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世界遺産 旧五輪教会堂へ ゴシック様式のコウモリ天井(リブ・ヴォールト天井)がなめらかでうるわしい♪♪

世界文化遺産 長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産・旧五輪教会堂。昭和6年/1931年に浜脇教会堂を移築したもので下五島最古の教会建築。五島の教会は、苦難を乗り越えた人々の信仰の証なのです。

世界遺産 旧五輪教会堂(きゅうごりんきょうかいどう)


旧五輪教会堂と現・五輪教会堂


旧五輪教会堂 祭壇(内陣)


旧五輪教会堂 マリアさま


旧五輪教会堂 コウモリ天井(リブ・ヴォールト天井)


旧五輪教会堂 木枠のステンドグラス


旧五輪教会堂
令和3年(2021年) 4月24日 村内伸弘撮影


五島列島キリシタン物語ツアー ~久賀島・奈留島編~に参加した僕たちは、今、久賀島(ひさかじま)の旧五輪教会堂(きゅうごりんきょうかいどう)に向っています!


もちろん世界遺産です!


旧五輪教会堂(観光協会の写真)



雨が降ってきました。

久賀島の北東部を乗合タクシーで走っています


かなり狭い道をグイグイいっちゃってます 笑


旧五輪教会ってすごい場所にあるんですね・・・

旧五輪教会堂に向う車窓


見えているのは奈留島との間の海(奈留瀬戸)です


なんか完全に林道状態なんですけどぉー


てか、道幅クルマの幅ギリギリなんですけどぉ~


旧五輪教会堂がある五輪地区は今でも車が入る道がなくって、訪れる人はみな途中で車を下りて山道を歩くか、海上タクシーなどの船を利用するかどちらかの方法でしかアクセスできないそうです。


僕たちは山道らしいです(笑)
五輪駐車場に着きました。ここからは車で行けない山道を歩いて散策です。



ん・・・がぁ、雨が降ってきてるんですけどぉー
しかも結構強く。。。


この山道をこれから歩きます。世界遺産の旧五輪教会堂目指して


雨降る中、みんなで一緒にすごい山道を歩いていきます
ああ、傘持ってくればよかった~ 天気予報では雨降らないってことだったのに・・・


五島市のおもてなしガイドさんに続きます


木々の間から海(奈留瀬戸)が見えました!!感動的な一瞬です!!!!!


やったー!!!!

旧五輪教会堂が見えましたっ!!
やりました!!



ちょっとした山歩き状態ですが、とってもたのしいです


石垣や石段があります


五輪地区の歴史がそのまま封印されているかのような石垣です

雨に濡れたうつくしい緑色が目に眩しいです!!


ジャーーーーン!!

世界遺産 旧五輪教会堂(きゅうごりんきょうかいどう)


険しい山を背負い、奈留瀬戸に面した小さな漁港のわずかな土地に旧五輪教会堂は静かに佇んでいました。


旧五輪教会堂前の海(奈留瀬戸)


車両進入禁止っていう以前の問題です。我ら人間すら歩くのギリギリですもん 笑



五島列島。うつくしい。五島列島。うるわしい。


ははは(笑)

どこ歩かせるんですかぁ~?


