黒島の土となったマルマン神父のお墓 ‐ クルスの島で永遠の眠りにつくマルマン師
燦々と光輝く十字架の島に永眠するカトリック神父と信徒たち
黒島 カトリック共同墓地(小田平墓地)
行年63歳 マルマン師のお墓
木々のトンネル
相浦港に近づくフェリーから見えた光る海
令和4年(2022年) 4月16日 村内伸弘撮影
黒島天主堂の案内板
マルマン神父と黒島天主堂
ヨゼフ・フェルディナンド・マルマン(1849年~1912年)は 1849年3月26日、フランスで生まれた。パリ外国宣教会に所属し、1877年(明治10年)に来日した。最初は五島の堂崎で布教・福祉活動を行い、ついで 1892年(明治25年)に長崎の伊王島に赴任した。そして、1897年(明治30年)に黒島の主任司祭として島を訪れた。彼は一つの大きな日的を持って黒島に赴任した。それは島に天主堂を建てることだった。島にやってきてすぐ、マルマン神父は信徒たちの前で、「私がこの島にやってきたのは、天主堂を建てるためです。これを成し遂げられないのであれば、私がここにいる理由はあり主せん。」と言い切り、天主世建設に向けた決意を示した。
ジョゼフ・フェルディナン・マルマン
彼は情熱と才能あふれる人物で、天主堂の設計から、資金集め、工事監督んをこなし、さらには祭壇の装飾を「自ら彫刻し、説教壇も作った。神父と信徒の懸命な努力の末、5年後の 1902年(明治35年)に天主堂は完成した。完成後も神父は島に残り、それから 10年後の 1912年(大正元年)8月22日、「私が逝くとき、霊魂に天の栄光がたまわるようとり行わせたまえ」との言葉を残し、その信仰に捧げた一生を終え、黒島の土となった。カトリック共同基地にある彼の墓は復活の記念碑や天主堂と共に、黒島カトリック信徒の宝となっている。
平成24年8月16日
盤面 佐世保市教育委員会
石碑 カトリック黒島教会
黒島カトリック信徒の宝・マルマン神父のお墓にお参りします。
カトリック共同墓地(小田平墓地/こだびらぼち)
埋葬の方法はすべて土葬だそうです
マルマン神父の墓(Grave of Father Marmand)
静かです。誰一人いません。
この先にマルマン神父のお墓があるようです
十字架のお墓が立ち並ぶ様子はまさに長崎です
こんな言い方がいいのかどうかわからないんですが、お墓らしいお墓だと思います。死んで土に還る。お墓らしいお墓だと思うんです、こういうお墓こそが。
マルマン神父の墓(Grave of Father Marmand)
HIC JACET CORPUS
JOSEPH-FERDINANDI MARMAND
1849-1919
黒島に尽くし、黒島の土となったマルマン師
1912年(大正元年)8月23日永眠
マルマン師之墓
行年 63歳
マルマン神父はここに永眠している。黒島の土となって永遠の眠りについている。
マルマン神父のお墓を取り囲むように他の聖職者や信徒のお墓が並んでいます
合掌
長崎の墓地は山の上や丘の上にあるんです。風が通って、光があふれて、いつもすばらしいと感じています
ピントが見事にあいました
黄色い花が美しい
いいな。緑の木々や草に囲まれて、そして海に囲まれて。
山に見守られて。
黒島 カトリック共同墓地(小田平墓地)。ステキなステキな墓地でした
あっ!青い空にも見守られていますね
僕・村内伸弘は去年 4月に五島へ行ったとき、堂崎天主堂でマルマン神父の銅像をみています。
堂崎天主堂(堂崎教会) 長崎県五島市
(左)マルマン神父 (右)ペルー神父
マルマン、ペルー像(復活の夜明け)
1873年キリシタン禁制高札撤去後の日本宣教は、パリ外国宣教会によって行われた。堂崎にはフレノ師につづき初代主任司祭マルマン師が訪れた。
マルマン師(向かって左側)は 1877年より約10年間下五島全域の宣教、潜伏キリシタンの復帰に努めながら、奥浦慈恵院へと続く孤児・貧児の救済事業を始めた。
1888年よりペルー師(向かって右側)が 2代目主任司祭となり、1899年には井持浦に日本最初のルルド建立、1908年5月10日に現在の赤レンガゴシック様式堂崎天主堂を献堂し 30年に及ぶ宣教司牧の日々を堂崎に捧げた。
五島キリシタン復活の礎となった二人である。
奥浦慈恵院(1968〜2006)」
ペリュー神父(ペルー神父)が私財を投じた児童養護施設
パリ外国宣教会の宣教師たちが初めて五島で本格的な布教を始めた頃は、五島の人々は非常に貧しく、双子のひとりや障害児などを闇に葬る「間引き」が行われていました。そのため、堂崎に初代教会を建設したマルマン神父が、こうした不幸な子らの救済に乗り出しました。神父の賄いをしていた女性たちを中心に、カトリックの家族の娘たちに協力を求め、大泊の一民家を借りうけて養育を開始したのが、「児童養護施設奥浦慈恵院」の起源です。当時は「子部屋」と呼ばれていました。
明治13年(1880年)、堂崎に教会を建設するのと同時に子部屋を堂崎に移転しました。後任のペリュー神父は、ご母堂の遺産を投じて赤瀬の山林を購入、開墾し、明治37年(1904年)この地に新たな養育院を完成させました。
当時、女性たちは農耕作業や行商により収入を得、それを子どもたちの養育にあてるなど、まさに自給自足の時代でした。明治42年(1909年)、財団法人として認可を受け、奥浦慈恵院となって平成18年(2006年)には平蔵町に移転しています。
五島市教会巡りハンドブックより引用
サイクリングを再開します
見えますか?ヤギがいますよ
食事ができるカフェがあると聞いていたんですが、到着しました
Cafe海咲(みさき)
おしゃれな感じです
九十九島の恵 黒島の天水
この天水のパンフレットにこう書かれていました!
