旧佐世保鎮守府凱旋記念館、外国人バー街など 夜の佐世保散策
アメリカ海軍の基地がある佐世保ならではの外国人向けのバーで飲みました。ここは SASEBO。
旧佐世保鎮守府凱旋記念館(佐世保市民文化ホール)
外国人バーのカクテル
令和元年(2019年)7月14日 村内伸弘撮影
蜂の家さんでレモンステーキと海軍さんのビーフシチューを平らげ、満腹状態ですのでもう少し歩きます。
すでにサンカ(三ヶ町)に入っているみたいなんで、せっかくですのでの外国人バーでカクテルでも飲みたいと思います。
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ジャパネットたかた通販商品特約店
ここは佐世保。ジャパネットのお膝元です。
高田社長いた~っ! 笑
いろんなマークやステッカーが貼ってありました
ここでも SASEBO Friendship Business のカッコイイステッカーを発見
三ヶ町商店街はシャッターの高さがかなり高いです。
直線のアーケード街として日本一の長さを誇る「さるくシティ403アーケード」を僕は歩ききりました。
待っていたのは!
佐世保ブルー
アーケードもいいけど、この佐世保ブルーを見ると空の下もやっぱりいいなー(^^)
木々の緑と空の青、そして車のヘッドライトの白が美しい佐世保国際通り
佐世保川に架かる佐世保橋(海軍橋)を渡ります。
この橋を昔、海軍さんたちが行き交っている姿を想像するとたのしいです♪
佐世保川通り
佐世保橋(海軍橋)から見た佐世保川
ああ、良かった。
佐世保に来て本当に良かった。
振り返って見た佐世保橋(海軍橋)
旧海軍下士官兵集会所跡
下士官兵集会所跡と旧佐世保橋の案内版
今渡ってきた佐世保橋は「鎮守府と市街地を隔てる場所」だったんですね!
佐世保市民文化ホール(旧佐世保鎮守府凱旋記念館)が見えてきました。
正直言うと、ここを目指していたわけじゃなくって気持ちがいいんで、ぶらぶら佐世保散歩をしていただけなんです(苦笑)
こんなステキなライトアップに偶然出会えて僕は幸せです!
佐世保市民文化ホールからはこんなムーディーな景色も望めました。
ここも日本遺産のようです!
旧佐世保鎮守府凱旋記念館(佐世保市民文化ホール)
大正3年(1914年)に勃発した第一次世界大戦において、日本は連合国側に参戦した。大戦後半、佐世保鎮守府の所属艦艇を中心に第二特務艦隊が編成され、地中海において潜水艦からの護衛という前例のない任務に就いた。日本艦隊の献身的な護衛活動は高く評価され、イギリス国王から勲章を授与されるほどだった。
この活躍を記念し、凱旋記念館の建設が企画された。のちに旧制西海中学校(現西海学園高等学校)を創立する菅沼周次郎が建設委員長を務め、建設費は鎮守府管下各県からの寄付金で賄われた。
記念館にふさわしく装飾性に富んだ建物であり、海軍の催事などに使用された。
凱旋記念館完成時の関係者集合写真
旧「佐世保海軍凱旋記念館」
この建造物は、第1次世界大戦に参戦し武勲を立てたのを記念して、旧海軍佐世保鎮守府管内(長崎・佐賀・福岡・大分・熊本・宮崎・鹿児島・沖縄・香川・愛媛・徳島・高知各県)の浄財を受け、旧海軍により建設され、大正12年(1923年) 5月13日開館された。
(当時の建設費 86,000円)
その後、太平洋戦争終結に伴い安保条約による提供施設となり、米海軍佐世保基地の劇場として使用されていたが、昭和52年(1977年)日本国政府に返還されたのを契機に、昭和57年(1982年)佐世保市が譲与を受け、ここに「佐世保市民文化ホール」として活用するものである。
昭和57年11月
佐世保市長 桟 熊獅(かけはし くまし)
日本遺産 認定証 鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴 ~日本近代化の躍動を体感できるまち~