ビューポイントです!久賀島の険しい山を背景にすごい狭いところに教会が並んで建ってます


(左)旧五輪教会堂 (右)現五輪教会


飾り気がなくって、すっごく素朴


ツアー参加者(我ら山道派w)が順番に湾曲したこの細く狭い道を進みます


五輪墓地



西海国立公園 ~九州自然歩道~


すぐれた島しょ景観の自然歩道かぁ~
今度は歩きたいな、この島を。


久賀島の自然歩道


久賀島って福江島とは田ノ浦瀬戸、奈留島とは奈留瀬戸で隔てられた馬蹄形の島なんです。ホントにこの地図みると馬蹄形してますね!典型的な U字型の島です


この地区にある旧五輪教会堂は、昭和6年(1931年)に浜脇教会堂を移築したもので、五島に建つ教会堂としては最古の部類に属していると書かれています


現・五輪教会


旧五輪教会堂の老朽化で昭和60年(1985年)に建てられた新しい方の五輪教会(現五輪教会)です。旧五輪教会堂と並んで建っています。


新しい教会もおしゃれですね


でもやっぱりこっちの方が味わい深くっていいな~ 笑

旧五輪教会堂


世界遺産 長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産

世界遺産 久賀島の集落

「久賀島の集落」は、潜伏キリシタンが信仰の共同体を維持するに当たり、どのような場所を移住先として選んだのかを示す 4つの集落のうちの一つである。18世紀後半以降、外海(そとめ)地域から各地へ広がった潜伏キリシタンの一部は、五島藩が久賀島に開拓移民を受け入れていることを知り、既存の集落と共存できそうな場所として選んで移住し、漁業や農業で彼らと互助関係を築きながら、ひそかに共同体を維持した。解禁後はカトリックに復帰し、島内の各集落に教会堂を建てたことにより、彼らの「潜伏」は終わりを迎えた。


旧五輪教会堂

旧五輪教会堂は、牢屋の窄事件を乗り越えた久賀島の潜伏キリシタンが、1881年に島内で初めて建てた教会堂です(初代浜脇教会堂)。


この教会堂は、久賀島の潜伏キリシタンの伝統に終わりを示すのみならず、彼らが 250年もの間、継承してきた信仰の証として価値づけられている貴重な遺産です。


キリスト教解禁後に、各集落に建てられた最初の木造教会堂がそのままの形で残されているのは、日本全国でも珍しく、大変貴重な建造物となっています。


現在は、国の重要文化財であり、貴重な文化財建造物として市が所有・管理しています。


世界遺産 長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産


国指定重要文化財 旧五輪教会堂

旧五輪教会堂は、明治14年(1881年)久賀島浜脇の地に浜脇教会堂として建てられたものであり、昭和6年に現地に移築された。現存する木造教会堂としては最古の部類に入ると思われる。


建物は木造瓦葺平屋建て。窓が教会堂特有のポインテッドアーチ型であるのを除けば、外観はまったくの和風建築の造りである。内部は 3廊式の会堂、いわゆるコーモリ天井、ゴシック風の祭壇など定法どおりの教会建築様式に仕上げている。


大工棟梁は、久賀田ノ浦の平山亀太郎と伝わる。


海辺に建つ木造建築であるため老朽化が激しく、昭和59年新しい教会堂建築のため解体の危機にさらされたことがあるが、関係機関の努力で修復・保存されることとなった。


長い禁教政策の下、弾圧と迫害に耐え、ようやく禁教が解かれた明治初期、五島各地には信仰の証として、教会堂が建設され始めた。


旧五輪教会堂は、その当時の教会建築史を物語る、歴史的建築様式を持つ貴重な文化財である。



てか、案内板がたくさんあるぅ~


案内看板もいいけど、せっかくなんで実際に教会堂の中に入ってみます♪♪


こっちの看板は要チェック。

天主堂(入口真上に掲げてあった看板)


木枠のステンドグラスが僕たちをお出迎えしてくれました


旧五輪教会堂の入口の天井


入口から外をみたところ



この説明文に宿っている気迫に僕は圧倒されました
   ↓↓↓↓
「この教会は、キリシタン弾圧時の殉教者の遺徳をしのび、信者がその総力を結集して建設したもので、五島カトリック史上重要な意義をもつ。」



旧教会の内部はゴシック様式です


コーモリ天井(リブ・ヴォールト天井)


こうもり傘を広げたような曲面による空間構成の天井です。ただただ美しい!ただただ素晴らしい!!


コウモリ傘をいくつも広げたような形状に見とれてしまいます



窓からは海が見えます


この写真も感動的でしょ?

この教会の中からこの海を見て、一体何人の人が救われたのでしょうか?


救われた人は数知れないと僕は思います


聖水盤


床面


天井


ぬくもりがあるっていいなー
この世の中はぬくもりですよ、ぬくもり。大切なのは全てぬくもりなんです!!



