長崎・寺町通り散策 おイネさんのお墓が幣振坂を上った皓台寺にありました
シーボルトの娘&大村益次郎の恋人・楠本イネやシーボルトの妻・楠本タキが長崎に眠っていました
幣振坂(へいふりざか)入口
幣振坂(へいふりざか)の上の方
実相院法林恵空大姉 明治四六年廿六日没 楠本イネ 七十七才
おイネさん/楠本イネの墓(楠本家之墓)
平成30年(2018年)11月4日 村内伸弘撮影
動画制作: 村内伸弘(ムラウチドットコム)
長崎のおいしいお寿司を食べて、気分はハッピー!
長崎の秋の青空を見ながら歩いて最高の気分!!
寺町通りに入ってきました。
寺町通り(長崎県長崎市寺町)
左が皓台寺(こうたいじ)、右が幣振坂
※写真下部、手前の道が寺町通り
「亀山社中誕生」秘話
「使いまっせ!亀山ば!」
今回は亀山社中には行かない予定なんですが、左上の地図を見るとこの近くに龍馬に亀山の地(伊良林)を世話した高田家があったようです。
「銀屋町」その町名の由来は
読んで字の如く、昔、この辺りに銀細工職人が多く住んでいたからみたいです。
上野彦馬生誕地の記念碑
上野彦馬が使っていたカメラが石像になってました。
このカメラの複製は 8月に長崎歴史文化博物館で見ました。
上野彦馬生誕之地
上野彦馬は、天保9年(1838年)、銀屋町16番(現、長崎市銀屋町)に生まれた。父・俊之丞は、長崎奉行所の御用時計師で、ダゲレオタイプ・カメラ(銀板写真機)を日本で初めて輸入した。彦馬は 16歳から広瀬淡窓の私塾・咸宜園で漢学を学び、その後、長崎に戻り、オランダ海軍医ポンペのもとで舎蜜学(せいみがく/化学)を学んだ。このとき湿板写真術に興味を示し、津藩士堀江鍬次郎とともに、フランス人ロッシェについて、写真術を学んだ。
文久2年(1862年)、彦馬は、中島川河畔に商業写真館・上野撮影局を開設。高杉晋作ら著名人の肖像や各地の風景を撮影し、貴重な写真を後世に残すとともに、多くの門人を育成し、わが国写真業界の基礎を築いた。
また、明治7年(1874年)金星観測の写真撮影に参加。さらに、明治10年(1877年)には西南の役に従軍し、日本初の従軍写真家として活躍し、明治37年(1904年)65歳でこの世を去るまで、写真技術の発展に多大な功績を残した。
長崎は「日本で初めて」が実に多いですね。高杉晋作の肖像も坂本龍馬の肖像も非常に有名ですよ。あれ彦馬が撮ってるんですね。ってことは彦馬は晋作にも龍馬にも直に会ってるわけですか!羨ましいな~☆
時津風部屋がなぜここに??(謎)
どうやらここに部屋があるんじゃなくって、今の時津風親方(元時津海)が長崎出身でこの社団法人が応援しているみたいです。
奥が幣振坂(へいふりざか)
少し離れたところから見ると幣振坂、結構急坂ですよ。夏じゃなくってよかったぁ~
鹿屠川(ししときがわ)
鹿屠川(ししときがわ)
300年ぐらい昔。大火事があり、長崎奉行は、町を 80と5つの川を創りました。その中の一つがししとき川で、八幡町から東浜町まで流れています。明治の始め、川の幅が狭くなり、その時に川底に石畳を敷いたそうで、いつまで経っても全く壊れずに現在までこうして残っています。
これ川だったんですねっ(^^)
長崎は奥深い!
幣振坂、上ってみましょう!!
幣振坂(へいふりざか)
晧台寺と大音寺の間の坂道。幣振坂の名前は、寛永11年(1634年)、諏訪神社の一の鳥居に使用するための石材を麓に降ろした際、宰領が御幣(ごへい/紙を切り細長い木に挟んで垂らした神祭用具)を振って、人夫達を鼓舞したことに由来するとも言われています。長崎では、この坂のほか延命寺と長照寺の間や東本願寺横の坂も幣振坂と呼ばれています。この坂は、長崎でロケがおこなわれた映画「解夏(げげ)」の冒頭やラストシーンに出てきます。
皓台寺(こうたいじ) 墓地地図
楠本家墓地(瀧と稲はシーボルトの妻子)
シーボルトの娘・おイネさんのお墓があるようです!!
