長崎県諫早市 諫早眼鏡橋! 永久不壊の石橋はうつくしい石造りのアーチ橋
諫早公園/上山公園にある「諫早眼鏡橋」は石橋として日本で初めて国の重要文化財に指定された橋です。2つの半円を描く石造り2連アーチ橋がビューティフル!
諫早市のシンボル・諫早眼鏡橋
平成30年(2018年) 11月18日 村内伸弘撮影
本明川にかかる諫早眼鏡橋
昭和32年(1957年) 撮影
動画制作: 村内伸弘(ムラウチドットコム)
諫早駅に着きました!
諫早と言えば「眼鏡橋」!
眼鏡橋を見に行きます♪♪
いさはやガイドマップ(諫早ガイドマップ)
諫早公園(眼鏡橋)
Isahaya Park / Megane-bashi Bridge
JR諫早駅
おーっ!長崎新幹線の新幹線駅になるだけあって、諫早駅メッチャ新しくなってるみたいです!
諫早駅から眼鏡橋方面に歩き出してみると新しくなってない建物もありました(笑)
駅のすぐ近く長崎新幹線の路盤工事をやってるところです。向こう側に真っ黄色の島原鉄道が通ってます!!
諫早の街が今大きく生まれ変わろうとしているということを肌身で感じました
諫早商業高校
九州新幹線の工事を行っています
九州新幹線(西九州ルート/長崎ルート)
長崎の人たち、さぞかしワクワクしているんでしょうね!
九州新幹線があと数年で開通するのです!!
眼鏡橋がある諫早公園に歩いて向かっています。
個性的なビルを発見~ん!
眼鏡橋見つけました!! 笑
諫早平野の米で育てた諫美豚(かんびとん)
諫早の「諫」は"かん"って読みますもんね。
"諫美"は "甘美"のように聞こえるのでサウンドもいいなぁ~
線路がありました
何線だろう?
どうやら島原鉄道の線路のようです!!
島原鉄道はまだ乗ったことがないので、島原鉄道という名前を聞くとワクワクドキドキします!!
スナック純(jun)
ああ、こういうスナックに飛び入りで入って、地元の人と杯を重ねたいものです(^^)
諫早公園(眼鏡橋)の標識が見えてきました あと 300mです
諫早公園に入りました 小野用水
疏水百選に選ばれている小野用水
とてもきれいな水が流れています
ちなみに疏水 (そすい)とは、灌漑や給水などのため、土地を切り開き他の水源から水を引く目的で設けられた水路のことです
高城回廊・諫早公園案内
眼鏡橋の写真がありました
小野用水(疏水)
石垣や築地塀が雰囲気を盛り上げてくれます。
諫早家頌徳碑(しょうとくひ)
諫早家頌徳碑 碑文
諫早藩祖龍造寺家春公は、天正15年(西暦1587年)伊佐早の領主となった。
第2代直孝公の時、姓を諫早と改め、爾来16代一学公に至る間、島原の乱出兵や長崎港警備など、幾多の国難を克服しながら、領民と一体となって海を拓き、山を養い、産を興して、生活と文化の向上に努力を重ねられた。
明治維新により幕藩体制は終わりを告げたが、諫早家所有の山林はその大部分が地区民の共有林として残され、住民の大きな財産となっている。
明治以後も諫早家の歴代当主は、心から住民の幸せを願い、学校や公園の用地を寄附するなど、この地方の発展に大きく貢献された。この 400年に亘る善政の恩恵は、深く我々の胸に生き、追慕すること誠に切なるものがある。
ここに一市六町の発意により、住民の感謝を込めて頌徳碑を建立する
昭和56年/1981年 10月吉日
眼鏡橋!ありました!!
日本を代表する美しい石橋!諫早眼鏡橋
ホント眼鏡みたいですね~!
「眼鏡橋」は長崎市内の眼鏡橋が有名ですけど、この諫早の眼鏡橋のたたずまいも素晴らしいです!!
眼鏡橋の説明板
本明川にかかる眼鏡橋(昭和32年/1957年)
昭和30年代までは実際に架かっていたみたいです!
ちょっと前まで実際に使われていたってことですね!すごいです!!
