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村内 伸弘(むらうち のぶひろ)村内伸弘の彼女

石牟礼道子「苦海浄土 わが水俣病」の感想 魂の文学、命の文学

魂の詩人が残した "文明病" 水俣公害の人間の記録!極限状態にあっても輝きを失わない人間の尊厳の記録!!

「新装版 苦海浄土 わが水俣病」石牟礼道子
令和3年(2021年)8月12日 村内伸弘撮影


人の尊厳とは何か いまこそ心打つ<声>を聞いてください


工場廃水の水銀が引き起こした文明の病・水俣病。この地に育った著者は、患者とその家族の苦しみを自らのものとして、壮絶かつ清冽(せいれつ)な記録を綴った。本作は、世に出て30数年を経たいまなお、極限状況にあっても輝きを失わない人間の尊厳を訴えてやまない。末永く読み継がれるべき<いのちの文学>の新装版。


1972年12月に刊行された講談社文庫『苦海浄土‐わが水俣病』の新装版です。新装版刊行にあたり、原田正純氏の解説「水俣病の50年」を加えました。

講談社BOOK倶楽部ホームーページより引用



「苦海浄土 わが水俣病」を読み終えました。
人間の尊厳を激しく問うた魂の文学、命の文学でした。
昭和30年代、40年代に水俣に生きた人々の応援歌であり、鎮魂歌であり、その壮絶な筆致にただただ圧倒されました。凄まじい出来事に見舞われた熊本県水俣市に暮らす戦後の日本人たちの生々しい生き様と死に様が激しく交錯していて息を呑み、目がくらむような衝撃を受けました。


本作は、極限状態にあっても輝きを失わない人間の尊厳を訴えてやまない。


水俣病の現実を伝え、魂の文学として描き出した作品



殺さるるもね

死ねばうちも解剖さすとよ

杢の方に、はようお迎えの来てくれらしたほうが、ありがたかことでございます。寿命ちゅうもんは、はじめから持って生まれるそうげなばってん、この子ば葬ってから、ひとつの穴に、わしどもが後から入って、抱いてやろうごだるとばい。

(中略)

なむあみだぶつさえとなえとれば、ほとけさまのきっと極楽浄土につれていって、この世の苦労はぜんぶち忘れさすちゅうが、あねさん、わしども夫婦は、なむあみだぶつ唱えはするがこの世に、この杢をうっちょいて、自分どもだけ、極楽につれていたてもらうわけにゃ、ゆかんとでござす。わしゃ、つろうござす。

(中略)

ほおら、抱いてもらえ。

魂もなか人形じゃと、新聞にも書いてあったげなが・・・。(中略)いうみゃいうみゃ。・・・魂のなかごつなった子なれば、ゆりはなんしに、この世に生まれてきた子じゃいよ


作品の中、水俣弁で語られる悲劇の数々。
胸締め付けられる不幸な物語の数々。
涙なしでは読めません。。。


異常事態の中で、救いようのない現実を突き付けられた昭和の人間たち
その絶望や叫びを記録して訴えた石牟礼道子さんの鬼気迫る文章、淡々とした冷徹な事実の羅列


うつくしい水俣の風景や人々の何気ない暮らしの描写が逆に涙を誘います
人間とは何か?人間の尊厳とは?


運命の荒波に、翻弄され必死にもがき苦悩する水俣の人たち
魂を抜き取られ、引き裂かれ、悲しく、寂しく、そして錯乱状態に陥り、狂いながら死んでいく水俣病患者の方々。。。(涙)



繋がぬ沖の 捨小舟 生死の苦海 果もなし


おとなのいのち十万円

こどものいのち三万円

死者のいのちは三十万


人間について
人間の尊厳について
そして人間愛やヒューマニズムについて知りたい方、考えたい方は購入して、ぜひ読んでください。「苦海浄土」は日本文学史、日本社会史に残る傑作作品です。


PS
石牟礼道子さんはこの「苦海浄土」を昭和43年に書き終えたようです。昭和43年。1968年。僕・村内伸弘はこの年、この世に生を享けました。



▼公式サイト

『新装版 苦海浄土』(石牟礼 道子):講談社文庫|講談社BOOK倶楽部



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穴弘法奥之院霊泉寺 穴弘法の穴の中で限りない光が輝いた!

