ディープな京都・崇仁地区: 柳原銀行記念資料館と金網フェンスに囲まれた無数の空き地
京都DEEP!崇仁地区(すうじん地区): 柳原銀行記念資料館
"ディープな京都" 五條楽園からタクシーに乗って、同じく"ディープな京都" 崇仁地区に入りました。以前から見学したいと思っていた、「柳原銀行記念資料館」でタクシーを降りました。
桜田儀兵衛氏の碑
桜田儀兵衛翁の顕彰碑の概要
柳原銀行記念資料館
銭座場跡
京都市崇仁隣保館新築記念
柳原銀行記念資料館の柳の木
柳原銀行記念資料館の外観 淡いグリーンの外観がとてもステキな洋風木造建築ですっ!
京都市登録有形文化財!差別に立ち向かった崇仁地域の誇り!!
柳原銀行記念資料館の側面
反対側の側面のガラス窓
こぢんまりとしていて、とてもすてきな洋館です!
中に入ってみましょう~
崇仁歴史マップ
「非人小屋」という言葉も見られます。
人権ゆかりの地をめぐる ポスター
柳原銀行記念資料館について
柳原銀行は、明治32(1899)年、柳原町(崇仁地域)の町長であった明石民蔵(あかしたみぞう)ら地元の有志によって設立されました。
被差別部落の住民によって設立された日本で唯一の銀行であり、当時、差別のために資金を得られなかった町内の皮革業者等に融資を行い、産業の育成・振興に大きく貢献したほか、その利子を地元の小学校の運営資金や道路建設資金に充てるなど、自力で差別を撤廃していく模範とされました。
大正期には、山城銀行と改称し、事業を拡大していきましたが、金融恐慌などの影響を受けて、昭和2(1927)年に倒産しました。
その後、建物は商店や借家として使用されましたが、昭和61(1986)年に道路の拡幅工事に伴う建物の取壊し案が出たことを契機として、地域では,建物をまちづくりのシンボルとして保存する運動が盛り上がり、保存に向けた様々な取組が行われました。また、平成元(1989)年に本市が実施した調査において、貴重な明治後期の洋風木造建築物であることが判明し、平成6(1994)年、京都市登録有形文化財に指定されました。
こうして、建物保存に対する地域の熱意と本市の取組とが相まって、建物を移築、復元することとなり、平成9(1997)年に柳原銀行記念資料館として開館しました。
当館は、地元の方々から寄贈された貴重な資料をはじめ、地域の歴史,文化,生活等に触れる展示を通じて、同和問題をはじめとする様々な人権課題への正しい理解と人権意識の普及・高揚を図る啓発施設として多くの皆様に親しまれています。
(京都市役所ホームページより引用)
すばらしいですね!!ホントすばらしいです!ノーベル平和賞を受賞したバングラデシュのムハマド・ユヌスさんを思い出します!!柳原銀行の設立や融資に関連した人たちは "ノーベル賞もの"ですよ!!!! すくなくとも、柳原銀行を "世界遺産"にしてもらいたいものです☆
桜田儀兵衛の写った柳原銀行出資者の写真
京都の米騒動が始まった交番
東九条の語り部たちⅡ -11人の聞き取り報告-
暑い中を歩き続けてきて、集中力を持続させるのに必死でしたが、柳原銀行記念資料館なんとか見終えました。日本史の教科書には載らないようなことばかりですが、資料や展示を見つめ終えて、僕は自分自身の人権意識が更に高まったと思いました。地域の方々が愛情込めて運営している様子が肌身で感じられました。ぜひ、京都にお立ち寄りの際は、この "被差別部落民が地区内に設立した唯一の銀行" を訪れてみてください。
それでは最後の力を振り絞って、崇仁地区を探検してみます。
崇仁(すうじん)地区の市営住宅
立小便監視中、痴漢に注意しましょうなどの看板
フェンスに囲まれた空き地が現れました。
ひっそりと営業していた崇仁地区の商店。京都駅に近いエリアなのに人がほとんど歩いていません。。。。観光客はもちろん皆無です。
「そうだよ 命の重さは 地球の重さ」 崇仁小・児童作品 崇仁児童館運営委員会
「一人の生命は地球より重い(福田赳夫首相)」的な標語です。命の尊さを表現した見事な標語です。ある意味哲学的ですらあります。これを崇仁小学校の小学生が考えたとしたらガチで素晴らしいですね!!
