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村内 伸弘(むらうち のぶひろ)村内伸弘の彼女

大正元年10月19日夜、高祖父・宇三郎が息子・栄一に宛てた手紙

大正7年/1918年に亡くなった高祖父(ひいひいおじいちゃん)が書いた 107年前の手紙が発見されました。息子である僕の曾祖父に宛てた手紙です。

村内宇三郎(村内伸弘の高祖父)

村内家 第15代当主・村内宇三郎(むらうち うさぶろう)  
※僕・村内伸弘の高祖父


107年前の手紙 - 僕の高祖父・宇三郎が曾祖父・栄一に宛てた大正元年の手紙のコピー(ホチキスで留められています)

107年前の手紙 - 僕の高祖父・宇三郎が曾祖父・栄一に宛てた大正元年/1912年の手紙のコピー(ホチキスで留められています)


昭和初期の村内醤油店

昭和初期の村内醤油店

村内栄一は青雲の志止みがたく、家業であった農業兼機屋に満足せず醤油醸造業を志し、単身醤油のメッカ野田に行き、荒くれ男にまじり修行一年、先輩の技術者をスカウトして帰郷し、水と交通の便の良い大和田に醤油醸造工場を建てた。大正元年のことである。



写真右側: 村内宇三郎夫婦 写真左側:村内栄一夫婦

写真右側: 村内宇三郎夫婦 写真左側:村内栄一夫婦


写真左:村内栄一(僕の曾祖父) 写真右:村内宇三郎(僕の高祖父)

写真左:村内栄一(僕の曾祖父) 写真右:村内宇三郎(僕の高祖父)


村内宇三郎(僕の高祖父)

村内宇三郎(僕の高祖父) ん?僕にかなり似てる!?


村内三造(僕の高祖父の父)

"千人隊士" 村内三造(僕の高祖父の父) 明治43年/1910年没



宇三郎が栄一に宛てた大正元年の手紙のコピーが見つかりました!

父親によると現在101歳、僕の大叔父・村内必典(さだのり)が大張り切りでこの手紙を解読してくれたそうです!!


昭和31年(1956年)第一次南極探検に参加した大叔父・村内必典

昭和31年(1956年)第一次南極探検に参加した大叔父・村内必典


宇三郎から栄一への手紙(ホチキスで留められたコピー用紙)

宇三郎から栄一への手紙(ホチキスで留められたコピー用紙)
※原本はどこかに保管されていると思われます

宇三郎から栄一への手紙(村内必典によって Word化された手紙)

宇三郎から栄一への手紙(村内必典によって Word化された手紙)



この手紙を眺めていたら、大正7年/1918年に亡くなっている僕の高祖父(ひいひいおじいちゃん)がなんだかまだ目の前でイキイキと動き回っているような気がしてきました。人間はいつの時代も変わらない、そんな気もしてきました。


皆さんは皆さんの高祖父や曾祖父(ひいおじいちゃん)がどこで何をしていたか?どんな人だったのか?ご存じですか!?



「村内と云う人は長瀞のそうめんだ、箸でも棒でも喰えない。と云った」
なんて記述もありますよ(爆笑)


「君は大事業ヲ起す」
なんてのもあります。
大正時代の起業の興奮が伝わってきます!!!!


父親によると、曾祖父の栄一が醤油屋を始める時、親の宇三郎が土地から建物からぜんぶ面倒を見たっぽいんです。僕は栄一おじいちゃんが家を飛び出して、ぜんぶ一人でやったんだと今まで思ってましたが全然違ったw
親が何から何まで準備しちゃってるみたいです(笑)
子供を思う親の気持ちもやっぱり古今東西変わらないんですね。



さあ歴史好きの皆さん、それではたっぷりとご覧下さい♪♪


村内宇三郎の手紙(コピー)

