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村内 伸弘(むらうち のぶひろ)村内伸弘の彼女

人間礼拝&但行礼拝!常不軽菩薩の24文字/24文字の法華経の神髄とは!

人を敬う人間礼拝(にんげんらいはい) - 私はあなたを深く敬います! あなた方は仏になることができる!

人間礼拝(二十四文字の法華経)

人間礼拝(二十四文字の法華経) - 法華経 常不軽菩薩品(不軽品) 第二十


NHKこころをよむ「法華経(ほけきょう)」のカセットテープボックス


NHKこころをよむ「法華経」 第20回 人間礼拝


NHKこころをよむ「法華経」のテキスト


常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ/不軽菩薩)!
仏教に親しみ、学び続けて数年。とうとう僕はこの最強菩薩(最狂の修行者?)にたどり着きました!!


「その時に一り(ひとり)の菩薩比丘あり、常不軽と名く(なづく)。」
この記事では常不軽菩薩について NHKこころをよむで学んだことをメモ的に綴ります。カセットテープで聞いた「法華経」講師・渡辺宝陽さん、「仏典」講師・中村元先生の言葉を僕なりに咀嚼して、わかりやすくまとめて、このエキセントリックでオリジナルな最狂菩薩のことを長く記録したいと思います。この菩薩の思想と実践はぶっ飛んでいて、常人ではとうてい理解できません。


が!人類史に永遠に光り輝き、我ら人類を限りなく照らし続けてくれるものなので、ぜひぜひ一読してくださいね♪♪


常不軽菩薩とは?

「ああ、私はあなた方を決して軽蔑いたしません。」
常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)は常に人々を軽ろんじない、侮らないという誓いを貫き通し、人間たちを礼拝し続けた菩薩です。驕慢の心を持たないで不倒の決意で仏道を実践し、真の仏法を求めた菩薩なんです。


他人に対する尊敬の念をその身に具現していて、いかなる人をも尊び、拝んだ人です。自分を犠牲にし、他人のことをよく考え、馬鹿になって他人のために一生懸命に尽くした人なんです!強くさとりを求め、大乗(仏教)の実践をした人とも言えるでしょう。常不軽菩薩は実は後のお釈迦様の姿、そうです釈尊の前生での修業時代のお姿なんですよ!


常不軽菩薩のクレイジーなところは、散々馬鹿にされたり、罵られたり、殴られたりしても、ひたすらあなたは大切な仏性を宿しておりますよ、と高らかに唱え、人々を深く敬い、拝んで歩いたところだと僕は思います。悪意を抱かれようが、罵られようが、暴力を振るわれようが、迫害されようが、何をされようが!!いつでもどのような人に対しても、みんなそれぞれ分け隔てなくあなたの心は仏性、御仏(みほとけ)そのものを備えているのですよ、と言い続けたところにあるんだと思います。打算も駆け引きもないピュアな心でそう伝え続けたところが実に偉大なんだと思います!!
※仏性(ぶっしょう)=仏になることができる性質


「ああ、あなた方はみな仏様になれる方ですよ。」
こんなこと言われたら、感激しますよね。
魂震えますよ!
マジで!!


僕は 56年間生きてきて、誰にもこんなこと言われたことないです
真正面から面と向かって誰かに言われてみたいものです!!
逆に、誰かに言ってあげたいです
他人を軽んじることなく褒め讃え、力強くそう言えるような人間になりたい!ただひたすら他の方々を礼拝できるような菩薩になりたいです!


人間礼拝とは?常不軽菩薩の二十四字とは?