金網に囲まれた空き地と市営住宅
JR奈良線のガード下の落書き やさしい人が書いたのでしょうか?ニコニコ笑っています。
JR奈良線のガード下を出たところの "ネットフェンスの道"
皆さん、これも「京都」です。この光景も平成の「京都」なのです。
ピンクのさるすべりが美しく咲く崇仁地区・鴨川沿いの広場(屋形町公園)
サルスベリ、僕の大好きな木です。
屋形町公園親水テラス 手前が東海道新幹線の鉄橋、奥が東海道本線の鉄橋
こう考えると、新幹線の車窓から崇仁地区は見えると言うことです。次に京都へ行くときは、左側の窓側の席からこの景色をみたいと思います。
木に例の立ち小便禁止の鳥居マークが貼ってありました。
皮専門店・皮ジャンバー屋さん
角にあるから「かどや」w
こんなシャッターのお店がありました。ここ崇仁にも新しい風が吹き始めているのかもしれません。
負けてたまるか 京都市長 田邊朋之の石碑(下京地域体育館)
ぶっちゃけ、すごい言葉です。市長が石に刻んで小学校の校門の前に設置する言葉じゃないような気がします。崇仁地区の持つ歴史に対する時の市長の励ましだったのでしょうか!?
友だちに 一歩ゆずれる ゆたかな心 崇仁小・児童作品 崇仁児童館運営委員会
京都市立崇仁小学校 跡地
崇仁小学校は、平成21年度末をもって閉校し、平成22年度から下京渉成小学校に統合されました。本当に長い間ありがとうございました。
(崇仁小学校ホームページより引用)
ぜったいに 消してはいけない すなおな自分 崇仁小・児童作品 崇仁児童館運営委員会
人と人 心をつなぐ 明るい笑顔 崇仁小・児童作品 崇仁児童館運営委員会
手前が東海道新幹線、奥がJR奈良線の高架
此附近 平清盛終焉推定地
平清盛の終焉推定地(高倉天皇誕生地)の案内板
「我の死後は堂塔も孝養も要らぬ、ただ頼朝の首を刎ね我が墓前に供えよ。」
一度通った商店に戻ってきました。
とにかく金網フェンスが多いです。金網フェンスだらけと言ってもいいでしょう。
不法投棄監視中
地域の歴史を静かに物語る崇仁地区のネットフェンス
ネットだらけ。。。
金網だらけ。。。
高瀬マーケットと高瀬川
崇仁地区の街並み
時々、ポツポツと人や車が通ります
閉店?したお店
青空の下の崇仁地区
崇仁地区から山王地区に入ります。やはりシャッターの閉まったお店が。。。
水月亭 豚ホルモン焼の専門店!
かーーーっ!中でむし豚食べてる人たちが何人かいて、めっちゃうまそうだったのですが、この後、八王子に帰らなくてはならなかったので断念。とにかくめちゃくちゃうまそうな雰囲気でした。
三輪自転車が通り過ぎました。なんだか、見かける人がみんなおじいちゃん、おばあちゃん。しかも、かなり年齢がいった方々ばかりなんですが。。。。
山王地区の古い民家
キリスト聖教団 京都教会
キリスト教のすごいところは、貧しい人や苦しんでいる人、困っている人に寄り添い、憐れむところだと思います!
西日も強く、へとへとです。歩き疲れました。白バラコーヒーでいっぷく~
佐藤りおさん 来店!!パチンコ屋さん、頑張ってます!
京都トンポと共に70年 さらなる未来へ
京都民族教育実施 70周年記念 大祝祭
場所: 京都朝鮮初級学校
第24回 東九条マダン(ひろば) 会場: 元・陶化小学校
崇仁や東九条エリアには数多く朝鮮の方々(在日コリアン)が暮らしているようです。
東九条地域
東九条は、JR京都駅の南、鴨川より西に位置し、京都で在日朝鮮人がもっとも多く住んでいるところです。ここに朝鮮人が住むようになったのは、1920年代、当時国鉄の東海道線の工事や、東山トンネル工事、鴨川の護岸工事、九条通りの拡幅工事などの大規模な土木工事や、京都の地場産業のひとつである友禅染め関係の染色工場が多くあり、その末端の仕事に従事する者が多かったからです。東九条の朝鮮人人口が著しく増えたのは、解放直後(1945年8月)八条通り一帯(現在の JR新幹線京都駅八条口)に登場した大闇市の頃です。
(東九条マダンホームページより引用)
山王地区の路地裏
カタパン屋発見!善通寺名物の「カタパン」を以前食べそびれていたのでチャレンジします!!