大正元年/1912年10月19日夜の手紙(高祖父・宇三郎が息子・栄一に宛てた手紙)1

大正元年/1912年10月19日夜の手紙(高祖父・宇三郎が息子・栄一に宛てた手紙)2

大正元年/1912年10月19日夜の手紙(高祖父・宇三郎が息子・栄一に宛てた手紙)3

大正元年/1912年10月19日夜の手紙(高祖父・宇三郎が息子・栄一に宛てた手紙)4

大正元年/1912年10月19日夜の手紙(高祖父・宇三郎が息子・栄一に宛てた手紙)5

大正元年/1912年10月19日夜の手紙(高祖父・宇三郎が息子・栄一に宛てた手紙)6

大正元年/1912年10月19日夜の手紙(高祖父・宇三郎が息子・栄一に宛てた手紙)7

大正元年/1912年10月19日夜の手紙(高祖父・宇三郎が息子・栄一に宛てた手紙)8

大正元年/1912年10月19日夜の手紙(高祖父・宇三郎が息子・栄一に宛てた手紙)9

大正元年/1912年10月19日夜の手紙(高祖父・宇三郎が息子・栄一に宛てた手紙)10


宇三郎拝 - 大正元年/1912年10月19日夜の手紙(高祖父・宇三郎が息子・栄一に宛てた手紙)

宇三郎拝


村内栄一殿 - 大正元年/1912年10月19日夜の手紙(高祖父・宇三郎が息子・栄一に宛てた手紙)

村内栄一殿


村内宇三郎の手紙の解読(村内必典)

大正元年/1912年10月19日夜 宇三郎拝 村内栄一殿

大正元年/1912年10月19日夜の手紙(宇三郎拝 村内栄一殿)



大正元年(1912年)の村内宇三郎の手紙1

大正元年(1912年)の村内宇三郎の手紙2

大正元年(1912年)の村内宇三郎の手紙3

大正元年(1912年)の村内宇三郎の手紙4

大正元年(1912年)の村内宇三郎の手紙5

大正元年(1912年)の村内宇三郎の手紙6

大正元年(1912年)の村内宇三郎の手紙7

大正元年(1912年)の村内宇三郎の手紙8

大正元年(1912年)の村内宇三郎の手紙9

大正元年(1912年)の村内宇三郎の手紙10

大正元年(1912年)の村内宇三郎の手紙11

大正元年(1912年)の村内宇三郎の手紙12

大正元年(1912年)の村内宇三郎の手紙13

大正元年(1912年)の村内宇三郎の手紙14

大正元年(1912年)の村内宇三郎の手紙15

添テ
建物大道具小道具全部買取タ大安心ヲ乞理由左ニ
一書申入候追々冷気ニ相成候處無事勉強之由誠に奉大賀ニ至り様ニ候
留主宅ニテモ一同無事御休神ヲ乞
陳は其後至急大桶之事を取極書状差出シ可中心組之處何様
ニ而取極候哉依之先便之後小生運動之理由ヲ詳細例記
候間御一覧ヲ乞
梶野蔵請・買受後桶クサミの件ニ付書状差上候処其回答ヲ待テ居ルト
毎日買人入込故大ヒニ心配シ何ハ兎に角早ク買候方徳作ならんト心付き栄一より
返事ニかゝわらす十月四日午前三時に起き八王子停車場から横浜線相原駅迄乗込
候処大桶買之事ハ扨置爰ニ一の珍事か出来タ
此際病人体ノ二十計りの女ニ乗合此の荷物を出ス事が出来ぬゆへ是非々々お出シ被下ト
申ニ付小生出してやると云て荷物を持つニ中々重量だ四貫目位はある外ニ
小荷物もある娘持切ぬゆへ二三丁先の人力停車場迄小生持テやるト申て出カケルト
小生気付大事ナ事が出来タ信玄袋ヘ金ヲ入テ置テ気車中ヘ忘れた故荷物
ヲ娘ニ渡し停車場欠返シ駅長ニ相話シ候処駅長早速橋本停車場電話を掛る
橋本之返電今発車シタ殊ニ当駅より団体之者二百五十人も乗タ箱一杯ダト申シタ
夫ヨリ至急原町田ニ掛タ承知シタト云間あらず付タ調ヘニ掛るも乗客一パイニテ
調へが付又其内時間ガ過タ無拠事ト返電カ有タ夫から小生費用何程かゝる共


