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村内 伸弘(むらうち のぶひろ)村内伸弘の彼女

長崎のロシア村。"稲佐お栄" お栄さんの道から烏岩神社を歩く

長崎の三大女傑(大浦お慶、楠本イネ、稲佐お栄)の一人 "おろしゃお栄"こと稲佐のお栄さん!ロシア人乗組員から「我らがマーチ(母)」と呼ばれ、日本人からは「非国民」と呼ばれた道永栄!あのステッセル将軍上陸の地もレポート。

長崎三大女傑の一人!流暢なロシア語でロシアとの交流に尽力した稲佐お栄


稲佐のお栄さん(おえい 道永お栄/道永栄/道永エイ)
万延元年(1860年)~昭和2年(1927年) 熊本県天草生まれ


"おろしゃお栄(オロシアおエイ)"こと稲佐のお栄さんの道


幕末・明治のいわゆるロシア村
令和2年(2020年) 8月14日 村内伸弘撮影



長崎ロシア村!
長崎にロシア村があるのを知ってますか?
僕はつい最近まで知りませんでした。
今回の旅でロシア村絶対に訪れようと思ってました。どうぞご覧下さい!


神の島教会下から乗った長崎バスを旭町桟橋前バス停で下車。
"おろしゃお栄"こと稲佐お栄が活躍したエリアを歩いてみます


幕末や明治の頃、この辺りはまだ海で、写真の奥の方のエリアが「ロシア村」と呼ばれていたそうです

平戸小屋船溜まり(長崎市旭町)


ホテルヴェスナ跡
明治26年(1893年)にお栄が長崎港を望む稲佐岬にオープンしたさせたホテルヴェスナはこの辺りだったと思われます。たぶん、タクシーが走っている道は当時海だったはずです。ヴェスナとはロシア語で春の意味だそうです。


道永お栄のホテルヴェスナ(現地案内板より)


道永お栄のホテルヴェスナ(現地案内板より)



長崎港近くを歩いてみます


っていうか、空が青すぎ!!すばらしい天気に恵まれました。

旭町桟橋付近


写真右上が稲佐山です



海から歩いてすぐ、ステッセル将軍上陸の地に到着~

ステッセル将軍一行上陸の碑(長崎市丸尾町)


ステッセルって、あのステッセルですよ。
ステッセルって、あの日露戦争の水師営の会見のステッセルです。
「敵の将軍ステッセル♪」のステッセルです
「所はいずこ出師営♪」「昨日の敵は今日の友♪」のステッセル将軍です!


ステッセル将軍一行
背景に写っている山は今ももちろんあって、英彦山(彦山)だと思います。


「(明治)天皇陛下はステッセルの(旅順)苦戦を嘉(よ)みし、武士の名誉を保たしむ可き旨、攻囲(乃木)軍司令官に電命せらる。ステッセル将軍は帯勲帯剣のまま、敬すべき軍人として、最上の早き時間内に於て放還されるべき事に我が大本営は夙(つと)に決議しあり」

明治38.1.3  東洋日の出新聞



日露戦争って、明治維新を成し遂げ、欧米に追いつけ追い越せでやってきた近代ニッポンの金字塔だったんですが、"敵の将軍"ステッセルに対する接し方などを見ても、ニッポンは一流の国だったということが本当によくわかります。


そして、明治というわが国にとっての栄光の時代を誇らしく思います!


長崎はこういう水辺の風景が絵になります


情緒のある船溜まりの風景


平戸小屋船溜まり(船溜まりの手前が長崎市丸尾町、向こうが旭町です)



僕は今、お栄さんの道目指して歩いています

大きな錨がついた建物
軍艦島上陸や軍艦島周遊クルージングの会社のようです


絵になりすぎです!感動します!!