佐世保市民文化ホールとして今も現役の建物です。この日はバンドがライブの練習をしてました。
一等駆逐艦 雪風
一等駆逐艦雪風
雪風は一等駆逐艦陽炎型の第8番艦として昭和14年(1939年)1月に佐世保海軍工廠で竣工した。呉鎮守府の所属として太平洋戦争では開戦直後のフィリピン上陸支援に始まり、翌年2月のスラバヤ沖海戦、ミッドウェー海戦、南太平洋海鮮、第三次ソロモン海戦、マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦、坊ノ岬沖海戦(戦艦大和の水上特攻)と太平洋戦争の主要海戦にほとんど参加し、戦果を挙げつつほぼ無傷で終戦を迎えた。その幸運ぶりは当時から有名であった。
近代都市佐世保
明治維新を迎え、近代国家として歩き始めた日本にとって最も重要な課題のひとつが「外国からいかに国を守るか」ということだった。特に島国である日本にとって「海防」つまり「海の守り」は国家の存亡にかかわる問題であり、近代的な海軍の創設が急がれた。そこで政府は軍艦の購入や建造を進め、同時にフランス海軍の制度を手本に海軍基地となる鎮守府の設置を計画した。
鎮守府設置のための調査は日本各地で 行われ、佐世保には明治16年(1883年)に東郷平八郎少佐が指揮する軍艦「第二丁卯艦」が初めて入港し、綿密な測量調査が行われた。この他にも伊万里湾や、平戸の古江湾も同じように調査が行われたが、中国大陸に面している点や、沖縄や壱岐、対馬、五島などを警備する上で都合が良いことなどから、同19年(1886年)に佐世保への鎮守府設置が決定した。
その直後から鎮守府の建設工事は始められたが、その工事は山を切り崩し、湿地や水田を埋め立てる大規模なもので、多くの死傷者を出しながらも明治22年(1889年)にはおおよそ完成し、同年7月に佐世保鎮守府が開庁した。鎮守府には軍港と造船部(後の佐世保海軍工廠)も併設されており、鎮守府開庁後も船渠(ドック)や各種工場が次々と建設されていった。
ー方、鎮守府が設置される前の佐世保は、干拓地や湿地が広がる人口 4,000人ほどの村に過ぎなかった。そのため、鎮守府設置が決定されると同時に、近代的な市街地の建設も計画された。これは鎮守府設置により押し寄せた人々による無秩序な家屋建設を防ぐ狙いもあった。
当時の佐世保の都市計画は、中心となる道路を完成させ、その道路に沿って算盤の目状の市街地を建設するということだった。この中心となる道路が現在のアーケード通りで、当時計画された基盤目状の市街地は現在まで受け継がれている。
このように、佐世保は明治時代における日本の国家戦略のなかで誕生した近代都市だったのである。
「水道の父」吉村長策(1860~1928)
日本近代化の記念碑 ~針尾送信所と日本の技術発展~
針尾無線所について最も有名なことが、開戦を告げる暗号「ニイタカヤマノボレ一二〇八」を発信したといわれることだろう
針尾送信所(針尾無線所)
こんなのがあるの全く知りませんでした!
これはなんとかして、今回の旅の間にナマで見てみたいです!!
佐世保市日本遺産
旧佐世保鎮守府凱旋記念館内部のモダンな階段
うおっ!すごい面々の写真!!
第28代 佐世保鎮守府司令長官 米内光政(よない みつまさ)
米内光政はのちに海軍大将、連合艦隊司令長官、海軍大臣、内閣総理大臣を歴任しています!
第7代 佐世保鎮守府司令長官 東郷平八郎(とうごうへいはちろう)
東洋のネルソン!日露戦争で日本海海戦に勝利した英雄です!!!!
連合艦隊司令長官として日本海海戦を指揮し、バルチック艦隊を全滅させた我が祖国のスーパーヒーローですっ!!
佐世保鎮守府 開庁 130年
館内にあったこのマークは係員の方もその由来を知りませんでした。波のようにも見えるし、中国のようにも見えるしとおっしゃってました。
スタンプ押しました(^^)
カッケー!
