表白(ひょうびゃく) - 敬って白す、浄土真宗 ご導師の表白
営々たる生命(いのち)の大地、弥陀大悲の誓願!慧光院釋尼頌徳=歌子おばあちゃんの葬儀で浄土真宗大谷派のご導師が朗々と詠まれた表白
令和2年10月8日の歌子おばあちゃんの葬儀で浄土真宗大谷派のご導師の表白がありました。阿弥陀さま及び葬儀に参列した僕たち身内に対してのものですが、仏教や浄土真宗の真髄を見事に現していると僕は実感し、感動したのでブログに記録し、皆様にもご覧頂きます。
表白
謹(つつし)んで以(おもん)みれば 悲しきかな 我ら一切衆生(しゅじょう)は 自我関心に執着(しゅうじゃく)して 欲は多く いかり はらだち そねみ ねたむ心も多く ひまなくして 是非(ぜひ) 善悪 損得 好き嫌い等(など)の 理智分別(りちふんべつ)に明け暮れ 生死(しょうじ)の迷いと苦悩は尽きることなく さらに離れ出ずる縁も いかなる身にも 生きることそのことの意義を見出す智慧(ちえ)も清浄(しょうじょう)真実の心もなく 一生は空しく彷徨うほかなき煩悩具足(ぼんのうぐそく)の凡愚(ぼんぐ)の身であります
それ故に 無量の寿命(イノチ) 不可思議の光明なる阿弥陀如来は 久遠(くおん)の古(いにしえ)より己来(このかた) かくの如き我らを悲しみ痛みて いかなる身をも荷負い(にない) 運命を共にし その生涯を無駄にしないと誓われ 人間生活の根本(ねもと)になる大悲(だいひ)の誓願(せいがん)を 我らに 手渡さんが為に南無阿弥陀仏と成り「我が安楽国土(あんらくこくど)に来たり依(よ)って起て」と喚(よ)び帰えしたまい釈迦諸仏(しゃかしょぶつ)の方々は「一切衆生(しゅうじょう)の帰依処(きえしょ)となり故郷(ふるさと)となる 阿弥陀の浄土へ行け」と ひたすら遣(つか)わせたもう
本日茲(ここ)に 去る十月三日の午後(ひるすぎ) 寿算九十四歳を一期(いちご)として 往生(おうじょう)の素懐(そかい)を遂(と)げ 阿弥陀の浄土に還帰(げんき)せられたる仏弟子 法名 慧光院釋尼頌徳殿の葬儀を営み 遺族親族等(ら)集(つど)いて 今生(こんじょう)の別れをなす
真(まこと)に別離の情去り難く 恩愛(おんない)の絆 さらに断ち難し されど我らが思い すでに及ばず ただ憑(たの)むべきは 弥陀大悲の誓願なり
願わくは 相会(あいかい)する人々 このかけがえなき人の死を 営々たる生命(いのち)の大地を共にする者の 一大事(いちだいじ)として慎んで迎え入れ はかなく思うが如(ごと)くならぬ 現人(うつせみ)の我が身に目を覚まし その身を荷負い 慧光院釋尼頌徳殿を諸仏の一人と成して出遭(であ)わしめる 弥陀大悲の誓願を憑み 以って 生と死との別を超えて 共に永遠(とわ)なる阿弥陀の寿命(イノチ)に生かしめられんことを
敬って白す
令和二年十月八日
ご住職の 註)
一切衆生=生キトシ生ケルモノ
生死(しょうじ)=ハカナク思ウヨウニナラヌ人生
智慧(ちえ)も清浄(しょうじょう)真実の心=イカナル現実トモ運命ヲ共ニスル
煩悩具足(ぼんのうぐそく)=ワズライナヤミソナワル
凡愚(ぼんぐ)=オロカ
寿命=イノチ
光明なる=ヒカリ(智慧)
久遠(くおん)の古(いにしえ)=久シク遠イムカシ
己来(このかた)=イライ
帰依処(きえしょ)=帰リ依ッテ立タセルトコロ
還帰(げんき)=カエル
▼あわせて読みたい関連記事
京都: 親鸞聖人の六角堂夢告!六角さんで浄土真宗開祖の奇跡を体感
柳宗悦 晩年の最高傑作「南無阿弥陀仏」を読み、浄土思想=他力道を学ぶ。
【ムラウチ・村内家 決定版!】おすすめムラウチブログ記事一覧 ムラウチや村内一族の写真たくさん有♪♪
【宗教・思想 決定版!】おすすめ宗教・思想ブログ記事一覧 仏教やキリスト教の情報たくさん有♪♪