黒島は「水島」でもあったのです!!
水資源がとても豊富なことから、黒島はその昔「水島」と呼ばれていました。
電動自転車とはいえ、ひさしぶりのサイクリングで疲れていたので黒島のお水、美味しかったです
くろしまっぷ
坂道のアポロン ロケ地マップ
スパゲティ ミートソース
レモネード
松田聖子の名曲「レモネードの夏」を思い出すようなさわやかで甘い味でした♪
ルルドの丘
すごいです!ルルドの泉もありました!
ルルドのマリアさま
帯の水色、いつ見てもうつくしいです
やや憂いを帯びたかのような表情で両手を合わせていらっしゃいました
蕨(わらべ)展望所
潜伏キリシタンの黒島への移住
1797年(寛政9年)、伝染病の流行による人口減少や領内開発のため人手を求めていた五島藩と、特に外海地方での人口過剰と耕地不足に悩んでいた大村藩との間で、農民の移住協定が成立し、外海地方から五島へ多くの人々が眼下に広がる海原を船で渡った。
その多くが潜伏キリシタンであった。
五島に新天地を求めた潜伏キリシタンたちであったが、農地に適さない僻地や離れ小島も多く安住の地ではなかった。
そのころ黒島には平戸藩の牧場があり、自由に入植することができなかった。
しかし 1802年(享和2年)に牧場が廃止され、他藩からの入植も容認するようになった。
そのため五島へ向かっていた外海地方の潜伏キリシタンたちの一部が黒島に移住することになったと考えられる。黒島に移住した潜伏キリシタンたちは信仰を秘かに守り続けた。
明治初年には五島崩れによる弾圧を避けた人たちも五島から受け入れ、禁教が解かれた後、「カトリックの島」として知られるようになった。
蕨展望所(わらべてんぼうしょ)から断崖絶壁の長崎鼻がハッキリと見えました!!
長崎鼻
青くうつくしく広がる五島灘
雄大ですね!雄々しいです!!
八王子だとこういう景色がないんだよなー
東シナ海の荒波によって削られた断崖絶壁の長崎鼻を見ながら、僕は深呼吸して光と風を浴びました
今、僕・村内伸弘は黒島の自然を満喫しています!!!!!
まあ、この蕨展望所は日当たりが良い良い。お花が咲き乱れていました!!
鮮烈なグリーンと鮮烈なピンクの大共演♪♪
曹洞宗興禅寺
やー海が青い~
すごい色ですね!大感動です!!
毎日こんな海みながら暮らせるなんて、ただただうらやましいの一言です
黒島の集落(本村の集落)
この辺りの集落は黒島で最初に形成された集落だそうです。このうつくしい景色見てると先人たちの気持ちがよーくわかります。
黒島港が見えました
港に帰ってきました。
フェリーくろしま
港の周辺
まだ時間があるので電動自転車でもう少しだけ走ってみます
こういう風景、こころが落ち着きます
島を走る。自転車で走る。
赤茶色の土も、碧い海も、本当にすばらしい!
木立のトンネルを発見!これは通るしかなーい
出航の 15:30までまだ時間があるので、うっかり見逃してしまった信仰復活の地を見に行こうと思ったんですが 1トラブルで船に乗り遅れると思って途中まで行ったんですが断念しました
またいつの日にかここ黒島を訪れて信仰復活の地に参拝したいと思います
赤線は世界遺産巡礼の道
フェリーくろしまの全景
純白と水色、こう見るとまるでマリアさまのようにうつくしい船です
船からは絶景!!
さようなら黒島
圧倒的な海の豊かさを感じます!あなたも感じるでしょ!!!!
マルマン神父かあ、、、
偉いよね。ペルー神父も、ド・ロ神父も、コルベ神父も、偉いよね。明治時代、日本に来ていた神父たちは偉かったなー
貧しい人々のために、私財をつぎ込み、全身全霊献身的に働き続けた神父たちの姿
感謝しかないよね
我ら日本人は、マルマン神父たちのそんな姿を忘れてはいけません。。。
高島に再び入港
ようこそたかしまへ
夕日に照らされた五島灘、キラッキラです!!
劇的~!
相浦富士も再び見えてきました!
海が光り輝いてまぶしいです!!
シャッターを押します、無我夢中で
うわーーーっ!
相浦港光ってるぅ
下船して、再び松浦鉄道の相浦駅に僕は立ちました
松浦電鉄に乗って、佐世保に帰ります
黒島の余韻が心地よいです。
▼今回の長崎旅行
・松浦鉄道「肥前ウエストライナー」に MR松浦駅でいきなり出会えました
・アジフライの聖地でアジわう松浦アジフライ憲章通りのアジフライ定食
・道の駅 松浦海のふるさと館~大江戸温泉物語 西海橋コラソンホテルへドライブ
・佐世保駅でMR松浦鉄道「肥前ウエストライナー」を大激写。もちろん乗ります
・MR松浦鉄道乗車記 長崎県の佐世保駅から相浦駅(相浦港)へ、黒島へ
・相浦港からフェリーくろしまで世界遺産「黒島」へ
・黒島ウェルカムハウスで黒島のことを知る、電動自転車もレンタル
・黒島天主堂など黒島の集落を世界遺産サイクリング♪♪
・黒島の土となったマルマン神父のお墓 ‐ クルスの島で永遠の眠りにつくマルマン師
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