国指定重要文化財(昭和33年11月29日指定)
眼鏡橋(諫早眼鏡橋)
「江戸時代における日本で最長の二連アーチの石橋で、日本の他の石橋に無い優雅な石橋である。」
眼鏡橋は、昭和33年(1958年)に石橋としては初めて国指定重要文化財に指定されました。平成28年(2016年)に調査を行った岡林隆敏長崎大学名誉教授からは、「日本を代表する美しい石橋」と評価されています。本明川に架かっていた橋は、洪水のたび流され、眼鏡橋架橋以前は飛び石伝いに川を渡るという不便なものでした。そのため永久に流されない橋を造ろうと、石橋の建設が始められ、天保10年(1839年)に完成しました。石橋は二連アーチ式(二径間)で、「いさはやのめがねばし いきもどりすれば おもしろかなり」のかぞえ唄で親しまれていました。
昭和32年(1957年)に起こった諫早大水害は、死者行方不明者 630名の大災害でした。この復旧のために川幅を広げることとなり、ダイナマイトなどで壊す計画がありましたが、眼鏡橋を残したいという人々の願いによって、昭和36年(1961年)にこの諫早公園移設されました。その前例がない移設作業は、困難を極めたそうです。移設作業のために造られた五分のーの精巧な模型である「ミニ眼鏡橋」も、同じ公園内に移設されていますので、親子眼鏡橋の姿をお楽しみください。
眼鏡橋の概要
日本一の二連アーチ石橋
長さ約50m、高さ6m、幅5.5mの石造二連アーチ橋、高欄附。現存する江戸時代に造られた二連アーチ橋の石橋では日本一の長さです。
優美で美しい形
形状は半円ではなく三分の一円で、橋の両面は階段になっており、上に行くほど段差が低くなり、アーチの形状をより際立たせ、非常に優美な美しい形をしております。
極めて頑丈な構造
石材同士をつなぐために太柄(だぼ)鉄と千切(ちぎり)鉄を使い、極めて頑丈なアーチ構造で、増水時の浮力にも耐える強度を持っています。
潟のクッション
中央の基礎石の下には有明海の潟(がた)が深さ 1mほど入っていました。潟がクッションの役割をし、地震の揺れに併せて橋自体が揺れることで、その力を吸収し、橋を衝撃から守っていたと思われます(現在はコンクリート基礎に変更されています)。
「いさはやのめがねばし いきもどりすれば おもしろかなり」
諫早の眼鏡橋、行き戻りしてみましょう~
歩いてみるとわかりますが、すごいしっかりした作りです
眼鏡橋の上から見えた景色
半円の上の部分にいます
普通の真っ平らな橋と違って上がったり、下がったりで人生みたいな橋です 笑
真ん中の平らな部分に今僕は立っています
写真左上がくじらばし(くじら橋)
紅葉もキレイです
渡りきる直前です
天保10年(1839年)に当時の殿様と領民がそれまで大きな橋がなかった本明川に、永久不壊の願いを込めてこの眼鏡橋を架けたそうです。
眼鏡橋の由来
郷土諫早の象徴として市民に親しまれてきた眼鏡橋は、今を去る 122年前、第十二代諫早領主茂洪により天保10年(1839年)8月、本明川(復元の現在地より下流 450メートルの地点)に架せられたものである。
史によれば、文化7年(1810年)の本明川の大洪水によって橋のすべてが流失してからは、川を渡るにも飛石づたいか、下町の裏手から土井にかかる粗末な板橋を利用するほかなく、住民は約30年も渡河に困難を感じていた。ところが、たまたま佐嘉藩より上使の下向、公領巡検使の巡察が伝えられ、本明川に橋がないことは領の面目にかかわると、新たに橋を架けることが議せられた。
最初柱立式石橋のもくろみ書が作られたが、この際永久不壊のものを造りたいと各地の橋の資料を集めて熟慮考案の結果、長崎の眼鏡橋にならうことをきめ、設計をたてて領主の裁決を仰いで構築に着手した。時に天保9年2月。修理方は公文四郎右衛門と中嶋十郎兵衛である。