人間礼拝とか、常不軽菩薩の二十四字(二十四文字の法華経)とかの言葉にも生まれて初めて接しました。


「我深く汝たち(なんだち)を敬う」は常不軽菩薩が口に出して唱えた私は皆さんを深く敬いますという言葉です。人間を礼拝するこの言葉、どう考えても人間への絶対信頼という意味が込められていますよね。


人間への絶対信頼!
要するに人間礼拝!!
ものすごい理想的な表現です。この変わり者菩薩がただひたすら他者を礼拝し、さとりの世界へと導くためにいろいろな人々を底抜けに信じる。人々を無条件に信じる。常不軽菩薩のこの清らかな姿こそが、この星の上で生まれ、育ち、暮らす私たちの心に大きな幸せと喜びと安らぎをもたらすんだと僕は感じました!


法華経と言う経典は、怒りや欲望に縛られている私たち人間を根底から慈愛に包み込み、肯定しようとする人間信頼の教えでした。



我深敬汝等、不敢軽慢。所以者何。汝等皆行菩薩道、当得作仏。
123456789101112131415161718192021222324
我深く汝たちを敬う。あえて驕慢せず。所以はいかん。汝等みな菩薩の道を行じて、まさに作仏することを得べしと。


【訳】私はあなた方を深く敬い、けっして軽蔑いたしません。なぜならば、あなた方すべての人は、菩薩としての修行を実践されることによって、将来、最高のさとりを得た仏となるからであります。



この常不軽菩薩の人間礼拝の様子を示した経文の字数が上の赤い数字のように全部で 24文字です。そこから "常不軽菩薩の二十四字"とか、"二十四文字の法華経"とか称されていて、人間礼拝の世界を明確に物語っているのです。


ちなみに常不軽菩薩が唱えた二十四字と日蓮宗の開祖・日蓮聖人が弘めた妙法蓮華経の五字は言葉は違いますが、渡辺さんによると意味するところはまったく同じだそうです。慈悲の共通性を主張するものであると言ってました。数々の法難や迫害に耐えた日蓮聖人は自らを真の仏法を求める常不軽菩薩になぞらえていたそうです。お釈迦様と同じく、日蓮聖人もまた、常不軽菩薩だったのです!


但行礼拝とは?

それから、但行礼拝(たんぎょうらいはい)という言葉を知り、心の目を思いっきり開かされました。仏教とか宗教の概念がガラガラガラガラ崩れ落ちました!


但行礼拝とはただひたすらに人々を礼拝することを、自分の修行にするということでした。


修行とか仏道とか言うと、特定の空間(場所)で、決められた方法によって行うものと僕たちは思いますよね。坐禅をするとか、滝に打たれるとか、はたまた千日回峰行みたいに山の中を白装束でずっと歩き回るとか(笑)。まあ、こういう形を思い浮かべてしまいますよね。当然。


でも、法華経(仏道)修行の典型であるこの常不軽菩薩の修行はぜんぜん様相が違います!修行と言うことを僕たちが先入観として持っていることだけに限定していないんです。法華経に基づいた行動や考え方はいろいろで良くって、自分自身の人生の中に法華経の精神が活かされているということが一番大切なことだということが語られていたんです。


将来、お釈迦様になる方が、ただひたすら会う人ごとに合掌礼拝していた。お経を読んだり、瞑想したりじゃなくって、出家者の形にとらわれずにただただ一貫して礼拝のみしていたわけですもんね。既存の宗教や教団が教えていることと全く違いますよ!ぜんぜん違います!!唯一礼拝のみ行い、読経とか、法話とかは一度もしなかったみたいです。礼拝こそが読経であり、念仏であり、勤行だったんです。前生、さとりに至る前の修行中のお釈迦様にとっては。


常不軽菩薩はこうやって、ただひたすら長い長い人間礼拝の修行を貫き、仏道を成し遂げ、偉大なる釈尊に成っていったのです。



人間こそ神様、人間こそ仏様

あと、この文章書いていて、ものスゴいことに気づいてしまいました!既存の神社仏閣は間違っているって。神道も、仏教も間違ってるって。


どういうことかというか、僕らが神社にお参りし、お寺にお参りすると、神様や仏様に手を合わせるじゃないですか。コレ間違ってるって思いました。わかりますか?この常不軽菩薩が誰に何をしていたのか?この記事を読んだあなたならわかりますよね!


