「明暗の五月二十七日」村内歌子 - 村内村雄追悼集より
僕のおばあちゃんの明と暗の 5月27日。「明」昭和20年/1945年5月27日と「暗」平成5年/1993年の5月27日。
「僕は歌子だけを愛する」村内村雄(34歳)、村内歌子(20歳) 昭和21年/1946年9月1日
明と暗
昭和20年5月27日と平成5年 5月27日。
去る 10月3日、浄土へと召された歌子おばあちゃんが書いた文章です。
僕の大好きなおばあちゃんが書いたうつくしい文章です。
明暗の五月二十七日 村内歌子
五月二十七日、私にとりましては忘れることの出来ない一日であります。昭和二十年五月二十七日は十八歳と九カ月の花嫁……とはいっても第二次世界大戦も日本の敗色濃い昭和二十年でしたので紺のモンペ姿で、叔母の家に嫁いで参りました記念の日でした。子供の頃より大好きな叔母に是非にと見込まれ、返事をしたのが五月十三日。十四日に村雄が私の実家に来て初めて顔を会わせました。主人は私の三、四歳頃の幼児の顔は知っていたとのことです。私の父とは叔父、甥の間柄ですのですぐに話がはずんでおりましたが、お茶出し等でほとんど私は口をききませんでした。二週間目の五月二十七日にお嫁入りでした。形式だけで、日本が勝利したら親戚、兄妹皆呼んで盛大にとのことにて非常に簡単な顔合わせでした。軍人であったため、新婚の夜もこれから二人で手を取り合って共にしあわせな人生をすごすためにも、これだけは協力して欲しいと、
一、父母と仲良く大切にして欲しい。
苦しい時代がたくさんあったから
思い出もたくさんある
思い出を たくさん ありがとう
と早く言えるように……。
おしどり人生48年 ・・・ 都内ホテルにて 平成3年/1991年6月
47歳の村雄おじいちゃんが自分の一生を想像して一枚の枠の中に表現した画
村内村雄 初期の作品 「究極の喜び」村内村雄(47歳)
究極の秋の石とも
我化せん
箱根湯本にて
石は地に生まれて
苔むしぬ
人は地に生まれて
働きて働きて
石と化しぬ
かかる自然のよころび
人のみが識り得る
よろこびならぬ
(画板の裏書)
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