さようなら&ありがとう 歌子おばあちゃん(法名 慧光院釋尼頌徳)
村内歌子 享年94歳 大正15年/1926年8月3日 - 令和2年/2020年10月3日。「しばらくの沈黙の後、母が『壽一も忠壽も、まだ若いのだから、もう一度死んだつもりでやりなおしてごらん』と言った。」
若い頃の歌子おばあちゃん(村内歌子/むらうち うたこ)
昭和21年(1946年)9月1日 おじいちゃん 34歳、おばあちゃん 20歳
昭和55年(1980年)、着物姿のおばあちゃん 55歳頃
平成3年(1991年)6月 おじいちゃん 79歳、おばあちゃん 64歳
おばあちゃんの遺影
南無阿弥陀佛 法名 慧光院釋尼頌徳(えこういん しゃくに じゅとく)
佛暦2979年 令和2年10月3日 命終 寿算 94歳
今日、令和2年11月15日。僕の祖母・村内歌子の四十九日法要でした。おばあちゃんは去る令和2年10月3日、94歳で往生を遂げました。コロナ禍の折、10月7日に通夜、10月8日に告別式を近親者のみで滞りなく執り行いました。
僕が大好きなおばあちゃんでした。誰に対してもやさしくて、とびっきり笑顔がステキなおばあちゃんでした。
おばあちゃんは今、仏さまとなり僕のことを見守ってくれています。
戦後、村内テレビ店頭で働く歌子おばあちゃん
歌子おばあちゃんの写真は夥しい数残っています。旅行に行った時の写真、子供や孫を抱いた写真、実にいろんな写真があるんですが僕はこの 1枚の写真に目を奪われ、この割烹着姿で働いているおばあちゃんが一番うつくしいと感じました。
この写真にこそ、僕たちの会社・ムラウチドットコムの原点があるんだと思いました。
昭和30年代の古い写真ですが、この写真こそがムラウチの原点であり、僕の祖母・村内歌子が一生懸命生きた証だと思うのです。
村内テレビ(八王子市大和田町)が写っています
昭和30年代の村内テレビの様子です(今のムラウチエコ村のところです)。醤油工場の煙突がまだ残っています。手前の道は甲州街道=国道20号です
そしてこのお店の中で歌子おばあちゃんは、おじいちゃんと一緒に働いていたのです
一生懸命おばあちゃんが働いています!!
「働く」おばあちゃん
間違いなく人間のもっとも美しい姿です
この時の、そしてこの頃のおばあちゃんたちの頑張りが僕たちの会社・ムラウチドットコムにつながっているし、その他ムラウチグループ各社につながっているんです。
おばあちゃんがもし怠けていたら、サボっていたら、諦めていたら、僕たちの今の会社はありません。
実際、昭和50年(1975年)、ムラウチ電気が倒産しそうになった時の家族会議で、歌子おばあちゃんの一言が会社を救いました。
僕の父親・村内壽一の文章です
家族会議
昭和50年頃である。ある晩、父から父の家に来るように呼び出された。父の家に行くと、比較的広い部屋で薄暗い電灯がついていて、電気スタンドがコタツの上にあったような記憶がある。その部屋は、子供の頃、醤油工場の事務所であり今でも部屋の入口には事務所の名札がついている。
この部屋に、父と母と私と弟の忠壽 4人が集まりムラウチ電気の今後について話した。父から話があり、もうダメだ、とのことになった。こうなってしまったが、いろいろと思いどおりにやってきたので仕方がない、との話だった。母も私も弟も黙って聞いていた。
しばらくの沈黙の後、母が「壽一も忠壽も、まだ若いのだから、もう一度死んだつもりでやりなおしてごらん」と言った。
よく女の人は強いというが、母の言葉で、勇気づけられ、父も、弟も、私も、ガンバッテなんとかこの危機をぬけだした。
半世紀以上も前のこの写真が、おばあちゃん亡き今、僕に激しく語りかけてきます。。。
(恐らく)おじいちゃんが働くおばあちゃんの姿を撮った一コマです。愛情が溢れています。
海水浴を楽しむ昭和の村内一家 前列右から2人目がおばあちゃん
ヨーロッパのベンチでポーズを撮る女優みたいなおばあちゃん
お酌をするおばあちゃん
昭和47年(1972年)1月5日、村内一族 前列右から5人目がおばあちゃん
昭和47年1月5日、おじいちゃんとおばあちゃんに挟まれて
平成19年(2007年)1月6日 おばあちゃんと一緒にアロハポーズ(シャカサイン)
令和2年10月7日(水) お通夜
祭壇の歌子おばあちゃんの遺影 ※後ろは阿弥陀さま
やさしく微笑む遺影、すばらしかったです
仮設テントの涙雨
浄土真宗の「正信偈(しょうしんげ)」
大悲無倦常照我
大悲倦きことなくして、常に我を照らしたもう
憐愍善悪凡夫人
善悪の凡夫人を憐愍せしむ
通夜の会場となったおばあちゃん家
幻想的な夜でした
庭ではキンモクセイが雨に濡れながら見事に咲き誇っていました
キンモクセイの香りはおばあちゃんの香り。これから毎年、キンモクセイの時期になると、僕はおばあちゃんのことを思い出すんだと思います。
お通夜が終わりました。
昭和34年(1959年)11月におじいちゃんが描いた絵
B29の空襲で醤油工場が焼けたこととか、軍隊のこととか、その時点でのおじいちゃんの一生が描かれています。
お墓の中でおじいちゃんとおばあちゃんが仲良く眠っています
歌子おばあちゃん、さようなら、そしてありがとうございました。
やすらかに。
南無阿弥陀仏
PS すごーい!
おばあちゃん、ユーミンから名前入りの直筆サインをもらってました(^^)/
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