東京の難読地名 狸穴(まみあな)散歩!東京都港区麻布狸穴町・麻布永坂町・麻布台を歩く
麻布狸穴町(あざぶまみあなちょう / AZABUMAMIANACHO)をお散歩。タヌキの穴という江戸時代からの地名が残る町の佇まいを堪能しました♪
港区狸穴町の地図
令和2年(2020年) 9月27日 村内伸弘撮影
麻布狸穴町(あざぶまみあなちょう)
狸穴町の "まみ(猯)"とは、本来アナグマのことですが、狸と混同されたと思われます。おそらくこの地に棲息していたのでこの名になったのでしょう。また、採鉱のマブ穴(坑道)が起源という説もあります。
昭和22年(1947)の港区成立時についた麻布の冠称が残る、数少ない町のひとつです。一部を東麻布に割譲した後、「住居表示に関する法律」により、東半分が麻布台二丁目となり、西半分が本地名のまま残りました。
港区ホームページより引用
由緒ある町名が守られているが素晴らしいです!
麻布狸穴町に着きました。まずは狸穴公園に入ってみます。
狸穴公園
目的の麻布狸穴町に今僕は立っています
近くには外務省の外交史料館もあるようです
狸穴公園は水辺があるこじんまりとした公園でした
赤い鳥居が目に入ったのでお参りします
狸穴稲荷神社(狸穴稲荷大明神)
狸穴稲荷は実に素朴なお稲荷さんでした
でもシッカリお参りしておきましたよー
狸穴公園の様子
狸穴公園の脇の道(来た道の方向)
モンキチョウが飛んでました
鼠坂 (ねずみざか)
麻布永坂町と麻布狸穴町の境にある坂です。上ってみます
鼠坂の途中のレンガがステキです
おおっ!こうやって看板になると「狸穴」という活字のインパクトはデカいですね~w
今度は植木坂という坂がありました
植木坂(うえきざか)
麻布台と麻布永坂町の間の坂です
植木坂を上ります
なんだか、”坂の街”長崎にいるような気分です。東京の港区にいるって感じがしませんよ!
個性的な坂の連続に僕は大興奮!!
その昔は迷い込むと出られない竹林で魔物(マミ)が棲むというのが地名の由来という説もあるようですが、歴史ロマンを感じます。
レンガと簾(すだれ)の和洋折衷ぶりが楽しい感じ♪♪
道の右側は港区麻布台のようです
ウオーーッ!!
すんごい光景が僕の目に飛び込んできましたーーー!!!!!
まったく予想していなかったとんでもない光景です!!
大きな邸宅と大きな木々が生い茂るとんでもないエリアに僕は足を踏み入れてしまいました。ここは港区麻布永坂町です。
超大邸宅!!
想像すらしていなかった、緑色の港区!!
青空の下、緑色の葉っぱが美しいです
傾いた背の低い古い電柱?が立ってました
東京仲六郷 三共電柱製作所って書いてあります。昭和13年
めっちゃ高い白壁の道
その白壁から緑の木々があふれ出しています
麻布永坂町、恐るべし。。。
大豪邸が密集してます。。。
やべぇ・・・
なんだか場違いなものすごいエリアに入り込んでしまったみたいです。
大名屋敷というか御殿というか、そんな言葉が似合う家々が人知れず存在していました。。。
貧乏性の僕には居心地が悪いエリアです。
退散します 笑
蕎麦屋出て 永坂上がる 寒さかな 正岡子規
昔からあったと思われる手作り感満載の坂を下ってみます
麻ノ葉町会という町会が存在しているようです
島崎藤村旧居跡を発見しました 港区麻布台3丁目
島崎藤村旧居跡
藤村は 71才の生涯のうち文学者として最も充実した 47才から 65才(大正7年~昭和11年)までの 18年間 当地麻布飯倉片町 33番地に居住した 大作夜明け前 地名を冠した飯倉だより童話集 ふるさとおさなものがたり などは当地での執筆である
この地区は「地区内残留地区」です
「地区内残留地区」って初めて知りました
地区内残留地区は、地区の不燃化が進み、震災時、火災が発生しても大きく延焼する恐れがなく、広域的な避難を行う必要がない地区です。火災により危険が生じた場合は、近くの公園・空き地等へ避難してください。
未公開新築戸建 南麻布の家 1億5500万円!
1億5500万円! ← 高~っ どう考えても買えるわけない 爆笑
この家なら買えるかなw
狸穴、こういう温かい家が残っているのがホント嬉しいです♪♪
狸穴(まみあな)の行きと帰り
東京タワーの真下!東京都港区散歩 - 東麻布から狸穴(まみあな)へ
▼参考 麻布狸穴町の地図
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