お栄の桟橋があった辺り


お栄の桟橋(現地案内板より)



振り返って長崎港方面を見た景色


黄金橋(こがね橋)



長崎丸尾郵便局の中に入ってみました

広報ながさき  2020年8月号
「被」「爆」「75」「年」「長」「崎」「か」「ら」「平」「和」「へ」「の」「思」「い」「世」「界」「へ」「発」「信」



長崎ロシア村にもう僕は入っているはずです


その証拠に丸尾公園横で看板を見つけました♪♪

幕末・明治の丸尾山、大鳥崎と平戸小屋郷異国人休憩所(当初は𠸄咭唎人休息所とも言っていました)
※平戸小屋(ひらどごや)


ジャーーン!稲佐のお栄さん(道永栄)のお顔で~す♪♪

稲佐お栄(道永栄)


お栄さん、すっごい美人じゃないですか!!
こんな色白美人がいたら、明治時代とか令和とか関係なく男はなびきますよね 笑
日本とかロシアとか関係ないです。地球上の男はみんななびきますwww


私ごとですが、僕の曾祖父(ひいおじんちゃん)は一という名前なので、おさんにはその点でも親近感を覚えます。


お栄の桟橋
道永お栄は、明治33年(1900年)に船津郷48(のち旭町4丁目55)から平戸小屋185(烏岩神社の下)に移り、本宅(2階建)、北側にホテル(平屋建)を作る。
その移転の時から、現丸尾町の埋立(完成は明治37年11月半ば)の中途まで桟橋を利用したものであろう。


お栄本宅(2階建)とホテル


ステッセル将軍 お栄のホテルから出発


もう一度言います!
ステッセル将軍ですよ!ステッセル将軍~ん!!
ステッセル将軍って、あの日露戦争の旅順攻囲戦で第3軍司令官の乃木将軍に降伏を申し入れたロシア旅順要塞司令官ですよ!!水師営とか二◯三高地という歴史の主役ですよ、ステッセル将軍は!!!!


来てたんですねー
ここ長崎に!
来てたんですねー
ここロシア村に!!



ホテルヴェスナ。さっき見た崖のところですね。


現在地


大鳥崎とお栄のホテル・ヴェスナ


長崎平和盆踊り大会 開催中止
ああ、この盆踊り大会だけは「やる」って頑張っていたハズなんですが・・・



おっ!お栄さんの道(階段)が見えました!!

来た道を振り返った光景


お盆の提灯が民家の玄関先に飾られています


長崎四国第八十六番霊場 鳥居大師堂(長崎市大鳥町)


鳥岩神社の鳥居(お栄さんの道の登り口)


お栄さんの道


あの明治の美女がこの道を行き来してたんです!


この石段を稲佐お栄が上っていくのが皆さんには見えませんか?
ハッキリと彼女の姿が僕には見えています。


感慨深いです。
ああ、この辺りがロシア村と呼ばれていた頃に僕は今完全にタイムスリップしています。



"ロシアのステッセル将軍・クロパトキン陸相も通った" 国際親善の女傑 お栄さんの道


稲佐お栄と親しまれた道永エイは、万延元年(1860年)天草四郎時貞で有名な天草大矢野島で出生、12歳の頃来崎し、シベリア・上海へもロシアの軍艦で渡り、長崎に落着いた後はホテル業を以て国際親善につくした。坂本龍馬ら勤皇の志士を助けた大浦お慶、日本で始めての西洋流女医シーボルトおいねと共に長崎の三大女傑といわれる。昭和2年(1927年)数え年68歳で波乱の生涯を閉じた。


道永 栄(エイ)

<1860年~1927年 熊本県(天草)生まれ>

明治13年(1880年)頃稲佐に移り、ロシア将校クラブで働くことになりました。当時、ウラジオストックを本拠としたロシアの艦隊が冬季、長崎港に大挙入港したので、稲佐はロシア人の町として空前の賑わいを呈していました。お栄は持ち前の気風の良さと社交性で、ロシア人達の憧れの女性となり、「稲佐お栄」と呼ばれましたが、その名は遠くロシアの宮廷にまで聞こえたといいます。お栄が本宅兼ホテルを建てたのは、明治33年(1900年)のことで、本宅は木造2階建て、ホテルは木造平屋建でした。ロシア皇太子ニコラス2世が来訪の際やクロパトキンらロシア貴族将校などの接待には、お栄が幹事をつとめました。お墓は、現在朝日小学校の下にあります。