そうです!そうなんです!!
手を合わせるのは僕たちじゃなくって、神様や仏様なんです
僕たちが神様や仏さまを礼拝するんじゃなくって、神さまや仏さまが僕たち人間を礼拝すべきなんです。私たち人間は誰もが礼拝され、尊敬される対象なのです!!!!
私たち人間こそが神様であり、人間こそが仏様なんです!!


コレって日本人の誰一人、いや世界中の誰一人気がついていないことですよ!!
神社でも、寺院でも、教会でも、モスクでも、礼拝されるべきは神聖なる私たち人類なのです!!!!


今、コペルニクス的大転換を遂げました!!僕の思想は!!!!



渡辺宝陽さんが語る常不軽菩薩

一人の真実の法を求める出家者があった訳であります。それが今、この主人公でございます常不軽と名付けられた人なのであります。この修行者は出会う人ごとに、在家者、すなわち一般の方々ですね、出家者、すなわち道を求めて家を出、坊様になった方々、そういう方々すべてを礼拝する。すなわち道を求めて出家をした人であろうと、いや一般の生活をしてる方々であろうと、すべての人を深く敬い、礼拝する、おじぎをする訳ですね。そして次のように言ったんであります。「我深く汝たちを敬う。あえて驕慢せず。」「我深く汝たちを敬う。あえて驕慢せず。」すなわち私はあなたを尊敬いたします。ひたすらに尊敬いたします。という言葉を口に唱えたのであります。このようにこの修行者は経典を読誦するということもない、また静かなところで瞑想することもない、ただ人々を拝むということを唯一の行い、修行としたというのであります。例えば、遠くにいる人であっても、そこに近づいて合掌礼拝すると、同じ言葉を唱えたのであります。常不軽菩薩が合掌礼拝するのに対して、人々はどんな態度をとったでありましょうか?立派なお坊様はかえって侮辱をされたという風に感じて腹を立てる、あるいはまた心の卑しい人々も何で私のような者に礼拝をするのかと言って腹を立てる、という風なことがしばしば起きたことは想像に難くないところでありましょう。人を敬う。人に敬われる。ということはいかに難しいか。ということがわかるような気がいたします。それから多くの歳月が経ったのであります。常不軽菩薩は常に罵りを受けたのでありますけども、怒りの心を起こすことはない。決して腹を立てずに、あなた方は必ず仏陀になることができます、成仏することができますということを繰り返し繰り返し告げたのであります。

NHKこころをよむ「法華経」カセットテープより引用


中村元先生が語る常不軽菩薩

一人の菩薩の修行僧がおりました。比丘はビックという音を写したので、托鉢、乞食(こつじき)する修行僧のこと。この人は常不軽と名付けた、常に人を軽んずることがない、常に尊敬するという意味です。これは鳩摩羅什独特の訳語でありますが、じゃ何故そう言ったか?この修行僧はですね、誰を見てもですね、皆ことごとく礼拝讃歎して、敬礼して、褒め称えている。「我は深く汝たちを敬う」私はですね、深くあなた方を敬います、「あえて驕慢せず」軽んじ、侮る(あなどる)ようなことはいたしません。驕は軽んずる、慢というのはですね侮るという意味ですよ。どんな人に対してもですね、尊敬して侮るということをしない。<中略>なぜ敬うか?あなた方はみなですね、菩薩の行いを実践して、いつかは仏になることができると。この人はですね、経典を読誦するということを必ずしもしないで、礼拝だけを行っている。誰を見てもですね、そこへ行って、拝んで、讃えて、で私はあなたを敬いますと。なぜかって言うと、あなたはいつかは仏様になられる方ですからと。いかなる人でも仏性を持っている。仏と成り得る可能性がある。だからいかなる人をも尊ぶというこの精神、非常に尊いものですが、ところがその主義のわからない人がいた訳ですね、大変怒った人はですね、悪口を言って、それでなぜそんなことを言うんだと、罵られるようなことがあってもですね、この菩薩の方はいつでもいやあなたは仏様にいつかは成る方ですとそう言っていた。こう語った時にですね、多くの人はがすね、ああ変な坊さんがいるからって言うんで、杖だとか、木だとか、瓦だとか、石だとか、そういうものを投げつけて、打ったり、殴ったりして、ところがそれを彼は避けて、走って、遠くへ行く、しかもなお高らかに唱えて申しました。あああなた方はみな仏様に成れる方ですよと。こういう由来があったから、そこで常不軽と名付けた。常に人を侮ることがない、軽んずることがない。