御調を願ヒ度ト申タ駅長是ヨリは東神な川ニ掛タ同所承知した
沢山金が有ルト云のデ警官が弐名出張ニ成タ能々調ヘルト云電が有タ
夫から相原ニ壱時間モ待て居タ其内駅長室ニテ仲間人ト話ヲスルヲ聞ニ
此様品は出ないト云フ何トなれば金が有ルから出ない橋本ニテ調カ付ば
必ズ出るガ原町田ヨリ先へ行ト金が有ルトしるト途中の駅ヨリ持出すゆへ
出ない抔と話して居る小生実ニ困タト思ヒ居る亦駅長申に如何に東神
奈川ニテ警官が調ヘル共良民ノフトコロを調へる訳には行ぬト申十中ノ八九
は出ないト云テ居る待テ居る内時間が来る夫から小生又々頼ダ小生の乗タ
気車は気管車ヨリ弐番目東側ダ向ニ乗客は五十計りの女ト十八才位の女
何々の着物を着て居タ両人は必す小生の荷物を知て居る荷物は黒の
信玄袋ト黄色の風呂敷包ト申ト何寄之参考ト云テ東神奈川へ掛タ
承知ダト云其内シンシンシン駅長如何ト聞有ました然レ共外面計の話し
では渡せない中の品は何々ト聞タ上ニテ当方ニテハ是から警官御立会ニて
調べル駅長爰ニ来て一々御話しなさいと云夫から小生左ニ話した


   一 黒の信玄袋 壱個
      此在中品 十円札ニテ 弐百円  壱円札四枚
           五円札ニテ 壱枚   雑貨九十弐銭
           書るい数点 商店の通帳壱冊
   一 黄風呂敷包 壱個
      此在中品 金製細燈灯 壱個 印ハ八王子町井田時計店トアル 之ハ借用品


右之通り神な川に掛タ神な川ニテは警察官立会之上能々取調タ
誠ニ能く合タ然は次ノ気車ニテ送ルト云此答ニ依り小生実ニ御嬉しく
思タ夫から十一時四十五分迄同所ニ待テ居タ気車来タ荷物は橋本へ
置タト云駅長橋本へは十五分間ニテ行ルから自是してお請取ナサイ小生
橋本駅ニ行テ受取証詳細書て出ス駅長引合セ能合タ夫から
受取ました両駅ニ居た人実ニ高運の人ダト云駅長始実ニ驚入て運
の能き人ダ金ガ神な川見物をしテ不足も無ク手ニ入ルトハ実ニ運の好イ
人トホメラレタ〇此内小生思ニ商法第一の大桶を買ニ行途中金を捨る様
な不幸デハダメダト大よわり之処金は滞なく自分の手ニ入小生は元より
金銭の損毛した事なし好し是から梶野ニ行大桶ヲ買求ンと
思ヒ相原駅ニ帰り駅長ニ礼を述テ出立した時は午後一時半なり
梶野ニ行タ大桶ハ八王子の醤油屋ト昨日約束ヲ極メタ若其方か出来ずハ
村内サンニ上るト云先話しは夫迄ノ事で夫から藏ニ行(コシキ)豆フヤシ桶
弐本ヲ四円ニテ約束しタ他ハ全ブ約束中ト云仕方がない〇  夫から
川和ニ行馬力業松崎和助ト申者ニ合梶野之藏ヲバ大和田迄壱台
幾ラト聞私は八王子迄から馬ニテ行事七分上ケ荷多ヒゆへ成丈安ク
壱台壱円位ト云尤渡場が橋に成テからだ夫て好しと云フ橋は
いつ掛るト聞横浜水道工事の赤羽組ガ早ク掛るト聞タ夫から 
(家内は御老母様始メ皆丈夫村雄モ太タ大丈夫ダ)


赤羽の事務ニ行組長サンニ合テ聞タ工事の進行次第明日ニモ掛る
尤工事が進行シナケレバ掛ナイナレ共本月下旬ニは必ス掛るト云フ
然ル上は運搬は実ニ安クナル何モカモ好キ都合ダ夫から相原ニ
来て七時の汽車ニ乗り大横町迄来るト橋に万助ガ迎に出て居タ
帰宅午后九時ダ
夫から内ニ来テ見ると栄一ヨリの回答ノ書状が有タ桶ハ差支ないトアル
扨て〃〃大桶ハ実ニ残念タ他ハ出来るダロー