道永 栄 / Ei Michinaga

万延元年(1860年)~昭和2年(1927年) 熊本県天草生まれ。茂木での奉公を経て、稲佐のロシア人将校クラブで働きながらロシア語を学びます。その後ウラジオストックや上海へも渡航し、帰ってからは旭町の高台に、ロシア将校のためのホテルヴェスナを開業。日本とロシアの交流に尽力し、ロシア人乗組員からは「我らがマーチ(母)」と呼ばれていたとか。

長崎さるくコースマップ07 浦上と稲佐より



道永 栄(1860年~1927年)
流暢なロシア語と社交術を身につけたロシア人達の憧れの女性だそうです(笑)
ステッセル将軍も、クロパトキン陸相も、明治時代のロシア人たちはこの美貌にメロメロになっちゃったみたいですねw
令和の日本人である僕も完全にメロメロですけどwww



さあ、お栄さんの道を歩き始めます

この階段道をかつてロシアのステッセル将軍やクロパトキン陸相も通ったわけです


こういうオブジェwもたのしいです


暑いです。めっちゃ暑いです。


いわゆる坂段が続きます


お栄さんの「道」じゃなくって、お栄さんの「坂」ですよ。間違いなく。


今もこうやって坂の途中や坂の上で暮らしている方がたくさんいらっしゃいます。長崎は日本一の坂の街です。


ははは。お栄さん、確実に健脚だったはずです。この坂段を上り下りするわけですから。


相当キツいです。特に夏は!


レンガの塀もありました。



だいぶ高くまで上ってきました。空の色がまさにスカイブルー♪♪

ワンダフル!斜面に建てられた長崎独特の景観が目の前に広がります


途中、迷いそうになりましたがなんとか烏岩神社にたどり着けそうです。


大丈夫です。烏岩神社の鳥居が見えました♪♪


この辺りにお栄さんの家があったと思います


ここで民家が終わりで、神社の境内になるので、お栄さんの家この辺りで間違いないと思います。


大きなクスノキに圧倒的パワーを感じます!!


"稲佐お栄"の夢の跡


ただ一つ、覚えておかなくちゃいけないことは、日露戦争の時にお栄は「露探」「ラシャメン」「非国民」などと罵られて、自宅に投石されるなど同胞である日本人から迫害される日々が続いたこともあったようです。。。


お栄さんの人生、波乱の人生ですね。。。


烏岩神社(からすいわじんじゃ)


神額には烏岩 正一位稲荷大明神と彫られています。江戸時代の 文政10年丁亥ですから 1827年の鳥居です。約200年前の鳥居がこうやって残っている。すばらしいですよね!


向って右の柱には「平戸木家村中安全」とも彫られています。さっき下界の案内板でこの辺りは「平戸木屋郷」だったと書かれていたの平戸木村=平戸小村(平戸木郷)ということでいいんだと思います。実際、令和の今も平戸小町という町名が残ってますんで。



見晴らし台のようなところがありました。

見晴らし台(烏岩神社横公園)から見えた眺め



長崎港が一望できます!!

烏岩神社横公園


大きなクスノキの木陰が気持ちいいです。すべり台も長崎の風景に溶け込んでますね!


ちなみに写真左の英彦山(彦山)はさっき通ってきたステッセル上陸の際の古写真にも写ってました。


神社の境内に入りました。
烏岩神社と書かれた赤い鳥居をくぐります。

烏岩大明神


ありがたいお稲荷さんにしっかりお参りしました。


平戸小町と街区表示板にも書かれていました


お栄さんの道は烏岩神社でゴールだと思います。



これから烏岩神社から稲佐国際墓地に歩いて向います




令和2年(2020年) 8月16日
先日すべてを見切れなかったので長崎滞在の最終日、再びロシア村を訪れました。


料亭ボルガ跡(志賀の波止場)


お栄が最初働いていた料亭ボルガがこの辺りだったと思われます。長崎さるくのパンフレットにも志賀の波止場と書かれていますのでここもやはり海だったはずです。



ブロックとレンガと石垣が並ぶロシア村の階段


長崎日ロ協会の「ロシア村」の案内板がありました

幕末・明治のいわゆるロシア村


お栄拠点屋敷、ロシア海軍借地など言葉がありました。正真正銘、ロシア村ですね!