カタパンを焼いていたところ
カタパンの「やらかパン」 さっぱりしていて美味しかったですっ
「やわらかパン」じゃなくって、「やらかパン」みたいです 笑
崇仁地区に再び入ります。かわしろ商店
ツバメソース取扱店 ツバメソースって初めて見ました、どんな味なんだろ?謎ですw
煙突~~☆ 銭湯発見っ!市営浴場のようです。
京都市立崇仁第三浴場
すごっ!実名入りの崇仁市営住宅の案内板
たぶんですけど、この錆び具合からもうこの半分も住んでいないんじゃないでしょうか?
崇仁市営住宅
市営住宅に囲まれた公園の片隅にある赤い鳥居
白石大神 白一大神(お地蔵さん)
ここ崇仁は市営住宅と空き地の街ですね。この二つが異様に目立っています。
市営住宅の敷地から夕暮れ時を迎える京都タワーが見えました。
まんぼ焼。まんぼ焼きとはお好み焼きの生地に中華そばの麺を入れた京都発祥の食べ物のようです。ここ山本まんぼで「まんぼ焼き」食べてみたかった~
高倉塩小路交差点から見えた夕暮れの京都タワー
河原町通塩小路の平成の京町家モデル住宅展示場 KYOMO(きょうも)
平成の京町家 なかなかモダンですね~っ
Not bad!悪くないです。
平成京町家モデルハウス
丸い飾り窓が印象的です!飾り棚に四季を感じさせるものを飾って、道ゆく人に楽しんでもらおうという工夫だそうです。平成の京町家素敵ですね♪♪
▼このモデルハウスの詳細はこちらから
ゼロホーム: 注文/住宅展示場/平成の京町家展示場ゼロホームモデルハウス
毎年 お伊勢さん
お伊勢参りに毎年行け!ってことですね~ 京都からは近いですもんね(^^)
▼平成19年(2007年)のおかげ参りコース(三重県伊勢市)
1: お伊勢参り:伊勢神宮 外宮(げくう)を参拝 …豊受大神宮2: お伊勢参り:伊勢内宮前 おかげ横丁はすごい人出でした!
3: お伊勢参り:おかげ横丁の「伊勢うどん」はうまい
4: お伊勢参り:おかげ座(参宮歴史館)で知る江戸時代の人々の楽しみ
5: お伊勢参り:伊勢神宮 内宮(ないくう)を参拝 …皇大神宮
もう、八王子に帰る時間です。足も棒のようです。崇仁地区を最後にもう一回りしてみます!
許せない連続放火 特別警戒実施中
ネットフェンスの金網と焼杉板の競演です。日本の他の街や地域ではお目にかかれないような特異で、異質で、珍しい光景だと思います。
高瀬川沿いの旧家 どんな人が、どんな気持ちで住んでいた(る?)のでしょうか?
尋常でない雰囲気がただただ漂っています。
ネットフェンスの金網と簾(すだれ)
ネットフェンスと京都タワー。世界遺産の街・国際観光都市京都の中心部と崇仁地区はこんなにも近いのです。
まるで迷路のような道です。金網フェンスに囲まれた無数の空き地!!見事に荒れ果ててしまっている崇仁地区。。。
崇仁地区内を静かに流れる高瀬川
大きな木と自転車と高瀬川、そしてネットフェンス
河原町を流れるのも高瀬川、先斗町界隈を流れるのも高瀬川、五條楽園を流れるのも高瀬川、ここ崇仁を流れるのも高瀬川。
富士の高嶺に降る雪も~♪ 京都先斗町に降る雪も~♪ 雪に変わりはないいじゃなし~ぃ♪ 解けて流れりゃ皆同じ♪♪(「お座敷小唄」より)
夕陽に照らされるネットフェンス、空き地、市営住宅。。。
曼珠沙華(彼岸花)と高瀬川。
ネットフェンスの金網とお地蔵さんの祠(ほこら)
昔も、今も、崇仁地区の人々はこのお地蔵さんに何を願ったのでしょうか?
