領事館の丘!オランダ坂にある活水学院と東山手十二番館(長崎市旧居留地私学歴史資料館)
九州で一番古い女学校!赤い屋根で有名な明治12年/1879年創立のミッションスクール・活水(かっすい)学院と東山手のミッションスクールの歴史を紹介する東山手十二番館
活水学院正門(活水女子大学正門)
活水学院 2号館
東山手十二番館
平成30年(2018年) 11月16日 村内伸弘撮影
東山手甲十三番館の目の前が個性的な赤屋根で東山手の景観を形成する活水学院があります。活水(かっすい)!うつくしい響きですね!!
活水学院正門
女子校なので、僕は中には入れません。というか、一般の人は入れませんので写真だけパチリ!
東山手十二番館
東山手十二番館(長崎市旧居留地私学歴史資料館)に入ってみます。
東山手十二番館(長崎市旧居留地私学歴史資料館)
本館は、1868年(明治元年)に建設されたもので、竣工後ほどなくロシア領事館が置かれました。その後、アメリカ領事館やアメリカのメゾジスト派(婦人外国伝導教会)の宣教師などの住宅として使われました。1941年(昭和16年)に活水学院に譲渡されましたが、1976年(昭和51年)、建物は活水学院より長崎市に寄贈されました。
長崎市は、1995年(平成7年)に建物を修復・復元し、旧居留地にあった私学の歴史資料館として活用しています。
オシャレです!!
めっちゃオシャレです!!
圧倒的にオシャレです!!
その昔、ここがロシア領事館だったり、アメリカ領事館だったなんてことを知ると気分が高まります(^^)
昔は今よりも海岸線が近かったのでここから海が見えたと思います。
写真の奥に活水学院の正門の守衛室が見えています
活水学院の目の前にあるんです、この東山手十二番館は!
東山手十二番館(長崎市旧居留地私学歴史資料館)
ようこそ東山手十二番館へ
アメリカ交流館
東山手にあったミッションスクールの歴史を紹介する
中は天井が高いです。床の茶色と壁が白の調和がうつくしいです。
アメリカ国旗がありました
窓ガラスやシャンデリアもオシャレです。
このステキな部屋で私学ミッションスクールの歴史が学べます
外国人居留地
外国人居留地
長崎の居溜地は、1858年(安政5年)をはじめとする欧米諸国との修好通商条約の締結により制度化されました。
居留地の造成は、大浦や浪の平の海岸を埋め立てて行われましたが、約11万坪(約34万平方メートル)にもおよぶその造成がほぼ完成したのは、1866年(慶応2年)のことです。居留地は、大浦地区、下り松地区、東山手地区、南山手地区、梅香崎地区、出島地区、新地・広馬場地区に分けられ、さらに地価によって 1〜3等の 3段階がありました。大体、大浦や下り松、出島などの平地には領事館や商社、ホテル、工場、倉庫などが建てられ、東山手、南山手などの山手には教会や個人住宅などが建てられました。特に東山手には学校が多かったようです。
この居留地の制度は 1899年(明治32年)の条約改正で撤廃されるまで存続しました。
外国人居留地の地図
今もつづく伝統の私学 活水学院、鎮西学院、海星学園
私学を創設した人たち
活水学院の創立者・E.ラッセル(エリザベス・ラッセル) 1836~1928
E.ラッセル 1836~1928
アメリカのメソジスト派(婦人外国伝道協会)宣教師。1879年(明治12年)長崎に来て活水女学校を創立。以後、40年間にわたってキリスト教による教育活動に尽力。1919年(大正8年)藍綬褒章を授与された。
初期の活水学院の校舎
居留地における私学の歴史
居留地における私学の歴史
安政の開国以降、居留地には宣教師らによって学校が創立されました。プロテスタントでは、改革派の改革派のスタウト夫妻が 1887年(明治20年)にスチール記念学校、スターヂェス女学校(梅香崎女学校 現・梅光女学院)を創立しました。スチール記念学校は 1881年(明治24年)に東山学院(現・明治学院)となりました。
メソジスト派のラッセルは 1879年(明治12年)に活水女学校(現・活水学院)を、ロングは 1881年(明治14年)に加伯利英和学校(現・鎮西学院)をそれぞれ創立しました。
聖公会派のグッドオールは 1879年(明治12年)に女子塾(ガールズ・トレーニング・ホーム)を創立、同校は 1892年(明治25年)に長崎女学校となりました。
カトリックでは、バルツが 1892年(明治25年) に海星学校を創立し、1940年(昭和15)に創立された東陵中学校は現在、長崎南山学園に引き継がれています。
長崎にミッションスクールがたくさんある理由がよくわかりました!長崎とキリスト教は切っても切れない関係だということがここ東山手十二番館に来るとよ~くわかります。
活水初期の校舎の全景
長崎とミッションスクール
長崎は 1567年(永禄10年)にアルメイダによって布教が行われて以来、キリスト教(カトリック)布教の中心地でした。
長崎はキリスト教の布教の中心地だったということです!
確かに、これだけいろいろな外国人が来て、それぞれさまざまな活動をしているなんて長崎市かあり得ないですよね!さすが長崎!!!!