ガイドさんはもちろん、東京から来たと永松さんという教会守(きょうかいもり)のお兄さんが色々やさしく教えてくれました。

キリストを抱く聖ヨゼフ像


懺悔の場所。島は狭いため、懺悔するのは他の集落から来た方が多かったそうです



装飾が少ない礼拝空間が限りなく素朴でとてもイイ感じです♪♪

内陣(奥)


祭壇


イエス・キリストと聖櫃(せいひつ)



ここは今は教会として使われていないので撮影自由と言われました。他の教会は中は写真とれないのでここぞとばかりに撮りまくってますwww

この空間、さぞかし賛美歌の声が美しく響いたはずです



お美しいマリア様



うわっ!入口上のステンドグラス、中側から見るとすっごく可憐♪♪

水色と赤、水色と黄色、どっちもすっごく綺麗♪♪


木枠のステンドグラス



オルガン


どんな音色だったんだろう?
どんな響きだったんだろう?
想像力が最大限にフル稼働しちゃいました


結論。さっすが世界遺産!これは世界遺産だと思います!!

旧五輪教会堂、本当に美しい教会でした


でもね、ネットじゃ。この教会の素晴らしさは伝えられません。ぜひあなたもいつのに日にか、ここ久賀島の五輪集落を訪れて、この世界遺産の島ならではの空気を実際に肌で感じてください。


教会の外観は和風で内部はゴシック、明治初期の教会建築史を物語る貴重な天主堂なんだそうです、この旧五輪教会堂は♪♪


見事に表していますね
東洋と西洋の融合を


外から見る窓もステキ~☆


こっちから見るとホントちっちゃな木造の建物で、まるで民家のようです。


猫の額(ひたい)のような狭さです。こんな狭い土地にこんなステキな教会が佇んでいるんです。コレ世界遺産以外の何物でもないですよ。


教会堂の山側の石垣


山側の窓から覗いた教会堂内部


五島のキリシタン史

幾多の苦難を越えて


信仰を守るために、すべてをおいて長崎の外海(そとめ)地区から五島へやってきたキリシタンたち。ろ漕ぎの小さな船で。


待っていたのは命をつなぐのが精一杯の暮らし。人目につかぬ浜で網を打ち、石ころだらけの山の斜面を耕しながら、家族が寄り添って祈る日々。


禁教の中、島々のそこかしこで息をひそめ、敬虔な「信仰」が守り伝えられました。


やがて明治のはじめ試練が訪れます。久賀島から上がった迫害の火の手は、42人の殉教者を生み、その炎は島々のほとんどをのみ込みました。棄教を迫る役人の責め苦にあえぎながらも「棄てませぬ!」という信徒たちの悲痛な叫び。


幾多の苦難が過ぎ去った後、信徒達は真っ先に教会を建てることを決心し、島の小さな入江のそばや丘の上に次々に教会が建てられました。リブ・ヴォールト天井の意匠を凝らした教会もあれば、素朴な教会も。


五島の教会は、苦難を乗り越えた人々の信仰の証なのです。

世界文化遺産 五島市の教会ポケットガイドより引用


そろそろ久賀島ともお別れになります

蘇鉄(ソテツ)
ここではソテツはお祈りに使うそうです。




次の "世界遺産の島"奈留島へ向うため、僕たち専用の海上タクシー(奈留海上)が待ってくれていました

五輪港(ごりんこう)


五輪港の海水、けっこう透き通ってました
晴れてたり、夏なんかはすっごくキレイだと思います!


奈留海上の海上タクシー「あやかぜ」にみんなで乗ります



うれしーな♪♪ やさしい教会守さんが手を振って見送ってくれました!!

さようなら久賀島(ひさかじま)


うつくしい島でした、本当に!すばらしい島でした、本当に!!!!




