"あか寺" 興福寺。日本黄檗宗の開祖・隠元隆琦禅師が住職だった長崎の唐寺
隠元さんのお寺・興福寺!別名は南京寺。朱塗りの山門や黄檗天井、氷裂式組子の丸窓が美しい!
長崎県指定有形文化財 興福寺山門
興福寺・大雄宝殿の氷裂式組子の丸窓
平成30年(2018年)11月4日 村内伸弘撮影
長崎の寺町って本当に「寺町」です。お寺が次々に目の前に現れます。崇福寺に続いて、同じく長崎三福寺、または長崎四福寺(唐寺)の一つ、福を呼ぶ寺!興福寺に参拝します。
長崎三福寺(ながさきさんぷくじ)
興福寺(南京寺)
崇福寺(福州寺/支那寺)
福済寺(漳州寺/泉州寺)
長崎四福寺(ながさきよんぷくじ)
興福寺
崇福寺
福済寺
聖福寺(広東寺)
"あか寺"こと興福寺
東明山 興福寺(こうふくじ)
興福寺は、国内最初の黄檗禅宗(おうばくぜんしゅう)の唐寺でその由来は古く、中国・明の商人が長崎と行き来を始めた頃に渡来した中国人が、1620年ごろ航海安全を祈願してこの地に小庵を造ったことに始まります。この時代は、幕府のキリスト教禁令が厳しく、長崎在住の中国人にもキリシタンの疑いがかかったため、仏教徒であることを証明するためにも、崇福寺、福済寺、聖福寺など、つぎつぎと唐寺が建てられたといわれます。
日本最古の石橋の眼鏡橋を架設した第二代黙子如定、南画の祖と称される第三代の逸然、さらには明の高僧隠元隆琦禅師が住職として興福寺に滞在された頃には、大きな堂宇が建ち並び、全国から僧や善男善女が参集して禅の一大センターとなりました。
寺町界隈 長崎さるくモデルコース
黄檗宗 東明山興福寺(県指定史跡)
元和6年(1620年)明僧、真円が開創。わが国最初の黄檗禅宗の唐寺。通称「南京寺」。雄大な朱色の山門もあり、「あか寺」として親しまれています。二代目の唐僧。黙子如定は眼鏡橋を架けたことで有名。三代目逸然は隠元禅師を招きました。隠元禅師は隠元豆の他、胡麻豆腐やダイニングテーブル等多彩な明朝文化を伝えました。
ジャジャーン!
いきなり、この雄大な山門が僕の目の前に出現~ん!!
素敵な赤い門です♪♪
興福寺の愛称が「あか寺」というのがすぐにわかりました。
興福寺山門(県指定有形文化財)
造形もかっこいいし、色も文句なし!
この朱塗りの門を目にしただけで気分はハッピーです♪♪
山門の目の前にはこんな祠もありました。
長崎四国第78番霊場
四角い顔の弘法大師(空海)がいました。
少しくたびれ始めてる感じがまた情緒があってすばらしいです。
熱烈歓迎、隠元和尚。
県指定有形文化財 興福寺山門
県指定有形文化財 興福寺山門
興福寺に最初に建てられた山門は寛文3年(1663年)におこった市中大火により類焼しました。現存するこの山門は、元禄3年(1690年)に再建されたものです。構造は三間三戸八脚門の入母屋造で、単層屋根・総朱塗となっている壮大な門です。細部は和風であり、日本人工匠の手になるものです。
この地は、承応3年(1654年)中国から来朝した隠元隆琦の初登の地であるため、門の背面梁上には隠元筆「初登宝地」の扁額がかかっています。
山門(県指定有形文化財)
長崎で一番の大きさ。上野彦馬は初めて自分で作った写真機を使って、ここで幕医・松本良順をモデルに写真を撮りました。現在の山門は、元禄3年(1690年)に再々建。原爆の影響を受けましたがその後復元。扁額は隠元禅師の書です。
元禄時代の再建ということなのでもう 300年以上も前の門ですね。隠元禅師の筆による扁額がかかっているとか、ここで上野彦馬が初めて写真を撮ったなんて逸話まで紹介されるとますます気持ちが高まります!
興福寺の境内に入ります
隠元隆琦(いんげん りゅうき)禅師
黄檗宗の開祖隠元禅師は中国福州から承応3年(1654年)長崎へ渡海、興福寺住職として 1年滞在した。将軍家綱に謁見したのち京都の宇治に万福寺を開山。黄檗宗の渡来は日本の建築、彫刻、絵画、書、茶、料理に多大の影響を与えた。禅師が中国から携えた豆はいんげん豆として現在も食卓にのぼる。後水尾天皇より、大光普照国師の号を贈られた。
門をくぐって、振り向いた反対側から見た山門
山門の内側に隠元禅師の御書による扁額「初登宝地」があったのですが写真に写すの忘れました。。。上の写真に下半分だけ写ってます(泣)
「初登宝地」とは、隠元禅師が日本で最初に興福寺の住職になったことを意味しているんです。
斉藤茂吉の歌碑
斉藤茂吉(1882~1953)は長崎医専(医大)教授として大正6年(1917年)冬から 3年3ヵ月長崎に住んだそうです。
長崎の昼しづかなる唐寺や 思ひいづれば白きさるすべりの花
斉藤茂吉 大正6年/1917年
茂吉が歌ったように、この唐寺はホント昼静かなる感じです。平成の今も。
長崎の坂動き出す三日かな 有馬朗人
興福寺山門と 11月の長崎の青い空
興福寺の境内
興福寺の境内はこじんまりとしていてコンパクトでした。
鐘鼓楼(しょうころう)
大雄宝殿(本堂)
中国工匠による純粋の中国建築だそうです。なるほど、確かに日本のお寺っぽくないですよね。どう見ても中国のお寺ですよ、コレは!
