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村内 伸弘(むらうち のぶひろ)村内伸弘の彼女

満100歳の現役ドライバー株主 現る! 第10期株主総会

100歳でクルマを運転する"100歳ドライバー"がこのお方~

百歳高齢者表彰 村内譽治殿 大正三年十二月十日生(内閣総理大臣 安倍晋三)


東京都
村内譽治殿
大正三年十二月十日生


あなたが百歳のご長寿を
達成されたことは誠に
慶賀にたえません
ご長寿をことほぐこの日に
当たりここに記念品を
贈りこれを祝します


平成二十六年九月十五日
内閣総理大臣 安倍晋三



今朝の株式会社ムラウチドットコム 第10期株主総会 ※登壇しているのは僕のぶひろ


今朝、ムラウチドットコムの第10期株主総会がつつがなく終了しましたが、
僕の大叔父(僕の祖父の弟)が株主としてお越しになりました。
誉治おじさん、なんと 100歳で車運転してます。
株主総会にも毎年やって来ます。
恐るべし!
安倍さんからも表彰されました。
いつまでもお元気で!


▼English(英文)
As our company's general meeting of shareholders is finished 
in this morning smoothly, my greatuncle, my grandfather's younger

brother, was coming to the gathering. Surprisingly he is still
driving his own car ever he is now 100 years old. He join the
assembly.


Wow! Beautiful! 


He was awarded by Shinzo Abe, Japan's prime minister.
Please stay healthy forever!


(参考1)
14年前、86才当時の 村内 誉治 ( ヨシハル ) へのインタビュー



「村内テレビ研究所」の看板を抱きしめ「家宝だね!」と笑った 14年前のヨシハル。



自宅の中で自作のラジコン飛行機を見ながら自慢げな 14年前のヨシハル。


醤油屋からテレビ屋、電気屋へ。ムラウチの歴史の前で想い出を蘇らせる 14年前のヨシハル。


(参考2)
下記、文章は平成5年に逝去した私の祖父・村内村雄の
昭和44年2月記 「ムラウチ創生期ものがたり」より抜粋しました。


■殺到する見学団 村内さん 部品買集めて自作


人間の運命もちょっとした動機によって大きく変化するものである。
私は生まれたときから私の職業は父の家業を継いで、醤油屋になる
ことと確定していた。私は成長するにつれてそうなるべく次第に育成
されていった。それがふとした風の吹き廻しで、現在の電気商に
飛びこんでしまったのだ。 


昭和28年3月のNHKのテレビ放送開始は、日本の文化に一大変化
を画するものであったと同時に、私の運命にも、決定的、変化を
もたらしたのである。私はこの放送開始と同時に、現在の電気店経営の
使命をビッシリ背負いこんだのであった。しかしその当時は、こんなに、
私が全力投球をするようになるなどとは、夢にも考えていなかった。
そのいきさつを語ろう。 


話は少し前にさかのぼって、大東亜戦争で破れ、陸軍の将校であった
私は、市ヶ谷の陸軍省から我家に帰って醤油の製造に従事し、
中断していた醤油屋の経営を再び情熱をもって開始したのであったが、
その経営に、私と共に従事していた私の次弟で誉治(よしはる)は、
少年の頃から、アマチュア、ラジオの組立てに異常な程の興味を
もっていたが、たまたま昭和26年頃から、NHKがテレビの試験放送を
開始したので、彼はそのテレビに深い関心を示して、どうしても自分で
その電波をキャッチしてみたくて仕方がなかったので、彼はコツコツと、
無線と実験などの本を先生として、テレビ製作に取りかかったのであった。 


昭和26年のある日、「テレビジョンが写るぞ、見に来い」と勝ち
誇った顔の弟の声に、私や父が、彼の家に行ってみると、確かに何か
動物らしいものが動くのであった。私がテレビを見たのはこれが始めて
である。彼の部屋はカーテンで、しっかりと太陽光線を、さえぎって、
まっ暗になっていて、その中に直径3インチくらいのブラウン管を
抱いたゴチャ、ゴチャした複雑な機械があって、ラジオより他に、
この種の機械を見たことのない私達にとっては、このテレビでも
まことに複雑なものとの強い印象をあたえた---そのブラウン管に
人か動物かの黒い動く影が写ったのであった。多分スキーをしている
場面なのだろうけれど、猿のような、黒い影が動くのである。
「ワッ!写った、動くぞ!」私達は感激の声をあげて、不思議がった。
「どうして写るのだ」などと、弟に質問の雨を、あびせたものである。


それはたちまち、近所の評判となった。そしてやがて下記のような
新聞記事となって、一層世間に拡まるようになったのである。


その当時はまだブラウン管などは売られていなかったので、弟は苦心
して、航空隊で使っていた小さなブラウン管を手に入れて、これで
兎に角テレビらしいものを作ったのであった。


これは三多摩地方で作られたテレビ第一号機であったと確信している。
この点で、弟の余暇に造ったこのテレビは、テレビ文化史にとって、
極めて記念すべきものであったが、いまは惜しくも、そのテレビは
なくなってしまった。弟は次には更に大きいブラウン管で、テレビ
ジョンを作ったそして又々新聞記事となったのである。 


朝日新聞 昭和27年2月17日 都下版 
「街のテレビ教室  殺到する見学団 村内さん 部品買集めて自作」


・八王子市大和田町1094会社員村内誉治さん(38)方は
 毎週金・土曜の午後2時から2時間、テレビジョンを見る付近の
 人達で押すな押 すなの盛況。
・目黒の無線学校出の主人誉治さんが買い集めた部品を組み立て、
 半年ぶりにやっとこのほど完成したもの。民間人では都下初めての
 テレビ所有者だという
・付近の小学校でも「ぜひ教材に」と見学を申し込んできている。
・写真はテレビ見学でにぎわう村内さんの研究室


昭和28年のNHK本放送については、その年の正月頃から弟は
「オレはテレビジョンを作りたい、これを商売にしたい。兄さん
協力してくれ」といい出したので、なる程それでは売る方は僕が
片手間に手伝ってやれば良いと考えて、それではテレビジョン屋を
開こうということで、兎に角NHKの本放送までにと「有限会社
村内テレビ」を登記設立した。 


このテレビという名にするか、テレビジョンにするか、テレヴィジョンに
するかについては相当私達は迷ったものであった。今でこそテレビ、
又は更に略してTVになっているが、当時は皆、テレビジョンと
呼んでいたのである。


(参考3)
ムラウチドットコム フォトライブラリー


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