福江港ターミナルに貼ってあったポスター


福江港ターミナルに展示してあったパネル

旧五輪教会堂(きゅうごりんきょうかいどう) 明治14年(1881年)建立

教会のなかった五輪地区の人々は、取り壊される予定だった旧浜脇教会を譲り受け、解体していかだで運んでこの地に再建しました。約50年後、痛みが激しくなったため、新しい教会を隣接した場所に建てて、旧五輪教会堂は保存することになり、この時点で市が譲り受け教会の役目を終えています。各地に教会が建立されはじめた当時の教会建築を物語る、五島列島最古の木造教会で、国の重要文化財です。


五輪教会(ごりんきょうかい) 昭和60年(1985年)建立

旧五輪教会堂の老朽化により昭和60年(1985年)に建てられた、新しい教会です。険しい山を背景に、奈留瀬戸に面した小さな漁港のわずかな土地に、旧五輪教会堂と並んで建っています。五輪地区は、現在でも車が入る道はなく、訪れる人は途中で車を下りて山道を歩くか、海上タクシーなど船を利用する方法がとられています。


長崎空港のモニター 久賀島の集落  旧五輪教会堂


長崎空港のポスター「久賀島の集落」

久賀島の集落

久賀島の集落

「久賀島の集落」は、潜伏キリシタンが信仰の共同体を維持するに当たり、どのような場所を移住先として選んだのかを示す 4つの集落のうちの一つである。


18世紀後半以降、外海地域から各地へ広がった潜伏キリシタンの一部は、五島藩が積極的に久賀島に開拓移民を受け入れていることを知り、既存の集落と共存できそうな場所として選んで移住し、漁業や農業で彼らと互助関係を築きながら、ひそかに共同体を維持した。

解禁後にカトリックに復帰し、島内の各集落に教会堂を建てたことにより、彼らの「潜伏」は終わりを迎えた。



久賀島の中央部にある大開集落では、潜伏キリシタンが既存の仏教徒の集落の周辺部に移住し、各種の作業で協働しながら水田を拓いていった。このような潜伏キリシタンと仏教徒の互助関係は久賀島の各地でみられた。



五輪集落は、久賀島の他の集落からは隔絶された場所に、潜伏キリシタンが移住して形成した小規模な集落である。解禁後はカトリックに復帰したが、立地環境や財政的な理由から自力での教会堂建設が困難であったため、久賀島で最初に建てられた教会堂である浜脇教会堂が、1931年の改築により解体される予定であったものを、五輪集落が譲り受け移築した。



今、五島にある教会堂は、いずれも、信仰の自由を得た証として、その歴史を背負ったキリシタンの子孫が建てた「祈りの家」である

五島市のポスターより


▼今回の五島・長崎旅行
東京遊覧飛行&富士山真っ白 五島旅行スタート!ソラシドエアで長崎へ
長崎空港箕島大橋を徒歩で渡る。長崎空港マリンターミナルの出航シーンも。
天正遣欧少年使節顕彰之像(長崎 森園公園)と箕島大橋の長崎名所タイルパネル
ORCオリエンタルエアブリッジのターボプロップ旅客機で福江島 五島つばき空港へ
五島バス(路線バス)で下五島の玄関口 福江港ターミナルへ
五島港公園から福江市街散策、五島牛100%ハンバーガーにありつく
日本唯一の海城!福江城跡(石田城跡/長崎県立五島高校)は三方が海に臨む日本で唯一つの海城
福江武家屋敷通りの黒い溶岩の石垣が続く風情。江戸時代の長崎県五島福江島のたたずまい
福江散歩 明人堂、六角井、倭寇・王直ゆかりの地、ナタオレノキ etc
EV(電気自動車)で五島福江島ドライブ!鬼岳、鐙瀬熔岩海岸などの島風景が美しい
西の高野山 大宝寺は弘法大師(空海)ゆかりの地、大宝浦(大宝の浜)が目の前に広がっていた
武者のぼり 長崎県五島 福江島井持浦の端午の節句、人生初電気自動車チャージ
井持浦教会のルルドの泉参拝。井持浦ルルドの聖母マリア像がお美しい。
大瀬崎断崖と大瀬崎灯台、立谷教会跡地(無原罪の聖母像)、名もなきキリシタン墓地
五島玉之浦ドライブ♪♪ 玉之浦港、玉之浦椿発見の地周辺、高浜海水浴場など
五島福江島 空海記念碑 辞本涯の碑、渕ノ元カトリック墓碑群のマリアさま
堂崎天主堂(堂崎教会)。アルメイダ、マルマン神父、ペルー神父、聖ヨハネ五島らの物語が息づく美しい教会
日本三大うどん!五島うどんを本場五島で~ ヒラスとシビマグロの握りもいただきました~♪♪
ガイド付き 五島列島キリシタン物語ツアー ~久賀島・奈留島編~で世界遺産の島へ
世界遺産の島 久賀島の集落 浜脇教会、五島崩れの牢屋の窄殉教地(ろうやのさこ)など
世界遺産 旧五輪教会堂へ ゴシック様式のコウモリ天井(リブ・ヴォールト天井)がなめらかでうるわしい♪♪
海上タクシーで久賀島から奈留島へ。奈留港を散歩。
世界遺産・江上天主堂は奈留島の宝物、夢のような教会!奈留島の江上集落(江上天主堂とその周辺)
玉之浦椿の楊枝入れのお土産を福江港ターミナルで買いました♪♪
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カフェ・ド・クリエのアイスティー微糖 525ml は絶品紅茶!

