ムラウチドットコム社長・村内伸弘のブログが好き😍

ブログ三昧♪♪ ムラゴン、にほんブログ村、スポリート、ムラウチドットコム運営の CEO(調子イイおじさん)がブログに恋し、ブログに狂う☆

muragon(ムラゴン) にほんブログ村 inkrich(インクリッチ) スポリート ムラウチドットコム  決意53才

村内 伸弘(むらうち のぶひろ)村内伸弘の彼女

日本のチェ・ジウ!高祖母(ひいひいおばあちゃん)の 100年近く前の写真 村内ジウ

"ひいひいおばあちゃん(祖父母の祖母)"の肖像写真を発見しました!100年近い歳月を経過した貴重な写真です!とっても優しい女性だったことが一目でわかります!

高祖母 ジウおばあちゃんの肖像写真
八王子  C. SUZUKI  HACHIOJI (鈴木写真館?または写真家・鈴木氏に撮影してもらったと思われます)


村内宇三郎の妻  村内ジウ



チェ・ジウじゃありませんよー
村内ジウですw


僕のひいひいおじいちゃん(高祖父)の写真とともに、ひいひいおばあちゃん(高祖母)の写真が発見されました!!


撮影時期が不明ですが、100年近く前の写真だと思います!
大発見の連続で僕は今、大興奮です!


今年10月3日に大好きだった歌子おばあちゃんが亡くなって、遺品整理をズッと続けていますがこういう大発見に出くわしてとても嬉しい気分です。


人生は温故知新です。


温故知新とは
故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る。ってことです。
古いことをよく知り、吟味し尽くすことで今に通じる不変の考え方や行動様式を知れるわけです。


だから僕は故(ふる)きを温(たず)ねます♪♪



貴重な写真 村内家最古の写真(村内家に現存する最古のもの)


アルバムの 1ページ目の下にジウおばあちゃんの写真はありました


次男・村内萬助夫婦に囲まれるジウおばあちゃん


孫の孫である僕がこんなこというのも変ですが、スッゴクやさしく穏やかな顔をしている女性です。


ジウおばあちゃん


(右)ジウおばあちゃん  (左)村雄おばあちゃん


ジウおばあちゃんの孫が村雄おじいちゃん。村雄おじいちゃんの孫が僕・村内伸弘w


要するにとんでもなく古い写真です。
そして、この写真を一緒に見ていた親戚のおばさんが口にした言葉を痛感します。


「のぶひろ君、人生は短いよ。」



▼ジウおばあちゃんの夫・村内宇三郎

村内宇三郎(むらうち うさぶろう)
※僕・村内伸弘のひいひいおじいちゃん
※享年64歳: 安政2年/1855年~大正7年/1918年



村内家 15代主

村内宇三郎翁 略歴


翁は安政2年10月20日武蔵の国多摩郡留所村(現八王子市加住町)の村内助三郎翁の長男として生れ 15代当主となる。


村内家は先祖代々留所村の名主であり、千人隊の隊士でもあり、永年に亘り留所村を指導開発した名門である。


翁は年齢 7才にして地頭塚原但馬守の命に依り元服して、名主役を仰付らる「後見人として父親助三郎が当る」


一、宝印寺住職賢伝和尚に付て手習いをする

一、横浜港へアメリカのペルリ襲来の時、横浜港警衛に参加す

一、明治7年分家 村内登助翁の次女じゅうを娶り、ちか、しづの二女と栄一、萬助の二男を挙げる(挙げる=子を得る)

一、父の業を継ぎ、農業を営み、特に養蚕に志し、率先して桑園を作り、山林を開墾して耕地の拡大を計り、八王子市が別名桑都と唱えらるる元祖をなす

一、明治19年東京府下で最初に専用養蚕室を作り、企業の隆昌に寄与した

一、明治初期より白斜子(絹織物)の製造を始め、秋多町(秋川市)、福生市等の織物業者と協力して組合を作り、多摩川組と称し、押されて組合長となる

一、明治37年1月12日火災を起し、土蔵 2棟を残し家屋10棟全部灰燼に帰した。翁は不屈の気概を以って、2ヶ年間に 8棟新築して復興した

一、長男栄一が醤油醸造を志望したので翁は喜んでこの希望を入れ、大和田町の土地を買収、大正元年建築に着工、毎日徒歩で 7粁(キロ)の道を日の出前に現場に到着、帰宅は提灯にて毎晩9時、10時に帰宅して工場住宅を完成せしめ醸造40年の元を築き、今日のムラウチ電気の基礎を作る