十月五日之事
早朝ヨリ八王子周旋人の三名へ礼ニ行タ秋山ニ五円持テ行タ秋山受取ナイ
小生何故君ハ取ナイト聞秋山私計沢山頂戴しては済ない何れ阪本
諸星ノ弐人立合ノ上相話して頂クト云夫から天王森阪本宅ニ行三人集り
協議の上大まけニて壱割弐十四円ト云他の人なら弐割が相当ダト云小生申ニ
左様なる不当の事ハない秋山君ニハ梶野奥庭ニテとふモ藏ガ高イから
小生買ぬト云フ運般は高し周旋料も掛る中々高い者ニなるから買ぬ
ト小生云タ其時君の礼金ハ五円ト約シタ他の二名は最初梶野行時相原ノ
原ニテ周旋料は何程ト聞ニ百姓日当で宜敷ト云タ然ル処廿四円とは
実ニ不当之話しだよしゝゝ小生拾円出すト云三人之者二十円拾五円杯と云
夫では違フ古桶ダシ殊ニ運般費は壱台弐円ツゝも掛る中々大変ダ夫程三人カ安ト
思フなら小生ニ手金弐十円を返却シテ三人ニテ買ヘト云彼是シテ無拠トウゝゝ拾円ニテ   (下の内川村牛沼大谷其他ノ親戚ニテモ皆無事ダ)
承知した夫から小生帰宅スルト云ニ三人之者云ニ是から向村内君ニハ御引立ヲ
願フ我々は身分だ気能く川口屋牛肉店ニて一パイト云此の礼金之内弐円
呑むト申小生酒はキライだ実は小生ヨリ一盃買のが本意なるも今
ばん村内ニ谷野地内八王子通りの集会カある殊ニ内から大横町まで下
男か迎ニ来テ居るト云小生出立した三人の者ハ五六円も吞む相談を
した處を小生(ペケヲクレタ)三人の者ハナを焼た実ニ能き気味ニテ
帰宅した其後諸星ニ合タ其時小生ヨリ過日は失敬した諸君ノ
やり方ニは驚タト云弥平治云フ秋山ノ申ニ村内ト云人は長トロノ
そうめんだはしでも坊でも喰へないト云タ


十月六日之事
下男亀吉を連れ上長渕中村保太郎方へ大釜取リニ行タ然ル処仲々
荷車壱台ニ乗らぬ無拠荷車壱台ト下男一名雇ヒ弐台車ニテ引出ス
此時午后三時ダ途中上長渕駐在所ニ出合い警察所願済で無レば
法律上引事ならぬト云フ青梅警察所へ届ける時ハ一泊する様ニ
なる実ニ大困り巡査は手強きを能ク話して西の方へ巡回した
其から小生有る家ニ寄り硯を借り大筆にて警察署願済ト
記しガラゝゝ引出シタ五六丁来ると下長渕の駐在所巡回先ニ出合タ
巡査是ハ〃〃大変な釜ト云て畔へよけた夫から〆た思テ〇〇峠へ
掛る上から長木を積タ車が五台来タ小生先ニ立て是レ〃〃皆少シ除テ
   (ニノ宮早川製家ニテハ・・・居宅上棟美家出来ル)
クレロと云う一同之車警察署之札ヲ見テ早速畔へ寄た夫から
引て通る此後も此順で引カヨケタ牛沼ニ来て日が暮た
坂本ニ寄て夕喰亦三人頼て宮下のまがり道迄通て来た
実ニ助けられた中村方下男は一泊した


十月十日之事
大桶の買求の出来ぬハ実ニ困り入申候為ニ早朝から青梅町原島政吉
ト申者度々大桶売ニ来る故同所行積りダ然ル処牛沼両親
京都桃山参拝ニ九日出立十三日帰宅之予定ニテ出立したから
牛沼へ留主見舞ニ寄た其後両親帰宅種々土産ヲ頂タ栄一
ヨリモ礼状見舞状ヲ出ス事好し
夫から青梅町ニ行同人ニ面会ノ上聞ニ高井戸ニアル川越ニアル
何モ拾七八円ト云殊ニ汽車賃多分掛るトテモ買物ニならん夫ヨリ
青梅停車場ニて汽車料を聞六尺桶其侭は汽車之箱壱箱ヲ用ス
当所ヨリ八王子迄先四円七十三銭ト云然ハ遠方ヨリ汽車積ミは
無論ダメト思ヒ万一大桶カ無キトキハ酒造家ニテ買求ント思ヒ拝島
迄汽車にて帰宅日暮なり