夏。おいしいペットボトルの紅茶はコレです♪♪  甘さすっきり&華やかな味わい!カフェドクリエとポッカサッポロの共同開発!このストレートティーは本当にウマ~い♪♪

カフェ・ド・クリエのアイスティー微糖 525mlのラベル



カフェ・ド・クリエのアイスティー微糖


メッチャおいしいペットボトルの紅茶があるので、皆さんにご紹介しちゃいます♪♪


僕たちの会社ムラウチドットコムの自動販売機


上段まんなかにカフェ・ド・クリエの「アイスティー微糖」が売ってます。
コレがめっちゃ美味しいです!

カフェ・ド・クリエ アイスティー微糖(525ml)

厳選した紅茶葉を使用した、甘さすっきり華やかな味わいが特徴の微糖ストレートティーです。紅茶本来の味わいに、糖分を抑え、低カロリーに仕上げました。


他の飲み物には目もくれず、この青いボタンを押します


ペットボトルのラベルも上品です♪♪


時計にご注目、5時55分55秒に飲み始めます 笑



ペットボトルの蓋


おいしい「!」がある ポッカサッポロフード&ビバレッジだって~


「!」ってのがいいですね(^^)


ポッカサッポロさんは大企業ですから、たぶん超一流のデザイナーが考えたラベルなんでしょうね。どう見ても美味しそうで飲みたくなりますもんw


すっごい紅茶がおいしそうー♪♪


「紅茶飲料」です、正式にいうと


CAFE de CRIE(カフェ・ド・クリエ)

カフェ・ド・クリエは「一杯のしあわせ」からはじまる「たくさんのしあわせ」をみなさまにお届けします。こだわりのドリンクメニューと、季節の食材を使ったオリジナルフードやスイーツメニューをお届けしているカフェチェーンです。


カフェ・ド・クリエとポッカサッポロフード&ビバレッジの共同開発!



普段は当然ラッパ飲みですけど、紅茶の色を見て頂くためにコップに入れてみました


いい色ですネ!


とっても美味しそうな色合です



透き通っていてキレイです



僕は昼休みの食事の時にも飲みますし、こうやって机の上でも飲みます。令和3年夏、この甘さすっきり&華やかな味わいのストレートティーを僕は一体何本飲むんだろう~ 笑


とにかく美味しいんで、ポッカサッポロさんの売上げに大いに貢献したいと思います。はっはっはw


あなたも見つけたら飲んでみてくださいネ


▼あわせて飲みたい

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世界遺産の島 久賀島の集落 浜脇教会、五島崩れの牢屋の窄殉教地(ろうやのさこ)など

久賀島の集落にある殉教の聖地 久賀島カトリック信徒囚獄の跡。牢屋は六坪の家牢、さながら人間の密集地獄・・・(涙)

牢屋の窄
令和3年(2021年) 4月24日 村内伸弘撮影


久賀島(ひさかじま)の田ノ浦港からツアー客みんなで久賀島地区の乗合タクシーに乗って浜脇教会に向っています。


丘の上に浜脇教会が見えてきました!