"第1次世界大戦の凱旋記念館" 旧佐世保鎮守府凱旋記念館ともお別れです
海軍橋(佐世保橋)から見た佐世保川
海軍橋を渡ると、この時間帯なにやら辺りは怪しい雰囲気に。。。
外国人バーがある一帯に入ったようです
おーーーっ、この赤い扉開けてみた~い
この暗がりがディープです!!
この扉の赤が鮮烈すぎます!!
扉が開いている店の中で外人さんたちが飲んだり、騒いだりしてました。
勇気(笑)を出してこの外国人バーに入ってみました
キャッシュオンデリバリースタイルで 1杯ことにお金を払います。ドルで払うこともできるそうです!
アメリカンな気分で飲む酒はうまい!
五臓六腑に明るく染み渡りました(笑)
日本人ママとしばし歓談
外人さんはメチャクチャ体がデカい黒人のアメリカ兵が 1人だけいました。
やっぱ星条旗はカッコイイです!写真右はカリフォルニアの州旗
いろんな米兵が飲みに来ては、いつの間にか来なくなるとママは言ってました。彼らとの出会いと別れが写真として記録されていました。感動的です☆
アメリカ兵たちは米海軍に入隊し、遠く離れた日本にやってきて、青春の一コマを刻みます。ママによると彼らは異口同音に「日本はすばらしい国だ」と言ってくれるそうです。世界各地の実情を知る米兵たちにとって日本は楽園なのかもしれません。
壁に貼られたドル紙幣
ほんと外国にいる気分になります
ウェールズ(イギリス)の旗もありました
外国人バー街から離れホテルに帰ります
ああ、ダメだなオレ。
せっかくなんだから、オール(徹夜)で飲めばいいのに。。。
もう若さを失ってしまったんだな(涙)
道端には外国人バーが続きます。
水たばこの匂いや煙が漂っています。
この青い階段の店もちょっとだけ覗いてみました。
客の外人さん 2人と店の日本人の女の子 2人が飲んでました。
この細い階段も上りたいな~
この店も外人さんしかいなくて、敷居が高~い 笑
元気のないペッパー君を発見
ペッパー君、人生に疲れたのか!?
さるくシティ4〇3アーケードを通り、佐世保セントラルホテルに帰ります
ヴィヴィくん(Vファーレン長崎のマスコットキャラクター)、佐世保バーガー持ってますwww
シャッターが閉まったヨンカ(四ヶ町商店街)を歩いていると、沢アンの尻尾(しっぽ)という黄色い看板が目に入りました。
四ヶ町のこの狭い路地にふらふらと吸い込まれてみるとぉ・・・
店の中じゃなくって、路地においてあるイスに座らされました(爆笑)
四ぶら(四ヶ町をブラブラ)ついでに ふらりとのぞけば ちょいと一杯 楽しい話に 花が咲く
ママと西海から飲みに来てるという常連のお兄ちゃんといろいろ楽しく話しました。
話題は東京と長崎、東京と佐世保の違いかな?どっちも素晴らしいですよね!比較じゃないと思います。どっちも個性があって素敵って話になったかな?
その他いろいろみんなで話したんですが酔っ払ってて詳しくは覚えていないです 爆笑
ただ、この場所でも最高の思い出ができました!
佐世保、最高!!!!
沢アンの尻尾、さようなら
さすがにもう眠い。。あとはセントラルホテル佐世保へ一直線
緑文字看板の「セントラルホテル」が見えてきました
ミラノ・ガレリアのような佐世保の円蓋(クーポラ)
ホテルに帰ったら、エレベータ内に明日の天気予報が貼ってありました。スマホ時代ですけど、一目で見られて便利ですね~
ナイスサービス!
楽しかった夜の佐世保♪
やさしかった夜の佐世保♪♪
おやすみなさ~いzzz
▼今回の長崎旅行
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旧佐世保鎮守府凱旋記念館、外国人バー街など 夜の佐世保散策
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ログキットの佐世保バーガーが超巨大で超まいうー デカっ!重~っ!
▼平成17年(2005年)福岡・佐賀・長崎旅行
長崎・佐世保 「昭和43年1月、エンプラ事件」 の現場へ行ってきました。
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