活水学院の創設者(Founders of Kwassui Gakuin)
左: ラッセル女史 右: ギール女史
活水学院の創設者(Founders of Kwassui Gakuin)
活水学院の創設者 E.ラッセル女史は、バージニア州内の各学校で教育に携わった後、志願して 1879年(明治12年)11月、J.M.ギール女史とともに長崎に足を踏み入れました。ラッセル女史はキリスト教を伝道することによって、日本女性に、女性の本来のあり方と高度な教育を広めようとしました。
ギール女史は、学校における教育よりも、市中での福音奉仕活動を目的としてました。1880年(明治13年)5月には浪の平町で日曜学校を開き、音楽教育を施したことが知られています。そして、活水の音楽教育の基礎を築きました。
活水学院の創設前夜
十六番館
E. ラッセル女史
J.M. ギール女史
1879年(明治12年)、宣教師ラッセル、ギール両女史が長崎に着任。東山手十六番館に学校を開く。生徒わずかに 1名
宣教師のこの燃えるような情熱は一体どこから出てくるんでしょうか!?
キリスト教を伝えようとする人々の熱意にはいつも感動させられます。
英字版小冊子(50周年記念誌)
KWASSUI JO GAKKO
活水女学校の女子生徒たち
活水女学校の生徒(明治20年代)
活水女学校 正門
今とあまり変わらないみたいですね!
活水の遠景
トイレに行ったら裏庭が見られました
裏側も素敵なつくりですね~
灯りが点っているところがトイレです。素敵でしょ(^^)/
石標柱(長崎居留地時代の遺構)
再び活水学院の正門
横から見た活水の正門です。ちっちゃな守衛室が素敵ですね!
昨年 10月に行った奈良女子大の守衛室も重要文化財になっていて素敵でした。
うつくしい大学にはうつくしい守衛室があるんです!!
オランダ坂(活水坂)。左側の敷地が活水学院の敷地です
オランダ坂を上っていきます
写真右側に見えている赤い屋根も活水女子大学の体育館です。体育館の屋根も赤いです(^^)
石垣の上にレンガ、長崎らしい風情がたまりません!!
雨に濡れたオランダ坂の石畳
うおーっ!趣がありすぎるぅ!
長崎はうつくしーー!!
「オランダ坂、すてきだな~☆」
東山手甲十三番館の旅の思い出ノートに書いてあったイラスト
オランダ坂、上り切りました。
活水女子大学!
すごいです!!活水女子、オランダ坂の真横に位置しています!!さすが長崎の伝統ある女子大学です!!!!
活水学院 2号館
写真右下から上ってきました
右: オランダ坂(活水坂)
オランダ坂
三角溝(さんかくみぞ)
水が多いときでも、少ないときでも排水しやすいように平石を 2枚合わせて V字に組んだ側溝「三角溝」
オランダ坂を上りきった所にある活水女子大学 東山手キャンパス
オランダ坂通り
上から見た東山手十二番館
長崎は坂の街。オランダ坂を上っても、まだこんな坂があるんですw
東山手町5
英国聖公会会堂跡
英国聖公会会堂跡
1862年(文久2年) 9月29日竣工
日本で最初に建てられた新教会堂として、歴史的に有名な教会である。文久元年東山手居留地設定計画書の中で、石橋から教会に至るゆるやかな坂道を造って完全舗装することを決定した。日曜ごとに沢山の外国人が、この道を通り教会に行ったので、この坂道をオランダ坂と呼んだ。
(裏山手9番に明治10年 アンドレ神学校、東山手3番に明治12年 十人女学校が開校した)
オランダ坂通りを石橋方面に歩いていきます
レンガ、うつくしいですね!!
活水女子大学 12番校舎の屋根
活水女子大学 ラッセル館(同窓会館)
11/18(日)2018長崎ベイサイドマラソン&ウォーク開催に伴う交通規制
ホント長崎は階段が多いです!
東山手は丘陵地なので特に多いです!
この石段、気になります。ちょっと上ってみましょうw
階段の途中に黄色いの石蕗(ツワブキ)の花が咲いていました
お地蔵さん?庚申塔?
目線が高くなったのでこんな景色になりました
坂の町・長崎。階段の町・長崎。
階段の上から見た昭和会病院
ああ、素晴らしい!この昭和会病院の建物も長崎っぽいですぅ~
病院の中まで撮れちゃったw
古い石造りの石垣(低い壁)が残っています!
雨に濡れてホントうつくしいです!!
大浦居留地から見た大浦天主堂
来た道を振り返るとぉ~
サザンカが咲いていました
ピンク色のサザンカ
東山手のイギリス領事館
東山手のイギリス領事館
イギリスは当初、南山手の妙行寺に仮領事館を設置しましたが、後に現在の海星学園の敷地内に建物(写真中央)を新築し、移転しました。居留地時代、東山手にはイギリス領事館のほかフランス領事館やアメリカ領事館等が設置され、「領事館の丘」とも呼ばれていました。中でもイギリス領事館は長崎における諸外国の代表的な機関としての役割を担っていました。移転後はスチイレ記念学校が建築され、東山学院、東陵中学校、海星学園と変遷しましたが、長崎外国人居留地時代の坂道・石垣の一部はそのまま現存しています。なお手前に写っている橋は明治3年(1870年)に架設された下り松(松が枝)橋です。
歴史があり過ぎて、案内看板の書き起こしばっかりになっちゃいました。でも、写真沢山載せたので皆さんにも長崎「領事館の丘」の魅力は伝わったと思います。
次はあなたですよ、この「領事館の丘」を歩くのは!
素敵でしょ!オランダ坂!!
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