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酔題馬関旗亭壁(伊藤博文の漢詩) & ポーツマスの旗(伊藤博文の名場面)

中央:高杉晋作 右:伊藤博文(俊輔)

中央:高杉晋作 右:伊藤博文(俊輔)


酔題馬関旗亭壁 伊藤博文


論文諸友皆黄土

識面美人多白頭

十五年前狂杜牧

西遊還上旧青楼



昨日12月15日は高杉晋作の功山寺挙兵の日でした。日本の一大転換期・幕末を疾風のように駆け抜けた高杉晋作、そしてその晋作や晋作の師匠・吉田松陰先生の遺志を継ぎ、わが国を近代化し "栄光の明治"を創り上げた伊藤博文(ひろぶみ)。3人ともとっくのとうにあの世へ行ってしまっていますが、その遺志を何とかして僕たちも継いで、みんなでよりよい社会を作り上げていきましょう。


上の漢詩の読み方です。


文を論ぜし諸友 皆 黄土(こうど)
面を識(し)る美人 多くは 白頭(はくとう)
十五年前の 狂杜牧(きょうとぼく)
西遊 また旧青楼(きゅうせいろう)に登る


一緒に尊皇攘夷運動に狂奔した仲間たちはみんな死んでしまった、よく顔を知ってるなじみの美しい女たちも多くは白髪になってしまった。そして、明治維新の頃の狂った男・このオレ伊藤博文は馬関に戻ってきて、あゝ、またあの時の妓楼に登っている。(村内伸弘 意訳)



これは伊藤博文が馬関(下関)で書いた詩です。20代の頃、の高杉晋作誕生地を訪ねたときに晋作の詩集が売っていて、その最後の部分にこの俊輔(博文)の漢詩が載っていました。詩集はいまも大切に蔵書しています。僕は時々、この漢詩をふと思い出してしまいます。


吉田松陰先生の亡骸を小塚原の回向院から世田谷若林(現松陰神社)に改葬し、高杉晋作の功山寺挙兵に呼応し、日本初の内閣総理大臣になり、大日本帝国憲法を作り、日清・日露戦争を指導した伊藤の詩。ということを知ると、その感慨は断然重くなってきます。今日もふと思い出してブログに書いています。皆さん、良い詩でしょ? "詩は志"ということがこれほどよく伝わってくる詩はなかなかないと思います。伊藤は最後、明治42年10月、ハルビンで暗殺されましたが実に偉大な一生だったと思います。


それから、いつも伊藤博文の記事を書くときには引用させてもらっているんですが、故・吉村昭氏が書いた「ポーツマスの旗」の中の一シーンが日本の近代史、いやいや 2000年におよぶ日本史全体でも日本人の勇気を高らかに示す特筆すべきものだと思っています。いつもこれを読むと涙がポロポロとこぼれてきます。そして、気持ちがシャキッと引き締まります。


最後にぜひどうぞ。


●参考: 伊藤博文の名場面 (吉村昭 「ポーツマスの旗」より)
日露戦争開戦時(明治37年/1904年)に伊藤博文が金子堅太郎に対して中立国・アメリカ(ルーズベルト)に和平斡旋をさせるように工作したり、アメリカの世論を親日的なものに変化させていく役割を渡米して果たすよう涙ながらに説得したシーンです!


「成功する見込みが半分ぐらいあるのならば行くんですが、成功の可能性がまったくありません」と失敗を恐れる金子に対して伊藤はこう語りかけたのです。


「ロシアとの開戦を決意したが、勝つ見込みはない。だが、私は一身を投げ打ってロシア軍と戦う。もし、九州にロシア軍が上陸してきたら、

兵に混じって銃を手に取り命つづく限り戦うつもりだ。


今回の戦争は、勝利を期待することは無理だが、国家のため、全員が命を賭して最後まで戦う決意があれば、国家を救う道が開けるかもしれない。金子君は成功する見込みがないと言って辞退しているが、成功しようなどとは思わないで身命を賭すという決意があれば充分なんだ。ぜひ、アメリカに渡ってほしい。私と一緒に国家に生命を捧げてもらいたい。」


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