一、年齢19にして父親の村用掛を代行して、地租改正を行い、現在の土地公図を作製した

一、公職としては村会議員、学務委員、織物組合長、消防組頭、道路改修委員長、その他地域社会のあらゆる事業に参画した

一、俳句を良くし、号を東光と称す

一、剣道は戸吹町松崎和太郎氏の教えを受け、免許を授けらる


翁の言葉と行い

一、家業に精励し、貯蓄を行い、資産を作れ。生活の安定は財産を持つことである。資産を作ったら、その幾分かを社会公共のために寄附するように心掛けべし。子孫ばかりに譲るのが財産ではない、真の財産は社会大衆の信用と寄附をした金である

一、常に大衆の恩義に感謝し、報恩の念と礼儀を忘れてはならない

一、身分の高い人より身分の低い人に礼儀を厚くすべし

一、事業は研究する、意を決したら必ず頑張ること

一、元気の無い人間は死んだも同様。元気を出せ

一、翁は「何くそ」と書いた扇子を常用した負じ魂の持主であった

一、道徳心のある人間を作るために、先祖を敬い、子孫の教育にも身を以って示したのである


昭和48年12月

村内家16代 村内萬助


村内家過去帖


村内家過去帳より


15代 宇三郎妻 村内ジウ 法名: 功徳院釈貞覚妙証大姉


ジウおばあちゃんは昭和7年(1932年)6月17日に 77歳で亡くなったようです。1932年に 77歳なので、1932-77=1855となります。1855年前後の生まれだと嘉永7年とか安政元年とか要するに江戸時代の生まれだったようです。


南無阿弥陀仏 ♪♪



▼あわせて読みたい関連記事

村内宇三郎(むらうち うさぶろう)



村内宇三郎(村内伸弘の高祖父)

大正元年10月19日夜、高祖父・宇三郎が息子・栄一に宛てた手紙


明治生まれのおばあさんの米寿祝いの赤いちゃんちゃんこ姿が ス・テ・キ!

明治生まれのおばあさんの米寿祝いの赤いちゃんちゃんこ姿が ス・テ・キ!


村内醤油店創業者・村内栄一(むらうち えいいち)

お宝写真発見!大正時代のベンチャー企業 村内醤油店創業者・村内栄一の若き日の凜々しい顔と姿


明治人の顔(日本人の顔) 稲穂を刈る僕の曾祖父・村内栄一の力強い顔


110年前の写真! 20歳の女性は僕のひいおばあちゃん 村内ハル(ハチ)

110年前の写真! 20歳の女性は僕のひいおばあちゃん 村内ハル(ハチ)


村内ハル(ハチ)

ひいおばあちゃんの肖像写真&肖像画 曾祖母・僕の村内ハル(ハチ)


明治生まれのおばあさんの米寿祝いの赤いちゃんちゃんこ姿

明治生まれのおばあさんの米寿祝いの赤いちゃんちゃんこ姿が ス・テ・キ!


村内宇三郎(村内伸弘の高祖父)
大正元年10月19日夜、高祖父・宇三郎が息子・栄一に宛てた手紙


村内家の家訓(10ヶ条)とその日の行い

村内家の家訓(10ヶ条)とその日の行い


戦災にて全焼、復興工事と書かれた木製看板 - 昭和20年代の東京都八王子市

寒風炎熱 休日を忘るること二ヶ年五箇月: 復興工事 → 昭和22年12月事務所竣工 - 八王子醸造工業株式会社の木の看板


「僕は歌子だけを愛する」 村内村雄(34歳)、村内歌子(20歳)

「明暗の五月二十七日」村内歌子 - 村内村雄追悼集より


ムラウチブログ・村内家ブログの一覧

【ムラウチ・村内家 決定版!】おすすめムラウチブログ記事一覧 ムラウチや村内一族の写真たくさん有♪♪


幕末・明治・大正ブログの一覧

【幕末・明治・大正 決定版!】おすすめ幕末・明治・大正ブログ記事一覧 幕末・明治・大正の写真たくさん有♪♪



×

非ログインユーザーとして返信する