周囲をフェンスで囲まれた敷地の連続です。
七条通
河原町七条交差点
民家のくもりガラス
人の間(ひとのま/HITONOMA)
「老若男女、分け隔たりなく、言葉を楽しむ、そんな時間と空間を目指しているお店」だそうです。五條楽園と崇仁地区、ディープな京都を歩いてみた僕のこころにこの「人の間」という文字がグググっと迫ってきました。
今日、僕が学んだのは「人間」についてです。五條楽園と崇仁地区で知ったのは「人間」についてです。「人間」という言葉の間に僕・村内伸弘の「の」の字が入った、この微笑んでいるような黒と白の看板を撮って、僕の京都旅行は終わったと思いました。
ラストスパートです、京都タワーに向かって歩きます。
精肉 焼肉用 豚肉 生ホルモン 関西スタミナ食品 高田商店の看板
夕暮れ時の京都。
ビルの谷間から京都タワーが見えます!徒歩で京都の玄関口・京都駅まで戻れます。国際的な観光都市「京都」の新幹線駅から徒歩数分の位置に崇仁地区が存在しているということに今更ながら驚かされます。
京都市立芸術大学がこの崇仁地区に移転する計画があるそうです。(よその土地に住む門外漢が勝手なことをいうのもなんですが)大賛成です!これだけ塩漬けになっている空き地があって、被差別部落(同和地区)の負の遺産のイメージから抜け出せない様子ですので思い切って、このエリアを芸術エリア、ある意味 "芸術特区"にしたら良いと思います。芸術家やアーティストたちに自由にやらせるとおもしろい街に変貌すると思いました。逆に言うと崇仁地区にしかできないと思います!!
崇仁地区がこんな感じになったら面白いと思いませんか?
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
サンフランシスコ・ミッション地区のグラフィティアートストリート
京芸のみんななら絶対やり遂げますよ。パワフルな京芸の卒業式の写真を見ればそう思えます!!京都は若人が変える!ニッポンは若者たちが変える!!
京芸(京都芸術大学)の卒業式
(京都市立芸術大学ホームページより引用)
「人の世に熱あれ、人間に光あれ。」
京都は、日本で最初に人権宣言を行った「水平社」が創立された地なんですから、また同じように日本で最初のことをガンガンやっちゃって欲しいです。京芸の学生たちのエネルギーを起爆剤に新たなまちづくりを!京都なら絶対にできるはずです!!
京都は古い街じゃないんです、新しい文化や新しいライフスタイルを生み出す街こそが京都なんです!!
僕はそう思います。
お土産は創業元禄二年の聖護院八ッ橋
JR京都駅のガラス屋根
さようなら京都。また来るね~~☆
書いて書いて書きまくりました!
最後までお読み頂き、心から感謝いたします <(_ _)>
京都市の崇仁同和地区は日本3大部落の1つであり、日本で最初に人権宣言を行った「水平社」が創設された地としても有名です。しかし、京都駅前の総面積8万坪にも及ぶ広大なこの地域は、戦後から今日まで、忘れられた地域として日本の繁栄から取り残されてきました。そこで私たち地域住民は、水平社の基本理念のもとで「崇仁協議会」を設立し、社会に対する反発や甘えの無い「真の解放」を目指して独自の解放運動を進めています。
崇仁地区では、昭和35年の世帯数は約3,000世帯(約10,000人)でしたが、現在は約1,200世帯(約2,700人)にまで激減しています。現在、崇仁地区の小学校・中学校の生徒数は、各学年に1クラスとなってしまいました。地域は確実に高齢化しつつあり、あと20年もすれば4百世帯を切ることは明らかです。
もちろんこれは全国の農漁村地域にも見られる現象で、過疎化は崇仁地区だけの問題ではありません。しかし、崇仁地区は京都駅 前という最も便利の良い地域です。隣接地域は都市機能の拡充により活性化しています。
明らかに崇仁地区のみが同和行政の犠牲となり、アンダーグラウンドの地として時代に取り残されている のです。
この現象は、国・地方行政が「同和地区」という線引きで差別を 固定化したことが第一の要因です。同和地区という差別から逃避するため、住民たちが地域外へ流失移住していくことを行政が促したのです。
