ムラウチドットコム社長・村内伸弘のブログ

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村内テレビ店の店舗写真と粗品 - 創業当初・昭和30年代初頭

店舗を改築した時の村内テレビの店舗写真

店舗を改築した時の村内テレビの店舗写真
恐らく昭和30年代初頭、"祝改築"という改築祝いの花輪がたくさん並んでいます。
写真後方にはまだ村内醤油店(醤油工場)の煙突が写っています!

マツダ真空管と書かれた昭和30年代の車もシブい!!
平成28年12月6日 村内伸弘撮影



おばあちゃん家の倉庫整理で、開業当初の村内テレビの写真が出てきました。昭和20年代後半~昭和30年代初頭の写真のはずです。


昭和29年(1954年)当時の村内テレビの店舗写真



村内テレビ時代の粗品 御家庭重宝針

村内テレビ時代の粗品 御家庭重宝針


御家庭重宝針

御家庭重宝針。時代を感じさせる粗品ですね!今の若い奥さん方にこれをプレゼントしてもほとんど喜ばれないのではないでしょうか?


電気器具一切の御用は ムラウチへ どんな修理もいたします

電球類 ラジオ 洗濯機 冷蔵庫 テレビ
電気器具一切の御用は ムラウチへ どんな修理もいたします
八王市大和田町 (有)村内テレビ TEL186
※「寺」じゃないんですけどぉ~


電気器具一切の御用は ムラウチへ

御家庭重宝針の中身

DALIYA ミシン針

DALIYA ミシン針


御家庭重宝針 - もめんえりしめ 紬ぬい 三ノ二 小ちゃぼ 大くけ

もめんえりしめ 紬ぬい 三ノ二 小ちゃぼ 大くけ




ムラウチジョーシンさん 完全閉店(大和田町からムラウチの名前が消える)


上の記事内でも載せましたが、再度、ムラウチの歴史をご覧ください。
今回の記事の 2枚の写真がより輝いて見えると思います。


■ムラウチの歴史(前半)


大正元年(1912年) :
 

村内栄一が八王子市大和田に醤油工場を作る

村内醤油店

昭和9年当時の村内醤油店


昭和20年(1945年) :

戦災で醤油工場、家屋全焼。村内栄一、村内村雄・誉治兄弟で再建

八王子空襲(戦災)

昭和20年の村内醤油店 - 八王子空襲で丸焼け


昭和28年2月:

NHK東京放送局が日本初のテレビの本放送を開始。午後 2時、東京・内幸町の東京放送会館から「JOAK-TV、こちらは NHK東京テレビジョンであります」の第一声が放送されました(1日)


昭和28年2月:

有限会社村内テレビ 創立(28日)

村内村雄・誉治兄弟が発起人となり、資本金26万円をもって有限会社村内テレビを創立し、本社を八王子市大和田町におき、テレビジョン受像機を主とした小売販売を開始

村内テレビ

昭和29年当時の村内テレビ


昭和28年3月:

有限会社村内テレビ 設立

昭和28年3月:

東芝リンクストアに全国で最初に加盟

( 東芝ストア 全国 1号店/東芝様 得意先管理コード 0001番 )


■殺到する見学団 村内さん 部品買集めて自作

人間の運命もちょっとした動機によって大きく変化するものである。私は生まれたときから私の職業は父の家業を継いで、醤油屋になることと確定していた。私は成長するにつれてそうなるべく次第に育成されていった。それがふとした風の吹き廻しで、現在の電気商に飛びこんでしまったのだ。


昭和28年3月の NHKのテレビ放送開始は、日本の文化に一大変化を画するものであったと同時に、私の運命にも、決定的、変化をもたらしたのである。私はこの放送開始と同時に、現在の電気店経営の使命をビッシリ背負いこんだのであった。しかしその当時は、こんなに、私が全力投球をするようになるなどとは、夢にも考えていなかった。そのいきさつを語ろう。


話は少し前にさかのぼって、大東亜戦争で破れ、陸軍の将校であった私は、市ヶ谷の陸軍省から我家に帰って醤油の製造に従事し、中断していた醤油屋の経営を再び情熱をもって開始したのであったが、その経営に、私と共に従事していた私の次弟で誉治(よしはる)は、少年の頃から、アマチュア、ラジオの組立てに異常な程の興味をもっていたが、たまたま昭和26年頃から、NHKがテレビの試験放送を開始したので、彼はそのテレビに深い関心を示して、どうしても自分でその電波をキャッチしてみたくて仕方がなかったので、彼はコツコツと、無線と実験などの本を先生として、テレビ製作に取りかかったのであった。


昭和26年のある日、「テレビジョンが写るぞ、見に来い」と勝ち誇った顔の弟の声に、私や父が、彼の家に行ってみると、確かに何か動物らしいものが動くのであった。私がテレビを見たのはこれが始めてである。彼の部屋はカーテンで、しっかりと太陽光線を、さえぎって、まっ暗になっていて、その中に直径 3インチくらいのブラウン管を抱いたゴチャ、ゴチャした複雑な機械があって、ラジオより他に、この種の機械を見たことのない私達にとっては、このテレビでもまことに複雑なものとの強い印象をあたえた---そのブラウン管に人か動物かの黒い動く影が写ったのであった。多分スキーをしている場面なのだろうけれど、猿のような、黒い影が動くのである。「ワッ!写った、動くぞ!」 私達は感激の声をあげて、不思議がった。「どうして写るのだ」などと、弟に質問の雨を、あびせたものである。


それはたちまち、近所の評判となった。そしてやがて下記のような新聞記事となって、一層世間に拡まるようになったのである。


その当時はまだブラウン管などは売られていなかったので、弟は苦心して、航空隊で使っていた小さなブラウン管を手に入れて、これで兎に角テレビらしいものを作ったのであった。


これは三多摩地方で作られたテレビ第一号機であったと確信している。この点で、弟の余暇に造ったこのテレビは、テレビ文化史にとって、極めて記念すべきものであったが、いまは惜しくも、そのテレビはなくなってしまった。弟は次には更に大きいブラウン管で、テレビジョンを作ったそして又々新聞記事となったのである。


昭和27年2月 朝日新聞 - 村内テレビ

朝日新聞 昭和27年 2月17日 都下版

「街のテレビ教室  殺到する見学団 村内さん 部品買集めて自作」

・八王子市大和田町 会社員村内誉治さん(38)方は毎週金・土曜の午後2時から 2時間、テレビジョンを見る付近の人達で押すな押すなの盛況。

・目黒の無線学校出の主人誉治さんが買い集めた部品を組み立て、半年ぶりにやっとこのほど完成したもの。民間人では都下初めてのテレビ所有者だという

・付近の小学校でも「ぜひ教材に」と見学を申し込んできている。

・写真はテレビ見学でにぎわう村内さんの研究室


昭和28年の NHK本放送については、その年の正月頃から弟は「オレはテレビジョンを作りたい、これを商売にしたい。兄さん協力してくれ」といい出したので、なる程それでは売る方は僕が片手間に手伝ってやれば良いと考えて、それではテレビジョン屋を開こうということで、兎に角 NHKの本放送までにと「有限会社村内テレビ」を登記設立した。


このテレビという名にするか、テレビジョンにするか、テレヴィジョンにするかについては相当私達は迷ったものであった。今でこそテレビ、又は更に略して TVになっているが、当時は皆、テレビジョンと呼んでいたのである。


※村内村雄の「ムラウチ創生期ものがたり(昭和44年2月)」より抜粋



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