写真下部、ちょうどお坊さんがいました。
本堂の屋根のてっぺんにあるのは火除け瓢瓶という火除けのおまじないだそうです。
樹齢400年の景観樹!元気なソテツ(蘇鉄)が目に飛び込んできます
ソテツは 1メートル伸びるのに約100年もかかるそうです !! ( ゚д゚ ) !!
大雄宝殿の「萬載江山」、「航海慈雲」の扁額
国指定重要文化財 興福寺本堂(大雄宝殿)
蛇腹(アーチ型)の黄檗天井!この天井の形状、めっちゃ独特でクールです!
氷裂式組子の丸窓!
氷裂式組子の丸窓
国指定重要文化財・大雄宝殿は明末期の純粋な中国建築様式で、その大きな特徴は黄檗天井とよばれる蛇腹型いわゆるアーチ型の天井と、正面両脇にある氷裂式組子の丸窓である。
氷裂式組子は文字通り氷を砕いたような文様で大変珍しいもの。
組子とは、釘を使わずに木を組み付ける技術のことで、細くひき割った木に溝・穴・ホゾ加工を施し、カンナやノコギリ、ノミ等で調節しながら 1本1本組付けしていくものである。
創建当時は組子の裏側全面が硝子張りになっていて、陽の光に輝いて、まるでステンドグラスのような美しさだったという。しかし、第二次世界大戦の原爆投下で興福寺の本堂である大雄宝殿も爆風で大きく傾いた。幸いに裏の石垣に支えられて助かったものの、正面の格子戸や丸窓も全て吹き飛んでしまった。戦後45年かかって現在の建物は修復がなされたが、残念ながら組子裏面の硝子を施すことは出来ず、板張りの状態で修繕を終えた。
明末期を代表する建築様式である氷裂式組子は、現在の中国でもこれだけ大きく巧緻なものはもはや残っていないという。
長崎の幾重にも折り重なる歴史の中で、原爆投下という歴史がこの由緒ある興福寺にも色濃く影響していることがわかります。いつの日にか、この丸窓がステンドグラスのように光り輝く姿を見てみたいと思います。
旧唐人屋敷門
国指定重要文化財 旧唐人屋敷門
媽姐(まそ)堂
崇福寺にも海の神様・媽姐(まそ)がいらっしゃいましたが、ここ興福寺にも同じくいらっしゃいました。
県指定有形文化財 興福寺媽姐堂
興福寺媽姐堂
媽祖(まそ)は、道教の海上守護神で、天后聖母(てんこうしょうぼ)・天妃(てんぴ)・老媽(のうま)・菩薩(ぼさ)その他の呼び名があり、特に華南地方で信仰が厚い。唐船は船毎に媽祖像を祀り、長崎
滞泊中は船から揚げ降ろして、唐寺の媽祖堂に安置された。
しかも、長崎ランタンフェスティバルでは媽祖行列までやっちゃうみたいです!
今の媽祖行列はランタンフェスティバルのイベントですが、江戸時代には唐船が長崎に入港すると、出港までの間、媽祖様を唐寺にお預けしていましたがその送り迎えの行列が「媽祖行列」と呼ばれていたようです。
媽祖様を舟から揚げて唐寺に預けることを「菩薩揚げ(ぼさあげ)」、再び船に戻すことを「菩薩乗せ(ぼさのせ)」と呼んでいたそうです。
お美しい媽祖さま
寺町界隈の散策で歩き疲れました。ベンチがあったので一休みしています。
ベンチから見えた興福寺鐘鼓楼(しょうころう)
興福寺、すばらしかったです。
異国情緒というか、中国情緒というか、さすが唐寺!
長崎ってやっぱり日本であって、日本じゃない。
日本最古の唐寺は奥深~~い!
隠元禅師来朝時の話(京都・萬福寺にて)
寺町通りに出て、寺町散策に戻ります。
まだまだお寺が続きます。
浄安寺
石垣が高い。
三宝寺
いやー、続きますね!見事にお寺が続きます。
長崎の寺町は名前の通りリアル「寺町」です(笑)
丸山公園の坂本龍馬像の基礎工事と台座設計施工をした石材店のポスター
デザイン墓
自分のお墓のデザインを考える人がいるみたいです。
僕もちょっとは気になりますが、死んだ後のこと考えても仕方ないかな~
僕の亡骸は
「野に捨てて獣に施すべし」
ということで、道端に捨てて、獣(けもの)に食べさせちゃってください。
まあ、こう言ったのは一遍上人です。
僕・村内伸弘は
ご先祖様と一緒の墓に入れておいてもらえばそれでいいですw
江戸時代における長崎の仏教文化
寺町通り、一本道なので前へ前へと歩いていきます
深崇寺
深崇寺のいちょう
すごいですね!
京都や奈良でもこれだけ連続してお寺が続く通りってそんなにはないんじゃないでしょうか?
青空の下の寺町散策。
どうやら、さすがにこの辺りでお寺も終わりのようです。
石垣だけじゃなく、レンガの壁も長崎です。
▼今回の長崎旅行
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"あか寺" 興福寺。日本黄檗宗の開祖・隠元隆琦禅師が住職だった長崎の唐寺
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