見た!旧乃木邸で乃木将軍夫妻殉死の部屋を。軍神乃木大将!これぞ栄光の明治!!
乃木将軍自刃。明治天皇の大葬が行われた大正元年(1912年)9月13日の夜、妻・乃木静子とともに自刃。。。
軍神!乃木希典将軍(乃木大将)
乃木将軍夫妻殉死の室(部屋)
大正元年(1912年)9月13日 午後8時頃
平成29年(2017年) 10月21日 村内伸弘撮影
うつし世を 神さりましし 大君の
みあとしたひて 我はゆくなり
乃木将軍の辞世
旧乃木邸
東京都港区指定文化財 有形文化財 旧乃木邸及び馬小屋
乃木大将と辻占売少年像
乃木大将と辻占売少年像
今に伝えられる「乃木大将と辻占売りの少年」の話は、明治24年、乃木希典が陸軍少将の時代、用務で金沢を訪れた折りのことです。希典は金沢で偶然、当時8歳の今越清三郎少年に出会います。今越少年は辻占売りを営みながら一家の生計を支えていました。この姿に感銘を受けた希典は、少年を励まし、金二円を手渡しました。今越少年はこの恩を忘れることなく、努力を重ね、金箔業の世界で大きな実績を積み上げました。
この銅像は、こうした乃木希典の人となりを伝えるものとして、昭和43年に旧ニッカ池(六本木六丁目)の縁に造立されましたが、この度旧ニッカ池周辺が整備されることとなり、希典所縁のこの地に移建されました。
平成13年9月
愛馬の由来
ステッセル将軍ですよ、ステッセル将軍!水師営ですよ、水師営!!
愛馬用井戸
厩(うまや)
明治22年築ですから、約130年前ですね。レンガ造りがオシャレです。
乃木将軍の胸像(レリーフ)銅板
銅像師 水野朗氏の作品
大正四年(1915年)ですから、殉死から数年後に造られたものです。
旧乃木邸
乃木将軍の生涯
乃木将軍は言うまでもなく日清、日露の両役に武功輝き又高風清節徳望高き人格者として一世の崇敬を受けた。
陸軍大将従二位勲一等功一級伯爵に叙せられ晩年明治天皇の思召によって学習院長に任ぜられ専ら華胄子弟の薫育に盡したが大正元年9月13日明治天皇御大葬の当日64才を一期として殉死し静子夫人も共に自刃した。
将軍の殉死せらるるや遺言して自邸を東京市に寄附せられた。時の東京市長男爵阪谷芳郎は中央乃木会を設立してその旧邸を保存し、また隣接に乃木神社も建立した。
将軍は嘉永2年11月11日麻布日ヶ窪の長府藩主毛利候邸に於て生れ「少年乃木無人所載年譜」安政5年11月将軍10才の砌り一家と共に長門国長府に移った。幼名を無人とよび慶応2年6月18才の折文蔵と改名した。明治2年11月21才の時藩命により佛式練兵教習のため伏見御親兵営に入隊しその後京都市河東練兵場御親兵練武掛を命ぜられ又豊浦藩陸軍練兵教官として鎮台兵の教育に盡したが明治4年11月23才の時に陸軍少佐に任ぜられ名を希典と改めた。
明治8年27才の時熊本鎮台歩兵第14連隊長心得となり同10年には西南の役に従軍4月22日中佐に任ぜられた。
将軍の父希次は同年10月東京に於て病没した。
翌年11年1月26日熊本鎮台参謀を免ぜられて歩兵第1連隊長となり、8月27日薩摩藩士湯地定之の四女静子と結婚したが夫人は時に20才であった。
当時将軍は、芝桜川町に住んでいた。「山路愛山著乃木将軍」
翌明治12年8月28日長男勝典が生れ11月に新坂町55番地に初めて邸宅を設けたのである。
同13年4月大佐に進み翌14年12月次男保典が出生した。その後ドイツ留学、日清、日露両役に従軍、英国皇帝の戴冠式参列等の事があり、その間、那須別邸に自適されたこともあったが本邸は依然として此地に在り、明治12年以来34年間に及んだ。
本旧邸は、素朴高潔であった。将軍の日常を偲ぶのに最も良き記念物である。
因みに長男勝典中尉は明治37年南山総攻撃に於て戦死し、次男保典中尉は同年11月30日203高地に於て戦死した。時に長男26才、次男は24才であった。
大将夫妻及び両息子の墓はともに青山墓地にある。
棗(なつめ)の標「水師営棗の樹の孫」
ステッセル将軍使用の椅子!ヤバイです!ホンモノのようです!!
乃木将軍夫妻殉死の部屋
乃木将軍 殉死(じゅんし)の室
「大将」と「夫人」の位置関係がわかります。
※殉死とは主君が死んだ際に、後を追って臣下が自刃(自殺)することです。
別の角度から乃木将軍夫妻 殉死(じゅんし)の部屋を撮ります。
乃木家祖霊社
しかし、こう見ると乃木将軍の家はなかなかオシャレですよね~
マックアーサー(マッカーサー元帥)の植樹
力強い木々
奥が旧乃木邸
雨に濡れた黄色い花・石蕗の花(ツワブキ)
沈んだ色調の乃木邸の中で一際目立っていました。
元乃木家菜園
乃木大将夫妻 瘞血(えいけつ)之処
殉死された時の血のついた物を埋めるところ
殉死の時の血の付いた物・・・
生々しいですね。合掌。
そういえば以前、明治の英雄 伊藤博文のお墓にお参りしたときも雨でした。明治は栄光の時代ですが、その時代を築いたリーダーたちのご苦労は筆舌に尽くしがたいものだったと思います。天は泣いているのでしょう。明治は偉大です。
東京都港区赤坂
「二百三高地」見たり、日露戦争の本などを読んでから、ぜひ乃木神社と旧乃木邸に行ってみてください。とても神聖で歴史的な場所だと思います。
乃木坂46じゃないよ~ 乃木坂の乃木神社、正松神社、赤坂王子稲荷神社に御参拝
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