長崎県長崎市江平 穴弘法奥之院霊泉寺(りょうぜんじ)で僕が出会った無量の光明♪♪

穴弘法(あなこうぼう/穴弘法奥之院)の光明


穴弘法


穴弘法内の木仏


穴弘法奥之院 穴弘法
令和3年(2021年) 4月25日 村内伸弘撮影


長崎には穴弘法が 2つあります。
前回、片方の穴弘法(穴弘法寺)に参拝したので、今回は穴弘法奥之院霊泉寺の方を訪れます。


場所がとんでもない坂の上にあるって知っていたし、長崎最終日で東京へ帰る時間も逆算しなくてはいけないので、タクっちゃいました 笑


タクシーでこの場所に下りました


タクシーの運ちゃんもこの場所まで来るのには急な坂道があって危険なので、雨の日とかは断るそうです w(゜o゜)w


ここが僕が下ろされた場所


矢印看板がありました

霊泉寺の境内に入りました


この先に穴弘法があるようです


消えかけた穴弘法の矢印看板がありました。ここから近そうです


あっという間に穴弘法を発見!!

すぐ目の前にありました!


突き当り左に穴があるのが見えています



振り返ってみるとこんな風景です


巨大な岩の下に入口があります


穴があれば入ってみたいのが人情 笑

早速、入ってみます。穴の中に


穴弘法の木製看板



ココが入口です!!

穴弘法(あなこうぼう)




穴の中は神秘的な空間でした


穴弘法の穴の中


ランプが霊妙に灯っています


心を落ち着け、静かにお参りをします


お供物やお神酒が飾ってあり、信者の方々から厚く敬われていることがわかります


この奥に弘法大師さまがいると思うんですが、、、


この金襴幕をめくり上げたい衝動をなんとか抑えて、このまま目を閉じお大師さまを心に浮かべお参りしました。同行二人です。


変な言い方ですが、この薄暗い洞窟の中に入ると、自分自身の心を見つけるしかやることがなくなります。


世界がここにしかなく、人類は自分しかいないのではという錯覚に陥ります。お大師さまや仏たちに取り囲まれ、自己と対峙する空間がこの穴弘法なんだとわかりました。






お大師さまでしょうか?



とその時!!


入ってきた穴の入口方向を振り返ると、、、、、



無限の光が差し込んでいました!!


無量の光明です!!!!!!!

空海が発する果てしない光がこの穴の中に差し込んできています!!


ものすごい瞬間です!!!!!!!
穴弘法の穴の中で限りない光が輝きました!!



神秘的な体験でした。。。。


その後、穴弘法の穴を出て、裏山を上り、一周してまた境内に戻りました。



タクシーではなく、自分の足でこの山を上ってきたら、ここが入口になるみたいです

穴弘法奥之院霊泉寺 入口


いやー、山がまぶしい

穴弘法奥之院参道を歩きます


霊泉寺の境内に戻りました

原爆で崩れた石の鳥居が倒れ掛かったように立てかけられています


穴弘法縁起之碑


磨崖仏も巨岩に彫られていました
写真中央左の門の奥がさっき入った穴弘法の穴になります


穴弘法奥之院霊泉寺 平和観音像


原爆殉難者供養のため平和観音像を建立しました


永遠に平和でありますように平和観音を建立して供養し「声なき声」を後世に伝えいつまでも忘れないでください 合掌
昭和61年8月7日 花田寛栄


7月27日現在
寄附者総数 646名
寄附金総額 407万円




穴弘法奥之院 霊泉寺の石仏

爆心地から東南東へ約1,200m、標高約130mに位置するこの穴弘法奥之院霊泉寺は、寛政2年(1790年)に開山。真言宗大覚寺派。境内に表に大日如来像、裏に稲荷明神堂、その背後に巨岩があり、500体余りの石像が並んでいる。