修理方は領内の優秀な石工を集めて実施の計画を推進する一方、経費についてはその一部を領民負担と一般の喜捨によることとし、篤志の僧侶は托鉢に回るなど、当時における領民の協力ぶりは今なお語り伝えられている。
かくて一年有半の歳月と銀三千貫の浄財を費し、苦心の末、近隣にその比をみない拱式石橋の完成をとげたのである。
爾来、幾星霜、時移り人変ったが、眼鏡橋は本明川の流れにその優美な影を宿しながら、ただ平和な街の変遷を眺めてきた。
昭和32年大水害による被害
然るに、昭和32年(1957年)7月25日、未曾有の大洪水は諫早全域をおそい、上流の家屋を押流し、木橋を破壊し、おびただしい流木は眼鏡橋に激突した。このため、上流側の高欄は流失し、とくに右岸側は堤防の決潰により被害は甚だしく、壁石、橋面石等の相当量が流失した。しかしこうした大破損にもかかわらず、アーチ橋自体は全然緩むことなく不壊の石橋として、その名を全うしたのである。
重要文化財指定と移築復元
水害による本明川の改修工事が、国の直轄工事として実施され、川幅の拡張(40メートルを 60メートルに)と両岸のかさ上げとに伴い、眼鏡橋は撤去の止むなきに至ったのであるが、芸術的にも土木工学上にも極めて価値の高いこの歴史的大石橋を失なうことは、まことに遺憾であると考え、諫早市は文化財保護委員会にその保存方を懇請したところ、同委員会は直ちに専門審議員の諮問に付し、国の文化財として保存することに決め、昭和33年11月29日、石橋としては全国最初の重要文化財として告示された。同年12月諫早公園広場に移築復元することに方針を決め、翌2月よりその解体工事に着手したが、解体に先だっては精密な実測調査を行ない、また各部石材には基準線や記号番号を記入付する等旧状を忠実に再現できるような考慮を払った。これら解体時の調査資料により、昭和35年組立てに着手、基礎はもと軟弱泥土層で中央部は杭打、角材を敷き並べてあったのを今回コンクリート基礎に変更したほかは全く架設当初の原型にもとづき移築を完了したのである。
補足石は旧材と同質の市内小川町産の砂岩を用いた。
昭和36年9月30日
諫早市長 野村儀平
技術指導 文化財保存委員会
施工者 解体工事 株式会社梅林土木
復元工事 大成建設株式会社
移築したとは言え、今まだ現役で人が普通に眼鏡橋の上を行き来していました。
これを上っていくと高城址にいけると思うんですが、今回は眼鏡橋だけにしておきます。登るの大変そうだしw
諫早公園の中にたたずむ眼鏡橋
橋の近くに近づいてみました
おーっ!眼鏡眼鏡~っ
真っ赤に紅葉した葉っぱが池に浮いていました!美しい色です!!
真っ黄色の石蕗(ツワブキ)の花も咲いていました
永久不壊の石橋 眼鏡橋
永久不壊の石橋を、願い事を念じながら渡ってみてください。あなたの願いが叶うかも・・・。
眼鏡橋は諫早市民の憩いの場所になっているようです
この少年は眼鏡橋よりも池の鯉に興味があるようでした。
しかも、「おいしそう~」って言ってました 笑
それでは小野用水(疏水)沿いに歩いて、眼鏡橋を後にします
小野用水(疏水)
くじらばしの碑
小野用水沿いの歩道
昭和30年代まで眼鏡橋が架かっていた本明川(ほんみょうがわ)
本明川沿いを歩きます
おっ!なにやら楽しげな建物がありました!
近づいてみます!
あやしい香りが漂ってきます!
「SUPER MODELS(スーパーモデルス) 夢クラブ RIO」って書いてあります!
夢クラブですから、まさに"夢の跡"って感じですネ~
「諫早暴追協 暴力相談連絡員」「十八歳未満入店お断り」というパネルも貼られています。この店で遊んでみたかったです、一体どんな雰囲気だったんでしょうか!?もはや永遠にそれは(謎)です
夢クラブ RIOの横の道に入ってみました
夢クラブ RIOの建物
後ろから見た夢クラブ RIO
夢クラブ 兵どもが 夢の跡
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