです。今、島原半島に住んでいる人たちは島原の乱の後に全国からここに入ってきた人たちの末裔なんだそうです。島原でそうめんが特産なのも島原の乱後にここに入植した人びとが住んでいた小豆島がそうめんの産地だったからだそうです。


貴重な話をナマで聞けてホント良かったです。


それにしても島原の人たちってホント温かいです。
この旅で出会った人はみんな暖かいです。
島原に来て良かったです!!



結局、親切な僕はすべてのテントで買い物しましたよw
もう一つのテントでは飲みもの買いました。
南高果樹農業協同組合さんのテントらしかったんですが、梨も売ってました。重くて荷物になるので今回は買えませんでしたが、南高みかん、馬鈴薯、玉ねぎなどを帰ったら注文しないといけないですね!


日本の西の端

南国の太陽の

光をあびた

みかんば

食べやんたい



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