遙か昔、司馬遼太郎が書いた「松蔭の優しさ」というエッセイを読んで、その時以来、おイネさんのことが心のどこかにひっかかっていたので嬉しいです。
お参りします。
晧台寺の山門
「晧台寺幼稚園」という金色の文字も見えるので、この中に幼稚園もあるようです。
晧台寺の境内
やったー
すごい写真が撮れました!!
ちょうどこのお顔に日が当たった瞬間を捉えきりました!
三面仏
この上の方におイネさんのお墓はありそうです
上りますよ~
写真右下、楠本イネの墓という文字と赤い矢印が見えますか?
楠本イネの墓
これも長崎の風景です!!
長崎って一体どれだけ表情があるんだろう!?
ぜひ、あなたも長崎に来て、この石段を歩いてみて下さい。
ご機嫌ですよ、ご機嫌~ん!!
秋とは言え、幣振坂の階段、結構キツかったです 笑
楠本家の墓に着きました
実相院法林恵空大姉 明治36年8月26日没 楠本イネ 77才
頭を下げ、手を合わせておイネさんや楠本家のみなさんにお祈りを捧げます。
おイネさん、ここに眠っています。
長崎の街を見下ろすこの場所で安らかに眠っています。
楠本家之墓
お墓のすぐ下に顕彰碑もありました。
顕彰碑 楠本瀧、楠本イネ、二宮敬作
楠本イネ(1827~1903)
おイネさん、我が国最初の女医と称されてもいるようです
楠本タキ(1807~1869)
二宮敬作(1804~1862)
楠本イネ遺言状
うつくしい長崎の街
緑の木、青い空
この幣振坂の階段を上に上がっていくと風頭公園に出られるらしいんですが、今回は上って来た坂を下ります。
クス(楠)の元(本)で "楠本"ですね!
生命力あふれる大楠!
幣振坂を下っていきます。下りは楽ですね(笑)
寺町通り(左側の道)に戻りました。
振り返った幣振坂。
幣振坂、すばらしかったな~
長崎は坂がいいね。
旧磨屋町(とぎやまち)をゆっくり楽しむ絵図
眼鏡橋の方に向かう道が磨屋通りというようです、今回は寺町通りを歩くのでパスします。
寺町通り
創業明治17年 萬順
元祖よりより 金銭餅
長照寺
料亭「一力」 長崎市諏訪町8-20
小唄辰己の碑(小唄辰己誕生の処)
小唄辰己
作詞 伊藤深水(美人画家)
作曲 常磐津三蔵(常磐津家元)
辰己やよいとこ素足が歩く
羽織りやお江戸のほこりもの
八幡鐘がなるわいな
長崎の料亭のなかでも最古の歴史を誇る老舗「料亭一力」で誕生した小唄の名曲。
伊藤深水は鎖木清方に師事し、女性の理型美を追求した日本画家で粋人でもあった(女優朝丘雪络の父)。
たまたま長崎に常磐津の指導のため滞在していた常磐津三蔵師匠と、一カの五右衛門風呂につかりながら口ずさんだのが深水画伯のこの唄。
風呂の縁を とんとん と拍子をとっての名調子だったと伝えられる。
辰己とは、東京の深川が江戸城から見て辰己(東南)にあり、この地の芸者は辰已芸者と呼ばれ、「いき」と「はり」を身上とし、薄化粧、素足に羽織り、男言葉を使っていた。
長崎~ぃ、どんだけいろんな人が来たんだよ~
どんだけいろんなできごとがあったんだよ~
ちょっと歩くといろんな歴史に出会っちゃうので、前に進みません 笑
めっちゃいい雰囲気。次回はここ一力で卓袱料理(しっぽく)料理を食べた~い☆
一力の向い側にあった坂道
あれ!?
ここも幣振坂
この坂道も幣振坂と呼ばれているようです!この辺りには幣振坂が2、3本あるみたいです。
ここも上りたいけど、今さっき別の幣振坂を上ったので今回はここはスルーします
幣振坂から見えた一力
古い地図の赤丸部分がこの坂です
寺町通りを歩いて進みます
こんな通りが長崎にあるとは、驚きです。
江戸時代にタイムスリップした感覚に襲われるました!
無料休憩所になってますw
寺町通りの脇道
そろそろ、長崎三福寺の一つ・"あか寺" 興福寺に到着します。
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長崎・寺町通り散策 おイネさんのお墓が幣振坂を上った皓台寺にありました
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