浜脇教会  長崎県五島市田ノ浦町(福江島)


さっき船から見えた教会です!

三角の鐘塔と真っ白な壁が美しいです!


浜脇教会  五島初の鉄筋コンクリート造り


五島の潜伏キリシタンやキリシタン迫害などを見続けた教会ということがわかります

どうやら元の浜脇教会が今の「旧五輪教会堂」のようです


木造教会である旧教会(現旧五輪教会堂)は潮風にさらされて痛みが激しくなって、台風などに備え堅牢な鉄筋コンクリート造りに生まれ変わったそうです

世界遺産 長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産

久賀島の集落 初代浜脇教会堂跡

解禁後の 1881年、島内で最初の教会堂(初代浜脇教会堂)がこの場所に建てられ、潜伏キリシタンの文化的伝統が終わりを迎えました。1931年に隣接地に現在の鉄筋コンクリート造の教会堂が建てられます。その際、初代教会堂は島の東海岸に所在する五輪集落へ移築され、跡地には信徒会館が建てられました(石積みは初代教会堂建設時のもの)。


移築前の浜脇教会堂(久賀島出身者より提供)


ガイドさん曰く、教会堂の入口目の前にサクラの木があったんですが台風で倒れちゃったみたいです・・・


コロナ感染予防のため、内部の見学はできません とのことで、外観を見学です


コンクリート造りの教会ですが、昭和6年(1931年)に造られているのですでに 90年は経っています。

真っ白く真新しい感じでステキ


ですが、ガイドさんによると戦時中は真っ黒に塗られていたそうです。


浜脇教会の鮮やかな花


無原罪之聖母


純白のマリア様、久賀島の小高い丘から洋上を眺めているようです



さっき海の上から見えた煙はコレでした


写真右下に腰が曲がったおばあさんが写ってます(^-^)


うわーっ!いいなーー

浜脇教会からの眺め


のどかでやさしくって素晴らしいです!
世界遺産の構成遺産は教会だけではなく、"久賀島の集落"なのでこの光景、この景色も世界文化遺産なのです!!!!!!!


もちろん、この道も、この海も、世界文化遺産なのです!!!!


赤いアーチの戸岐大橋(とぎおおはし)も見えました
ガッキー主演の映画「くちびるに歌を」のロケ地ですよ、この目立つ橋は


浜脇教会前の広場からこんな感じで海(田ノ浦瀬戸)が見えます


浜脇教会、さようなら


乗合タクシーの車窓

世界遺産の風景です


ガイドさんによると新しい田んぼを造っているそうです



久賀小中学校
久賀っ子、ガンバレー♪♪


わっ!静かな海が目の前に現われました!久賀湾です!!

久賀湾


入り組んだ深い入り江なので波が少なく、まるで湖のような静けさです


でもガイドさん曰く、北側に湾口があるので、冬はかなり荒れるそうなんです。冬の厳しさは相当らしいんです。


美しい海。美しい世界遺産の島。


牢屋の窄殉教地
牢屋の窄(ろうやのさこ)  殉教之地という文字が門柱に書かれています


みんなでこのゆるやかな坂を上っていきます


牢屋の窄殉教記念聖堂(牢屋の窄殉教記念教会/ろうやのさこじゅんきょうきねんせいどう)


久賀湾が真下に見えます


牢屋の窄殉教記念聖堂



ここはキリシタン殉教の地です





義のために 迫害される 人々は幸いである。 天の国は その人たちの ものである。マタイ5・10


主の平安
ありがとうございました。この献金は教会がいつまでも美しい景観を保つように教会の維持費、修理費として活用させていただきます。


寄付、もちろんさせていただきました!