果たしてこれが差別解消政策と言えるでしょうか。差別逃避のために生まれ育った町を離れ、出身地を隠して生き続けることが、真の幸せにつながるとは思えません。
私たちは、ごく普通の人間として、共に社会の一員として地域の 発展に貢献したいと願っています。そのためには、駅前という地の利を生かして崇仁地区の混住化を進め、誰もが気軽に訪れて楽しめる新しい町を創出しなければなりません。崇仁協議会設立の基本理念はここにあります。そのために私たちは、行政に「同和特別地 域」の解除を求めています。
(崇仁協議会ホームページより引用)
外国人多住地域-東九条の実情
JR京都駅の南側に位置する東九条地域は、京都で最も在日コリアンが多く住む地域です。特に、鴨川に近い地域の東側は在日コリアンの割合が高く、日本籍者を加えると、約3割が在日コリアンと思われます。
1960年代から1980年代まで、劣悪な住環境のために大火災にたびたび見舞われ、多くの犠牲者が出ました。とりわけ、当時、鴨川の河川敷(通称松ノ木町40番地)にバラックを建てて住んでおられた多くの在日コリアンは水道や電気もなく悲惨な状態でした。
1990年代半ばより市営住宅が建設され住環境は良くなった反面、まちの活気はなくなりつつあります。行政中心のまちづくりは住環境改善が中心であり、それ以外の課題に対応ができていないのが実情です。
同和問題においては、その解決は国の責務として行政は、就労、住環境、教育、啓発などの課題解決に対して、市職員採用をはじめ、改良住宅や隣保館、学習センター、福祉センター、保育所などを設けてきましたが、一方、在日コリアンに対しては、行政施策は行われず放置されてきました。
(京都・東九条CANフォーラムホームページより引用)
東九条が大きく変わろうとしています
東九条は今歴史的な転換点を迎えています。特に、元・陶化、山王学区の東側は人口減少が著しく、1965 年当時の約 1/3、山王学区の東に位置する 4 ケ町(東・南岩本、北・南河原町)は、実に約 1/5 まで減少しています。
加えて少子高齢化率も高く、昨年度から東九条に戦前からあった公立の 3 小学校 1中学は、凌風小・中学校に統括され、元・陶化、山王小学校は使われなくなりました。
このような人口減少を招いた原因の多くは、長年放置されてきた劣悪な住環境や、いわゆる社会的弱者に対する支援体制の不足に依るものと思われます。
人口減少に加え、高層化した市営住宅に移り住んだ後に残されたのは、膨大な空地です。これらの空地や廃校になった学校跡地の利用、また市営住宅 1 階に併設された空店舗等の活用については未だに決まっていません。これらの現状を見据え、私たちは「住民の主体的参加による」まちづくりを目指したいと思います。
(京都・東九条CANフォーラム ニュースレターより引用)
(今回の京都・大阪旅行)
・京都: 京都駅周辺(下京区)の古い街並みや京町家を満喫
・京都: 江戸時代の花街の風情残る島原大門と置屋「輪違屋」
・大阪: 道頓堀の看板やオブジェを鑑賞&大阪王将の焼き餃子
・大阪: 道頓堀、雨の夜のグリコネオンサインと子供たちが描いたグリコの看板
・大阪: ジャンジャン横丁で かすうどん!油かすが超ミルキー☆
・大阪: 朝昼寝する猫おばさん&国際劇場の手書きの絵看板(映画看板)
・大阪: 四天王寺別院・愛染さん(勝鬘院愛染堂)と多宝塔脇の曲がった青いもみじ
・大阪: 情死事件の現場・お初天神(露天神社)へ... 曽根崎心中のお初徳兵衛に会いに
・京都: 親鸞聖人の六角堂夢告!六角さんで浄土真宗開祖の奇跡を体感
・京都: 東洞院通、仏光寺通、麸屋町通、松原通などマイナーな路地を散策
・ディープな京都・菊浜地区: 五条楽園(遊廓跡、旧赤線地帯)を探索
・ディープな京都・崇仁地区: 柳原銀行記念資料館と金網フェンスに囲まれた無数の空き地
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