聖福寺の古刹感が強烈!龍馬ゆかりの長崎の唐寺の古色蒼然たるたたずまい
坂本龍馬や後藤象二郎らがいろは丸事件の談判を行った黄檗宗の寺院・聖福寺!別名は広東寺。「船を沈めたその償いに、金をとらずに国をとる」
聖福寺山門
聖福寺大雄宝殿
聖福寺(しょうふくじ)
平成30年(2018年)11月4日 村内伸弘撮影
新大工町駅停留所から路面電車に乗って長崎四福寺(ながさきさんぷくじ)の一つ、福を呼ぶ寺!聖福寺へ向かいます。
長崎四福寺(ながさきよんぷくじ)
興福寺(南京寺)
崇福寺(福州寺/支那寺)
福済寺(漳州寺/泉州寺)
聖福寺(広東寺)
長崎~~!!
なんでお前はこんなにもうつくしいのか!!!!!!!!
新大工町駅停留所
この路面電車に乗って、坂本龍馬ゆかりの唐寺・聖福寺に向かいます!
桜町のトンネル(立体交差)を通過します!
この桜町トンネル、僕大好きです!!
僕はセナ、そして市街地コースのモナコグランプリで "あのモナコのトンネル"を走っているような錯覚にすら陥ります(笑)
桜町停留所で路面電車を下車して、聖福寺に向かいます。
中町公園の角に福済寺、聖福寺は直進という矢印がありました。
レンガの階段の美容室
この真っ直ぐ行っても坂、右へ行っても坂という感じが長崎的!
右側の坂(道)が筑後通りといって聖福寺に行く道です。引き続き、歩いていきます。
聖福寺に着きました!
聖福寺山門
万寿山 聖福寺(しょうふくじ)
慶応3年(1867年)5月22日、いろは丸事件の談判が、この聖福寺で行われました。4月23日、坂本龍馬らが乗った「いろは丸」は、瀬戸内海で紀州藩船「明光丸」と衝突、沈没。その賠償交渉が鞆(とも)の浦(福山市)と長崎で行われ、龍馬は土佐藩士・後藤象二郎とはかり、紀州藩に賠償金 8万3000両(のちに7万両に減額)を支払わせることで決着しました。このとき龍馬は世論を味方にするため「船を沈めたその償いに、金をとらずに国をとる」という歌をつくり、長崎の街中に広めたと言われています。
龍馬と象二郎が来てますよ!ここに!!
「船を沈めたその償いに、金をとらずに国をとる」
幕末の無頼な空気を強く感じることができる歌ですね♪♪
この山門、文句なしにカッコイイし、威厳があります!
国指定重要文化財 聖福寺4棟(山門)
黄檗(おうばく) 隠元禅師のポスター
黄檗宗と隠元禅師
黄檗宗(おうばくしゅう)はいんげん豆の名前のもとになった隠元禅師が中国から来朝したことによってできた宗派で、当時中国で広く行われていた禅・浄・密を融合した仏教の流れを受けついでいた。
隠元禅師は承応3年(1654年・徳川四代将軍家綱の時代)に来朝した。
当時の日本の禅宗(臨済宗、曹洞宗)の僧侶が数百人集まったということである。
京都に黄檗山万福寺が創建され、最盛時黄檗宗の寺院は千ヶ寺を超えていた。
臨済宗には再生する力を与え、曹洞宗には儀式の面で多くの影響を与えた。
特に黄檗宗による木魚の帯来は禅宗だけではなく、天台宗、真言宗、浄土宗等でも使用され、最大の影響であったと思われる。
隠元禅師は在世中、後水尾法皇の帰依を受け、大光普照国師の号を下賜され、以後、国師号、大師号を下賜されている。
聖福寺の境内に入ります
81歳の隠元禅師が書いたと言われる聖福寺の扁額「聖福禅寺」
崇福寺や興福寺に較べて、鬱蒼(うっそう)とした雰囲気が強く、この唐寺すごいな~と実感しました。
人が誰もいないし、辺りを静寂が支配しています。
惜字亭(せきじてい)
お経とかお寺の中のいらない書類を燃やす六角形の炉です。
聖福寺惜字亭(せきじてい)
しゃれた壁もありました。
この石段と石段から見上げる天王殿の姿、その天王殿を隠す木々の緑が神秘的ですらありました!!
スピリチュアルな雰囲気が支配する古刹
卍(まんじ)
恐ろしい形相!!
聖福寺天王殿
扁額と黄檗天井
国指定重要文化財 聖福寺 4棟(天王殿)
日の光が当たった芸術的に築地塀
※葉っぱの向こう側に瓊浦高校が見えています
弥勒菩薩(布袋)
すばらしいお顔!!
このお顔はすごいです!
誰もがこの布袋様から幸せパワーをもらえるんじゃないでしょうか!!
黄檗宗では弥勒菩薩と呼ぶそうです!
弥勒菩薩はお釈迦さまの入滅後、56億7000万年後に現れて、お釈迦さまの救いに洩れた衆生を救うといわれる未来仏です。お釈迦さまが亡くなってから 56億7000万年は経ってませんが、この笑顔に僕は間違いなく救われました!!(^^)/
弥勒菩薩坐像
聖福寺大雄宝殿
鐘鼓楼(しょうころう)
境内から見えた長崎の山 長崎彦山(英彦山)
聖福寺石門
アーチ式の石門、扉が朱色!