ロシア人上陸場取締役人・ロシア通詞勤番所


道永お栄のホテルヴェスナ


ロシア海軍借地の写真


福田本邸
おおっ!ロシア人が間違いなくこの写真には写ってます!!


福田別邸(ロシア海軍士官クラブ)


諸岡おマツ(諸岡マツ)の料亭ボルガ



夕日が暑いです。この階段を上ります


お栄拠点屋敷の跡地


明治時代に時計の針を戻せば、ここ、この場所にお栄さんがいたんです!!



別の階段を下りて、下界に戻ります


諸岡マツが営んでいたロシア人相手の料亭ボルガはたぶんこの辺りにあったと思います



道路の下の広場にもロシア村の案内板がありました

看板を設置してくれてるのは長崎日ロ協会さんという協会のようです


大麻の使用は有害です!だって~ どがん害のあると?
朝日校区の子供を守る会の俳句もいいね~


諸岡マツの料亭ボルガ、この辺りだったかもしれません。
碑も何もないので、場所が特定できませんがとにかくこの辺りのはずです。



暑い!暑い~!
もう歩けませーん。長崎駅方面へバスに乗って帰ります。


旭町バス停



路線バスに乗りました。

新しい生活様式を上手に取り入れながら 長崎のお店や企業を応援しよう!!


「長崎を最後の被爆地に」



最後になりますが、"国際親善の女傑 " お栄さんが生まれた熊本県の公式観光サイトに貴重な情報がありました。引用させて頂きましたので皆さんぜひご覧下さい。


大矢野生まれの女傑 「 オロシアおエイ 」

郷土史家・大矢野町在住 水野 敏行氏


深いロシアとの縁

「オロシアおエイ」あるいは「稲佐お栄」と呼ばれた大矢野町出身の女傑をご存じでしょうか。


長崎市稲佐に「お栄さんの道」と刻まれた記念碑が建ち、そこには次のように記されています。〈「稲佐お栄」と親しまれた道永エイは万延元年(1860年)天草四郎時貞で有名な天草大矢野島で出生、12歳の頃来崎し、シベリア・上海へもロシアの軍艦で渡り、長崎に落着いた後はホテル業を以て国際親善に尽くした。坂本龍馬ら勤皇の志士を助けた大浦お慶、日本で始めての西洋流女医シーボルトおいねと共に長崎の三大女傑といわれる。昭和2年(1927年)数え年 68歳で波乱の生涯を閉じた」〉


私がお栄さんのことを知ったのはもう 24年前のことです。新聞記事で読み、同郷の大矢野生まれということで興味を引かれました。さらに、私の家にすぐ近くにお寿司やさんがあり、そこの直江ヤス子さんという方が親戚筋に当たるばかりが生前のお栄さんを知っておられました。話を聞くにつけいよいよ関心が深まりました。


お栄さんの家は大矢野町の登立宇治郎田光瀬家の出身で、光瀬家は代々庄屋をつとめる家柄でしたが、12歳の頃両親を亡くしたため遠縁を頼って長崎へわたり、やがてロシア将校クラブで働くことになります。


当時の長崎市稲佐はロシア極東艦隊の基地として栄えていました。冬の間、ウラジオストックが氷に閉ざされるため稲佐を母港代わりの使っていたからです。教育こそ受けていませんが、努力家で頭の良いお栄さんはじきにロシア語も覚えます。「オロシアおエイ」のスタートです。


ニコライ皇太子を接待

私が所持している二葉の写真があります。21歳の頃と40歳の頃のお栄さんです。なかでも 21歳時のお栄さんはとても明治初期の女性とは思えません。現代でも立派に通用する美人です。ロシア艦隊のアイドルとしてとしてペテルブルグ(現レニングラード)まで聞こえたという話も頷けます。


昭和49年(1974年)、宝塚劇団が有馬稲子主演「鶴の港長崎異人館」と題してお栄さんの生涯を劇化し好評を博しました。ただこうした場合、実在の人物と演じる人物とでは相手はやはり女優さんです。魅力という点では、どうしても舞台の方に軍配があがってしまうものです。でもお栄さんに関しては勝るとも劣らない、それほどの美貌の持ち主でした。