監視所跡


牢屋の跡


世界遺産 長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産

世界遺産 久賀島の集落

「久賀島の集落」は、潜伏キリシタンが信仰の共同体を維持するに当たり、どのような場所を移住先として選んだのかを示す 4つの集落のうちの一つである。18世紀後半以降、外海(そとめ)地域から各地へ広がった潜伏キリシタンの一部は、五島藩が久賀島に開拓移民を受け入れていることを知り、既存の集落と共存できそうな場所として選んで移住し、漁業や農業で彼らと互助関係を築きながら、ひそかに共同体を維持した。解禁後はカトリックに復帰し、島内の各集落に教会堂を建てたことにより、彼らの「潜伏」は終わりを迎えた。


皆さん、ここから先はぜひ記念碑に書かれた文章をご一読下さい。ここ牢屋の窄で一体何が起こったのか?いつどんなことが行われていたのか?ぜひご一読下さい。


牢屋の窄殉教地

久賀島の潜伏キリシタンの指導者たちは密かに大浦天主堂の宣教師に接触し、帰島して公然と自らの信仰を表明するようになりました。その結果、1868年に五島列島の一円で弾圧が行われ(五島崩れ)、狭い牢屋に多数の信徒が監禁され、久賀島では多くの死者が出ました。牢屋の窄殉教地はキリスト教解禁直前に潜伏キリシタンへ弾圧が加えられた最後の場所となりました。この場所には、殉教者を弔うための教会堂と記念碑が建てられ、カトリックへと復帰した久賀島のキリスト教信者にとって今なお禁教期の記憶の場所となっており、毎年 10月の最終日曜日には「牢屋の窄殉教祭」が行われています。


牢屋の窄殉教記念聖堂


牢屋の窄殉教記念聖堂

明治元年(1868年)長崎の浦上の地においてキリシタン迫害が始まると、多くの信者がいた五島各地でも厳しい弾圧と迫害が始まった。


久賀島では、6坪ほどの牢屋に信者 200人を 8ヶ月の間押し込み連日悲惨な拷問が行われたという。その結果、死者39名、出牢後に死んだ者 3名という悲惨な弾圧であった。


その状況は外国使節団の知るところとなり、明治新政府の外交問題に発展し、ついに太政官布告によって明治6年キリシタン禁制の高札が下ろされ、信者達は信仰の自由を勝ち取った。


この歴史的場所である牢屋の窄一帯を殉教の聖地として永久に保存しようと地域の信者達が浄財を出し合い地主より買い受け、殉教の牢屋の跡に信仰の碑(殉教記念碑)を建立し、昭和59年には新聖堂も建立された。



この文章は特に壮絶です。。。(涙)

久賀島カトリック信徒囚獄の跡


江戸幕府に続く明治政府のキリシタン弾圧により、明治元年9月、久賀島の信徒が捕らえられ、激しい火責め、水責め、算木責めの拷問を受け、10月には内上平集落の信徒の家をこの地に移して牢とし、老若男女 200余名が収容された。この牢屋は奥行き 3間、間口 2間6坪の家牢で、中央が仕切られて男女別々に監禁された。


狭隘な牢内では身動きすることも困難で人の体にせり上げられて足さえ地に着かない者もあって、さながら人間の密集地獄であった。3日目には足が腫れ上がり、食べ物は芋の小切れを朝夕に 1個ずつ、飢えと苦痛のため死者が続出した。


死体は次第に密集地獄の下に、踏みつぶされて腐敗するが 5日間も放置され、蛆がわいて人体に這い上がり、その上、その場に放尿排便せねばならぬので、その不潔さと臭気は言語に絶する惨状で 13歳のドミニカたせは、蛆に下腹を食い破られて死亡した。10歳のマリアたきは、熱病におかされて頭髪は落ち、「私はバライゾ(天国)に行きます。お父さんもお母さんもさようなら」の一語を残して息を引きとった。その妹マリアさもは 7歳の幼女であったが、「イエズス様の五つの御傷に対して祈らねばなりません」と言い残して息が絶えた。


かくして在牢 8ヵ月殉教者 39名、信徒の頭 9名はそのまま牢に残され全員の出牢が許可されるまでには 3箇年を要した。彼ら信徒は孜々として生業に励み、忠実に法に従う良民であったが、信仰に忠実、神の掟を重んじたというだけでこの責苦を受けたのである。明治政府は、絶対主義神道国家確立をはかり、祭政一致を唱え、その政策の犠牲となったのがカトリック信徒である。