昭和20年(1945年)8月9日、午前11時2分、原子爆弾のさく裂により、建物はすべて全壊し、大日如来は蓮座からずれ、稲荷明神堂の石の鳥居も崩れ落ち、石像はほとんどが破損して、そのうち何体かは首が落ちた。


また、ここは、浦上地区から金比羅山を越えて市街地を結ぶ通路にあたっていたので、原爆さく裂後、避難者が列をなして押し寄せ重傷者の避難所になったが、たどりついた後に、力つきて息途絶えた人もいた。


長崎市はこの地で亡くなられた方々のご冥福をお祈りし、二度とこのような惨禍が繰り返されないことを願ってこの銘板を設置する。


平成14年(2002年)3月 長崎市(原爆資料館)



霊泉寺 本堂


うーーん、ただひたすら美しい。長崎はただただ美しい。


江平、高尾あたりの街並みが見えました



▼今回の五島・長崎旅行
東京遊覧飛行&富士山真っ白 五島旅行スタート!ソラシドエアで長崎へ
長崎空港箕島大橋を徒歩で渡る。長崎空港マリンターミナルの出航シーンも。
天正遣欧少年使節顕彰之像(長崎 森園公園)と箕島大橋の長崎名所タイルパネル
ORCオリエンタルエアブリッジのターボプロップ旅客機で福江島 五島つばき空港へ
五島バス(路線バス)で下五島の玄関口 福江港ターミナルへ
五島港公園から福江市街散策、五島牛100%ハンバーガーにありつく
日本唯一の海城!福江城跡(石田城跡/長崎県立五島高校)は三方が海に臨む日本で唯一つの海城
福江武家屋敷通りの黒い溶岩の石垣が続く風情。江戸時代の長崎県五島福江島のたたずまい
福江散歩 明人堂、六角井、倭寇・王直ゆかりの地、ナタオレノキ etc
EV(電気自動車)で五島福江島ドライブ!鬼岳、鐙瀬熔岩海岸などの島風景が美しい
西の高野山 大宝寺は弘法大師(空海)ゆかりの地、大宝浦(大宝の浜)が目の前に広がっていた
武者のぼり 長崎県五島 福江島井持浦の端午の節句、人生初電気自動車チャージ
井持浦教会のルルドの泉参拝。井持浦ルルドの聖母マリア像がお美しい。
大瀬崎断崖と大瀬崎灯台、立谷教会跡地(無原罪の聖母像)、名もなきキリシタン墓地
五島玉之浦ドライブ♪♪ 玉之浦港、玉之浦椿発見の地周辺、高浜海水浴場など
五島福江島 空海記念碑 辞本涯の碑、渕ノ元カトリック墓碑群のマリアさま
堂崎天主堂(堂崎教会)。アルメイダ、マルマン神父、ペルー神父、聖ヨハネ五島らの物語が息づく美しい教会
日本三大うどん!五島うどんを本場五島で~ ヒラスとシビマグロの握りもいただきました~♪♪
ガイド付き 五島列島キリシタン物語ツアー ~久賀島・奈留島編~で世界遺産の島へ
世界遺産の島 久賀島の集落 浜脇教会、五島崩れの牢屋の窄殉教地(ろうやのさこ)など
世界遺産 旧五輪教会堂へ ゴシック様式のコウモリ天井(リブ・ヴォールト天井)がなめらかでうるわしい♪♪
海上タクシーで久賀島から奈留島へ。奈留港を散歩。
世界遺産・江上天主堂は奈留島の宝物、夢のような教会!奈留島の江上集落(江上天主堂とその周辺)
玉之浦椿の楊枝入れのお土産を福江港ターミナルで買いました♪♪
長崎の船旅!九州商船のジェットフォイル「ぺがさす号」で福江港から長崎港へ
サバサンド(鯖サンド)は長崎新名物♪♪ 長崎オランダ通り・葉山珈琲のサババーガーはおいしー
野母商船の高速船「鷹巣」号に乗って長崎港から高島港(高島)へ
三菱創業者 岩崎彌太郎像、高島石炭資料館など長崎県 高島炭鉱めぐり
長崎県高島の権現山公園・展望台へ 南洋井坑 排気坑跡も発見
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「俊寛」号で高島から長崎港へ 南蛮亭の五色うどんをカラフルにかっ喰らう
サント・ドミンゴ教会跡資料館 → 岡まさはる記念長崎平和資料館
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四大公害水俣病の記録「僕が写した愛しい水俣(塩田武史)」の感想