しかし、お栄さんの真の魅力は美貌ではありません。長崎の郷土史家・原勇氏は「お栄さんは路傍に額づく乞食の心も、玉座にある皇帝の心もちゃんと心得ていた。それほど人心の機微をつかむことができ、またどんな難関にぶつかっても平気で突破前進し、どんな事業でも成し遂げるだけの才能と勇気と忍耐と意志の力をもっていた」と感嘆しています。私もヤス子さんから聞いた一つのエピソードを思い出します。それは子供の頃、ヤス子さんが魚屋を訪ねた印象として「狭くて汚かった」と答えたとき、お栄さんから厳しくしかられ「親のしつけが悪い」とも言われたそうです。お栄さんはホテル業で大成功を納めますが、終生どんな相手にでも分け隔てなく接する心の持ち主でした。


そのお栄さんのハイライトというべきはおしのびで来たロシアのニコライ皇太子の接待役を務めたことです。持ち前の開放的で洗練された社交性で見事に民間外交官の役を果たしました。皇太子はその直後に日本人に斬りつけられる「大津事件」に遭遇するだけに、お栄さんの心からのもてなしが唯一の思い出深いものになったに違いありません。


晩年は奉仕と供養の日々

お栄さんは「ロシア艦隊の母」とも呼ばれました。しかし、ロシアと日本の関係は次第に悪化します。お栄さん自身もロシアのスパイといった目で見られますが、いささかも動じることはありませんでした


日露戦争をはさんでロシア陸軍大臣クロパトキン、旅順要塞司令官のステッセル将軍がお栄さんのホテルを訪れています。ステッセル将軍がお栄さんのホテルを訪れています。ステッセル将軍は捕虜としてでした。お栄さんは紋付きの礼装で迎え、極上の紅茶を出して丁重に対応しました。


ロシア海軍の滅亡はお栄さんのホテル業の終わりも意味したはずです。しかし、さすがはお栄さんです。稲佐から茂木へと場所を移し、以前にも増して立派なホテルを建てて見事に再起するのです。


お栄さんの晩年は社会奉仕とロシア将兵の供養の日々に費やされました。日赤に匿名で多様の寄付をし、悟眞寺にあるロシア人墓地の手入れの面倒を見ました。実はそのことが平成3年(1991年)、ソ連(当時)元首としては初めてのゴルバチョフ大統領の稲佐のロシア人墓地の墓参にもつながりました。また、お栄さんがずっと胸を痛めていたことはニコライ皇太子、すなわち後のロシア最後の皇帝ニコライ二世がロシア革命で家族ともども無残に処刑されたことでした。しかしそれも平成12年(2000年)、ロシア正教会がニコライ二世とその家族を「聖人」に列することを決定しました。名誉は回復されたのです。


お栄さんは数え年 68歳で亡くなりました。最期を見とった医師によると、枕元で泣いている家族を見やり「人間死ぬのは当たり前。なんで泣くのか」とたしなめたということです。まさに女傑にふさわしい生涯でした。

もっと、もーっと!くまもっと。より引用



ちなみに、長崎県の民謡「長崎ぶらぶら節」でもロシア(オロシャ)のことが歌われています。嘉永6年(1853年)、長崎に開港を求めにやってきたプチャーチンが幕府と交渉をしている間、長崎港界隈をぶらぶらと見物するロシア水兵のことを歌っているそうです。長崎は中国やオランダだけじゃないんですね!

今年ゃ十三月 肥前さんの番変わり

四郎ヶ島(城ヶ島)の見物がてらに

オロシャがぶうらぶら

ぶらりぶらりと

云うたもんだいちゅう


「長崎ぶらぶら節」  歌:愛八



(おまけ)8月14日、お栄の道へ行く前に立ち寄った海岸道路のとんかつ屋さん

旨いとんかつ 海老フライ 文治郎


文治郎のとんかつ


とんかつ屋さんにあった長崎新聞 コロナ禍「もやい船」縮小も


食事中のマスク入れ


「日本棚田百選」の棚田米を使用


上ロース + 海老カツにします


上ロース + 海老カツの到着~


とんかつも海老カツもめっちゃ旨い!


棚田米もめっちゃ旨い!


ごちそうさまでした~☆


(参考)

長崎のロシア旧蹟



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