十月拾壱日之事
午后三時頃郵便ハガキが来タ見ると梶野宏三氏ヨリ之手紙ダ文書ハ
大桶之先約法位悪き故節変り迄待つと云私は貴君ニ願ヒ度と云フ手紙


小生実ニ満足ダ夫から直ニ行と思タガ早クニ土蔵の屋根のフリキを
はなし一ト雨掛テ置クトキハ取コハシに実ニ好し午后仕度して八王子
新町斎藤伴蔵ニ行梶野へ行事頼み十三日ト約し
源大も建る都合上見テ置タイト云ニ付同行スル積りニ約し
十三日午前三時ニ起き源大ト行提灯ニて新町迄行伴蔵職人
都合四人ニテ相原迄一番汽車ニて行夫より梶野へ行
大工伴蔵の三人ハ屋根コハシニ掛た〇小生は梶野氏ト大桶売買
之話しニ掛タ爰ニ珍らしき話カある
小生梶野へ向テ云貴家の醤油は出来が悪シ¦ト云話しが有る夫故
小生ハ大桶を見合セルト梶野驚タそんな事は更ニ無之誰カ云
ました中沢ノ者だトテ年の頃五十才位男が話したト小生云タ夫ハ
無根悪言なり夫なら今小生方の売場の桶ニ弐三石売残の醤油が
ある此味を御覧なさい決テそんな事ハないと云お茶わんニ三通り
持テ来ダ小生口中に入テ見タ成程上等ニテ申分はない小生も
気の毒ニ成タ依テ小生も安心した直段は何程と聞に
最初壱本拾五円ツ〃に売て居たなれ共村内君が全部買テ
被下なる壱本拾弐円ト言フ夫から梶野を土蔵ニ連れて行
大桶全部八本なり之ハ皆買付から足場ハメ板残の小道具等


味噌樽弐本買受たしと云フニ小道具全部をまけて
十二円相場ニテ買請ました其内お昼トなりました
小生ニハ奥ニ呼牛肉其他の魚ニて上酒だした夫からそばを
作り小生ニ出し主人の話しニ君は大事業ヲ起すニ大桶が
心配殊ニ醤油が悪ヒトノ悪話ヲ聞レ嘸々心配ト思ひましたから
内の醤油ニてそはを上る積りニて有ルト云小生其シタジにて
喰タ実ニ申分ない上等ダ殊ニ桶わ安し大安心大安心大安心  
是から話しが替り升テ此梶野隣に梶野松五郎ト
云フ人アリ是ハ仕事師ニテ大谷亦蔵方ヨリ年々歳々秋蚕種送る
仲買人ニテ到テ心・之人なり家コハシ家建業ハ職務なり大名人なる
亦藏ヨリの手紙ニて此松五郎氏家コワシニ頼むなり此時醤油の
話しヲすると梶野の菊水ト云壱等ノ品ニテ津久井郡全部
ニ高評請たる名醤油ト聞是亦安心しました
此時松五郎氏話しニ村内さんの買た蔵モ安ヒガ又其北ニ並で建テ
有ル蔵は実ニ安井此頃厚木の人が直掛テ居るが大将は七十円ト云買人は
六十円迄買タ直が出来ぬ又明日来るト云手紙が私の内ニ来たト云フ
小生其手紙ヲ見た成程手紙之赴きは買積ダ余り安物ト小生も
   (当地は秋大雨風ノ爲ニ畑作物大違ヒダ)


思タ夫から梶野大将ニ並蔵を何程ニて売ト聞七十円ト云フ成程
安ヒ小生ノ買たより安ヒト思テ居る内大工も屋根屋も仕事終タ
時計ハ三時半だ夫から帰宅しタ帰宅の途中職人ト話しタ実ニ
安ヒ蔵ダ小生考ヘルニ前ニ買タ藏は仕込藏は大桶八本立タモ❘
一パイダ舟・蔵計りへ三尺四尺の桶の入レ様ガ無イ(ヲロシ)を作るにも中々
大金カいる栄一ト相談スル内ニハ厚木へ買れる好々明十四日早朝ニ行
テ並蔵ヲ買フト思タ夫ヨリ八王子へ夕刻ニ来て職人ト分れた