この門、中国っぽくって最高です!!
左上部が太陽光線に射し込まれてなおさら美しく見えます!
ああ、聖福寺はすばらしいお寺です。
市指定有形文化財 聖福寺石門
聖福寺も大きく育ったソテツがうつくしい!!
長崎はやっぱり南国・九州なんですね!
めっちゃくちゃカッコ良くないですか!
ご本尊はお釈迦さま(大雄)です。
観光客がバンバン来て、拝観料がガンガン入るようなお寺と違って、僕以外誰もいないようなお寺なので伽藍がどことなくくたびれてるというか老朽化しているというかそんな印象です。
古色蒼然!
でも、僕的にはそれがメッチャ良くって、良い意味で古めかしく趣がある感じなんです。聖福寺の大雄宝殿、すばらしい仏殿です!!!!
皆さんはどう感じますか!?
国指定重要文化財 聖福寺4棟(大雄宝殿)
桃の扉
横から見た鐘鼓楼(しょうころう)
鬼瓦塀
鬼瓦とかいろんな瓦がはめ込まれていて芸術的です!!
鬼瓦塀、横から見るとさらにアートしてるぅ~☆
大雄宝殿の瓦屋根、色彩が素敵です!
屋根のところどころに雑草や苔が生えていますが、これすらも僕には美しく見えるんです。長崎の町や山をバックにして撮ったこの写真をぜひ皆さん、大いに楽しんで観てください。
山麓にあるお寺ならではの風景が広がります。
ハウステンボスやグラバー邸ももちろんいいんですが、ぜひ時間があったら、聖福寺、あなたもぜひ訪れてみて下さい。
下に下がらずに、山麓を横に移動して散歩してみます。
オレンジ色に輝く柿の実
山麓の長崎の細い路地
日本一の街迷路・長崎を楽しみます
山の斜面に家々が建ち並ぶ、長崎独特の風景に遭遇!!
長崎彦山(英彦山)がハッキリと見えます
坂の町長崎!まさに長崎情緒
僕ら観光客にとって(季節も冬ですし)この階段はうれしいです!
でも、ここに住んでいる方々にとってはこの階段、けっこう"過酷"だと思います。夏とか心臓バクバク、汗ダラダラになりそうですねw
民家と墓地。ここ長崎では生きている人たちも死んでしまった人たちも仲良く一緒にいるのです。景色がよく、日当たりがよく、風通しがよく気持ちがいいこの高台に一緒にいるのです。
歩いていたら別のお寺(永昌寺)に出ました
ここにもソテツがありました
吾 生され 生くるなり
瑞光山永昌寺
永昌寺の真ん前に "最後の元老" 西園寺公望が住んでいた場所がありました。
西園寺公望仮寓跡
西園寺公望もこの辺りを闊歩してたってわけですね!
坂本龍馬も後藤象二郎も来てたし、長崎って偉人がどんだけ集まってたんだって思います!!
聖福寺前の通り・筑後通り(玉園町通り)
筑後通り(玉園町通り)にあった格子戸の古い家
昭和のお医者さんみたいな感じ 笑
くもりガラスの模様が美しい
植木鉢というよりも古い防火水槽のような気がw
元料亭・迎陽亭(こうようてい)
門柱には「唐船維纜石(とうせんいらんせき)」という西道仙(にし どうせん)の文字が刻まれています。
※維纜石(ともづな石)=長崎港に入港した唐船を係留させるため綱を結びつけていた石
唐船維纜石 西道仙書
元迎陽亭のザクロの実がすっごい神々しい!
僕はザクロを鑑賞するの大好きなので興奮しますっ!!
観善寺の大クス
▼今回の長崎旅行
有明海が美しくきらめいた - 長崎行きソラシドエアから見た美しい海
長崎の中華菓子・金銭餅(きんせんぴん)、恋人の聖地・大村湾PA(下り線)
長崎・波佐見の陶郷中尾山の登り窯「中尾上登窯跡」と窯元「太一窯」見学
やきものの郷 中尾山散策!中尾山郷の路地裏や脇道、裏道を探検
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「くじらあります」鯨のまち長崎をぶらぶら歩き。春雨通り、長崎のゆるキャラ、清風亭跡、卓袱料理など
崇福寺三門や国宝・第一峰門、大雄宝殿で有名な長崎の唐寺 崇福寺(崇福禅寺)
長崎の寿司がメチャうま!王監督も食べた崇福寺近くの長崎のお寿司屋さん
長崎・寺町通り散策 おイネさんのお墓が幣振坂を上った皓台寺にありました
"あか寺" 興福寺。日本黄檗宗の開祖・隠元隆琦禅師が住職だった長崎の唐寺
長崎・宮地嶽八幡神社陶器製鳥居と長崎の古い町家が軒を連ねる路地
聖福寺の古刹感が強烈!龍馬ゆかりの長崎の唐寺の古色蒼然たるたたずまい
元国宝・福済寺(長崎観音/原爆観音) 原子爆弾で一物も残らず焼失した長崎の唐寺
カトリック中町教会 - 長崎の原爆が炸裂し十字架の立つ尖塔と聖堂の外壁だけが残った教会の今
聖トマス西と十五殉教者顕彰の碑 - 長崎・中町教会の記念庭園
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