四大公害水俣病の記録「僕が写した愛しい水俣(塩田武史)」の感想
公害の原点 - 写真家 塩田武史さんの水俣病の記録写真集。宝子さん、生ける人形ちゃん、大きな赤ちゃんはじめ熊本県水俣市の愛しい風景と人々が写っています、残っています。
「僕が写した愛しい水俣」塩田武史
令和3年(2021年)8月12日 村内伸弘撮影
水俣に長く暮らした写真家が刻み込んだ、水俣に生きる人たちの輝きとやさしさが、秘蔵の写真とともに甦る。
この写真集は水俣病の悲劇の原点をみつめる、貴重な記録です。けれども、つらい、過酷な水俣の姿を写し取っただけではありません。学生だった著者が実際に水俣に移り住み、患者さんたちのそばで、日常の記録としてとても近い距離から撮りためたものです。そこには日々の生活と、暖かい、密接な人間関係がありました。魅力的な土地でもあったのです。
当時を知る人は、「この写真は,この人が撮ったものだったのか」という思いとともに振り返っていただけるでしょうし、初めて見る人は,当時の空気を鮮やかに写し取った写真の数々に、きっと圧倒されることと思います。
岩波書店ホームーページより引用
「僕が写した愛しい水俣」を読み終えました。
涙が流れ続けました。
まぎれもなくこの写真集には人間が写っていました。
この本の中には満ち溢れていました、人間のやさしさが。
うつくしい水俣の風景
きらめく不知火海
そこに生きるたくましくやさしい人々
塩田武史さんのこの写真集は、最初の 1ページ目から「愛」が溢れ出てきます。読み進めると「人間愛」に満たされます。
水俣病患者、特に胎児性水俣病の患者の男の子や女の子が次々と登場して、僕の涙を誘いました。涙なしでは読めません。体の奥底から涙がぎゅーっと湧き出てきました。
「妹弟みんなの毒ば吸い取ってくれたもん」
晴れ着姿の宝子さんを抱くお父さんの笑顔。。。
宝子さんを取り囲むように映っている家族や一族。。。
人間ってなんでこんなに美しいんだろう!!
人間ってなんでこんなにやさしいんだろう!!
昭和52年(1977年)12月7日の宝子さんの葬儀の日の長い列という写真。。。
悲しいです、、、悲しいです、、、
「治療の研究に少しでも役立てば」
見開かれたままの瞳、決して閉じられることのない瞳から水俣病の悲惨さを象徴するといわれた生ける人形ちゃんは遺族の意思で死後病理解剖されました。
5歳で発病し、140cmの身長と 21キロの体重は以後 18年間変わらなかったそうです。
「美しゅう撮ってもらんばよ」
昭和48年(1973年)1月15日、大きな赤ちゃんの成人の日の記念写真。水俣病の悲しみを伝えるこの日の塩田武史さんの写真でこの写真集は終わります。「無量寿」という額の下で大きな赤ちゃんが晴れ着を着てご両親と写っているショットが明るく印象的でした。
人間には笑顔が似合う
大きな赤ちゃんの笑顔はとびっきりでした!!!!
購入後、積読状態になっていたので、2年前の新聞が挟まっていました
胎児性水俣病の患者 半永一光くんのカバー写真が印象的です
昭和44年(1969年)7月 撮影
人間愛
ただただ人間愛
今、蝉が鳴いています。
令和3年夏、あなたに強くおススメしたい写真集です
▼公式サイト
僕が写した愛しい水俣(塩田武史)- 岩波書店
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