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村内 伸弘(むらうち のぶひろ)村内伸弘の彼女

水戸学の道 光圀ルート2 水戸城本丸&二の丸と水戸城跡の大シイ

御三家の一つ、水戸徳川家!水戸藩の夢の跡を歩きました

水戸城跡の大シイ(おおしい)
令和元年(2019年) 9月30日 村内伸弘撮影



水戸黄門生誕の地からしばらく歩いて坂道を上がると小さな門が見えてきました。


水戸城跡通り


柵町坂下門(モニュメント)


水戸市の案内板によると水戸城の二の丸の南口にあった門のようです!


在りし日の柵町坂下門(水戸市立博物館蔵)


水戸城跡通りに面して水戸第三高校がありました。


徳川頼房公像(威公)


徳川頼房公

徳川頼房公は、徳川幕府創始者である家康公の11男として慶長8年(1603年)京都の伏見城で生まれた。

7歳の時に、徳川御三家の一つである水戸藩初代藩主となった。

その後、頼房公の治世は 53年に及び、水戸城の大修築、下町の造成、城下町の拡張や全領検地をはじめ、水利事業や藩職制の整備など、水戸藩の基礎を確立し、現在の水戸市の街づくりに生かされている。

寛文元年(1661年)水戸城中で59歳の生涯を閉じた。

諡は威公と称されている。


平成16年(2004年)3月 水戸市

銅像制作 篠原洋


要するに水戸黄門のお父様です(^^)/
家康の実の子供です



白壁塀に囲まれた水戸三高!



続いて、旧水戸城薬医門に向います

水戸第一高等学校の敷地内になるみたいです。


それにしても水戸三高と水戸一高が近いです。目と鼻の先に三高と一高があるみたいです。


道路になっている空堀に架かった本城橋を渡ります
この写真は陸橋の上から撮ってますが、この下が深い谷(空堀)になっています。


この周辺の地図 ※弘道館で撮影


茨城県立水戸第一高等学校


水戸一高の敷地内にあった水戸城の説明板

水戸城


水戸城は、建久4年(1193年)、源頼朝から地頭馬場資幹がこの地を賜り、大掾に任ぜられたのに始まる。以後、馬場大掾氏は九代約240年間、下の丸(現本校運動場)の辺りに居館を構えた。次いで那珂通辰の子孫、河和田城主江戸通房が大掾満幹の留守に水戸城を占拠。それ以来七代、165年間、江戸氏が支配した。当時は内城、宿城と浄光寺の三つの曲輪より成っていた。


天正18年(1590年)太田城の佐竹義宣が江戸氏を討伐、本拠とした。佐竹氏の時代は、慶長7年(1602年)義宣の秋田移封まで僅かに13年、この間、内城を古実城と称して本丸化し、宿城を二の丸(現水戸三高・水戸二中・茨大附属小)とするなど曲輪を整えた。城の出入口も東側から西側に移し、橋詰門を建て、また二の丸に大手門などを造った。


17世紀初め、甲府の武田信吉や徳川頼宣が一時封ぜられたが、慶長14年(1609年)家康の 11子頼房が城主となり、その後、徳川氏は江戸定府ながら光圀(第2代)、斉昭(第9代)を経て昭武(第11代)まで約260年間、35万石の水戸領を治めた。明治4年(1871年)廃城。徳川期の本丸には兵器庫、二の丸には三階櫓があった。


本校の前身茨城県尋常中学校がこの地、本丸の城址に新築、移転したのは明治29年(1896年)9月、後に水戸中学校となり、昭和20年(1945年)空襲で全焼、同23年に現在の水戸第一高校となる。空堀と土塁の一部と復元された橋詰門が城址の名残りをとどめている。


昭和56年4月1日

茨城県立水戸第一高等学校



水戸城本丸跡


旧水戸城薬医門


旧水戸城薬医門の説明板


さすが水戸一高!校内にこんなカッコイイ門があるってわけです!
さすが伝統校!!


隣のコートではテニス部がテニスをしてました


(写真左)旧水戸城薬医門 (写真右)水戸一高の校舎


水戸城はもともと質素なお城だったそうですがこの門がなかったら、ここが昔徳川御三家の一つ・水戸藩の本丸があった場所だなんてわかりませんよね。



水戸城跡通りに戻りました

まだ復元してから時間が経っていないみたいなので、門も白壁もちょっと味わいが浅い感じです。。。このまま、あと 20~30年経つとこの通りいい感じになりそうです


杉山門(モニュメント)


水戸城の二の丸の北口にあった門のようです!


水戸城実測図


杉山門(僕は向こうから歩いてきました)


杉山坂


杉山門の目の前にこの坂がありました


杉山坂の案内板


見晴台があるようです

二中見晴らし台 天覧記思の碑 入口
※二中=水戸市立第二中学校


天覧記思之碑(天覧記思の碑)
昭和天皇が昭和4年(1929年)、陸軍特別大演習でここにいらっしゃったようです。


那珂川の流れ 向こう側の奥はひたちなか市


古い記憶なんですが、この場所に僕 30年ぐらい前に来た記憶があるんです。免許取り立ての夏休みに会津まで行って、芦ノ牧温泉にたどり着き小原庄助さんの盆踊りを見て、会津鶴ヶ城で車中泊して、その帰りに水戸に立ち寄ったんです。(もしかすると水戸だけ単独で来たかもしれませんが。。。)


この場所の記憶あるんですよね。
この周辺ぜんぜん整備されてなかった記憶があります。


水郡線(奥久慈清流ライン)の列車が通りました!



水戸城跡通りに戻りました

茨城県立水戸第三高等学校


水戸三高の門
ほんとカッコ良すぎます!さすが水戸!!!!


水戸城二の丸御殿跡


水戸城復元模型より二の丸部分
この復元模型を見ると、すごくよくわかります。お城感が感じられます(^^)


白壁塀が続きます


水戸城跡の大シイ ※スダジイ

僕、大興奮!!水戸城跡の大シイという巨木がありました!


すごい迫力です!二株で 1セットです


蘖(ひこばえ)が木になりつつあります!


木肌からエネルギーが満ちあふれています


このねじれているような感じがメチャクチャかっこいいです♪♪


大シイを見上げてみました!


樹勢旺盛で葉っぱも美しいです!!


水戸市指定記念物 天然記念物 水戸城跡の大シイ(二株)


この大シイは水戸二中のシンボル



案内板にも書いてありましたが、水戸城の旧城郭の中で戦国時代から自生していたので歴史的にも意義がある巨樹です。


水戸二中や水戸三高の生徒たちはこの大シイに見守られて青春時代を水戸で過ごすわけですよね!すばらしいです!!!!



っていうか、水戸三高の廊下からこの大シイ、たぶん見えていると思います。白壁塀といい、大シイといい、水戸三高の環境はうらやましいです。


三高生、ちゃんと勉強しろよ(笑)


大シイとお別れします
※奥の門は通り過ぎてきた杉山門


水戸城三階櫓(さんかいろ)跡


水戸城三階櫓古写真(水戸市立博物館所蔵)




▼今回の水戸旅行


水戸学の道 光圀ルート1 水戸黄門助さん格さん像と水戸黄門神社(義公生誕の地)


水戸学の道 光圀ルート2 水戸城本丸&二の丸と水戸城跡の大シイ


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