NHKこころをよむ「仏典」カセットテープより引用



メチャクチャ気合入りました 笑
僕・村内のぶひろの一生の中で、この常不軽菩薩との出会いはまさにメガトン級!類を見ないものになりました。人間に対する見方が 360度変わってしまった訳ですから!人に対する接し方がコペルニクス的に転回してしまったのですから!!!


僕の心や肉体に大きな灯(ともしび)、そうです!美しい人間性がハッキリと灯った訳ですから!!!!!!!!!!!!!!!


常不軽菩薩が教えてくれた大いなる世界
どう人間を見るか?どう他人に接するべきか?
人間を礼拝する常不軽菩薩の姿や法華経の教えを人生の鏡として生きていきます♪♪


もしかすると、最高のさとりを得た御仏(みほとけ)に僕は将来なれるかも~w


村内仏 - 自分より他人、僕よりもあなた。

村内仏!自分より他人、僕よりもあなた。



最後にご紹介いたします
渡辺宝陽さんが実篤を引用して述べた言葉

この道より行く道なし、ただこの道を歩む(武者小路実篤)

※正確には「この道より 我を生かす道なし この道を歩く(実篤)


中村元先生が法華経について述べた言葉

法華経は総じて仏の偉大な慈悲を強調しているのでございます。立派な修行を行っている方々はもちろんのこと、またどんなに愚かな者であろうとも、一切の衆生(しゅじょう)を救おうとする、その衆生がどのようなものでも、真の道理を理解できるようにという趣旨で各品ごとに、各章ごとに色々の教えが述べられているのでございます。どの教えについて申しましても、究極の境地まで導いていってくださる。そこには広大なお慈悲があると、いう訳でございます。

NHKこころをよむ「仏典」中村元より引用

彼の、この常不軽菩薩の態度というものは法華経の精神に一致するみな人々を拝む、まことに尊いことでありまして、今の我々としても、いろいろ反省させられる点があるように思うのでございます。

NHKこころをよむ「仏典」中村元より引用


まだ成仏してませんよ~(爆笑)
目を瞑りながら、ほぼ毎晩カセットテープを聴いています(^^)


NHKこころをよむ「法華経」のカセットテープのボックス


昭和61年当時の定価は 28,000円!中古で買ったので、僕はもっと安く手に入れてます(^^)昭和61年って言うと、ドラマ「不適切にもほどがある」でタイムリープした年ですね!まさに昭和時代です


NHKこころをよむ「法華経」のカセットテープ


10B(10巻B面)が第20回 人間礼拝


NHKこころをよむ「仏典(上)」と「法華経(下)」のテキスト


NHKこころをよむ「法華経」のテキスト


NHKこころをよむ「仏典」のテキスト



(おまけ)

お墓にお供えされていたカーネーション
このピンク色のお花を撮ってたら、やさしいお顔の腰の曲がったおばあちゃんがゆっくりと近づいてきて、「お墓にお参りしてくれてありがとう」と言われました。主人は 45で亡くなって・・・的なことを話してくれました。僕は常不軽菩薩と化し、このおばあちゃんを礼拝しました。



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