大赤字でもお客様を大切にする心はこれからもずっと変わりません(村内村雄)
平成3年(1991年)12月18日の読売新聞多摩版
東芝社長 土光敏夫氏と
大赤字
10月18日に倉庫整理をしていたら、同じ日付の新聞が大量に出てきました。絶対、ムラウチ関係の記事が載ってるはずと思ってページをめくっていったら・・・
やっぱりありました!
僕の祖父である村内村雄の記事でした。
おじいちゃんの心意気や「ムラウチ」の心が記録されていますので、ぜひご覧下さい。
ムラゴンは「ムラウチ」ドットコムの運営です。
ムラゴンもお客様を大切にする心はこれからもずっと変わりません(^^)/
平成3年(1991年)12月18日の読売新聞 多摩版
ムラウチ会長 村内村雄さんという特集みたいです
あの日 あの時
ムラウチ会長
村内村雄さん(八王子市)
受像機無償交換で大赤字
お客第一で今日まで経営姿勢貫く
昭和28年に資本金26万円で、有限会社「村内テレビ」を作りました。
営業は私、技術は弟の誉治。まだテレビは一般的に知られていないので、店に出すだけでは全く売れませんでした。都心のテレビ会社から製品を購入し、主に多摩地区の裕福な家庭に売り込みのために歩きました。
戦後の復興期で、木材が飛ぶように売れた時代でした。山林を持つ金持ちの家へ行き「電波が受信できるか、お宅の庭で実験させて下さい」と言っては屋根に上って作業を始めたものでした。
主人が「自分の家に電波が届くだろうか」と興味を持ち始めればしめたもの。「テレビは数日置いておきます」と言い、数日たって再び来ればほとんどの人は買ってくれました。当時のお金で 1台 22万円でした。
NHKに次いで日本テレビが放送を開始した同年秋ごろ大問題が生じました。「日本テレビが放送するまでには、2チャンネルとも映るチューナーに換えます」というメーカーを信用して、NHKしか映らないテレビを売っていたのですが、メーカーは試験放送が始まっても交換しなかった。
結局、誉治と二人で日本テレビが映るように、それまでに売った 20台を全部取り換えました。大赤字でしたが、お客様に迷惑はかけられませんでした。
この態度は現在のムラウチの経営姿勢を決定づけたものです。「みんなニコニコ村内テレビ」のコピーもお客様第一主義の表れです。
昭和42年ごろ、日本電気専門大型店協会で、欧米に視察旅行を経験。自動車の時代を痛感。それ以来駐車場の確保に努力し、今では本店は 900台収容できます。
しかしいくら規模が大きくなろうと、お客様を大切にする心はこれからもずっと変わりません。
昭和41年、ムラウチに社名変更。49年にムラウチホビーを設立、さらに本店を増築する。欧米を視察し、マイカー時代の到来を予感、63年に 900台収容の駐車場を完成させた。今年、福生市にムラウチポニーが開店。売上高は平成2年度 142億円。
「ムラウチ」の心=お客様を大切にする心
しかしいくら規模が大きくなろうと、お客様を大切にする心はこれからもずっと変わりません。(村内村雄)
おじいちゃん! Me too.(村内伸弘)
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