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村内 伸弘(むらうち のぶひろ)村内伸弘の彼女

ムラウチ躍進凱歌 & タウンライフムラウチの唄「君、僕、あなた」の歌詞の歌詞

僕が聴いたこともないムラウチ電気時代の歌の歌詞が見つかりました(笑) 一体どんな歌だったんだろうw(謎)

「タウンライフムラウチの唄」

「タウンライフムラウチの唄」 祖父・村内村雄の直筆
令和2年(2020年)10月18日 村内伸弘撮影



ハッキリ言ってこんな歌、知らないです(爆笑)


ムラウチ電気の社長をやってた僕が知らないんですから、まったく歌われなかったんだと思いますwww


でも、歌詞はこう見るとなかなか文学的だったり、理想主義的であったりとイイ感じですね。古くさい感じがどうしてもしますが、祖父(村雄おじいちゃん)が作詞した時代やその背景を考えると味わいが深くなります。


温故知新。
10月3日に歌子おばあちゃんが亡くなってから遺品整理や倉庫整理が延々と続いていますが、こういう発見がかなりあるので意外と楽しくやれてますよー


年内いっぱいでなんとかやりきりたいですけど 笑


それでは歌詞をぜひじっくりとご覧下さい♪♪

ムラウチ躍進凱歌(建設の歌 替歌)



タウンライフムラウチの唄「君、僕、あなた」

1976. 8. 29 ムラウチ電気ではこの月 7支店中 6支店をカット閉店し 28、29の両日新発足の売出しを行う。この売出し大成功、新発足の前途を祝うごとし。このうれしさ眠られず、夜半かねてからの念願のこの唄を作詞した。

8.30夜半 2時半記  村内村雄花押


1976年(昭和51年)、要するにムラウチ電気が倒産間際まで追い詰められていた時の作詞です。倒産の危機から今まさに蘇ろうとしていた時の作詞です。


もしこの時、ムラウチ電気が潰れていれば僕たちの会社・ムラウチドットコムはありません。もちろんこのムラゴンも、にほんブログ村も生まれませんでした。


父親・村内壽一の文章で倒産危機の一シーンが残っています

家族会議

昭和50年頃である。ある晩、父から父の家に来るように呼び出された。父の家に行くと、比較的広い部屋で薄暗い電灯がついていて、電気スタンドがコタツの上にあったような記憶がある。その部屋は、子供の頃、醤油工場の事務所であり今でも部屋の入口には事務所の名札がついている。


この部屋に、父と母と私と弟の忠壽 4人が集まりムラウチ電気の今後について話した。父から話があり、もうダメだ、とのことになった。こうなってしまったが、いろいろと思いどおりにやってきたので仕方がない、との話だった。母も私も弟も黙って聞いていた。


しばらくの沈黙の後、母が「壽一も忠壽も、まだ若いのだから、もう一度死んだつもりでやりなおしてごらん」と言った。


よく女の人は強いというが、母の言葉で、勇気づけられ、父も、弟も、私も、ガンバッテなんとかこの危機をぬけだした。



(おまけ)
「ムラウチ音頭」という歌もあるんですよ!
この歌は昭和60年(1985年)に当時日本最大の家電店の完成記念パーティーで母親がご近所の奥様方と一緒に踊ったシーンを覚えています



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ムラウチ電気(株式会社ムラウチ) 常務取締役 情報事業本部長  村内伸弘

第一家電 → ソニー → 家電市場 → ムラウチ電気。昔の名刺を一部断捨離。


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