十月十四日之事
午前弐時ニ起き仕度を致し万助連て本郷横町ヨリ谷又村小比木
参田大戸ニ行テ夜カ明ケタ万助を内ニ帰した夫から久保沢谷ケ原
中沢荒川ヲ経テ梶野松五郎宅ニ行未ダ朝飯ダ夫から梶野本店ニ
売土蔵の話し段々結果六十五円ニテ仕込蔵三半五間之壱棟ヲ
買請タ実ニ安ヒ安ヒ安ヒ安ヒ  大安心ヲ乞
夫から同ク松五郎氏の話しニ此物置カ安ヒト云フニ付一見スルニ弐半ニ
四間平屋建〆総テ木口好し板ハヨし四十円位ト聞ゆへ帰宅シタ


十月十八日之事
午後弐時頃木下茂十郎来タ兼テ御話し有之候新町小野藤吉所有
之畑地買人仲間モ有之為ニ如何ト問合ニ来タ土蔵建る地行土ニ困りゆへ
畑壱反六畝歩買ニ依頼した〇此時茂十郎ニ梶野ニ
   (宅ノ陸稲は大沢谷ツ上等ダ他ハ平均半もダ)
好キ物置有之ガ如何ト聞茂十郎夫ハ是非々々御案内ヲ願ヒ明十九日早々
一見仕様ト云依テ明十九日八王子一番相原行ト約シ茂十郎帰宅した


十月十九日之事
午前三時ニ起き八王子停車場ニ行茂十郎居タ夫から横浜線ニ乗込
相原下車梶野ニ行直段ヲ聞ニ七十円ト云フ茂十郎五十円ト云中々
居合付ぬとうヽヽ六十五円ニテ買タ是ハ高ヒ
之ニ付テ話しカある小生ガ桶や土蔵を買ニ行タ時は買人少モなし
内中困りて居タ夫から安売タ小生ガ買タ後日土蔵の買人は三組
来た残念々々ト云テ帰タ実ニ運カ好々
夫から松五郎氏ト相談した何レ取コハシは麦仕付の後ト約定した
夫から普請手始メは十一月十九日ガ大吉日ト云此日ヲ以地形初メトス
梶のゝ土蔵取コハシは十一月十日頃ト思フ何モ此頃ニハ帰宅ヲ乞
小生壱人ニてはとてもヤリ切ない夫迄は能々万事ケンキウ専一ト
存居候是迄事務取扱之儀荒々申送り候間御承知
有之度く何レ帰宅の日限ハ後日申越候間左様御承知ヲ乞
前件之義は御主人様及親方様能々御申上置候方
宜敷ト存候余ハ次便ニ申上候 早々  


大正元年十月十九日夜       宇三郎拝
村内栄一殿



村内宇三郎の天然理心流目録

村内宇三郎の天然理心流目録の写真

村内宇三郎の天然理心流目録の写真

村内宇三郎の天然理心流目録の写真

村内宇三郎殿


村内宇三郎の天然理心流目録の写真

父親のスマホに入っていた村内宇三郎の天然理心流目録の写真


村内家の過去帳

村内家過去帳

村内家過去帳


14代 千人隊士・三造(修徳院釈寿楽信証居士) 明治43年/1910年6月没

14代 千人隊士・三造(修徳院釈寿楽信証居士) 明治43年/1910年6月没


15代 宇三郎(大徳院釈富宇三郎大居士) 大正7年/1918年9月没

15代 宇三郎(大徳院釈富宇三郎大居士) 大正7年/1918年9月没



(おまけ)顔を較べてみましょう 笑

村内宇三郎=僕の高祖父 大正7年/1918年没

村内宇三郎=僕の高祖父 大正7年/1918年没
※宇三郎おじいちゃんを僕は見たことありません


村内栄一=僕の曾祖父(村内醤油店創業者) 昭和52年/1977年没

村内栄一=僕の曾祖父(村内醤油店創業者) 昭和52年/1977年没
※栄一おじいちゃんは小学生の頃、ナマで見たことあります。白虎隊の詩吟で栄一おじいちゃんが刀を自分のお腹に突き立てて崩れ落ちるシーンを覚えています、それから大相撲を毎日見てた記憶があります。確かどこかのデパートで欲しい物があって僕が泣いたら、買ってくれた記憶があります。どれもこれも遠い遠い記憶です。


村内村雄=僕の祖父(村内テレビ/村内電気創業者) 平成5年/1993年没

村内村雄=僕の祖父(村内テレビ/村内電気創業者) 平成5年/1993年没


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僕・村内伸弘 


村内家、みんな顔が丸い~  大爆笑w



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