久賀島のカトリック教徒は、あどけない幼児から 60余歳の老人に至るまで超人的精神力をもって、この比類のない苦痛に耐え忍び、信仰の自由と良心の尊厳とを身をもって主張し、

信仰に生きる久賀島カトリック信者の魂の偉大さを発揮したものである。


一粒の麦が地に落ちて死ねば 多くの実を結ぶ ヨハネ12.24


子供、そして親子や兄弟、夫婦なども多数含まれる大悲劇です。。。


牢屋の窄・殉教 150周年
42名殉教 / 1868.10~1869.5


牢内で殉教(39名)
パウロ 助市 79歳
ジワンナ つい 7歳
パウロ 力松 3歳
マリア せの 33歳
ペトロ 三蔵 4歳
ジワンナ えの 9歳
マリア たき 10歳
マリア さも 8歳
テカラ もよ 5歳
カチリナ そめ 9歳
そめの妹 なよ 5歳 
カタリナ さき 24歳
ドミニカ ふみ 9歳
イザベリナ よも 42歳
マリア りよ 36歳
ドメイ 政治郎
(政五郎) 5歳
ドミニカ たせ 12歳
マリア さよ 46歳
マリア はつ 52歳
ジワンナ いそ 34歳
ノレンソ 利八 5歳
ジワンナ えつ 85歳
フランシスコ 好蔵 58歳
ジワンナ しも 22歳
ジワンナ のわ 56歳
フランシスコ 力蔵 55歳
マダリナ のい 19歳
ジワン 千蔵 59歳
ルチア すえ 59歳
ジワンナ まつ 56歳
ジワン 藤七 1歳
ジワンナ しも 1歳
カタリナ よし 1歳
マグダレナ なよ 21歳
トマス 又次郎 4歳
ジュリアンナ とし 4歳
テクラ はつ 13歳
ドミンゴ 三助 6歳
姓名不詳の幼児


出牢後まもなく帰天(3名)
ジワンナ しな 15歳
ジワンナ かね 9歳
テクラ ふい 22歳



牢屋の窄殉教地の信仰之碑


どうか安らかにお眠りください


いま、ニッポンは信教の自由が保障された自由の国になりました。皆さんの分まで僕たちは頑張ります。


信仰之碑に刻まれていた名前


牢死者の碑
(写真左)パウロ 助一 79歳「最初の牢死者 短躯のため窒息死」


マリア たき 10歳 「これからパライゾに行くから 父さんも母さんも さようなら」



マリア さも「ゼズスさまのの五つの傷に対して祈らねばならない」



姓名不詳 幼児・・・(涙)


 7歳・・・(涙)


ドメイ 政治郎(政五郎) 6歳 「アップ(水)アップと云いながら かわきのために死亡」


ドミニカ たせ 12歳 「蛆(ウジ)に下腹をかまれて死亡」


前代未聞、、とんでもない惨劇です、、、(涙)



久賀湾越しに向こう側の集落が見えます。なぜ見えるのか?
ガイドさんによると、囚われのキリシタンを改宗させるため、他の人たちが楽しく暮らしている様子がここから見えるようにしたそうです


久賀島の真の歴史を知りました。


旧五輪教会堂(きゅうごりんきょうかいどう)に向います


久賀島の地図を見ると、一度島の北の方に進んでそれから海岸沿いを南下するみたいです



福江港ターミナルに展示してあったパネル

牢屋の窄殉教記念教会(ろうやのさこじゅんきょうきねんきょうかい) 昭和59年(1984年)建立

明治元年(1868年)、この地で久賀島内の信徒達が捕えられ、12畳ほどの狭い牢に 200名余が押し込められました。これは畳1枚あたり 17人という狭さで、横になることも出来ず、排泄もその場にしなければならないという惨状でした。8ヶ月にわたる入牢で、42人の信徒が殉教しました。この教会は、命をかけて信仰を守り抜いた人々をたたえるために建てられました。


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