公害の原点 - 写真家 塩田武史さんの水俣病の記録写真集。宝子さん、生ける人形ちゃん、大きな赤ちゃんはじめ熊本県水俣市の愛しい風景と人々が写っています、残っています。

「僕が写した愛しい水俣」塩田武史
令和3年(2021年)8月12日 村内伸弘撮影


水俣に長く暮らした写真家が刻み込んだ、水俣に生きる人たちの輝きとやさしさが、秘蔵の写真とともに甦る。


この写真集は水俣病の悲劇の原点をみつめる、貴重な記録です。けれども、つらい、過酷な水俣の姿を写し取っただけではありません。学生だった著者が実際に水俣に移り住み、患者さんたちのそばで、日常の記録としてとても近い距離から撮りためたものです。そこには日々の生活と、暖かい、密接な人間関係がありました。魅力的な土地でもあったのです。


当時を知る人は、「この写真は,この人が撮ったものだったのか」という思いとともに振り返っていただけるでしょうし、初めて見る人は,当時の空気を鮮やかに写し取った写真の数々に、きっと圧倒されることと思います。

岩波書店ホームーページより引用



「僕が写した愛しい水俣」を読み終えました。
涙が流れ続けました。
まぎれもなくこの写真集には人間が写っていました。
この本の中には満ち溢れていました、人間のやさしさが。



うつくしい水俣の風景
きらめく不知火海
そこに生きるたくましくやさしい人々


塩田武史さんのこの写真集は、最初の 1ページ目から「愛」が溢れ出てきます。読み進めると「人間愛」に満たされます。


水俣病患者、特に胎児性水俣病の患者の男の子や女の子が次々と登場して、僕の涙を誘いました。涙なしでは読めません。体の奥底から涙がぎゅーっと湧き出てきました。



「妹弟みんなの毒ば吸い取ってくれたもん」
晴れ着姿の宝子さんを抱くお父さんの笑顔。。。
宝子さんを取り囲むように映っている家族や一族。。。
人間ってなんでこんなに美しいんだろう!!
人間ってなんでこんなにやさしいんだろう!!


昭和52年(1977年)12月7日の宝子さんの葬儀の日の長い列という写真。。。
悲しいです、、、悲しいです、、、



「治療の研究に少しでも役立てば」
見開かれたままの瞳、決して閉じられることのない瞳から水俣病の悲惨さを象徴するといわれた生ける人形ちゃんは遺族の意思で死後病理解剖されました。
5歳で発病し、140cmの身長と 21キロの体重は以後 18年間変わらなかったそうです。



「美しゅう撮ってもらんばよ」
昭和48年(1973年)1月15日、大きな赤ちゃんの成人の日の記念写真。水俣病の悲しみを伝えるこの日の塩田武史さんの写真でこの写真集は終わります。「無量寿」という額の下で大きな赤ちゃんが晴れ着を着てご両親と写っているショットが明るく印象的でした。
人間には笑顔が似合う
大きな赤ちゃんの笑顔はとびっきりでした!!!!



購入後、積読状態になっていたので、2年前の新聞が挟まっていました


胎児性水俣病の患者 半永一光くんのカバー写真が印象的です
昭和44年(1969年)7月 撮影



人間愛
ただただ人間愛


今、蝉が鳴いています。
令和3年夏、あなたに強くおススメしたい写真集です



▼公式サイト

僕が写した愛しい水俣(塩田武史)- 岩波書店



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